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その2
しおりを挟む中嶋紗織と日浦尚樹は高校1年から交際を始め、今年で10年目となる。
一学期の初めで席が近くなり話すようになり、2人で話すと楽しいけど気持ちが穏やかになり落ち着いて、会話がなくても居心地のいい相手だと感じていた。
お互いを意識するようになり、夏休み前には尚樹が交際を申し込み、付き合うようになった。
勉強も2人で取り組み、大学は地元の仙台を出て、2人で東京の大学に進学した。2人とも一人暮らしだったが、大学が違う2人は少しでも一緒にいたいからと常にどちらかの家で過ごし、半同棲状態だった。
2人は都内にそのまま就職が決まったので、お互いの両親に真剣に交際しており、いずれは結婚するつもりでいることを話し、同棲の許可をもらい、社会人を始めると同時に同棲生活もスタートさせた。
10年一緒にいて、お互いの良いところも悪いところも理解して、寄り添って生きてきた。
将来は、夫婦になり、家族になって、子育てをしていく、平凡だけど幸せな未来を当たり前のように夢見てきた。
そんな社会人となり3年目のある日、紗織は愛する尚樹から青天の霹靂とも言える告白をされた。
めったにない関西への一泊の出張を終え、疲れて早くベッドへダイブしたい!と休息を欲して、やっと自宅へ帰った所、恋人の尚樹がどんよりした暗い顔をしてソファーに座っていた。
「ただいま?」
「……おかえり。お疲れさま」
尚樹の方がよっぽど疲れた顔をしていた。
いつもの穏やかではない、どこか張り詰めた空気に、只事ではない何かがあったのだと察する。
「何か、深刻な顔してるけど、何かあったの?」
尚樹は無言のままだ。
「えっと、とりあえずコレ、大阪出張のお土産ね。お留守番ありがとう。後でお茶しようか?」
「……」
「体調、悪いの? 病院、行く?」
「……紗織、」
「ん? どうしたの?」
「浮気… した。昨日、紗織が出張行ってるあいだに」
「え?」
紗織は信じられない気持ちで尚樹を見た。
尚樹はただ、俯いて座っていた。
「打ち上げで、飲んでて、すごい酔って、…同僚の女と、…気づいたらホテルに行ってた」
「ホテルに行った… だけ?」
「違う」
「じゃあ…」
「セックスもした」
「……」
「ゴミ箱に使用済みのゴムあったし、だいぶ酔ってたけど、何となく、ヤッた記憶が、ある… から」
「……」
「本当にごめん。取り返しのつかないことをした。紗織を裏切った。…ごめんなさい。こんなこと、二度としない。紗織を失うかと思うと、怖くて仕方が無い。自分勝手なこと言ってるのは分かってるけど、別れたくない。紗織がいない未来なんて、考えられないんだ…」
「…じゃあ、なんで浮気なんてしたの?」
「…本当にごめん」
「理由になってないよ」
「ごめん… 酔って、おかしくなっていたとしか言えない。なんでっ、あんな事したんだろ…」
尚樹が俯き片手で目を塞ぐ。
唇が震え、鼻を啜りながら泣くのを堪えている様に見えた。
いくら反省して後悔したって、浮気をする男なんてゴメンだ。
一度した男は二度するかもしれない。
だけど、尚樹とは10年の積み重ねた時間がある。
たった一夜の過ちで、10年の間に築いてきたもの全てを否定し捨て去る事は出来ない。
紗織は混乱していた。
仮に尚樹と離れるとしたら、尚樹との未来が無くなるということだ。尚樹のいない未来なんて想像したことがなく、真っ暗闇に放り出されたような気持ちになる。
かと言って、このまま許して今まで通り一緒にいられるのだろうか…。
「分かった」
「…許して、くれる…?」
「とりあえず、浮気した事が“分かった”だよ。許すとか、今はそんな状態じゃない。暫く考えさせて」
「さ、おり。別れたくない…」
「うん、そこも考えたい」
「好きだ… 紗織のこと、本当に、愛してる…」
「うん、ありがとう」
こんな時、同棲していると困る。離れたくても近くにいるのだ。
「暫く、距離をおいて考えたい。一緒にいたら、考えが纏まらないから…」
「離れて、別れたいとか…、言わないで欲しい…」
「それも分からない。ゆっくり落ち着いて、考えさせて」
紗織は、それから1週間ほどビジネスホテルに滞在した。仕事へはホテルから通った。その間に、尚樹とこれからどうするのかゆっくり考えたかった。
尚樹と離れたくない。
たった1度の浮気なんだから許して、無かったことにして、今まで通りに過ごせば、思い描いた未来が実現する。
それでも、ふとした瞬間に尚樹が自分じゃない人と抱き合ったという事実が頭に浮かんできて、喉がきゅっと狭まり、息苦しくなる。
どんな風に抱いたんだろう。
知りたくない。でも、気になる。
どうしたって変えられない過去に、どうしようもないのに、なんで、どうして、と只管に尚樹を責めるような気持ちが次々浮かんでくる。
自分がどうしたいのか分からない。
考えが纏まらないまま1週間がたち、紗織は2人の暮らすアパートに帰った。
1週間ぶりに帰り、紗織は今まで通りに夕飯を作り、尚樹が帰ってくるのを待った。
20時過ぎ、尚樹が帰ってきた。
「紗織!!帰ってきてくれたんだ!」
尚樹は泣きそうな顔をしていた。
紗織は曖昧な顔で微笑んだ。
「おかえり」
「ごめん、ほんとうに、ごめん」
「うん」
「帰ってきてくれて、嬉しい」
「とりあえず、夕食食べる?」
「最近あんまり食べられなくて… でも、紗織のご飯は食べたいから、少しだけ食べてもイイ?」
「いいよ。食べてから、話したい」
紗織の作った夕飯を、嬉しそうに噛み締めながら食べる。紗織が一緒にいる、それだけで奇跡のように嬉しくて、尚樹は自分の浅はかな行動を心から後悔し、反省していた。
紗織のいない1週間は、食事も味が分からず、生きた心地がしなかった。
片付けが終わり、ダイニングテーブルを挟んで、向かい合って座る。
「あのね、尚樹と今は別れないことにした」
「っ!! …あ、りがとう、本当に、ありがとう。二度と、こんな事しない。傷つけて、最低なことして、本当にゴメン」
「うん。尚樹の気持ち、分かったよ。でもね」
「?」
「前みたいに尚樹と過ごせるか、分からないの、色々と考えてしまって。だから、気持ちが落ち着くまで、同棲じゃなくて同居、って形で暮らしていきたい」
「それって…」
「尚樹のこと、本当に受け入れられるか分からない。好きって気持ちはあるんだけど、今は無理。酷いこと言うようだけど、気持ち悪い、って思うから」
「そ、うだよな…」
「ごめんね」
「いや、紗織は全く悪くないよ。俺が、悪い…」
暫く沈黙する。
「紗織に、別れるって、ハッキリ言われなかっただけ、良かった。やり直そうって気持ちが、ゼロじゃないてこと、だよな?」
探るような目で、恐る恐る聞く。
「そう、だね。尚樹が好きだから別れたくないって気持ちはあるの。でも、好きだからこそ、受け入れられなくて、苦しい。だから、少しずつ、一緒に過ごして気持ちが落ち着いて、受け入れられるようにならないかな、って思ってる」
「俺、紗織にまた受け入れてもらえるように、頑張るよ。今は無理でも、少しずつ、元に戻れるように努力する…」
「うん。そうなれたらいいな、と思う。また、よろしくね」
「ありがとう、チャンスをくれて。一緒にいることを考えてくれて…。本当に、紗織が好きだ」
尚樹は、紗織が再び自分を受け入れられるようになるまで、いつまででも待つつもりでいる。
紗織は、浮気のことは考えないように努め、臭いものに蓋をするように目を逸らし、少しでも笑顔で過ごせるよう心掛けた。そうしているうちに、このドロドロした気持ちが風化して、いつしか遠い記憶となって受け入れられるようになるのではないか、と思った。
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