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 次の日。瑛山えいざんから調査報告のメールが届いたのは、午前十一時。

 遥は資料を精査し、昼過ぎに春野彩美を呼び出した。涼子、それから刑事の九条にも探偵事務所に来てもらい、事情を話す。
 
「どういうことなのかご説明いただけますか」 
 
 遥は彩美に資料を差し出した。
 
「あなたのことを調べさせてもらいました」
 
 春野彩美。本名、竹林彩美たけばやしあやみ。春野は母方の姓だという。彩美が十二歳の時、母が事故死。今はアパートで一人暮らしをしており、看護師として働いているというのは事実だった。
 
「十三年前に洸太さんが起こした事故。その被害者の竹林弥生たけばやしやよいさんは、あなたの母親だったんですね」
 
 彩美は黙っている。
 
「洸太さんとアプリで出会ったというのも嘘。目的はなんですか? 母親を殺した洸太さんをアクビスの里から連れ出して、復讐でもするつもりですか」
「それは違います! 洸太くんは母を殺していない!」
 
 彩美は立ち上がって声を上げたが、すぐにまたソファーに座った。
 
「確かに私は、母が死んだ事故のことをずっと調べていました。あの日、私は大切なぬいぐるみを外でなくして泣いていて。見兼ねた母は、大雨のなか外に探しに出てくれた。でもすぐに大きな衝突音がして……心配になって外に出てみても、母はどこにもいなかった。夜で辺りも暗くて、私は頭が真っ白になってその場に立ち尽くしました。でもその時に見たんです。黒い原付バイクを押しながら歩いて去っていく、人影を。
 
 それから三日後。歩道脇のガードレールを超えた下の林の中で彩美の母は見つかった。

 彩美は記憶していたナンバーを警察に伝えたが、原付バイクは特定できず。彩美の母親は雨で視界が悪いなか足を滑らせ、転落したことによる事故死。それ以上の捜査はされなかった。
 
「おかしいでしょう? 私ははっきりとナンバーを覚えている……今でも! なのに警察は捜査を打ち切った! そんなこと、絶対に認められない!!」
 
 興奮する彩美。すると九条は記憶を探るように口を開いた。
 
「君は……あの時の、女の子か」
 
 彩美は一瞬俯いたが、そのまま話を続ける。
 
「……二ヶ月前、洸太くんは突然私の元にやってきました」
 
 洸太は彩美の姿を見るや否や、土下座をして謝った。
 
「洸太くんはずっと、罪の意識にさいなまれていました。私が情報を求めてビラを配る姿も、何度も見たと。そのビラに書かれたバイクのナンバーは間違いなく自分のもの。父親の手前ずっと躊躇していたけれど、とうとう我慢の限界が来て……全てを告白しようと決めた。洸太くんはそう言いました」
 
 だが。洸太が当時の状況を話せば話すほど、彩美はその内容に首を傾げたという。
 
「洸太くんは当時お姉さんとお酒を飲んでいて、氷を買いに行くように言われたんだそうです。もうだいぶ酔っ払っていて、洸太くんは何度もダメだと断った。それでもバイクのそばまで連れて行かれて……そこから、パッタリ記憶がなくなったんだそうです。起きたときには自宅のベッドで横になっていたと」
「そんな状態でバイクを運転するのは、さすがに難しいのでは?」
「その通りです。洸太くんはハメられたんです。その、お姉さんに」
「その状況でなぜ、洸太さんは自分が事故を起こしたと思ったのでしょうか」
 
 遥の問いに、彩美は言いにくそうに答えた。
 
「擦り傷があったそうです。洸太くんの肩、それから顔に」
 
 遥は最悪な状況を想像し、ゾッとする。
 
「警察上層部の父親がいるのですから、洸太さんのお姉さんは最初から揉み消されることを想定して尚、洸太さんに罪を被せた。そしてその濡れ衣の罪を、洸太さんはずっと悔いていたというのですか」 
 
 彩美は頷く。
 
「これは私の勝手な見立てですが、接した限り、洸太くんは強迫性障害きょうはくせいしょうがいなんだと思います」
「強迫性障害?」
「心配事や不安なことに過剰に反応してしまう病気です。例えば家の鍵を掛けたか心配で、確認しに戻ってしまうことは良くありますよね? でも強迫性障害の人は、何度確認しても不安が拭えない。その行為をずっと繰り返してしまいます。洸太さんは母の事故のことを鮮明に覚えていました。でも、全くの記憶違いなんです」
 
 彩美の母が事故に遭ったのは十三年前の十月九日。だが洸太は何度聞いても、十月十日だと答えた。
 
「それに洸太くんは、轢いた母に触れた手に血が付き、それが今でも忘れられないと言いました。あり得ない。犯人はすぐに立ち去っていますし、母の遺体はガードレールを超えた下の林にあったのですから」
「洸太さんはなんらかの方法で作られた記憶を植え付けられた、ということか」
 
 九条の言葉に、彩美は悔しそうに唇を噛んだ。
 
「普通の人ならあり得なくても、洸太さんが強迫性障害であったのならそんなに難しくはないと思います。顔や肩の傷、破損した自分のバイク、欠落した記憶。それらを踏まえた適当な事実を繰り返し言い聞かせられれば……感覚が麻痺して、分からなくなる。残酷なのは、それをした人物が実の姉だと言うこと。洸太くんは無実です。あの女、南雲美帆なぐもみほが全ての元凶なんです」
 
 遥は違和感を口にする。
 
「南雲? 洸太さんのお姉さんは前田姓ではないのですか?」
「事件直後に養子に出されたんです。私はそれも、父親の前田警視監がカムフラージュのためにやったんじゃないかと思っています。仮にも警視監ですよ? 本当は洸太くんではなく美帆のしたことだと分かっていながら、事態を収拾させるために美帆のシナリオを受け入れたんじゃないかと思うんです」
 
 彩美が一通り話し終えると、遥が九条に訊いた。
 
「今の話、九条警部の中でどれくらい信憑性があると考えますか」 
 
 九条はバツが悪そうに手で顔を覆う。
 
「正直かなり高いと言っていいだろう。当時俺はまだ巡査で、現場保存のために駆り出されただけの下っ端だったが、あの事件は確かに不可解だった。言い方は悪いが、事件の規模にしては人員を割き過ぎだったし、さっきの彼女の主張にあったバイクの件や、衝突音がしたという声もいくつかあったのに早々に事故処理された。だが、そうなった一番の理由は、その……」
 
 言いづらそうな九条を察し、彩美が話を続けた。
 
「私の父が、母を早々に火葬してしまったんです。事故というのも、警察が捜査を打ち切ったことも、父は全て受け入れた。父は警察に買収されてしまったんです」
「そんな……」 
 
 涼子は眉間に皺を寄せる。
 
「そのことが分かってからは父とも気まずくなって、父が再婚したのを機に家を出ました。私は母の無念を晴らしたい。あのとき、私がぬいぐるみなんかにこだわらなければ母は死なずに済んだのですから」
 
 沈む空気。だが、次の遥の一言で場は一転する。
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