大好きだけど

根鳥 泰造

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第一話 蜘蛛の糸見つけた

腕相撲惨敗 寝床冴えかえる

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 飛び出してきたものの、金もないし、行先も無い。
 公園のベンチに座り、『裕ちゃんは良い人すぎるよ』と健の兄貴に心の中で語りかけた。

 あの事件のあと、暫くして、往凶会と山田組の抗争が急に激しくなり、山田組の若頭の魂を取れと、兄貴が鉄砲玉に選ばれた。
「俺にも幸運が巡ってきた。みんな、ジャンジャン飲んで、祝ってくれ」
 いつも金欠で、金なんてないのに、その夜は、俺をキャバクラに連れて行き、豪遊して大はしゃぎした。
 でも、兄貴は、本当は怖くて酔っぱらって過ごすしかなかったのだと知っている。

 決行の前日、兄貴が打ち明けてきた。
「お前はもうヤクザじゃない。今日から堅気だ。お前を暫く面倒見れないので、小坂さんにお願いしておいた。明日、神谷裕子さんのとこに行け。あの人は観音様だから、きっとお前を、世話してくれる。幸せにしてくれる」
「嫌だよ。兄貴が出てくるまで、此処で待ってる」
「いいか。ここはお前独りでやってけるとこじゃない。裕ちゃんを頼れ。で、俺が出所したら、必ず迎えにいってやるから」
 兄貴はそう約束したのに、その場で直ぐに取り押さえられ、拉致られ、水死体で見つかった。
 途方に暮れたが、彼女に世話になるのだけは自分として許せなかった。あんな事をしておいて、頼れるわけがない。
 だから、都内各所を彷徨っていたのだが、気づけば、ここに来てしまっていた。
 そして、思っていた通り、彼女は、何もなかったように、自分を家に招き入れ、温かい風呂や、美味しい食事を振舞ってくれた。ここに居て、一緒に働かないかとも言ってくれた。
 もう素直になろう。彼女の世話になり、働いてみるのも悪くない。
 でも、隠して居ても、俺の素性は直ぐにばれる。そうなれば、また皆が追い出しにかかる。
 裕ちゃんや、優しい元マル暴デカがいても、世間はそんなに甘くない。
 いや、それまでだけでも、頑張って働けばいい。一文無しでは何もできないのだから。
 公園のベンチに腰かけて、そんなことを考えていると、腹が満たされた為か、そのまま眠っていた。

 誰かに肩を叩かれて、目が覚めた。
「お前が安田か」
 目の前に、眉に傷がある厳つい顔の男がいた。山田組ヤクザに違いない。
 あわてて、逃げ出したが、足を引っかけられ取り押さえら、腕を捻じり上げられ、身動き取れなくされた。
「命を取ったりはしねぇ、大人しくついてこい」
 逆らうと、殺されるという危険な匂いがし、渋々、彼に腕をつかまれたまま歩いた。
 すると神谷邸に連れていかれた。
 まさか、こいつがあの元マル暴デカか。全然、話に出て来てた頼りない男じゃないじゃないか。

「お帰りなさい」彼女が、玄関内で待っていた。
 後ろに居るのが、あの時の旦那で、もう一人の女性が、こいつの奥さんらしい。
「ほら、早く、はいれ」
 あいつに背中を押され、無理やり屋内に入れられ、彼は玄関扉をしめた。
「安君、改めて、紹介するね。此方が、例の磯川さんと愛妻の夕実。去年、私が再婚して娘になった。そして、これが私の主人の神野じんのすばる。名字が違うけど、夫婦別姓なの。…………。何、黙ってるの、ちゃんと、自己紹介しなさい」
 なんか、母さんに叱られているみたいだ。実際、少し母と顔立ちが似ている。
「安田しょうです。この間はご迷惑をおかけしました」
「はい、よくできました。あと、今は上で寝ているけど、三歳の大輔ちゃんという男の子と、祐輔ちゃんという赤ちゃんがいるの。大所帯でしょう。一人ぐらい居候が増えても関係ない。そして、明日から、磯川さんの下で、丁稚奉公してもらう事になりました。いいですね」
「えっ」
 何が何だか、理解ができない。
「さっき、うちの食事、食べたでしょう。一宿一飯の恩義と言うのを聞いたこと無い? ちゃんと働いて返してもらいますから。部屋は、後で案内するわ」
 俺の意志など無視で話が進んでいるが、その方が、嬉しいに決まっている。
「自分は認めない」
 突然、彼女の旦那がそう言い出した。
 そりゃそうだ。俺は、あんな目にあわせた誘拐犯の一人なんだから、これこそ普通の反応だ。
「親父、まだそんなこと言ってんのかよ。さっきは、俺が面倒みるなら良いって、言ったじゃねぇか」
「仕事をするのは認めたが、ここに住むのは認めていない」
 旦那は、俺の前に立って、俺を睨みつけた。俺も負けじと睨み返す。
「君の話は、裕子から聞いた。でも、何で叔母さんを刺したのか、記憶にないなんて嘘だ。何かがあったから刺した。その理由が納得できるまで、此処には住まわせない」
 あの時、彼女の魔法にかかって、つい身の上話をさせられた。
 その時、叔母への傷害罪で少年刑務所に入ったことも話した。
 どうしてそんなことをしたのかと訊かれ、その時の事はよく覚えていないと誤魔化したが、その事を言っている。

 俺は、真剣に俺を拒絶しようとする彼を見て、ついニヤケてしまった。
 ようやく、普通に俺を拒絶する男が現れ、俺を追い出そうとしてきたことが、嬉しかったのだ。
 俺が、解ってますよと、静かにここを出て行こうとすると、あいつに腕を捻じり上げられた。
「思い出したくない嫌な思い出って、誰にでもあるだろ。そのうち、自分から話すって」
 旦那が、また俺の前にやってきて、あいつに俺を開放する様に指示し、俺の顔を再び睨みつけてきた。
 今はみっともない所を見られた直後なので、目を合わせたくなかったが、目を逸らしたら負けだと思って、睨み返した。
「正直、自分は不安なんだ。裕子は良い人と言うし、君は粋がっているだけの若者にしかみえない。本当は善人なのに、悪ぶっているだけの若造に違いないように思える。だから、裕子の言う様に、君を住まわせてあげても、問題ないと思うが、まだ判断できるほど、君とつきあっていない。悪いが、君の事、信用してないんだ」
 やっぱり、こいつも普通じゃない。何なんだこいつら。全員異常なお人よし軍団か?
 でも、こいつは、偽善者ぶってなくて、まだましか。
「人を刺すというのは、相当な事だ。どんな背景で、愚行に及んだのか。良い人でもそうなりかねない状況だったのか、それとも単に、短気で、危険な性格を隠しもっているだけなのか。私にはそれが判らない。だから、頼む、この通りだ。話してくないか」
 変な奴とは思ったが、なんで頭んか下げる。あの日の忘れたい光景が再び蘇った。

 あの日の叔母は、泥酔していて、異常だった。
 帰って来るなり俺の部屋にきて、裸になれと命じた。
 叔母は、罰とし俺を全裸にして立たせ、情けない姿を笑いものにして反省させたことが、何度もあった。
 だが、何もしていないのに、裸になれなんていうことは、一度もなかった。
 しかも、この日は、ペニスを弄繰り回し、無理やり、勃起させ、にやにやした顔で眺め、俺の反応を楽しんだ。
 当時は童貞だったので、そんな事でも興奮してしまう。何度も手でごしごしとこすり、弄ばれた。
 そして、突然、彼女はパンツを脱いで、私に入れろと命令してきた。
 当然、俺は嫌だと拒否したが、殴られ、蹴られ、押し倒された。
 あいつは、逆向きに馬乗りになって、今度は口まで使って、勃起させようした。
 無理やりレイプされる。そうはっきり認識した。
 食事を与えてもらえないとか、板の間で何時間も正座させられて眠らせてもらえないとか、裸で外に立たされるとか、その他の事は我慢できる。
 でも、彼女のペットとして、弄ばれるのだけは、我慢できなかった。
 その時、ちょうど鋏が目に入り、逃れたい一心で、叔母をつい刺してしまった。

 でも、そんなことは、誰にも言えないし、言ってない。
 警察でも黙秘したし、裁判でもその事は話さなかった。叔母もその事を隠し、勝手なデマをでっち上げたみたいで、俺が一方的に悪いことされ、少年院ではなく、少年刑務所に入ることになった。

「御免なさい、正直に話したいけど、本当に覚えていないんです。でも、仕事には付きたい。外で寝起きするなら良いですか?」
「そうか」
「そうよ。思い出したくない程のストレスで記憶喪失になる事ってあるでしょう」
「本気で、そんな事と思ってないよね。前向性健忘症の場合、衝撃的な事件そのものを、その背景毎忘れるんだ。刺した事を覚えていて、その背景だけ都合よく忘れるなんて有りえない。君が嘘をついてると見抜けないはずはない」
「でも『そうか』って」
「一生、誰にも言わないと、決意しているのが、分かったと言う意味だ」
「はいはい、その辺で。じゃあ、俺が責任をもって面倒を見ると言う事で……」
「待て。俺に腕相撲で勝ったら、此処に住むのを認める。できなければ、車庫で寝泊まりしてもらう。これは勝負だ」
「また腕相撲かよ。好きだねぇ」
 なんか、へんな流れになってきた。
 俺は別にここで寝泊まりしなくてもかまわないが、勝負事は好きだ。
 本気で行かせてもらい、暖かいベッドをゲットしてやる。

「ついて来い」旦那は、玄関を上がって直ぐの階段を上がり始めた。
「どこに行くの?」裕ちゃんも、この男の行動が分かっていない様子だ。

 金持ちだとは思っていたが、二階に上がると、ダーツやビリヤードの台もあった。とんでもない金持ちみたいだ。

 旦那は隅にあった電話台の様な高くて細い小さいテーブルを持ってきて、腕をまくった。
「確かに、これは丁度いいねぇ」
 そう言うと、今度は小声で、「六十四歳の爺だと思って油断すんなよ。俺より少しだけ弱いが強敵だ」と耳打ちしてきた。
 裕ちゃんも旦那も、四十代だと思っていたが、そんな齢だとは驚きだ。
 なら、尚更、負ける訳にはいかない。

 あいつがレフリー役になり、手を合わせ、ゴーの合図がかかった。
 先制で、一気に片づけようと思ったが、全く動かない。
 しかも、こっちの様子を観察している様子で、まだ本気をだしていない。
 なんだこいつ。信じられない。
 次の瞬間、ぐっと腕が持っていかれて、一瞬で勝負がついた。
「もう一回だ」
「試合は一回きり、お前が勝てると思うなら、毎日でも相手してやる」
 そう言い残して、奥へと消えて行った。

「お前、弱すぎだ。あれじゃ、何度やっても勝てないぞ」
「どうしよう。外は寒いのに。困ったわ」
 悔しかった。ここに泊めてくれなくてもかまわないと思っていたが、本気を出したのに、全くかなわなかった事が、無性に悔しかった。

 あの旦那が、何かを持って戻って来て、それを投げつけてきた。
「まぁ、勝負を受けちまったからにゃ、しかたねぇな。今日はシュラフで寝るしかない」
「シュラフ?」
「お前、シュラフも知らないのか。それのこと。寝袋」
 寝袋は知っているが、この小さな塊が、その寝袋というものだとは思いもしなかった。

「君が勝つまで、この家の中で寝ることは許さない。が、トイレ、風呂、食事や、書斎、その他、何でも好きに使っていい。だが、約束通りに今日の寝床は外の車庫だ。食事の後に案内してやる。まず食事をしてこい」
 そう言って、旦那は、階段を降りて消えていった。

 俺の親父は、こんな感じではないが、まるで父親の様に厳しくそして優しい感じがした。
 この人は信用できる。なぜか、そう思えた。

 お風呂も食事も、ビールまで。今まで、社会は自分に冷たいとばかり考えていたが、こんな人達もいるのだと思い、真剣に働いてお返ししなければという気になった。

「ここが、今日のお前の寝床だ。場所はどこでもいいが、車には絶対に傷つけるなよ」
 親仁は、そう言って、俺を残して立ち去った。
 外の車庫と言っていたので、てっきり屋外だと思っていたが、風の来ないガレージで、中は結構広くて、なんとベッドのマットが、地べたに、置いてあった。
 ここに、このシュラフを敷いて暫くは生活しろと言うことらしい。
 寝袋で寝たのは初めてだったが、結構温かかった。
 そして、今日一日を思い出すとなぜか涙が出て止まらなかった。

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