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番外編(あきside)
暁の前世 3
しおりを挟むあの女は現行犯で逮捕された。
勾留され、取り調べでも受けているのだろう。
俺はまゆの運ばれた病院に行った。
まゆの出血は酷く、助かるか分からないと言われていた。
俺は、まゆが死ぬかも知れない恐怖で狂いそうだった。
手の震えがずっと止まらない。
まゆを失ったら、どうやって生きていけばいいのか分からない。
病院にはまゆの友人も何人かいたが、全員泣きながら不安な顔をして椅子に座っていた。誰も何も話さなかった。
まゆの両親も駆けつけた。新幹線で2時間はかかる距離だから、連絡を受けて直ぐに来たのだろう。病院スタッフから説明を受けると青褪め、夫婦は抱きしめ合っていた。母親が泣いている背中を父親がゆっくりと擦っていた。
ウチではあり得ない光景だった。
俺の父親は大企業の社長をやっているが家庭があって、俺は不倫相手が産んだ子供だった。だから、金だけは沢山貰い不自由をしたことはない。母親は社長夫人になれなかった事を嘆き、男を作っては頻繁に家を空けた。金だけ置いて放置され続けた俺は、愛なんて知らないし、自分の存在価値を見出だせずからっぽだった。
俺にはあんな風に心配してくれる両親はいない。まゆは愛情を込めて育てられたのだろう。
そんな大切な子が、あんな女のせいで命を落とすなんてあっていいはずがない。
俺にすれば良かったのに。なんでまゆに矛先を向けたんだ。俺のせいで大事なまゆが傷つけられたという現実が受け止めきれない。
「あなた、真由美とお付き合いしている…『あきくん』?」
まゆの母親に話しかけられた。
「は…い。でも、1週間前に別れたいって振られたところで…俺は、嫌だったけど…。こんなことになるなんて、すみません。俺が…俺のせいで…まゆは…」
考えがまとまらず、うまく喋れなかった。声が震えて、涙も出てくる。
「そう…。私達もまだ詳しい状況は分かってないの。また、お話を聞かせてくれる?」
「はい…」
そのまま、俺は少し離れたところでまゆの処置が終わるのを待った。
まゆが助かる事だけを祈り続けた。
暫くして、医師が出てきてまゆの両親とどこか個室に入っていった。容態を説明するのだろう。
俺は他人だからそこに入れない。医師の表情からあまりいい状況ではないのかも知れないと思った。
俺は益々不安になり、うまく息が出来なくなった。もしまゆが助からなかったら…。そんなことばかり考えて、涙が止まらない。誰かを思って泣くなんて、初めてだ。俺が涙を流せることにも驚く。
30分くらいして、まゆの両親が戻ってきた。
その表情は憔悴しきっていて、それだけでまゆの状態が良いものではないと分かった。
「真由美ね、…今はまだ、機械に繋がれて生きてるんだけど、っもう、目覚めないだろうって…」
まゆの母親が言った。目覚めない…
でも、生きてる。命がある事は嬉しい筈なのに、絶望が押し寄せた。
集中治療室(ICU)にいるので、家族以外は面会は許されず、俺はまゆに会えないままだった。
まゆの友人も泣いていて、悲しみに濡れていた。
まゆが目覚めないまま1週間が経ち、ICUから高度治療室(HCU)に移された。脳の損傷が酷く植物状態であると説明され、半年はもたないだろうということだった。
あれから毎日病院に通って、まゆが生きている事を確認し続けた。
まゆの両親にも、あの女との関係を全て話した。まゆの両親はただ黙って話を聞いただけだった。責めることも何も無かった。
何度か警察から事情聴取を受けた時は、ありのままを答えた。
事件を調べていると、まゆはあの女以外にも沢山の女から心無い言葉をかけられていた事が分かった。まゆの暗い顔、不安そうな顔、外出を嫌がった事、色々な行動の理由が分かった。
俺は、自分の気持ちをぶつけるばかりで、まゆの事を全然守れていなかったのだ。別れを告げられたのも当然だった。
嫉妬した女が階段から昔付き合っていた男の彼女を突き落とし意識不明の重体…というニュースはネットニュースになったり、テレビで放送されたらしい。
当時はまゆのことばかり考えていて、後から騒がれていたと知った。
そうして日々が過ぎていき9月になって、まゆは眠るように息を引き取った。事故から5ヶ月が経っていた。
夢と現実の区別がつかなくなっていて、あの、まゆに別れを告げられた日からずっと悪夢を見ているんじゃないかと思えた。
まゆの両親は憔悴しきっていたが、5ヶ月の間に覚悟もしていたようで、大切な娘を喪ったのに葬儀では気丈に振る舞っていた。
まゆの5歳年上の兄だけは、面と向かって俺の行動を咎めた。
「佐伯さん、葬儀に来てくれて有難う。あなたが真由美のことを大切にしてくれていたのは、真由美から聞いて知っていたの。でも、どうしても責めてしまいそうで関わらないようにしていたの。あなたを責めると、真由美から怒られるような気がしたから…」
「いえ、私は、責められて当然の事をしていて、真由美さんも、愛想を尽かしたくらいで…」
枯れたと思っていたのに、また涙が溢れてきた。
まゆの母親には当然まゆの面影があって、顔を見るのが辛かった。
「生きているあなたが、これから辛いばかりの人生を送るのを真由美は望まないと思うのよ。私達もまだ心の整理はついていないけど、あなたも未来をちゃんと生きるようにしてね」
まゆの母親らしい言葉だった。後ろばかり向く俺に前を向けと言う。まゆがいない未来はもう、何の希望もないのに…。
それからは、ただ生きているだけの日々が続いた。まゆの母親の言う通り、未来を生きていくしかない。
あの女の罪は、傷害罪から傷害致死罪になった。まゆの両親は、事故の直後から示談には絶対に応じなかった。罪は償わせると言っていた。
女は罪を認め悔いているようで、何度も謝罪の手紙が届いたのだという。
「こんな物送っても、真由美は戻って来ないのにね」
四十九日法要のとき、まゆの母親が言った。
「ただ、罪を償って、罪を一生背負って生きていけばいいと思うのよ。どう生きるかは彼女次第よね」
俺も、一生まゆを思って、まゆを守れなかった後悔と罪悪感を抱えて生きていくんだろうと思った。その日は、まゆの父親からも声をかけてもらった。
「佐伯くん、加害者の女性がしたことは決して許されることではないし、私達も許すことは絶対にない」
「はい…」
「ただ、君の言動が原因でもある。加害者の女性にも心があって、君の言葉で傷ついたのも事実だ。大切なものを守りたいなら、その周りも納得させて、大切にしなければいけないよ。独りよがりの愛情では、周囲の反感を買ったり傷つけることもあるんだ。これからは、それを踏まえて周りも大切に出来る人間になって欲しい」
「は…い…」
「真由美が生きられなかった分、人生をしっかり生きて欲しい」
「はい」
まゆの両親に会ったのは、この四十九日の法要が最後となった。11月10日のことだった。
それからは、大学卒業にむけて卒論に取り組んだ。単位はギリギリ取り終わっていたので卒業は出来る状態だった。
ただ、生きているだけ。就職は血縁上の父親の子会社ですることになった。見た目がいいから営業をさせるのだとか言っていた。
月命日には日帰りで新幹線に乗り、墓参りに行く。そうして、これからも抜け殻のように生きていくのかと思っていた。
3月の下旬、大学を卒業してやることもなかった俺は河川敷を散歩していた。子供達が楽しそうに遊んでいるのを眺めながら歩く。まゆが生きていたら…と叶わない夢を想像して、虚しくなる。
歩きながら川を見ていると、子供が川の中にいるのが見えた。その直後沈んだように見え、溺れたのかと驚く。慌てて駆け寄ると、川に飛んでいったボールを取りに行った友達が一人見えなくなったと言う。
どう見たってアレは溺れていた。気付いたら、川に飛び込んで夢中で子供を探していた。子供を見つけ、暴れるのを必死で捕まえ、近くの掴まれそうな岩へ無我夢中で運ぶ。
一先ず、ここで助けを待てば…と安心したところで川の流れが想像以上に速く、深い事に気付く。あ…と思った時には、川に流されていた。
それが、佐伯晃としての最後の記憶だった。
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