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第三章 フィオレンツァの成り上がり物語…完結!?
14 反逆罪
しおりを挟むクラーラが「スピネット侯爵に忘れ物を届けに来た」と言えば、門番は身体検査を条件に通してくれた。
正直身体検査をされるのは屈辱だったが、ここで反論して中に入るのを拒否されては元も子もない。馬車にはきちんと侯爵家の紋章が付いていたし、クラーラも連れていた侍女も武器など持っていなかったので、多少時間はかかったものの王宮の門をくぐることができた。
馬車から西館の入り口に降りると、クラーラは真っすぐ本館へと続く廊下に向かう。
「お、お嬢様?旦那様に忘れ物を届けるのでは?」
「お前はそこで待っていなさい!」
クラーラの本当の目的を知らない侍女が戸惑っている。邪魔されても困るので、クラーラは侍女を置いていくことにした。
「アレクシス様…アレクシス様に会わなくちゃ」
フィオレンツァはテルフォード女公爵に守られている。やはりアレクシス王子に直接会って伝えるのが一番早い。
最初からこうすればよかったのだ。アレクシス王子もクラーラに直接会えば、きっと考え直してくれる。クラーラの方が家格も上だし若くて美しいのだから。それにクラーラと結婚すれば、王族のままでいられる。いつか彼が国王になる可能性だって出てくるだろう。
ああ、いいことづくめではないか!!
クラーラは自分が国王になったアレクシスの隣でほほ笑んでいる姿を想像した。王妃にしか許されないサークレットを額につけ、誰よりも豪華で美しいドレスと宝石をまとい、皆に祝福され傅かれる。
ふわふわと自分に酔ったまま本館への廊下を歩くクラーラ。
使用人たちは見慣れない令嬢の姿に首を傾げているが、明らかに高位貴族の娘なので呼び止めることもない。やがてクラーラは重臣たちが主に会議をしたり、実務をする区画を通り過ぎた。幾人かの重臣や官吏とはすれ違うも、そこにいるはずの彼女の父スピネット侯爵はたまたま席を外しており、やはりここでもクラーラの足を止める者はいない。しかしさすがのクラーラも、そのまま進んでも本館に入ることはかなわなかっただろう。本館に入ることができるのは、王族と臣下の中でも特別な許可を与えられた者だけだ。使用人は本館と西館で完全に分けられているので行き来する者はいない。彼女がそのまま西館と本館を繋ぐ二重の扉の前に行けば、確実に門番に見咎められていたはずだった。
しかしクラーラにとって幸運だったのか、あるいはその逆だったのか。彼女は扉に到達する前に、あの紺青の髪の令嬢を見つけてしまった。あちらもこちらに気づいたのか、ぎょっとした顔をしている。
「フィオレンツァ・ホワイトリー…」
クラーラに与えられるはずだった地位を奪った女。どうして王宮にいるのだろう。まさかクラーラがアレクシス王子に会うのを邪魔しようと?
「許さない…っ」
アレクシス王子と結婚するのはお前じゃない!
フィオレンツァが王宮を訪れるのは前から決まっていたことだ。スカーレットに全ての引継ぎを終え、正式に王宮女官の職を辞すために西館で手続きをするのが今日だった。ただ予定と違ったのは、例のスピネット侯爵夫人ビヴァリーが起こそうとした事件に関して、アレクシスと急遽話し合うことになったことだった。だから辞職の手続きを早めに終え、本館にちょうど行こうとしていたところだった。
「…あれって、クラーラ嬢じゃないか?」
「え?」
「あ…」
最初にクラーラに気が付いたのはブレイクだった。フィオレンツァとスカーレットが斜め後ろを向くと、後ろから侍女もつけずに歩く令嬢の姿がある。間違いなくクラーラだった。そのまま夜会に参加できそうな豪華なドレスに身を包んでいる。
フィオレンツァとクラーラの目が合った。と思った途端、クラーラはものすごい勢いでこちらに駆け寄ってきた。
え、嘘!怖い!!
もともと大きい目が見開かれ、らんらんとしている。ばっちり濃い化粧をしているので、迫力があった。
「お前、おまえ!!お前のせいで!アレクシス様は!!」
若い女性特有のキンキンした声が響く。
こーわーいー。
フィオレンツァだけではない。その場にいた全員が動きを止めて、ただならぬ様子のクラーラに集中した。クラーラはイノシシのようにフィオレンツァへと突進してきたが…。真っ先に動いたブレイクがフィオレンツァの手を引いて自分の後ろに隠す。さらにスカーレットが護衛の腰に装備されていた鞭を掴んだ…え、鞭?
ぱしんっっ。
スカーレットが巧みに操る鞭が、クラーラの足元の床をたたく。動揺したのか、クラーラは前のめりに倒れこんだ。
「女王様…じゃなくて、女公爵様!」
「出るな、フィオレンツァ嬢。スカーレットは大丈夫だ」
フィオレンツァはスカーレットに駆け寄ろうとするが、ブレイクが阻止する。
「な、なにするのよ!!」
一方、スカートがクッションになって顔面直撃を避けたクラーラは、すぐに上半身を起していた。そんな彼女を、スカーレットが鞭を両手で持ったまま見下ろす。
ごくり…。
一部の人間は固唾を呑んだ。
「私を誰だと思っているの!?」
「それはこちらの質問ですわ。どこのご令嬢か存じませんけれど、女公爵である私に体当たりしようだなんてどういうおつもり?」
「あんたじゃないわよ!そこにいる女に用があるのよ!」
「…」
クラーラさん…。今のは女王…じゃなくてスカーレット様に粗相をしたことにして、このまま軽い叱責だけで許してあげますよ?という先制パンチに見せかけたフォローなのですよ。しかしクラーラは言葉の裏を読もうとはせず、フィオレンツァだけを睨みつけている。
ど、どうしよう…。
フィオレンツァはこのまま守られたままでいいものか頭を悩ませた。王宮にいるということは門番のいる城の正門をくぐったということだ。武器を隠し持っているとは思えないが、明らかにクラーラは普通の状態ではない。このままにしてはスカーレットが怪我をするのではないか。
「クラーラ嬢、あなたは…」
「この娼婦!!あんたがいると、アレクシス様は国王になれないのよ!」
いきなりの罵倒にその場はしんとなった。さすがのスカーレットも固まっている。
娼婦…フィオレンツァのことだろうが、正直どうでもいい。後半の台詞の方がずっとショッキングだった。咎められないことをいいことに、クラーラの口は止まらない。
「アレクシス様が臣籍降下するなんてあってはならないわ!あの方は私と結婚するべきなのよ。侯爵令嬢の私が妃なら、アレクシス様は王族のままでいられるわ。そして王様とユージーン王子がいなくなれば、あの方と私が王位に就くの!!そうなるべきなの!!王妃様だってそう思っていらっしゃるわ。だから私があの方に相応しいとおっしゃったのよ。体を使ってアレクシス様を誑し込んだみたいだけど無駄よ!あの方は私に会えば、私だけを見て下さるわ!あんたみたいな年増がこんなところにいるべきじゃないのよ」
クラーラはまくし立てながら、何度も自分を納得させるように頷いていた。誰かにそう言われたわけではなく、自分の願望と妄想が混在して、まるでそうするのが使命のように思ってしまっているのだろう。
見開かれた目が異様にきらきらしている。怒っているような、笑っているような…何かに浮かされているようにも見える。異様な光景だった。
「フィオレンツァ!!」
そこへ現れたのはアレクシスだった。
フィオレンツァを迎えるために、もともと西館と繋がる本館の入り口の辺りまで来ていたのだ。騒ぎを聞いて西館に入ってきていた。
「アレクシス様!アレクシス様!」
アレクシスの姿を見た途端、クラーラは立ち上がって彼へと走り寄った。しかし一瞬早く彼の護衛が前に出る。それでもクラーラは止まらなかったので、護衛は腕をつかんで床に押し付けた。
「痛い!痛いわ!!私にこんなことをしていいと思っているの?」
クラーラは床に組み伏せられたまま暴れる。その間にアレクシスはフィオレンツァの元に駆け寄った。
「で、殿下…」
「フィオレンツァ、よかった!」
アレクシスがフィオレンツァを抱きしめる。その様子を見ていたクラーラがきええええーーー!と今日一番の奇声をあげた。それでも…いいや、だからこそ護衛はクラーラを拘束する手に力を込める。他の護衛たちもクラーラを警戒するように周囲に立った。そんな彼らをクラーラは睨みつけた。
「私はアレクシス様の妻よ!!」
おおう…。
一段、いや二段飛びで結婚してしまった。
「君は誰だ?」
アレクシスが剣呑な目を向ける。こんな衆目の前で結婚していることにされ、額に青筋が浮かんでいた。
「アレクシス様、助けてください!私です、クラーラです!!」
「君のことなど知らない。勝手に僕の妻を名乗って…どこの家の者だ?」
アレクシスがクラーラのことを知らないはずがない。夜会で何度も追いかけまわされているのだから。それでも個人的に自己紹介したことはないため、アレクシスはクラーラのことを覚えていない体を貫いた。
「アレクシス様、どうしてそんなことをおっしゃるの?王妃様はわたしこそがアレクシス様の妃に相応しいとおっしゃったのよ?だから私と結婚するべきなんです!その女に騙されているんです!!」
「さっきから何を言っているんだ?僕とフィオレンツァの婚約は国王陛下がお命じになったことだぞ」
「私と結婚すれば、臣籍降下する必要はありませんわ!私がアレクシス様をこの国の国王にしてみせます!」
「…なんだと?」
「アレクシス様が王になるべきなんです!だから私と結婚しましょう、どうか私にお任せください」
「『お任せください』だと…?国王陛下と王太子殿下に何かするつもりなのか?…その女を捕えろ!!」
駆けつけてきた城の衛兵が、護衛に捉えられたままのクラーラをさらに縄で縛りあげた。
「クラーラ!」
そこへようやく事態を知ったスピネット侯爵が現れた。
「お父様、助けて!何とかしてよ!」
「何故ここにいる?クラーラ、いったい何をしでかしたんだ!?」
「私は悪くないわ!アレクシス様と結婚するのは私なの!」
「その娘の口を塞ぎなさい」
短く命令したのはスカーレットだった。これ以上しゃべらせていたらただでは済まない。このバカ娘のことなどどうでもいいが、ロージーまで巻き込まれてしまう。
衛兵は言われた通り、クラーラに猿轡を噛ませた。そのやり取りだけで、スピネット侯爵は最悪な状況を把握したらしかった。アレクシスはフィオレンツァを伴ったまま、厳しい目でスピネット侯爵を見る。
「スピネット侯爵ですね。こちらはご息女でお間違いありませんか?」
「は、はい…。次女のクラーラです。屋敷にいたはずですが…」
スピネット侯爵は明日から休暇を取って自領に戻るつもりだったため、別室で同僚と部下に引継ぎをしていた。そしてそれが彼の運命を決定付けてしまった。もしいつものように仕事をしていれば、クラーラを見つけて止めることができたかもしれない。
「ご息女は今、国王陛下と王太子殿下の命を脅かし、王位を簒奪するとも取れる発言をしました」
「ば、馬鹿な…」
「間違いありません。この場にいる全員がその発言を耳にしています。…自分と結婚すれば、私を国王にしてみせると」
「…」
「残念ですが、ご息女はもちろん侯爵様の身柄は拘束させていただきます。…衛兵」
「侯爵閣下、どうぞこちらへ」
スピネット侯爵は暴れる様子はなかったため、衛兵は縄をかけることはなかった。うなだれた侯爵の後姿を見ながら、フィオレンツァはひたすらロージーの安否が気にかかった。
クラーラ・スピネットには国家反逆罪の容疑がかけられた。
衆目の前でのあの発言は、国王と王太子の命を狙い、アレクシスを利用して王位を簒奪しようとしていると判断されるに十分すぎるものだった。それでもスピネット侯爵が国王の信頼が厚い臣下だったことから、ひとまずは拘束・取り調べが行われることになった。クラーラの言動があまりに常軌を逸していたのも理由にある…精神を病んでいる可能性も考慮されたのだ。
さらにその日のうちにスピネット家のタウンハウスに警邏が踏み込むことになった。
ザカリー・ベケットは、ロージーの身を案じるフィオレンツァに懇願されて警邏に同行を申し出ていた。警邏としてもスピネット家と縁戚関係にある者の同行はありがたいらしく、要請したその場で許可が下りる。屋敷の出入り口を警邏が抑え、五十人ほどの隊員が中に踏み込んだ。
「王宮警邏隊だ!全員投降しろ!!」
屋敷は大混乱になった。執事をはじめ、何も知らない使用人たちは怯えながらも警邏隊に投降し、玄関ホールに集められる。ザカリーは執事に詰め寄った。
「ロージーはどこだ?」
「…ロージーお嬢様は自室にいるはずです」
「ロージーの部屋はさっき見てきた。いなかったぞ」
「…」
「侯爵夫人と侍女頭もいないようだが…」
「そ、それは…」
執事の目は明らかに泳いでいた。おそらくクラーラが王宮に向かったことを知っているはずだ。
「クラーラ嬢は国家反逆罪で捕えられた」
「な!!?」
「アレクシス王子を国王の座に就けると発言したんだ。…ことの重大さが少しは理解できたか?」
執事の顔色がみるみる青くなっていく。クラーラがアレクシス王子と結婚したがっていることは知っていたはずだが、国家反逆罪に発展するとは思わなかったのだろう。ザカリーからすれば、あんな娘を王宮へと放し飼いにする方が正気の沙汰とは思えないが。
「もう一度聞く。ロージーはどこだ?」
「お嬢様の護衛たちと共に奥様の部屋に…」
ザカリーが警邏たちと侯爵夫人のビヴァリーの部屋へと向かう。スピネット侯爵からは、フィオレンツァ嬢に対して良からぬ計画を立てていたビヴァリー夫人を幽閉していることは聞かされていた。屋敷はロージーが取り仕切っていたはずだと。だからクラーラは王宮に来れたはずがないのだ…ロージーの身に何もなければ。
「ロージー!!」
鍵がかかっていた扉を開ければ、中にはロージーと彼女の侍女、三人の専属護衛が床に倒れていた。ロージーは一番奥であおむけに倒れており、他の四人は縄で縛りあげられて猿轡もかまされている。ロージーに駆け寄ろうとしたザカリーだが、一番近くにいた護衛と目が合って動きを止めた。彼の視線の先を追えば、隣の部屋へと繋がる内扉がある。そうだ、この部屋の扉は内側からかけられていた…だから彼らを閉じ込めた人間は中にいたはずなのだ。
「右の隣の部屋だ!早く!」
警邏たちもすぐに状況を理解して隣の部屋に走る。十秒も経たないうちに女の金切り声が響いた。そちらは警邏たちに任せ、ザカリーはロージーを抱き上げる。
「ロージー、しっかりしろ!私だ、ザカリーだ!」
耳元で呼びかけてもロージーは全く反応しない。ザカリーはロージーの頭を抱え直そうとして、彼女の髪の感触が酷く不自然なことに気づいた。
「んーー!んーー!!」
一番近くにいたロージーの侍女が、視線や顎で必死に何かを訴えている。
床…?ザカリーはロージーが倒れていた床に目を落とす。
そこには赤黒い染みが広がっていた。
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