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「安倍晴明」
九、白檀の香り
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(もう、なんとでもなれっ……!)
勢いよく中に入った保憲に続いて、小春も頼道たちの前へ躍り出る。
しん、と静まりかえった部屋の中。
頼道と頭中将が、目を丸くして小春たちを見つめていた。
――もともと凍っていた空気を、さらに凍らせたのがよく分かった。
半泣きになりながら保憲を見ると、保憲はにこにこと人当たりの良い笑顔を貼り付けながら、頼道と頭中将の前で平伏した。慌てて、小春もそれにならう。
「お呼びに預かりました。賀茂保憲と申します」
朗々と名乗る保憲の声は、静まり返った部屋のなかによく響いた。
「ぶ、無礼な。ここは頼道さまの御前だぞ……!」
「よい、頭中将」
声をあげた頭中将を制したのは、頼道本人だった。
「陰陽師を呼んだのは私だ」
「顔をあげよ」
大木を思わせるような、低くしゃがれた声がかかり、小春はおそるおそる顔をあげた。
恰幅のよい体に、ぎょろりとした瞳。
射抜くような頼道の視線に、小春は思わず体を震わせる。
「忠行から、話は聞いている。そちが忠行の息子か」
「はい。忠行は私の父にあたります」
「そして……おぬしは、安倍家の?」
「はい。安倍晴明と申します」
内心どきどきしながら、名を名乗る。
頼道は保憲と小春を品定めするような視線で見たあと、手に持っていた扇をぱっと広げた。
「おぬしらに依頼がある。……頭中将、おぬしも聞いておれ」
「……はっ」
頭中将が小さく答えた。
「わしは、娘があやかしに憑き殺されたものと思っている。ついこの間まで、娘とは言葉を交わしていたのだ。……そのときも、いつも通りだった。娘が死を選ぶだなんて、まるっきり思えんのだ」
そこまで言って、頼道は口を切った。
一呼吸おいて、じっと小春たちを見据える。
「……ついては、おぬしら陰陽師に、娘を殺したあやかしを探してもらいたいのじゃ」
「そのつもりで参りました」
間髪をおかずに答える保憲。
「この事件、私たちが必ずや解決いたしましょう」
保憲の言葉に、頼道の目がきらりと光ったように見えた。
「頼りにしておるぞ」
「はっ」
保憲と小春は、そろって声をあげた。
こうして依頼人から直々に声をかけてもらえるというのは、気合が入る。
「ところで……。なぜ頭中将さまもご臨席されているのでしょう」
保憲がたずねると、頭中将はばつの悪そうな顔をした。
そんな頭中将に、頼道は厳しい視線を向ける。
「……わしは、娘が恋敵に憑かれたのではないかと、ふんでいる」
「ふむ。そこで、恋仲であった頭中将さまも何かしらの関係があるのではないか、ということですね」
保憲の言う通り、もし本当にあやかしの仕業なのであれば、頭中将と恋仲であった姫君が狙われるというのも一理ある。これだけの色男である頭中将であれば、姫君のほかに恋人がいてもおかしくない。他の恋人が、姫君を妬んで生霊と化すのもあり得る話だ。光る君の物語でも、六条の御息所は葵の上を妬み、生霊となって葵の上を呪い殺した。
(私が見たあの女性は、姫君を妬んだ誰かの生霊なのだろうか……)
だとすれば、姫君を殺したのは頭中将のようなものだ。
だからこそ、先ほどまで頼道と頭中将のあいだに諍いがあったのだろうと合点がゆく。
「私にご協力できることがあれば、協力させてくれ」
居心地が悪そうにたたずんでいた頭中将が、小春たちに声をかけた。
その瞬間、ふっとまた白檀の甘ったるい香りが漂い、一瞬だけ意識が持っていかれそうになる。
(……なに、これ?)
そのとき、小春の目にうつったのは、先ほども見たあの女だった。
頭中将の肩にだらりともたれかかるような姿。まるで、頭中将自身を呪っているような――。
「あ、兄上……!」
思わず声をあげた瞬間、火が消えるように女の姿が立ち消える。
保憲をはじめとして、そこにいる全員が小春を怪訝そうに見つめていた。
「失礼しました。何でもございません」
慌てて取り繕うも、胸中には気持ち悪いものが広がる。
(あの女性は、誰なんだろう)
また、顔が見えなかった。
顔が見えたところで、何か調査の得になるかと言われれば、そうではないことは分かっている。
ただ、表情さえ見ることはできれば、何か手がかりになるかもしれない、と小春は思った。
勢いよく中に入った保憲に続いて、小春も頼道たちの前へ躍り出る。
しん、と静まりかえった部屋の中。
頼道と頭中将が、目を丸くして小春たちを見つめていた。
――もともと凍っていた空気を、さらに凍らせたのがよく分かった。
半泣きになりながら保憲を見ると、保憲はにこにこと人当たりの良い笑顔を貼り付けながら、頼道と頭中将の前で平伏した。慌てて、小春もそれにならう。
「お呼びに預かりました。賀茂保憲と申します」
朗々と名乗る保憲の声は、静まり返った部屋のなかによく響いた。
「ぶ、無礼な。ここは頼道さまの御前だぞ……!」
「よい、頭中将」
声をあげた頭中将を制したのは、頼道本人だった。
「陰陽師を呼んだのは私だ」
「顔をあげよ」
大木を思わせるような、低くしゃがれた声がかかり、小春はおそるおそる顔をあげた。
恰幅のよい体に、ぎょろりとした瞳。
射抜くような頼道の視線に、小春は思わず体を震わせる。
「忠行から、話は聞いている。そちが忠行の息子か」
「はい。忠行は私の父にあたります」
「そして……おぬしは、安倍家の?」
「はい。安倍晴明と申します」
内心どきどきしながら、名を名乗る。
頼道は保憲と小春を品定めするような視線で見たあと、手に持っていた扇をぱっと広げた。
「おぬしらに依頼がある。……頭中将、おぬしも聞いておれ」
「……はっ」
頭中将が小さく答えた。
「わしは、娘があやかしに憑き殺されたものと思っている。ついこの間まで、娘とは言葉を交わしていたのだ。……そのときも、いつも通りだった。娘が死を選ぶだなんて、まるっきり思えんのだ」
そこまで言って、頼道は口を切った。
一呼吸おいて、じっと小春たちを見据える。
「……ついては、おぬしら陰陽師に、娘を殺したあやかしを探してもらいたいのじゃ」
「そのつもりで参りました」
間髪をおかずに答える保憲。
「この事件、私たちが必ずや解決いたしましょう」
保憲の言葉に、頼道の目がきらりと光ったように見えた。
「頼りにしておるぞ」
「はっ」
保憲と小春は、そろって声をあげた。
こうして依頼人から直々に声をかけてもらえるというのは、気合が入る。
「ところで……。なぜ頭中将さまもご臨席されているのでしょう」
保憲がたずねると、頭中将はばつの悪そうな顔をした。
そんな頭中将に、頼道は厳しい視線を向ける。
「……わしは、娘が恋敵に憑かれたのではないかと、ふんでいる」
「ふむ。そこで、恋仲であった頭中将さまも何かしらの関係があるのではないか、ということですね」
保憲の言う通り、もし本当にあやかしの仕業なのであれば、頭中将と恋仲であった姫君が狙われるというのも一理ある。これだけの色男である頭中将であれば、姫君のほかに恋人がいてもおかしくない。他の恋人が、姫君を妬んで生霊と化すのもあり得る話だ。光る君の物語でも、六条の御息所は葵の上を妬み、生霊となって葵の上を呪い殺した。
(私が見たあの女性は、姫君を妬んだ誰かの生霊なのだろうか……)
だとすれば、姫君を殺したのは頭中将のようなものだ。
だからこそ、先ほどまで頼道と頭中将のあいだに諍いがあったのだろうと合点がゆく。
「私にご協力できることがあれば、協力させてくれ」
居心地が悪そうにたたずんでいた頭中将が、小春たちに声をかけた。
その瞬間、ふっとまた白檀の甘ったるい香りが漂い、一瞬だけ意識が持っていかれそうになる。
(……なに、これ?)
そのとき、小春の目にうつったのは、先ほども見たあの女だった。
頭中将の肩にだらりともたれかかるような姿。まるで、頭中将自身を呪っているような――。
「あ、兄上……!」
思わず声をあげた瞬間、火が消えるように女の姿が立ち消える。
保憲をはじめとして、そこにいる全員が小春を怪訝そうに見つめていた。
「失礼しました。何でもございません」
慌てて取り繕うも、胸中には気持ち悪いものが広がる。
(あの女性は、誰なんだろう)
また、顔が見えなかった。
顔が見えたところで、何か調査の得になるかと言われれば、そうではないことは分かっている。
ただ、表情さえ見ることはできれば、何か手がかりになるかもしれない、と小春は思った。
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