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第五章 フィオレンツァは王宮に舞い戻る。そして…
10 最後の戦い
しおりを挟むザカリーは焦っていた。
あの赤髪の男と交戦になった時、彼はとっさに一度身を隠すことを選択した。体制を立て直し奇襲をかけた方が敵陣では有利だと思ったからだ。
ヘイスティングズ元王子の従者だった時に何回か本館に出入りしたので、建物の構造は頭の中に入っていた。しかしザカリーのその考えは、ハーヴィーにはお見通しだったらしい。
あのハーヴィーだ。
ずっと王妃の手駒だったのか!
ザカリーは赤い髪の男の正体がヘイスティングズ元王子の従者だったハーヴィーだったことに気づいて驚愕していた。
あの時とは容姿がかなり異なっている。髪は染めているのだろうが、顔は何らかのメイクを施しているのか。
細かい仕草や言葉遣い等の小さな癖でようやく彼だと分かった。
ハーヴィーは捕えたフィオレンツァをどこかに移動させると、そのまま本館に隠れているザカリーをくまなく探し始めた。しかもご丁寧に屈強な部下も一緒だ…少々迂闊なメルヴィン兄妹ではない。
ハーヴィー一人でも勝てるかどうかわからないのに、複数では分が悪いとザカリーは身を隠し続けるしかなかった。
そうこうしているうちにどんどん時は過ぎ、日付は変わってしまった。ハーヴィーたちは一度ザカリーの捜索を諦めたらしいが、明るくなればまた再開するかもしれない。
白み始めた窓の外を見て、ザカリーはため息をついた。
夜明けの直前なので、この時期では朝の6時半くらいか。そろそろ下働きの者たちは動き出す時間だ。
隠れながらも、ザカリーは部屋を少しずつ調べていた。
最初にオルティス家が案内された客間を中心に調べていたが、昨日以来使われた様子はない。すると王族が使う居住区の近くの区画が怪しい。
できれば陽が上る前にそちらへ移動してしまいたかった。
「…、…、すぐに人を集めて調べさせろ」
耳に届いた声音に、ザカリーの産毛は一気に逆立った。
ほぼ丸一日、その声の主から逃げ続けてきたからだ。
―――ハーヴィー。
まだザカリーを探し続けているのだろうか。
気配を極限まで消してそっと後ずさろうとした。
「フィオレンツァ夫人が湖に落ちたのは間違いない」
しかし、大事な主の名前が耳に飛び込んで足が止まった。
「わざわざ探す必要はあるのか?どうせ数日も経てば浮かんでくるはずだ」
「遺体を確実に見つけるまでは安心できない」
「…そうかしら?泳げる貴族女性なんて聞いたことないわ。それに夫人は身重なのよ」
「とにかく、人を集めて夜明けとともに捜索させろ」
「王妃様は焦る必要はないと…」
「探せと言っているんだ!…嫌な予感がする」
フィオレンツァが湖に落ちただと?
あの後メルヴィンたちに連れていかれ、湖に落とされたということだろうか。
…いいや、事故かもしれない。
故意ならば、遺体を引き上げる引き上げないで揉めはしないだろう。
「アレクシス様は本当に公女と部屋にいるのか?」
「それは間違いないわ」
「誰が見張りに就いている?どうしてお前たちはのほほんとこんなところにいるのだ」
「当然扉には見張りを立てている。部屋の中は公女の申し出で、お二人の他には公女の従者と侍女が一人ずつだ。王妃様も了承された」
「お前たちは馬鹿なのか!?…くそっ、逃げたザカリーに気を取られたばかりにこんなことに」
「なんだハーヴィー、どうしたというんだ?」
「公女がこちら側の人間だという保証がどこにある?現に一度、昨日の約束をすっぽかしているんだぞ!」
「だが公女は王妃様の姪で…、あっ、おい!どこに行くんだ!?」
「王妃様の目が届かない所で二人が勝手に手を組むとは思わなかったのか…アレクシス様と公女がいるはずの部屋を確認する」
「馬鹿なことを言うな!王妃様の怒りを買うぞ」
ハーヴィーとメルヴィンが言い争っている。そのまま声が遠ざかり、ザカリーは周囲を確認しながらも後を追うことにした。 先ほどメラニアの声も聞こえたし、足音からもあと五人はいる…後を付けてもザカリーの気配は紛れる可能性が高い。
ザカリーが身を隠した後、アレクシスは結局拘束されてバザロヴァから来た公女と同じ部屋に放り込まれたのだろう。フィオレンツァを溺愛しているアレクシスが公女に手を出すとは思えないが、年頃の男女が同じ部屋で一晩過ごせばどうとでも話を模造できる。
しかしハーヴィーは王妃の従兄姪である公女を信用していないようだ。
ともあれ、このまま彼らに付いて行けばアレクシスに合流できる。
ザカリーは彼らの姿を見失わないように、気を引き締めた。
同じ時刻。
フィオレンツァたちは短い仮眠を取った後、アレクシスと公女のために用意された部屋をそっと抜け出していた(扉の見張りは直前にルスランが気絶させた)。これからイリーナ公女とスカーレットがあらかじめ打ち合わせておいた合流場所に向かうのだ。
すぐに移動しなかったのは、スカーレットたちが本館に入る前に行動を起こして相手を警戒させたくなかったのと、下働きの者たちが動き出す直前のこの時間が一番人目が少なく動きやすいからだった。
「合流するのは謁見の間の前?」
「そうですわ。さすがに門の前には見張りを配置しているでしょう。こちらは戦えるのが私とルスランしかいませんから…もし閣下や夫人が人質にでもされたら作戦が水の泡ですわ」
「…僕は戦力に入っていないのか」
「…そして何気にご自分は頭数に入れていますね」
先頭を歩くルスランの歩みに淀みはなく、あっという間に王族のための居住区を抜けた。
本館は大きく南北に分かれており、南側が「奥」と呼ばれる国王と王妃のための居住区、北側が「表」と呼ばれる公務のための間だった。初日の国王との謁見の後、フィオレンツァたちがずっといたのは「奥」だった。それが謁見の間や受勲などが行われるホール、そして西館と繋がる門がある「表」へと戻ってきた。
しかしもう少しで合流場所という時に…。
すぐ前を歩いていたイリーナ公女が、突然足を止めて振り向いた。
「え?」
頭を抱き込まれ、瞳を瞬く。遠くにアレクシスが自分の名を呼ぶのが聞こえた。
「イ、イリーナ様…」
ようやく解放されて視線を巡らせれば、イリーナ公女の手には小ぶりのナイフが握られていた。
そしてイリーナだけでなく、ルスランやアレクシスが皆同じ方向を見て顔をこわばらせている。
恐る恐る振り返れば、そこにはメルヴィン兄妹と屈強な男五人を引き連れたハーヴィーの姿があった。フィオレンツァはハーヴィーが自分に向かってナイフを投げたのだと瞬時に理解する…それをイリーナ公女が庇ったのだ。
ハーヴィーが連れて来ていた男たちは、無言のまま五人まとめて突進してきた。それをイリーナ公女が正面から抑え込む。翻ったスカートから繰り出された蹴りが、男の一人を吹っ飛ばした。
一対五…もう四になったが、イリーナ公女は顔色も変えずに男たちをのしていく…ちょっと生き生きしているかもしれない。
残ったメルヴィン兄妹とハーヴィーが、ルスランとにらみ合う。ルスランがどれほど強いかわからないが、ハーヴィーはかなり腕がたつはずだ。
しかしそのままルスラン対三人にはならなかった。
「ハーヴィー!」
「まさか、ザカリー?」
咆哮と共に現れたのは、丸一日消息が知れなかったザカリーだった。
ハーヴィーたち三人は思わず動きを止める。
すかさずザカリーはハーヴィーに掴みかかった。
そのまま二人は床の上での取っ組み合いになる。
「ザカリー!お前…!」
「こっちを忘れるな!」
メルヴィンはとっさにザカリーの無防備な背中を攻撃しようとするが、それはルスランに阻止された。
「ぐわっ!」
「お兄様!」
メルヴィンはそのままルスランに腕を掴まれて放り投げられる。
「この…っ」
メラニアはそのまま短剣を構え、アレクシスが身構えるが…。
「おうっ」
「…あ、当たった」
「フィオレンツァ!?」
メラニアの顔面に、フリスビーのごとく飛んできた皿が直撃した。
飾り棚に飾ってあった皿の置物を、フィオレンツァが円盤投げのように投げたのだ。
また前世の記憶が役に立った…。
「あなた!ルスラン様!ザカリーに手を貸して下さい」
「し、しかし…」
本当はイリーナ公女の元に駆け付けて下さい!という言うべきだろうが、先ほど三人目を踵落としで仕留めていたのを横目に確認したので…まあ、大丈夫だろう。
アレクシスとルスランが戸惑っているのは、ザカリーとハーヴィーの取っ組み合いがかなり激しいからだった。互いが上になったり下になったり、首を絞めたり腕を掴んだりと、素人目にも下手に手を出せない状況だと分かる。
「こんの…っ、クソ野郎どもが…!!」
手をこまねいているうちにメラニアが復活してしまった。
顔にフリスビーを当てただけでは弱かったか。
しかもメルヴィンも緩慢な動きではあるが起き上がろうとしていた。
「ちょっと待ったあああぁぁぁーーーーーっっ!!」
その時。
フィオレンツァは女神を見た。
ロージーだ。
美しく気高く、そしてボンッ、キュッ、ボンッ!のロージー様だった。
そのナイスバデーのロージー様が、白い甲冑姿でコスプレしていた。
もう一度言う。
ロージー様が女騎士のコスプレをしていた。
「…甲冑姿のロージーたん萌え…」
フィオレンツァがそんな変態チックなことを思っているとは露知らず。
いの一番に謁見の間へと向かっていたロージーは、ハーヴィーたちに襲われているフィオレンツァ一行を発見し、すぐさま臨戦態勢に入った。味方を呼びに戻りましょうと説得するクィンシーを無視し、ロージーは親友のために戦いの場へと躍り出ていた。
しかし猪突猛進とは彼女のことを言うのだろう。
ロージーはフィオレンツァを襲おうとしていた女に飛び掛かろうとして、しかしその少し手前でうずくまっていた男には気が付かなかった。
「あ!」
「うごっ」
ロージーは立ち上がろうとしていたメルヴィンの背中を踏んで、しかし勢いは止まらず前のめりに倒れた。そのまま一回転して尻もちをついたがまだ勢いは止まらず、気が付いた時には異変に気づいて振り返ったメラニアが目の前にいた。
「きゃあああーーー!」
「ぎえええぇえっ!!」
メラニアの胸あたりに頭突きする状態で突っ込んだロージー。
二人はもんどりうって床に転がる。
気づけばロージーは気絶したメラニアの上に馬乗りになっていた。
「ロージー様!?」
フィオレンツァが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、ロージー様!」
「フィ、フィオレンツァ…」
「ありがとうございます!おかげで助かりました」
「そ、そう…?」
良くわからないうちに敵を倒してしまった。
見ればロージーが躓いたメルヴィンはロージーの部下たちが数人がかりで取り押さえている。ルスランからのダメージから回復しきっていない上にロージーからの不意打ちを受け、抵抗する間もなくあっさり捕まったようだ。
「ロージーた…ロージー様、お会いしたかったです。ありがとうございます、ごちそうさまです」
「ん、んん…」
いつもなら、私は別にあんたみたいなどん臭いのと会いたくなかったわよ!と返すところなのだが、フィオレンツァの瞳からの熱量が強すぎて、ロージーは何となく言葉を飲み込んでしまった。
そして…。
「ぎゃあ゛あああああっっ!!!!」
男の断末魔に、少し柔らかくなっていたフィオレンツァたちの空気が吹き飛んだ。
全員が声の元…ザカリーとハーヴィーに注目する。
しばらくして、ゆっくりと立ち上がったのはザカリーだった。
「ザ、ザカリー…」
ザカリーは血まみれだった。
しかしそれは彼のものでないことはすぐにわかった。
アレクシスがゆっくりと彼に歩み寄る。
「ザカリー…」
「死にました」
「…そうか」
ハーヴィーの目は見開かれたまま動かず、こと切れていることは明らかだった。
「うぐっっ」
「うっ…うっ!!」
「お、おい!お前ら、何を…!!」
くぐもった声と共に、メルヴィンとメラニアも口から血を流して倒れこむ。
とうとう観念して舌を噛み切ったのだ。
こうして国王と王妃の失墜を見ることなく、ハーヴィー、メルヴィン、メラニアの三人は命を落とした。
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