圭佳国物語

真愛つむり

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第2章

採掘

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 璃珠の死からふた月も経った頃、御所からとある貴人がこの花街にやって来るという噂が流れた。なんでも、妾を探しに来るのだそう。呑気なものだ、と璃茉は思った。まあ庶民の事情など、お偉い様には関係のないことだよなと己を納得させる。

 貴人の姿を一目見に行くという姐たちについていく気など毛頭なかったが、その貴人は傾国の美貌を持つと聞き、少しだけ興味がわいた。この高級妓楼の最高妓女には及ばないにしても、そこまで噂されるだけの美貌、しかも男となれば興味もわくというものだ。璃茉が見てきたのは醜い男か、見た目はマシでも醜い内面を持つ男ばかりだった。

 店の外にはすでに人だかりができ、通りを塞いでいた。背の低い璃茉には何も見えやしないが、人々のざわめき方で察することはできる。遠くのほうから馬車の音が聞こえてきて、月長石の前まで来ると止まった。予想通り、件の貴人は都の花街一の高級妓楼で妾を探すらしい。下りてきた人物の顔を見ようと皆が密集したので、璃茉は群れから離れて、縁石の上に乗った。店の前に咲く色とりどりの花の世話は、見習いである璃茉の仕事だった。

 一瞬、目が合った気がした。いや、気のせいではない。恐らく向こうも密集を避けたいと思ったのだろう、視線を逸らしたのだ。まるで水晶のような瞳だと、璃茉は思った。スッと通った鼻筋、上品な唇、艶やかな長い黒髪。紫がかっているようにも見えるそれは、柔らかな春風にそっと靡いた。貴人はそのまま店に通されると、柘榴婆と二言三言話して奥へと消えていった。

「はあ~、綺麗な御人だったねぇ」

璃茉と同じ禿の子が頬を染めている。たしかに、あれは月長石で最も美しいとされる太夫・雪梅しゅえめいよりも上かもしれない。

「さ、仕事に戻ろう」

璃茉は洗濯場へ急いだ。本来なら稽古をする身分だが、妹を亡くして以降、心落ち着くまではと洗濯の仕事をさせてもらっている。稽古場へと向かう禿の子と別れて洗濯物を回収しに行くと、ほのかに良い香が漂ってきた。きっと例の貴人だろう。まあ、この先一生関わることなどない御人だ。気にしないに限る。璃茉は内心そう呟いて、廊下に出された洗濯物を持ち上げたところ――

ドカッ!

頭が何かにぶつかった。

(はて、頭上に何かあっただろうか)

璃茉がせっかく持ち上げた洗濯籠を落とさぬように振り向くと、そこには雅な姿の男が。どうやら彼の肘がしゃがんでいた璃茉の頭上を通り過ぎようとした時、タイミング悪く璃茉が立ち上がってしまったらしい。

「申し訳ございません」

璃茉はすかさず頭を下げ、すぐにその場を去ろうとした。が、背後から聞こえた「待て」との声には従わざるを得ないだろう。

「それだけか?」

 貴人は機嫌悪く言う。璃茉は首を傾げた。

「この私にぶつかっておいて、それだけなのか?」

土下座でもすべきだっただろうか。それとも、いつぞやの暴君よろしく首でも欲しいのか。こんな禿の命を奪ったところで何にもならないというのに。

「はあ、誠に申し訳ございませんでした」

璃茉は仕方なく膝をつき、頭を床にこすりつけた。

「……う゛っ!?」

璃茉は後頭部に衝撃を受けて呻いた。苦しい。息ができない。

「ふむ……ちゃんと下についてはいるようだな」

上から降ってくる声に答えることはできない。しかし声の主は気にも留めず、こう続けた。

「中には少し浮かせて謝ったふりをする不届き者もいるからな」

紫水しすい様、その辺で」

璃茉には天の声のように聞こえたが、貴人の蛮行を止めたのは御付きの男だった。6尺近くある貴人と同じくらいの背の高さで、より筋肉質である。足を下ろした貴人は「次はないぞ。気をつけろ」と言って去って行った。

 あの男、紫水というのか。クソ野郎だな。璃茉は弱い者に酷い態度をとる人間が嫌いだった。お坊ちゃま育ちでちやほやされるのかもしれないが、ここは花街。高級妓楼で将来の太夫候補に手を上げたとなれば、尊い身分であろうとただでは済まないのが常識。まあ今回は璃茉にも非があるからわざわざ告げ口したりはしないが、別の子が同じような目に遭わないか心配だ。特に虐げられても何も言えない下女なんかは、ああいう男の格好の獲物になる。

「私が守ってやらないと」

璃茉は決意を胸に、洗濯場へ向かった。

 紫水は一泊して帰るらしかった。気に入りの妓女は見つからなかったのだろうか、身請け話は聞こえてこない。よかった、身内ともいうべき妓女たちがあんなクソ野郎に嫁ぐのだけは阻止したい。阻止する力などないけれど。

 身請けはしないまでも相当な金を落としたらしい紫水は、妓女総出で見送ることとなった。見習いの璃茉まで駆り出されたのだから、それはそれは結構な額なのだろう。廊下に並んで待機していると、例の香が匂ってくる。香りだけは良いんだよな、あの男。ああ、顔もか。ぼんやりとそんなことを考えていると、曲がり角の向こうで何かが割れる音がした。紫水がいる方角である。

「なになに、何事?」

「下女が花瓶を割ったみたい」

嫌な予感がして、璃茉は列を離れた。案の定、ひとりの下女が紫水に思い切り睨みつけられている。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「謝って済む問題か?もしや私の足を狙ったのではあるまいな」

「そんな滅相もございません!」

下女は恐縮しきって、まだ破片の散らばる廊下で懸命に土下座をしている。しかし紫水は許すどころか、ますます怒りをあらわにしている。このままではまずい。璃茉はとにかくその場を収めるため、破片の片付けを始めた。

(うわ、やっぱり……)

璃茉の予想通り、下女は破片の上に頭をつけている。わずかだが床板に血が付着していた。

「顔を上げてください、血が出ています」

璃茉の声にハッとして顔を上げた下女だが、紫水の怒りはそれでもおさまらないらしい。

「おい、何を勝手に指示している。私はまだその者を許していない」

「もう謝りましたし、怪我をしています。手当てしなくては」

「そんなもの必要ない。まず私がここを通れるようにしろ」

(こいつ……!!)

璃茉は思わず、紫水を睨みつけた。軽蔑の念がたっぷりと込められた視線に、紫水は無論気がつく。

「おい、なんだその目は。私を馬鹿にしているのか?」

「……」

璃茉は何も言えない自分に腹が立った。本当なら、男を一発はたいて怒鳴りつけてやりたい。しかしそんなことをすれば、店全体が迷惑を被ることになりかねない。

「おい、捕らえろ」

紫水は御付きの者に銘じて璃茉を拘束した。

「不敬罪だ。こちらで処分させてもらう」

紫水はそう言うと、下女が片付けた廊下を通り、店を出て行った。

 璃茉は初めて見る都の景色に目を見張った。璃茉の育った花街も都の中にあるとはいえ、その景観は全くと言っていいほど違う。とにかく派手で色目的の客を引き付ける花街とは裏腹に、自然な色合いで余計な飾りも少ない建造物が多い。紫水の屋敷もまた、広くはあるが派手ではない。殺されに来たのでなければ、璃茉の好みであっただろう。

「お前、名は何という」

「……璃茉と申します」

「璃茉か。年は」

「11になります」

「11? 思ったより幼いな」

紫水は呑気にそんな言葉を紡いだ。これから処刑する女の名など聞いてどうするつもりなのだろう。

「どうだ、私と取引しないか」

紫水は面白い玩具を見つけた子どものような表情で尋ねた。

「取引、ですか?」

「そうだ。私に侮蔑の目を向けたことを謝罪し、今後一生敬うと誓うならば、許して下女にしてやらんこともないぞ」

つまりは、クソ野郎に許しを請うて働くか、死ぬか。璃茉は別にプライドが高いわけではないし、妹の願いも残っている。だがひとつ気がかりなことがある。

「もし私が許しを請うた場合、貴方様は次回も同じことをされるのでしょうか」

「? 当然だろう」

「……そうですか。であれば、私は謝りません」

「!?」

当然謝ってくるものだと思っていた紫水は驚愕した。

「……それでいいのか? 本当に」

「はい。煮るなり焼くなり、好きにしてくださいませ」

無論璃茉とて、これでこの男の何かが変わるとは到底思っていない。ただ、疲れていたのだ。うんざりしていたのだ。

 紫水は部下に命じて、璃茉の身体を再び拘束した。そうして庭に連れ出すと、斧を持ってこさせた。

「言い残すことはあるか?」

このクソ野郎が、そんな言葉をかけてくれるとは意外だった。死にゆく者の言葉を聞く耳が、この男にもあったのだな。

「そうですね、では……」

言いかけたところで、屋敷の中を歩く家臣の話し声が耳に入ってきた。

「例の石だが、これだけ探してないということは、西方にあるんじゃないか?」

「馬鹿、存在しないに決まっているだろう」

「しかしなあ、帝が探しておられるんだぞ」

「死人が蘇る石なんて、帝の考えることはわからん」

『蘇りの石』。璃珠の死後、読み漁った書物にも出てきた。ファンタジーだと気にも留めていなかったが、帝が探している……?

「どうした、早く言え」

紫水は押し黙った璃茉を急かした。

「……紫水様」

「? 何だ、俺の名を知っていたのか」

「先程の条件、まだ生きているでしょうか」

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