結婚前に経験を積むのは悪い事じゃない

なこ

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その2 夜会に潜入

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 夜会当日。セシリアと友人達は侍女服を着て会場の隅に控え、二人ずつに分かれて会場の様子を眺めることにした。エリザベスの提案で、濃い目の化粧と眼鏡とカツラで別人のような見た目に変装をした。

 
 夜会が始まって間もなく、会場にクリスを発見した。クリスは沢山の貴族夫人や貴族男性と挨拶を交わし、にこやかに会話を続けていた。


「セシリア、あなたの婚約者は人気者ね」

「そう、ね。お兄様はとても素敵だから人気があるとは思っていたのだけど、ここまで沢山の方に囲まれるほどとは知らなかったわ」

「侯爵家嫡男で将来有望、おまけに美丈夫となれば女性はほっとかないわよね」

「そう、ね…」

「でも、浮気は駄目よ。いくらハンサムでも、こんなに可愛いセシリアがいるのに、火遊びだって許せないわ」


 セシリアは曖昧に微笑んだ。クリスの女性と話す甘い顔を見て、セシリアと話すときと何が違うのか分からなかったからだ。セシリアは、クリスは誰にでも甘い顔をして話すのだと知った。むしろ、ここで話しているクリスの目には、どこか獣のような、セシリアには見せない欲望のようなものが滲んでいるようにさえ見えた。


 夜会が始まって1時間程が経ち、皆挨拶も一通り終えたのか会場の雰囲気も大分砕けたものになっていた。ふとクリスを見ると、顔見知りと思える気安い様子で女性と話し始めていた。耳元に唇を寄せ、親密な雰囲気を出している。セシリアは見てはいけないものを見てしまったような気持ちになったが、心臓が早鐘を打ちながらも目を逸らすことができないでいた。


「セシリア、あの女性…」

「え?ええ…近い、気がするわ…ね」


 親密な様子で話した後、クリスとその女性は人混みに紛れるようにして連れだって会場を出て行った。


「どこへ行くのかしら?」

「分から、ない」

「見に行ってみましょ」

「え…」


 セシリアの頭の中には「行くべきではない」と警告が流れたが、クリスが何をしに行ったのか知っておくべきだと思う自分もいた。


「確か、この辺りに…」

「この先には休憩室があるのよ。ルールとしては手前の部屋から使用して、使用中は扉に在室の札を掛けておくの」


 セシリアと少し離れていたところにいたエリザベスが合流し、この先にある部屋の説明をした。


「休憩室…」

「怪しいわね」

「行ってみましょう」


 好奇心もあったが、セシリアは今まで信頼していたクリスの裏の顔を知ってしまうかもしれない、有体に言えば浮気現場を目撃してしまう未来に恐怖した。これを知ってしまうと、今までのようにクリスを見ることが出来ないかもしれない。自分がどうなってしまうのか分からなかった。


「一番奥の部屋が使用中になってるわ」

「手前の部屋が空いているのに?」

「怪しいわね」

「そっと覗いてみる?」

「でも…、勝手に覗くなんて…」


 友人たちと小声で相談し、そっとドアノブを開けてまずは話し声を聞いてみることにした。音をたてないように慎重にノブを回し、少しだけ開けた。


 部屋の中では、何やら男女の話し声と水音のようなものが聞こえてきた。


『ん…、クリス、早くして』

『せっかちだな。もうこんなに濡れてるじゃないか』

『すぐ挿るわよ?』

『解す必要ないな』


 少しだけ息を乱して話す男女の声。明らかに情事を思わせる会話だった。時々ちゅっ、ちゅっ、というリップ音まで聞こえる。


「セシリア…?」

「…」


 まだ、きちんとした閨教育を受けていないが、友人たちとの話で男女がどのようなことをするのかは知っていたセシリア。その顔は蒼白で、セシリアはショックで固まっていた。


『んんっ、クリスっ』

『ああ、気持ちいい…』

『あんっ、いいっ! ああ、はんっ…クリス…』

『ああ、ベラ、…最高だよ』

『クリス、いつもの、言ってくれないの?』

『ああ、あれかっ、んっ、愛、してるよっ!」

『あん、私も、愛してる』


 パンパンと肉のぶつかる音と二人の会話から、何をしてるのか明白だった。

 セシリアは扉の隙間から、唇を合わせ濃厚に絡み合った後、スカートをたくし上げて後ろから女性の尻に向かって腰を振っているクリスが少しだけ見えた。

 中の様子に衝撃を受けて固まるセシリアを見て、友人たちも慌ててセシリアを部屋から遠ざけ、扉をそっと閉めてセシリアを支えながら休憩室から離れた。

 セシリアは焦点の合わない目を見開いたまま震えていた。


 4人は公爵家の本邸に移動し、エリザベスの部屋に入ってソファに座った。

「ごめんなさい。まさか、あんな現場を目撃することになるなんて…」


 エリザベスは申し訳なさそうな顔をして謝罪していたが、クリスの様子から、かなり慣れているとセシリアは判断した。昨日今日始めた火遊びではなさそうで、あの女性とも何度も会って関係を持っているように見えた。


「クリスお兄様から『可愛い、大好き』はいつも言われていたけど『愛してる』は言われたことなかったわ」

「…そうなの」

「あの女性には言っていたわね。しかも『いつも』言っているって…」


 セシリアの瞳からは、ポロポロと涙が溢れスカートを濡らしていった。8歳の頃からの婚約者でずっと兄のように慕い、その思いは中等部の頃から気付いたら恋心に変化をしていた。クリスとは学園を卒業したら半年ほどで結婚をすることが決まっている。


「無理だわ」

「セシリア?」

「あんな現場を見てしまって、もう、クリスお兄様と結婚なんて無理!気持ち悪い!」

「そうよね…。セシリアにはもっと誠実な人がいいと思うわ」

「でも、貴族の結婚は恋愛で結ばれるのは稀よ。私も許せないけど、少し落ち着いて考えましょう」

「私は、こんなに可愛いセシリアがいるのに浮気するなんて許せないわ!」


 友人たちは怒っていた。4人は身分は関係なく、学園に入学してからの関係でまだ9カ月の付き合いだが、本当に気が合い、仲良く過ごしている親友と言っていい存在だった。


「でも、どうするの?」

「お父様に相談してみるわ」

「そうね、セシリアを溺愛しているあなたのお父様なら、理解してくれるかもしれないわね」

「政略結婚、ではないの?」

「メリットはあるけど、婚約解消しても問題ないと思うわ」

「それなら解消するべきだわ」


 4人は夜通し話をして、今後の方針やセシリアの気持ちの整理に付き合った。


 クリスの社交界での噂は実は有名で、本人は隠しているつもりのようだが関係を持った夫人たちは、可憐な妖精のようだと評判の婚約者の若い娘を出し抜き、独身の美丈夫と関係を持ったことに優越感を持ち、あちこちで仄めかす発言をしていた。それが複数人の女性と関係を持っていたとなると、広まるのは当然のことだった。


 ただ、貴族社会では独身時代の火遊びには比較的寛容で、昨今では婚前交渉をする者も沢山いるため、結婚後の不貞はお互いの同意が必要だが、独身時代の異性関係に関してはかなり寛容であった。婚前交渉ののち婚約解消する場合もあり、女性の処女性についてもあまり言われなくなってきたのが現在の貴族社会の男女関係の在り方だった。


 あの夜会以降、セシリアは可能な限り理由をつけてクリスを避け、会うのは月に1回程度にまで減らした。それでも顔を合わせれば以前と変わらない笑顔でセシリアを見つめ、変わらず「可愛い、大好き、早く結婚したい」と何度も言ってくる。

 その度にセシリアの心はどんどん冷めていき、妖精のようだと言われる仮面をかぶるのがどんどん上手になっていった。その服の下では鳥肌が止まらなかった。


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