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本編
02 シンデレラはご機嫌斜め
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再婚同士だったので結婚式は行わなかった。
婚姻届けを役所に提出し、新たな家族で少し豪華な食事会をすることになる。
この食事会には家族以外の参加者がいた。
「奥様、これからよろしくお願いいたします」
「あなたがマシューね。私の方こそよろしく」
まずはマシューという、ガルシア家の執事。
バーノンの父親の代からガルシア家に仕えていて、基本的に男手は全て彼が担っている。
四十代後半だが体ががっしりとしていて、確かに頼りがいがありそうだ。
「もうエラお嬢様とお会いになったそうですね」
「ええ、とても可愛い子ね。正直女の子だったから少しほっとしているの。男の子だったらどう接したらいいのか分からないもの」
「奥様のお嬢様方も可愛らしいですな。一気に屋敷が華やかになります」
「どうもありがとう」
マシューの視線が一瞬冷ややかになる。
なにこれ、怖い。
私や娘たちがエラをいじめるとでも思っているのかしら。
そんなことしないわよ、目玉をくり抜かれるのは嫌だもの。
マシューは奥方を大分前に亡くしていて子供もおらず、主家の娘であるエラをたいそう可愛がってきたらしい。
口では祝福しているが、突然家の中にずかずかと入ってきた私たち母子が気に入らないのかもしれない。
「私たちのことは旦那様から聞いていると思うけど、きっと世間知らずなところが多々あると思うわ。何か足りないことがあったら、遠慮なく言ってちょうだい」
「かしこまりました」
「旦那様がお留守の時はあなたが頼りよ」
そして夫婦で参加したのは、これから私が暮らすことになる町の町長であるマリク夫妻だ。
バーノンはこの町で屋敷を買ってから町のためにかなりの額を出資してきたため、町長夫妻は大変丁寧に接してきた。
「ガルシアさんが奥様を亡くされた時はたいそう心配していましたが、こんなに素晴らしい女性を迎えられて一安心です」
「まあ、私はただの世間知らずの女です。町長様と奥様には、色々とご助言を頂くことになると思いますわ」
「世間知らずなどと!貴族の奥方様だったと伺いました」
「今はただの商家の妻ですわ」
私の機嫌を損ねたら、援助がもらえないとでも思っているのだろう。
これから住む町が住みやすいに越したことはないので、私も何も言わず、ただにこやかに接しておいた。
お披露目の食事会も無事に終わり、ガルシア夫人としての生活が始まった。
とにかくエラをいじめてはいけない。
ヴァレンティーナとティファニーが私に隠れてエラをいじめないとも限らないので、なるべく子供たちの傍にいるようにした。
マシューが手の届かない家事もなるべく私がこなした。
バーノンが雇った掃除婦が定期的に来てくれるので、大変なのは日々の料理と家畜の世話くらいだ。
エラは鶏などの小さな家畜の世話担当だったようで、ヴァレンティーナたちにも同じ仕事を覚えさせた。
バーノンは二人の娘たちを無理に働かせることはないと言ってくれたが、この子たちだっていつかは平民に嫁ぐのだ。
元貴族だからといって下手に夢は見ず、労働を覚えさせるに越したことはない。
数日は何事もなく過ぎた。
やがて貿易商のバーノンは仕事のために屋敷を空けることになった。
インターネットなんて当然ないこの世界では、貿易商といえば港、あるいは直接外国まで訪ねて買い付けるのが一般的だ。
移動だって自動車なんてものは存在しないので、荷馬車を馬や牛にひいてもらう。
…あら、インターネットって?
自動車って何だったかしら??
…まあとにかく、貿易商の彼が一度家を空けるとなると、短くて二週間、長くて半年以上留守なんてことはざらにある。
バーノンが前の奥方を亡くして一年も経たないうちに私との再婚を急いだのも、こう言った事情があった。
幼いエラを何が起こるかわからない外国に連れて行けないし、頼りになるといってもマシューは男性だから、屋敷に二人きりにするのは周囲にいい顔をされない。
しばらくは町長夫婦の家に泊まっていたようだが、いくら出資者だからといって何度も頼ることはできない。
その点元貴族の私なら身元がしっかりしているから、結婚してしまえば調度品を盗んでとんずらという心配もないというわけだ。
貴族ってしがらみが多いのよ。
それでもバーノンは最初は様子を見ようと思ったのだろう、今回は三週間の予定で旅立った。
異変に気が付いたのは、五日目のことだった。
「マシュー、あら、マシューはもう出かけてしまったのかしら?」
庭に顔を出すと、慣れない家畜の世話に奮闘しているヴァレンティーナとティファニーしかいなかった。
「お母さま、マシューならエラを連れて馬の散歩に行ってしまいましたわ」
「そうなの。困ったわね…」
「どうかしたの?」
「ペンのインクを切らしていたのよ。マシューにお使いを頼むのを忘れてしまったわ」
マシューの馬の散歩コースは、町の東の広場をぐるりと一周し、小川で水を飲ませてから帰ってくる。
町で唯一の文房具屋は、全く逆方向にあった。
「仕方がないわ。たまには自分で買ってきましょう。あなたたちも行く?」
「行くわ!」
バーノンが留守にしてからは、慣れない屋敷の仕事に追われて敷地内を出ていなかった。
たまには気分転換もいいだろうと娘たちと三人で町中に踏み出した。
文房具屋に入ると、女店主と近所のご婦人が楽し気に話し込んでいた。
しかし私たちの姿を見た途端、二人は一瞬で黙り込む。
「こんにちは」
「…」
「あの…?」
「え、ええ…いらっしゃいませ」
店主がぎこちなく挨拶をする。
妙な雰囲気だ。
疑問に思いながらも目的のインクを手に取る。
「お母さま、このノートとレターセットを買ってもいい?」
ヴァレンティーナがノートとレターセットを持ってくる。
「どちらも持っているでしょう?」
「エラにあげるのよ。お父様に手紙を書きたいって言ってたもの」
「あら、そうなの?…まあいいでしょう」
そんな会話をしながらも、店主たちの視線を感じる。
怪訝に思いながらも商品を買いたいと申し出、料金を差し出した。
「…まいど、ありがとうございます」
変な空気ながらも買い物は終わり、ティファニーが持っていた買い物籠に商品を入れて店を出る。
元来た道を歩きながら、やたらと視線を感じた。
町の人々が窓の奥、ドアの影からじっとこちらを伺い、ひそひそと話している。
以前バーノンと町に出たときはこんなことはなかった。
有力者の妻ということで、羨望や嫉妬のまなざしはあったものの皆きちんと挨拶をしてくれていたと思う。
この数日で一体何があったのか。
その日の夜、私はマシューに相談してみた。
「ねえ、マシュー。今日町に出たのだけれど」
「ええ?そうなのですか?」
「インクが切れていたから買いに行ったのよ。駄目だった?」
「そんなことはありませんが…。おっしゃってくれればよろしかったのに」
「あなたが出かけた後で気が付いたのよ。…そんなことより、町の人たちの様子がおかしかったの」
「…おかしかったとは?」
「文房具屋の店主はこちらを変な目で見るし…。町の人たちもひそひそ話ながらこちらを伺って、目が合っても挨拶をしてくれないのよ。どうしたのかしら」
「さ、さあ…。自分には分かりかねます」
「余所者だからかしら?嫌な感じだったわ」
マシューは頼りにならないと分かり、話を切り上げることにした。
夕食は私が作ったシチューだ。
決して料理はうまくないが、この屋敷に来てから猛特訓し、一通りバーノンからお墨付きをもらった。
神に祈りを捧げてから食事を口にする。
娘たちは三人とも食べ方が綺麗だ。
ヴァレンティーナとティファニーは元男爵令嬢だったから当たり前だが、エラは前の奥様が躾に厳しかったのか、所作といいテーブルマナーといい完璧だった。
しかし…。
「ご馳走様でした」
「まだ半分も食べてないわ。…エラ、もしかして美味しくなかった?」
「…食欲がないの」
「昨日も残していたじゃない。具合が悪いの?」
「何でもないわ!食べたくないの!!」
「エラ!」
エラはぱっと身をひるがえして自室に入ってしまった。
「…どうしたのかしら」
「お母様、安心して。お料理ちゃんと美味しいわ」
「ありがとう、ティファニー」
フォローしてくれる娘ににっこりとほほ笑む。
とはいえ、慣れないながら懸命に作った料理を残されるのは辛いものがあった。
「仕方ないわ、マシュー。また後で様子を見に行きがてら、パンを持っていってちょうだい」
「分かりました、奥様」
「エラったら、マシューが持っていったパンなら食べるのよ。お母様にいじわるしているのよ」
「やめなさい、ヴァレンティーナ。エラだって辛いのよ。生みのお母様を亡くしてさほど経っていないのよ。お父様だってお仕事でいないし、どうしていいのか分からないのだわ。あなたたちだって、トムリンソンのお父様のことが恋しい時があるでしょう」
「でも、お母様はこんなに頑張っているのに…」
「きっといつかエラだって分かってくれるわ。まだこの家に来て一か月よ。焦る必要はないわ」
「…分かりました」
私たちがそんな会話をしているのを、マシューはじっと眺めていた。
三週間後、バーノンは仕事を終えて帰ってきた。
「ただいま、愛しい妻、そして可愛い娘たちよ!」
馬車に山ほど積まれているのは家族へのお土産らしい。
「お父様、おかえりなさい!!」
父親が馬車から降りると、エラは彼の首に飛びついた。
「おやおや、私のお姫様。しばらく見ない間に甘えん坊になったな」
「さみしかったの、すごくさみしかったわ!」
二人のやり取りを眺めながら、私はゆっくりと歩み寄る。
バーノンの視線がこちらを捕えるのを確認して、頭を下げた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま。変わりはなかったかい?」
「はい。皆いい子にしておりましたわ。マシューもよく私を助けてくれて、何事もなく過ごせました」
「それは良かった」
「中にお入りください。すぐに温かいものを用意させますわ」
バーノンが滞在中は、エラは素直で心優しい娘だった。
にこにこ顔で家事を手伝ってくれるし、私が作った料理も「おいしいです、お継母様」と言いながら食べてくれる。
やはり父親の不在で精神が不安定になっていたのだろうと私は胸をなでおろしたが、それもバーノンが家にいる間だけだった。
バーノンは一週間ほど滞在したが、すぐに次の仕事に旅立たなくてはならなかった。
前の奥方を亡くしてからエラのために仕事を無理に調整していたらしく、しわ寄せが今頃来ているらしい。
「今度は四か月ほど戻れないと思う」
「まあ、長いのですね」
「エラと家のことは頼んだよ」
「分かりましたわ。行ってらっしゃいませ」
父親が旅立つ日、エラは散々泣いて家族を困らせた。
自分も行くと馬車にしがみつき、バーノンとマシューの二人掛かりで宥め、ようやくバーノンは旅立った。
「いらないわ」
その日の夕食、奮発してエラの好物を出したのだが、彼女は一瞥しただけで席にもつかなかった。
昼間の騒ぎもあり、さすがに無理に進めることもできずに自室に閉じこもるエラを黙って見送った。
しかしエラのストライキが三日も続くと、短気なヴァレンティーナがいらいらし始めた。
夕食だけではなく、朝食も昼食も自室にこもり、マシューとしか話さない。
家畜の世話は今まで通りしているので籠り切りというわけでもないのだが、私や義姉たちを無視し、目も合わさないのだ。
さすがの私も疲弊してきていた。
「いい加減にしてよ、エラ!どうして私たちを無視するのよ!!」
我慢できなくなったヴァレンティーナがある日エラに噛みついた。
エラは黙って下を向いている。
「何とか言いなさい!」
「やめなさい、ヴァレンティーナ。大きな声を出さないで」
「でも、お母様…!」
「エラ…。私たちを急に家族として認めるのが難しいのはわかるわ。でも食事はきちんととってちょうだい。お父様が心配なさるわ」
「…」
だんまりだ。
物語のシンデレラってこんな子だったの?
こんな気難しい子が継子になれば、そりゃいらいらする。
私は物語の継母に同情した…って、それ私か。
その時、玄関をノックする音が聞こえ、私たちの意識はそちらに向いた。
「どなた?」
「町長のマリクです。突然申し訳ない」
「ティファニー、開けてあげて」
ドアに一番近かったティファニーがドアを開ける。
町長が帽子を手に、挨拶しながら入ってきた。
「すみません、お取込み中でしたかな?」
「いいえ、構いませんわ」
町長を中に促そうとして、エラのことを思い出した。
エラは未だ下を向いたまま、肩をわずかに震わせていた。
「エラ…」
「ご、ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
まさかこれまでの態度から謝罪の言葉が出るとは思わず、私もヴァレンティーナたちもぽかんとする。
しかし声をかける前にエラは足早に自室に駆け込んでしまった。
皆が唖然としたままそれを見送る。
私はなんとなく、言い得ない嫌な予感が胸をよぎるのを感じた。
婚姻届けを役所に提出し、新たな家族で少し豪華な食事会をすることになる。
この食事会には家族以外の参加者がいた。
「奥様、これからよろしくお願いいたします」
「あなたがマシューね。私の方こそよろしく」
まずはマシューという、ガルシア家の執事。
バーノンの父親の代からガルシア家に仕えていて、基本的に男手は全て彼が担っている。
四十代後半だが体ががっしりとしていて、確かに頼りがいがありそうだ。
「もうエラお嬢様とお会いになったそうですね」
「ええ、とても可愛い子ね。正直女の子だったから少しほっとしているの。男の子だったらどう接したらいいのか分からないもの」
「奥様のお嬢様方も可愛らしいですな。一気に屋敷が華やかになります」
「どうもありがとう」
マシューの視線が一瞬冷ややかになる。
なにこれ、怖い。
私や娘たちがエラをいじめるとでも思っているのかしら。
そんなことしないわよ、目玉をくり抜かれるのは嫌だもの。
マシューは奥方を大分前に亡くしていて子供もおらず、主家の娘であるエラをたいそう可愛がってきたらしい。
口では祝福しているが、突然家の中にずかずかと入ってきた私たち母子が気に入らないのかもしれない。
「私たちのことは旦那様から聞いていると思うけど、きっと世間知らずなところが多々あると思うわ。何か足りないことがあったら、遠慮なく言ってちょうだい」
「かしこまりました」
「旦那様がお留守の時はあなたが頼りよ」
そして夫婦で参加したのは、これから私が暮らすことになる町の町長であるマリク夫妻だ。
バーノンはこの町で屋敷を買ってから町のためにかなりの額を出資してきたため、町長夫妻は大変丁寧に接してきた。
「ガルシアさんが奥様を亡くされた時はたいそう心配していましたが、こんなに素晴らしい女性を迎えられて一安心です」
「まあ、私はただの世間知らずの女です。町長様と奥様には、色々とご助言を頂くことになると思いますわ」
「世間知らずなどと!貴族の奥方様だったと伺いました」
「今はただの商家の妻ですわ」
私の機嫌を損ねたら、援助がもらえないとでも思っているのだろう。
これから住む町が住みやすいに越したことはないので、私も何も言わず、ただにこやかに接しておいた。
お披露目の食事会も無事に終わり、ガルシア夫人としての生活が始まった。
とにかくエラをいじめてはいけない。
ヴァレンティーナとティファニーが私に隠れてエラをいじめないとも限らないので、なるべく子供たちの傍にいるようにした。
マシューが手の届かない家事もなるべく私がこなした。
バーノンが雇った掃除婦が定期的に来てくれるので、大変なのは日々の料理と家畜の世話くらいだ。
エラは鶏などの小さな家畜の世話担当だったようで、ヴァレンティーナたちにも同じ仕事を覚えさせた。
バーノンは二人の娘たちを無理に働かせることはないと言ってくれたが、この子たちだっていつかは平民に嫁ぐのだ。
元貴族だからといって下手に夢は見ず、労働を覚えさせるに越したことはない。
数日は何事もなく過ぎた。
やがて貿易商のバーノンは仕事のために屋敷を空けることになった。
インターネットなんて当然ないこの世界では、貿易商といえば港、あるいは直接外国まで訪ねて買い付けるのが一般的だ。
移動だって自動車なんてものは存在しないので、荷馬車を馬や牛にひいてもらう。
…あら、インターネットって?
自動車って何だったかしら??
…まあとにかく、貿易商の彼が一度家を空けるとなると、短くて二週間、長くて半年以上留守なんてことはざらにある。
バーノンが前の奥方を亡くして一年も経たないうちに私との再婚を急いだのも、こう言った事情があった。
幼いエラを何が起こるかわからない外国に連れて行けないし、頼りになるといってもマシューは男性だから、屋敷に二人きりにするのは周囲にいい顔をされない。
しばらくは町長夫婦の家に泊まっていたようだが、いくら出資者だからといって何度も頼ることはできない。
その点元貴族の私なら身元がしっかりしているから、結婚してしまえば調度品を盗んでとんずらという心配もないというわけだ。
貴族ってしがらみが多いのよ。
それでもバーノンは最初は様子を見ようと思ったのだろう、今回は三週間の予定で旅立った。
異変に気が付いたのは、五日目のことだった。
「マシュー、あら、マシューはもう出かけてしまったのかしら?」
庭に顔を出すと、慣れない家畜の世話に奮闘しているヴァレンティーナとティファニーしかいなかった。
「お母さま、マシューならエラを連れて馬の散歩に行ってしまいましたわ」
「そうなの。困ったわね…」
「どうかしたの?」
「ペンのインクを切らしていたのよ。マシューにお使いを頼むのを忘れてしまったわ」
マシューの馬の散歩コースは、町の東の広場をぐるりと一周し、小川で水を飲ませてから帰ってくる。
町で唯一の文房具屋は、全く逆方向にあった。
「仕方がないわ。たまには自分で買ってきましょう。あなたたちも行く?」
「行くわ!」
バーノンが留守にしてからは、慣れない屋敷の仕事に追われて敷地内を出ていなかった。
たまには気分転換もいいだろうと娘たちと三人で町中に踏み出した。
文房具屋に入ると、女店主と近所のご婦人が楽し気に話し込んでいた。
しかし私たちの姿を見た途端、二人は一瞬で黙り込む。
「こんにちは」
「…」
「あの…?」
「え、ええ…いらっしゃいませ」
店主がぎこちなく挨拶をする。
妙な雰囲気だ。
疑問に思いながらも目的のインクを手に取る。
「お母さま、このノートとレターセットを買ってもいい?」
ヴァレンティーナがノートとレターセットを持ってくる。
「どちらも持っているでしょう?」
「エラにあげるのよ。お父様に手紙を書きたいって言ってたもの」
「あら、そうなの?…まあいいでしょう」
そんな会話をしながらも、店主たちの視線を感じる。
怪訝に思いながらも商品を買いたいと申し出、料金を差し出した。
「…まいど、ありがとうございます」
変な空気ながらも買い物は終わり、ティファニーが持っていた買い物籠に商品を入れて店を出る。
元来た道を歩きながら、やたらと視線を感じた。
町の人々が窓の奥、ドアの影からじっとこちらを伺い、ひそひそと話している。
以前バーノンと町に出たときはこんなことはなかった。
有力者の妻ということで、羨望や嫉妬のまなざしはあったものの皆きちんと挨拶をしてくれていたと思う。
この数日で一体何があったのか。
その日の夜、私はマシューに相談してみた。
「ねえ、マシュー。今日町に出たのだけれど」
「ええ?そうなのですか?」
「インクが切れていたから買いに行ったのよ。駄目だった?」
「そんなことはありませんが…。おっしゃってくれればよろしかったのに」
「あなたが出かけた後で気が付いたのよ。…そんなことより、町の人たちの様子がおかしかったの」
「…おかしかったとは?」
「文房具屋の店主はこちらを変な目で見るし…。町の人たちもひそひそ話ながらこちらを伺って、目が合っても挨拶をしてくれないのよ。どうしたのかしら」
「さ、さあ…。自分には分かりかねます」
「余所者だからかしら?嫌な感じだったわ」
マシューは頼りにならないと分かり、話を切り上げることにした。
夕食は私が作ったシチューだ。
決して料理はうまくないが、この屋敷に来てから猛特訓し、一通りバーノンからお墨付きをもらった。
神に祈りを捧げてから食事を口にする。
娘たちは三人とも食べ方が綺麗だ。
ヴァレンティーナとティファニーは元男爵令嬢だったから当たり前だが、エラは前の奥様が躾に厳しかったのか、所作といいテーブルマナーといい完璧だった。
しかし…。
「ご馳走様でした」
「まだ半分も食べてないわ。…エラ、もしかして美味しくなかった?」
「…食欲がないの」
「昨日も残していたじゃない。具合が悪いの?」
「何でもないわ!食べたくないの!!」
「エラ!」
エラはぱっと身をひるがえして自室に入ってしまった。
「…どうしたのかしら」
「お母様、安心して。お料理ちゃんと美味しいわ」
「ありがとう、ティファニー」
フォローしてくれる娘ににっこりとほほ笑む。
とはいえ、慣れないながら懸命に作った料理を残されるのは辛いものがあった。
「仕方ないわ、マシュー。また後で様子を見に行きがてら、パンを持っていってちょうだい」
「分かりました、奥様」
「エラったら、マシューが持っていったパンなら食べるのよ。お母様にいじわるしているのよ」
「やめなさい、ヴァレンティーナ。エラだって辛いのよ。生みのお母様を亡くしてさほど経っていないのよ。お父様だってお仕事でいないし、どうしていいのか分からないのだわ。あなたたちだって、トムリンソンのお父様のことが恋しい時があるでしょう」
「でも、お母様はこんなに頑張っているのに…」
「きっといつかエラだって分かってくれるわ。まだこの家に来て一か月よ。焦る必要はないわ」
「…分かりました」
私たちがそんな会話をしているのを、マシューはじっと眺めていた。
三週間後、バーノンは仕事を終えて帰ってきた。
「ただいま、愛しい妻、そして可愛い娘たちよ!」
馬車に山ほど積まれているのは家族へのお土産らしい。
「お父様、おかえりなさい!!」
父親が馬車から降りると、エラは彼の首に飛びついた。
「おやおや、私のお姫様。しばらく見ない間に甘えん坊になったな」
「さみしかったの、すごくさみしかったわ!」
二人のやり取りを眺めながら、私はゆっくりと歩み寄る。
バーノンの視線がこちらを捕えるのを確認して、頭を下げた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま。変わりはなかったかい?」
「はい。皆いい子にしておりましたわ。マシューもよく私を助けてくれて、何事もなく過ごせました」
「それは良かった」
「中にお入りください。すぐに温かいものを用意させますわ」
バーノンが滞在中は、エラは素直で心優しい娘だった。
にこにこ顔で家事を手伝ってくれるし、私が作った料理も「おいしいです、お継母様」と言いながら食べてくれる。
やはり父親の不在で精神が不安定になっていたのだろうと私は胸をなでおろしたが、それもバーノンが家にいる間だけだった。
バーノンは一週間ほど滞在したが、すぐに次の仕事に旅立たなくてはならなかった。
前の奥方を亡くしてからエラのために仕事を無理に調整していたらしく、しわ寄せが今頃来ているらしい。
「今度は四か月ほど戻れないと思う」
「まあ、長いのですね」
「エラと家のことは頼んだよ」
「分かりましたわ。行ってらっしゃいませ」
父親が旅立つ日、エラは散々泣いて家族を困らせた。
自分も行くと馬車にしがみつき、バーノンとマシューの二人掛かりで宥め、ようやくバーノンは旅立った。
「いらないわ」
その日の夕食、奮発してエラの好物を出したのだが、彼女は一瞥しただけで席にもつかなかった。
昼間の騒ぎもあり、さすがに無理に進めることもできずに自室に閉じこもるエラを黙って見送った。
しかしエラのストライキが三日も続くと、短気なヴァレンティーナがいらいらし始めた。
夕食だけではなく、朝食も昼食も自室にこもり、マシューとしか話さない。
家畜の世話は今まで通りしているので籠り切りというわけでもないのだが、私や義姉たちを無視し、目も合わさないのだ。
さすがの私も疲弊してきていた。
「いい加減にしてよ、エラ!どうして私たちを無視するのよ!!」
我慢できなくなったヴァレンティーナがある日エラに噛みついた。
エラは黙って下を向いている。
「何とか言いなさい!」
「やめなさい、ヴァレンティーナ。大きな声を出さないで」
「でも、お母様…!」
「エラ…。私たちを急に家族として認めるのが難しいのはわかるわ。でも食事はきちんととってちょうだい。お父様が心配なさるわ」
「…」
だんまりだ。
物語のシンデレラってこんな子だったの?
こんな気難しい子が継子になれば、そりゃいらいらする。
私は物語の継母に同情した…って、それ私か。
その時、玄関をノックする音が聞こえ、私たちの意識はそちらに向いた。
「どなた?」
「町長のマリクです。突然申し訳ない」
「ティファニー、開けてあげて」
ドアに一番近かったティファニーがドアを開ける。
町長が帽子を手に、挨拶しながら入ってきた。
「すみません、お取込み中でしたかな?」
「いいえ、構いませんわ」
町長を中に促そうとして、エラのことを思い出した。
エラは未だ下を向いたまま、肩をわずかに震わせていた。
「エラ…」
「ご、ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
まさかこれまでの態度から謝罪の言葉が出るとは思わず、私もヴァレンティーナたちもぽかんとする。
しかし声をかける前にエラは足早に自室に駆け込んでしまった。
皆が唖然としたままそれを見送る。
私はなんとなく、言い得ない嫌な予感が胸をよぎるのを感じた。
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