大好きだけど

根鳥 泰造

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第二話 ライムライトの灯

オルゴールの小鳥 名残の空

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「おせち料理の仕込みをしてくる」
 彼は台所へと向かい、そのまま夕食の準備を始めた。
 なのに、裕ちゃんは、全く手伝う気配を見せない。
 母が働き、彼が家事を担当する逆転夫婦なので、これが普通なのかもしれないけど、少し前の母からは絶対に考えられない。この男を信頼して、完全に甘えている。

 彼が、台所に席を外してからは、私達は互いの最近の生活状況を話し合った。
 私は、男の気配を悟られない様に細心の注意を払い、仕事を中心に、ニューヨークでの生活を話す。
 一方、母は仕事の話は一切せず、ひたすらあの男とのじれったいデートの話を続ける。
「そこは、以前、電話で聞いてるから」と突っ込みながら、全てを開けっぴろげに話せる彼女が羨ましかった。
「この間のクリスマスには、あのカラクリオルゴールを直してくれたの」
 小鳥が飛びまわって囀る、母の大切にしていたオルゴール。父が母にプロポーズする時に、何故かそれを渡して来て、開けると小鳥がポンと婚約指輪をはじいきたという母の宝物。
「うそ。あれを直したの」
 勝手に持ち出せない様に、手の届かない高い場所においてあったのに、小学生だった私は、友達に自慢したくて、台にのり、背伸びをして、落とし、壊してしまった。
 泣きじゃくる私をしっかりと抱きしめ、「心配いらない。修理すれば元通りになるから」と励ましてくれた。
 でも、どの工房も、構造が複雑すぎて、修理できないと突き返して来た。
 結局、母が自分が落として壊したと父に嘘を言い、捨てることもできずにずっと倉庫にしまってあったものだ。
「そう、私のために徹夜で頑張って、『君の大切な思い出の品でしょう』と渡してくれた。パパとの想い出を大切にしているって知りながら、そんな私を愛してくれる」
 それが本当なら、ロボット工学の世界的権威というだけでなく、機構学にも熟知した超一流のエンジニアということ。彼は、その道のプロも投げ出す複雑な芸術品に近い精密機械の構造を理解し、修理したと言う事になる。
「後で見せてあげるね。それで昴さんにはまだ内緒なんだけど、彼の腕を活かせて、小説のネタにもできる様な仕事を考えているの。丁度、二月に駅前ビルの三階事務所の契約が空く。だから……」
 母は、からくり人形の様な複雑な貴重品の修理を請け負う、ちょっと変わった便利屋事務所を彼に任せるつもりと打ち明けてきた。
 確かに、凄い技術を持っているみたいだし、反対する理由もない。
「いいんじゃない」
 七月の時とは、別人の様に明るく楽しそうな母を見て、私はもう二人の関係を邪魔する気を失くしていた。
 私は、失恋の痛手で崖っぷちだけど、だからと言って、彼女の幸せを奪う権利はない。
 変な事を考えてしまったことを反省し、二人を素直に応援することにした。

 夕食は、彼の作った和食の家庭料理。ニューヨークにも日本料理店は沢山あるのに、日本料理が恋しいだろうと、昨日から準備をしていてくれたらしい。
 しかも、実に美味しい。母のよりも少し薄味だけど、出汁が良く効いていて、ずっとおいしい。

 夕食後、母は、私を制して、あの男と洗い物を始めた。私にテレビでも見ていろと言うことなのかもしれないけど、日本のテレビなど興味がない。
 結局、二人を眺めているしかなく、お似合いの二人かもと思い始めていた。

 二人が居間に戻って来たので、私は最後の確認に彼に聞いてみた。
「母から、あなたの話をいろいろと伺いましたが、正直、母のどこが気に入ったんでしょう」
「そう聞いてくる思ってた。裕子が言ってたんだ、自分の事を父親として認めるかを判断するため、いろいろと仕掛けてくるって」
 確かに、父親とは認めるつもりはないけど、そんな背景から説明してくる男は初めてだった。
「最初は、こう回答するつもりだった。『裕子の全てが好きだ。怒ったり、拗ねたり、バカにしたり、蔑んだり、そんな彼女の行動すべてを好きだ』って。でも、それは本当の自分の気持ちじゃない。本当は、どこが好きなのか、分からないんだ」
 そういって、男は暫く黙りこんだ。

 この男、何なの? どうして恋人を前にして、こんな変な事を言いだすの?
 母に視線を移すと、真剣な表情で、彼の次の言葉に聞耳を立てている。
「最初の印象は、男性遍歴豊富なボインの美女で、恋愛感情など全く無かった」
 『ボイン』って言葉の意味が解らなかったので、そっと母に聞くと、『bazongas』って回答が来た。なんて失礼な男。
「でも小説ネタにと、裕子を愛する男を演じてみようと付き合い始めた。だから最初のデートの時は、彼女を冷静に観察し、妻との違いを比較したりした」
 この男の頭の中が全くわからない。母を案ずる娘に対し、こんな酷い発言をする? それが例え本心だったとしても、母が聞いたらどんな気持ちになるかわからないの?
 私が裕ちゃんに「御免なさい」と謝ったら、「シっ」と怒られてしまった。
 母は真剣で、彼の次の言葉をじっと待っている。
「それがいつからかは分らないが、すっかり、裕子が自分の中にいた。彼女に夢中だとか、胸が高鳴るとか、彼女が頭の中から離れないとか、そんな恋愛感情はすっ飛ばして、いつのまにか彼女が空気の様に、居るのが当たり前で、いないと生きて行けない程、大切な存在になっていた。愛していると思い込もうとした感情に、飲み込まれてしまっただけかもしれない。でも、居心地が良い自然な状態だった。気に入ったとか、愛していると言うんじゃなくて、彼女が居るのが当たり前で、大切な彼女のために自分が行動するのが、極自然だった。キスしたいとか、エッチをしたい気持ちがなかったかと言えば嘘になるが、そんなことをしなくても、一緒に居られるだけで、とても満足だった。十二月八日のあの日、初めて彼女と結ばれたあの日、自分がそう感じた理由が分かった。前世で既に結ばれて約束されていた相手だったのだと」
 やっと演説が終わったと母を見ると、口を一文字に結び、眉間に皺を寄せて、何やら怒っている。
「昴さん、それは間違っています」
 えっ、どうしちゃったの。怒って反論するなんて、裕ちゃんらしくない。
「あなたは、貴方自身の心で私を受け入れ、私を大好きになっただけです」
「でも、運命の関係にあるのは、確かでしょう」
 運命の関係と言うのは、二人が前世の恋人同士だったということ。
 嘘か本当かは、わからないけど、母と彼が初めて結ばれた時、前世の記憶が蘇ったのだとか。
 前世で、二人は幼馴染で、親の反対を押し切って、駆け落ちして夫婦になった。でも、第二次世界大戦中だったので、徴兵で引き裂かれる。その際、もし万が一のことがあったら、直ぐに自害するから、来世で幸せに暮らしましょうと約束して熱い契りを交したのだとか。
 だが、彼の戦死の知らせを受けるも、赤ん坊を宿していて、彼女は約束を違え、その子を産んで育てる決断をした。だが、終戦間際の空襲で彼女も死んでしまう。
 だから、神は彼女を秋田という遠い地で転生させ、二人が巡り合わない様に意地悪したのだとか。
 その所為で、長い時間が掛かってしまったが、二人は、現世で、再び巡り合い結ばれた。
 その瞬間、全てを思い出し、若い頃に戻った様に、互いに活力と精力が沸き上がり、何度も愛し合って、メロメロになったという惚気話。
 しかも、それ以来、二人は呪いの様な業を背負う事になる。互いが再び離れる事が無い様にと、二人に離れられない呪いを科した。
 二人が二十四時間、身体を一切触れ合わないでいると、男は激しい目眩と頭痛に襲われ、イライラして発狂しそうになり、女は心臓がどんどん激しく高鳴って、呼吸困難になる。
 きっと、与太話だと思うけど、その翌日、心不全で意識不明の危篤になり、入院する事件があったのだとか。そして、彼が母に触れると、何事も無かった様に、正常に戻ったという。
 だから、二人は、こうしてこの齢で同棲なんかし始めたと聞いている。

「はい、確かに運命の関係です。でも、それは結果として運命の関係であっただけで、その結果に至ったプロセスは自身の気持ちです」
「君だって、以前、結果が全てと言ってたじゃないか」
「それとこれとは別です。運命ではなく、自分の意志と言う点が大事なんです」
「そんなのどうだっていいじゃないか」
「そこが一番大事なのです。あなたが運命で私の事を抱いたと思っているなら、今後一切、セックスはしません」
「ああ別にかまわないよ。どうせ他人同志なんだし」
「それは運命の関係と矛盾しています」
 なんなのこの二人。
 裕ちゃん、以前と別人になってる。これって、私が変な質問をした所為?
 でも、二人が互いを真剣に考えて、正直にあろうと喧嘩していることだけは分かった。

 二人の喧嘩は続いていたが、私は一人退散し、二人の心理分析をしようとしていたら、隣からドシンと、勢いよくドアを閉める音が聞こえた。
 裕ちゃん、かなり怒っている。
 そもそも、母は、怒る時ほど冷静になり、感情を押し殺すタイプ。だからこそ、怖い。ところが、さっきは言葉こそ冷静を装っていたものの、感情むき出しの女の発言。
 あんな母を見たのは初めて。父と母は、全くと言うほど喧嘩したことが無い仲良し夫婦だっただけに、どうして、あんな人と結婚しようとしているのか、ますます分からなくなった。

 そんな事を思っていたら、懐かしい小鳥のさえずりが聞こえてきた。
 思わず飛び出して、母の部屋に飛び込んだ。
 母は、懐かしそうに、そのカラクリオルゴールを眺めていた。
「さっき、約束したでしょ。はい」
 母は、また蓋をしめて、後ろの発条ぜんまいを巻いて、私に手渡してくれた。
「心配しないで。あの人のことは良く分かってるし、彼も全てを受け入れてくれる人だから」
 母の言葉の意味は理解できないけど、私はそのオルゴールの蓋を開けてみた。

 小鳥が飛び出してきて、高い音で囀りながら、あちこちを動き回り、二十秒程で、また巣に戻って行った。
 小さい頃のイメージよりも、ずっと小さい小鳥だったけど、確かに昔のままの動きと鳴き声をしていた。
「あの人といると、なんでこんなに喧嘩しちゃうんだろう」
 ぽつりと反省するように、母は独り言を呟いた。
「彼に聞いたことがあるの。パパとは全く喧嘩なんかしなかったのに、何でこんなに頻繁に喧嘩するんだろうって」
 母が聞いたと言う話は、要約するとこうだ。
 夫婦間で喧嘩が起きるには、二つの条件が揃っている必要がある。一つは、互いが自分のすべてを預けてもいい程に愛し合っていること。そして、もう一つの条件が、対等な立場の関係に有ること。
 好きと言う感情は、嫌いと言う感情と隣り合わせだから、大好きな人間と居る時ほど、感情の起伏が激しくなる。でも、自分と対等な関係でなければ、喧嘩にならない。好きでも尊敬する人とか、片思いの人とか、負い目がある人とか、養ってあげていると考えている人なんかでは、喧嘩は起きない。
 普段仲良しな夫婦でも、夫が浮気して喧嘩になるのは、普段は男が高い立場にあるが、浮気の発覚で、一時的に対等な立場になるからだと言う。
 当然、好きと思っていない人とも、喧嘩は起きない。対等な関係で、かつ、好きと言う条件が揃った時は、感情が高ぶって喧嘩が起きやすいと言うのが彼の説らしい。

 という事は、母はあの人を大好きで、対等視しているから、こうあってほしいと期待して、互いが自分の主張を押し付けあって喧嘩になる。でも、互いに深く愛しているから、冷静になると、また大好きになる。その繰り返しで喧嘩ばかりしている。
 一方、パパとは、養ってもらっていると言う負い目と、歯科医であり、かつ立派な実業家という尊敬の念で見ていたから喧嘩は起きない。
 確かにそうかもしれない。
 そして、それは私の場合にも当てはまる。喧嘩せずに仲が良いと誤解していたのも、私が上位の立場であいつを見ていたから。別れ話をされた時も、彼に対する怒りと言うより、自分の所為だと反省した。
 あんなことをしたのだって、本当に怒っていたのではなく、怒ったポーズをとり、彼との関係を清算したかっただけの気がする。
 確かに、この説は真理なのかもしれない。

 でも、あの男は天才技術者であって、哲学者でも心理学者でもない。
 そう思っていたのを見透かされたのか、母が説明してくれた。
「あの人は、とても不器用で子供の様な人なの。なにかに夢中になると、それだけしか頭になくなる。そのことだけを全力で考える。ホンダに居た時は、ロボットの事だけを真剣に考え、アシモ開発に不可欠な伝説の技術者になった。絵を描けば、ルノワールもびっくりする程の芸術家になる。秘密を探れと言えば、企業秘密でも探り出す名探偵になる。このオルゴールだって、専門家が不可能と投げ出したのに、夢中になって直して仕舞う凄腕の時計職人になる。彼は私の想像を常に超える解答を出してくる人。貴女はバカにしているけど、本当に凄い人なんだから」
 すっかり、愛する乙女だ。
「さっきも大人になれなくて、私の目の前で、失礼なことを言ったでしょう。でも、それは純粋で不器用な子供だから。きっと、今頃、自分の感情と真剣に向き合っている。彼の事は良くわかっているし、私は何を言われても彼を信じているから平気。ついムキになっちゃって、あなたに心配させちゃったわね。御免なさい」
 仲がよく、信頼している事は良く分った。


 部屋に戻り、あいつとの関係をもう一度考えた。
 母と一緒に居ると、あんな男に傷心している自分が馬鹿みたいに思えてくる。帰ってきて正解。
 彼と別れて正解とはっきり結論が出た。
 あんな男は忘れて、新たな恋をしよう。年齢的には、もう次で最後。
 母と義父の様な関係は嫌だけど、パパとママの様な幸せな家庭を持ちたい。
 母の幸せそうな顔を思い出し、そう切望した。

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