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CASE:4
ヒビ
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それから数ヶ月。
すぐにまた連絡を取ってくると思われた海里からのコンタクトは未だなく、借金の取り立てや身辺での不穏な動きも特にない。
年も明け、平穏な日常を取り戻しつつあった淳は安堵していた。
「お疲れ様でした」
定時。勤め先である大学病院を出ると、ちょうどスマートフォンに着信が入った。メッセージだ。
“ねえ、仕事おわった? 今夜会える?”
淳は送り主を確認すると、メッセージを既読にもせずにすぐにアプリを閉じた。
淳の不倫相手は、同じ大学病院内に勤める看護師だった。淳よりはいくつも年が上だし、魔が差したと言えばそれまで。淳は相手のことを特に好きでも嫌いでもなく、執着もない。
たまたま同じ時間帯によく勤務が重なり、たまたま話す機会が多かった。夜勤、手持ち無沙汰な暇を潰すのに都合がよかった。相手は淳が妻帯者であることを理解していたし、特に連絡をせずとも向こうから連絡を入れてくることは滅多になかった。
それが、最近になってこうして頻繁に連絡を寄越すようになった。理由は単純。
“もう二度と連絡しないでほしい。連絡先も消してくれ。さようなら”
そう淳が一通メッセージを入れた途端、女は今までの淡白さが嘘のように淳を追いかけてきた。
それまで何週間も音沙汰のない状況に文句ひとつ言わなかった女が、だ。
人の感情とは時に、どう振り切れるかわからない。そんなことを滔々と脳内に廻らせながら、淳は家までの帰路を最短で歩き続けた。
マンションのオートロックを解除し、エレベーターで3階へ。踊り場を抜け、見慣れたドアの穴に鍵を挿し、回した。
「ただいまー」
玄関。淳は、すぐに異変に気がつく。
いつもなら灯りのついている室内が、深夜の如く真っ暗で静まり返っているからだ。
「おーい、美咲? いないのか?」
これまた、いつもなら出されているはずのスリッパを淳は自分で棚から取り出し、履く。
そうしてリビングへの扉を開け、壁の照明スイッチを2、3個適当につけると、淳は衝撃の光景を目の当たりにした。
「なんだよ、これ」
リビングの中心に立ち、360度ぐるりと見回す。
60インチ液晶テレビ、それから観葉植物のアレカヤシ。壁に吊るされたカレンダーに、海外に特注した高級ソファ。ペルシャ絨毯、バカラの並ぶグラス棚、淡いクリーム色のカーテン、テーブルの中央に置かれた訳の分からないフルーツたち。
その何もかもが、ごっそり丸ごと消えていた。
「おい、美咲。みさ……き」
淳が一歩踏み出したその足に、カサっと違和感のある音が鳴る。
下を向き、自らの足に潰されたくしゃくしゃの紙を手に取れば、淳の瞳は動揺で揺れた。
淳は慌てて鞄からスマートフォンを取り出すと、美咲の連絡先を表示して画面をタップした。
コール音が1回、2回。13回目の無機質な音を経て、やっと求めていた声が返ってくる。
「……はい」
「美咲?! 説明してくれよ! なんで急にこんな、離婚届って」
淳はキッチンへと向かい冷蔵庫を開ける。中には水のペットボトルがふたつ、それだけだった。
「急? 呆れた。私たち、とっくにこうなっていておかしくなかったのよ? ここまで我慢した私を褒めてほしいくらい」
「ちょっと待って。もしかしてお前、あのことを知って」
「あのことって? ああ、不倫のこと?」
「あ……」
「そんなこと、この際どうでもいいわ。問題は連帯保証人の方よ」
「どうしてそれを」
淳の反応に、美咲は小さくため息をつく。
すぐにまた連絡を取ってくると思われた海里からのコンタクトは未だなく、借金の取り立てや身辺での不穏な動きも特にない。
年も明け、平穏な日常を取り戻しつつあった淳は安堵していた。
「お疲れ様でした」
定時。勤め先である大学病院を出ると、ちょうどスマートフォンに着信が入った。メッセージだ。
“ねえ、仕事おわった? 今夜会える?”
淳は送り主を確認すると、メッセージを既読にもせずにすぐにアプリを閉じた。
淳の不倫相手は、同じ大学病院内に勤める看護師だった。淳よりはいくつも年が上だし、魔が差したと言えばそれまで。淳は相手のことを特に好きでも嫌いでもなく、執着もない。
たまたま同じ時間帯によく勤務が重なり、たまたま話す機会が多かった。夜勤、手持ち無沙汰な暇を潰すのに都合がよかった。相手は淳が妻帯者であることを理解していたし、特に連絡をせずとも向こうから連絡を入れてくることは滅多になかった。
それが、最近になってこうして頻繁に連絡を寄越すようになった。理由は単純。
“もう二度と連絡しないでほしい。連絡先も消してくれ。さようなら”
そう淳が一通メッセージを入れた途端、女は今までの淡白さが嘘のように淳を追いかけてきた。
それまで何週間も音沙汰のない状況に文句ひとつ言わなかった女が、だ。
人の感情とは時に、どう振り切れるかわからない。そんなことを滔々と脳内に廻らせながら、淳は家までの帰路を最短で歩き続けた。
マンションのオートロックを解除し、エレベーターで3階へ。踊り場を抜け、見慣れたドアの穴に鍵を挿し、回した。
「ただいまー」
玄関。淳は、すぐに異変に気がつく。
いつもなら灯りのついている室内が、深夜の如く真っ暗で静まり返っているからだ。
「おーい、美咲? いないのか?」
これまた、いつもなら出されているはずのスリッパを淳は自分で棚から取り出し、履く。
そうしてリビングへの扉を開け、壁の照明スイッチを2、3個適当につけると、淳は衝撃の光景を目の当たりにした。
「なんだよ、これ」
リビングの中心に立ち、360度ぐるりと見回す。
60インチ液晶テレビ、それから観葉植物のアレカヤシ。壁に吊るされたカレンダーに、海外に特注した高級ソファ。ペルシャ絨毯、バカラの並ぶグラス棚、淡いクリーム色のカーテン、テーブルの中央に置かれた訳の分からないフルーツたち。
その何もかもが、ごっそり丸ごと消えていた。
「おい、美咲。みさ……き」
淳が一歩踏み出したその足に、カサっと違和感のある音が鳴る。
下を向き、自らの足に潰されたくしゃくしゃの紙を手に取れば、淳の瞳は動揺で揺れた。
淳は慌てて鞄からスマートフォンを取り出すと、美咲の連絡先を表示して画面をタップした。
コール音が1回、2回。13回目の無機質な音を経て、やっと求めていた声が返ってくる。
「……はい」
「美咲?! 説明してくれよ! なんで急にこんな、離婚届って」
淳はキッチンへと向かい冷蔵庫を開ける。中には水のペットボトルがふたつ、それだけだった。
「急? 呆れた。私たち、とっくにこうなっていておかしくなかったのよ? ここまで我慢した私を褒めてほしいくらい」
「ちょっと待って。もしかしてお前、あのことを知って」
「あのことって? ああ、不倫のこと?」
「あ……」
「そんなこと、この際どうでもいいわ。問題は連帯保証人の方よ」
「どうしてそれを」
淳の反応に、美咲は小さくため息をつく。
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