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本編
11 事件の顛末
しおりを挟む翌々日、私は応接間に呼び出されていた。
もう腕の怪我は治療してもらっており、次の日には歩けるようになっていたが、大事をとって一日お休みを頂いていたのだ。
部屋に入った途端、グリフィン様が駆け寄ってきた。
「ウォーターハウス夫人!お怪我は大丈夫なのですか!?」
「大した事ありません。ご心配をおかけしました」
グリフィン様が手を差し出してくれたので、その手をとってソファまでエスコートしてもらう。
私が座ると、グリフィン様は私の両手を握りしめ、自分の額に押し付けた。
「ウォーターハウス夫人、妹を助けて下さって本当にありがとうございました!本当に…」
「グリフィン様…」
「妹と夫人が危険な目に合っていたのに僕は…。本当にすみません」
「グリフィン様が謝る必要はありません。でも、ありがとうございます」
「夫人…」
まだ10歳だというのに本当に真面目な子だ。
きっとお母様が亡くなり、妹を守らなければという責任感を感じておられるのだろう。
グリフィン様を落ち着かせていると、ラドルファス大公が入ってきた。
マルゲリータ様もお父上と手をしっかり繋いで後をついてきている。
さらにもう一人、ラドルファス大公と同じくらい体格の良い若い男性がいた。
あの中庭の事件の時、私に声をかけてくれた騎士だとすぐに思い出す。
髪型に特徴があるのですぐに分かった。
この国の貴族男性は髪を伸ばして編んだりすることが多いが、その騎士は髪を短く刈り上げていたからだ。
騎士の男性だけ大公の後ろに立ち、大公とマルゲリータ様が私とグリフィン様の向かい側に座る。
私は立って挨拶をしようとしたが、大公は手ぶりで必要ないと示した。
「ウォーターハウス夫人、お加減はいかかですか?」
「もともとかすり傷でしたから問題ありませんわ。色々お気遣いいただき、ありがとうございました」
お気遣いとは医師の手配はもちろん、夕食に出たお高いワインも含まれている。
いやいや、あれは絶品でした。
「今回の事件は大公家の不手際で起こったことです。本当に申し訳なかった。そして娘を身を挺して守っていただき、感謝いたします」
「守ったなどと…私一人ではとても…」
「いいえ、的確な判断でしたよ。大公閣下がわざわざ家庭教師に選んだだけのことはあります」
そう言ったのは、あの短髪の騎士様だった。
「失礼、申し遅れました。私は騎士団で副団長を務めております、レイ・シュトロハイムと申します。今回の事件を全面的に担当することになりました」
「ケイトリン・ウォーターハウスです。座ったままで失礼しますわ」
「ウォーターハウス夫人を巻き込んでしまった以上、今回の事件の原因と顛末をお話ししようと思います。あの後に新たに分かったこともありますので」
まず、あの赤ドレスの女はフランチェスカ・キューブリック男爵令嬢。
ラドルファス大公の亡くなった奥方の縁者だった。
マルゲリータ様が「先生」と言っていたのでもしやと思っていたが、フランチェスカは私の前の家庭教師だった。
フランチェスカがマルゲリータ様に淑女教育を施すために大公家に住み込んだのは一年半前のことだ。
そろそろ娘に淑女教育をと思っていたラドルファス大公に、奥様の生家が是非にと紹介したらしい。
半年は何事もなく過ぎ去った。
授業の様子はマルゲリータ様の部屋の中で二人きりで行われていたが、誰も疑問に思わなかった。
それほど淑女教育は集中力を必要とするものなのだ。
マルゲリータ様も表立っておかしな様子はなかった。
だがこれは今回分かったことなのだが、マルゲリータ様はフランチェスカに虐待を受けていたらしい。
罵詈雑言を浴びせられ、裸にされて笑われ、お尻など他人に訴えにくい場所に鞭を振るわれていた。
幼いマルゲリータ様の心はすり減り、すっかりフランチェスカの言いなりになっていた。
そしてある日、フランチェスカは行動を起こした。
マルゲリータ様に命じて、ラドルファス大公の飲み物に媚薬を混ぜて飲ませた。
そして夜にラドルファス大公の部屋に忍び込み、既成事実を作ろうとしたのだ。
うわー、肉食。
肉食令嬢である。
目論見は失敗に終わった。
さすがに怖気づいたマルゲリータ様が、執事長に「お父様の部屋からうめき声が聞こえる、中で倒れているのかも」と嘘をついて部屋まで促し、部屋で取っ組み合いをしている二人に遭遇したのだ。
フランチェスカは「大公に薬を飲ませたのはマルゲリータだ。私は介抱するように頼まれただけ」と言ったが、媚薬など6歳の女の子が手に入れられるわけがない。
媚薬を飲ませたのも襲ったのも全てフランチェスカの独断とされ(事実ではある)、彼女は実家に送り返された。
ラドルファス大公は事を荒立てたくなかったし、フランチェスカの実家も、大公を夜這いしたうえ罪を6歳の女の子に擦り付けようとした娘を秘密裏に処理したかった。
結果、フランチェスカは「病を得た」ということになり、実家の領地内にある修道院に送られたのだった。
ここでのラドルファス大公のミスは、フランチェスカの言葉の真偽をマルゲリータ様に確認しようとしなかったことだろう。
全てフランチェスカの企みだったことは間違いないのだが、マルゲリータ様は彼女の言いなりになり、父親を危機に追い込む片棒を担いだ。
ラドルファス大公をはじめ屋敷の人たちも、まさか6歳の女の子がそんな事件にかかわっているとは夢にも思わず、色気づいた家庭教師が一人で勝手に起こした事件だと結論付けてしまったのだ。
結果的にマルゲリータ様は心に傷を負ったまま、フランチェスカと歳の近い女性に怯え、部屋に閉じ籠るようになってしまった。
やがてこのままでは駄目だと感じたラドルファス大公は、新たな家庭教師として私を屋敷に招き入れた。
その情報が伝わったのか、あるいはタイミングは本当に偶然だったのか、フランチェスカは一週間前に修道院から抜け出した。
一年間大人しくしていたので、家族も修道院関係者もすっかり油断していた。
彼女は何とこの屋敷に来る途中でたまたま出会った行商人を殺し、金を奪っていた。
貴族に籍を置く身であっさりと強盗殺人を犯すあたり、フランチェスカはとっくに正気を失っていたのだろう。
ちなみにあの真っ赤なドレスは奪った金で買ったものらしい。
そしてこの屋敷の前まで来た時、彼女は悪魔が作り出した幸運に見舞われた。
私が初日に正門で見かけた女性、家庭教師志望のあの令嬢が門番と押し問答をしているのを見つけたのだ。
その女性は伯爵家のデイジー・リンカーン嬢というらしいのだが、フランチェスカはしばらく様子を伺い、裏口に一人しかいない門番が応援に駆け付けるのをじっと待った。
門番は裏口に鍵がかかっているので少しくらいなら問題ないと思ったのだろう。
しかし大公家に半年もいたフランチェスカは予備の鍵の場所を知っており、門番が正門に向かうとそれを使って中に入り込んだ。
あとはご存じの通りである。
「フランチェスカ嬢はどうなるのですか?」
「大公家に不法侵入し、屋敷の者を傷つけたのはもちろんですが、いくら平民とはいえ人を一人殺しています。平民に落とした上、絞首刑になるでしょう」
「絞首刑…」
「彼女の実家も爵位を返上することになるでしょうね」
「そうでしょうね」
男爵家が大公家に弓を引いたと取られかねない事件なのだ。
むしろフランチェスカ一人の命で済んだのだから、寛大な処置なのだろう。
「ウォーターハウス夫人、重ねて今回のことはお詫びします。ですがどうか、このまま家庭教師を続けていただけませんか?」
「まあ、私に否やはございません。お子様たちが成人するまでは是非雇ってくださいませ」
社交デビューでなく、しれっと成人って言ってしまった。
それくらい良いよね!?
するとそれまで黙っていたマルゲリータ様が、立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。
そして私のすぐ前に立つ。
「マルゲリータ様?」
体が少し震えている。
やはりまだ怖いのだろう。
でも今までとは違い、彼女は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「私が弱いせいで、怪我をさせてしまってごめんなさい」
「マルゲリータ様…」
「これからはしっかり教育を受けて、強くなります。みんなに悲しい思いをさせないように努力します」
震えた声で、けれどもしっかりと彼女はそう言った。
私の怪我がよほど衝撃的だったのだろう。
だからこそ、心の中に閉じ込めていたフランチェスカからの暴力を父親に打ち明ける気になったのだ。
たった7歳の女の子にとっては、勇気を振り絞る決断だったに違いない。
「…よく、ご決断されましたね」
そんなに無理をする必要はない。
一人で心をすりつぶさなくていい。
本当はそう言ってあげたいが、貴族の彼女はこれから色んな悪意にさらされる。
それまでは彼女の盾になりつつ、その決意を後押ししてあげなくてはならない。
「必ず私が、マルゲリータ様をこの国一番の淑女にして差し上げます」
翌日からマルゲリータ様の淑女教育が始まった。
これには執事とラドルファス大公の従僕に協力をしてもらった。
彼女と部屋で二人きりになる状況はまだ避けたいので、食事のマナーやパーティーでの挨拶の仕方に付き添ってもらったのだ。
グリフィン様も社交をしばらく控え、なるべく一緒に授業を受けてくれた。
マルゲリータ様はこれまでの遅れを取り戻す勢いで授業に取り組み、どんどん知識を吸収していった。
気づけばあの中庭襲撃事件から一か月半が過ぎていた。
あの事件の日のように良く晴れたある日、私はラドルファス大公の執務室を訪れていた。
「マルゲリータは見違えるほど元気になりました。淑女教育も順調に進んでいるとか。感謝します、ウォーターハウス夫人」
「恐れ入りますわ。ですがマルゲリータ様に向上心があってこそです」
ラドルファス大公はにっこりとほほ笑んだ。
あらー、やっぱり美形だわ。
こんないい男に笑いかけられれば、経験の少ない令嬢は勘違いしてしまうのかもしれない。
私は顔が赤くなるのをごまかすために、ちょっと微笑み返した。
「実は二つほどお願いがあってお呼びしました」
「まあ、私にできることでしたら」
「一つは、この屋敷で恩人の子供を預かることになったのです。グリフィンたちと歳が近いので、その子の教育も一緒に請け負っていただきたい」
「構いませんが…。恩人とは?」
「辺境伯のクルーガー伯爵です。その子息のジュリアンが王都に来ることになったのです。本来ならば辺境伯が王都に構えている屋敷で過ごすはずですが、もろもろ事情があり、大公家で面倒を見ることになりました」
ああ、これはもろもろ事情を聞いちゃいけないやつだな。
「私が教えることに限度はあるかと思いますが、あちらが了解しているのでしたら問題ありません」
「ありがとうございます。それからもう一つですが…」
「はい」
「実は一週間後に王家主催の夜会があります。私のパートナーとして同行していただけませんか?」
「…」
「お願いします。ウォーターハウス夫人」
「私は、貴族ではありません。王宮には上がれませんわ」
「ウォーターハウス侯爵より、夫人とご息女二人を侯爵家の籍に置くと通達がありました」
なんだと!!?
嬉しいけど、でも大丈夫なの?ベンジャミン!!
「お継母上のことは心配ありませんよ。先日、病気療養のために施設に移されたそうです」
私の心の中を読んだかのようなタイミングでラドルファス大公が教えてくれた。
「ですのでお願いします。信頼できる女性はあなたしかいません」
「は、はあ…」
「同行していただけますよね?」
「はあ…、はい?」
「良かった!では早速準備をさせましょう」
ん?
「それから、これからはケイトリンと呼んでも?」
んん?
「…それは、別にどっちでも」
「ケイトリン、どうか私のこともアーロンと呼んでください」
んんん??
「あ、あの…大公閣下…」
「アーロンと」
「……あ、アーロン、様」
「よろしくお願いしますね、ケイトリン」
あっれーーー?
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