1 / 5
第1章
玉の子
しおりを挟む
圭佳国。ここは、とある帝が治める国。警察機構が機能していないとは言わないが、治安はそこそこ悪い。特に田舎の農村ともなれば、貧しさに喘ぎ人減らしをする者も少なくないのだ。
そんな治世の犠牲になった姉妹がいる。璃茉は赤子の頃、妹の璃珠とともに、都の花街に捨てられた。せめて裕福な人に拾ってもらえるようにという、母の最後の愛情だったのだろうか。そんなことは、今となっては知る由もない。
2人を拾ったのは、とある妓楼の楼主だった。楼主は愛らしい女子の赤ん坊を見て、商売道具になるやもしれぬと思った。そこで、将来の太夫候補として、たいそう大事に育てた。歌に管弦、舞に読み書き、算術と、惜しむことなく叩き込む。妹のほうはあまりものにならなかったが、姉は太夫たちにも称賛されるほど立派になった。
「璃珠、また頼める?」
璃珠は芸事が苦手な分、家事に精を出した。特に裁縫の腕は一級品で、店に出しても文句は言われまい。璃茉は厳しい稽古で穴の開いた足袋を、何度となく璃珠に託している。
「はいはい、また穴ね。お姉ちゃんは頑張り屋さんだなあ」
「それほどでもないよ」
もうだいぶ使い古した足袋であるが、新調するのは簡単でない。稼ぎ頭の太夫ともなれば話は別だが、今は見習いの身。裁縫の上手い妹を持って幸運だったと思う。
「う、ゴホッ、ゴホ」
「また咳? やはり一度医者に診てもらったほうが」
「ううん、平気」
璃珠はただの風邪だと言い張る。けれども、ずいぶんと辛そうな咳だ。璃茉は遣り手に頼むことにした。柘榴婆は長年月長石に勤める遣り手で、妓女たちからの信頼も厚い。少々金にうるさいところはあるが、楼主がその辺甘いところを考えるとよい塩梅といえる。
柘榴婆も考えは同じだったらしく、思ったよりもはやく医者を手配してくれた。そして医者は璃珠を診るや否や、病人を隔離するよう言いつけた。はじめ詳しい話はしてくれなかったが、璃茉が姉だと言うと重い口を開いてくれた。璃珠は結核だった。
医者でも薬師でもない璃茉にできることは、なるべく共に時間を過ごすことだけだった。襖越しに、いろいろな話をした。覚えていない故郷のこと、母のこと、父のこと……世話になった姐さんや、拾ってくれた楼主・橄欖様のこと。そして、死後のこと。遺灰は宝石の材料になるという。璃珠は言いづらそうにしながら、しかしはっきりと言った。
「お姉ちゃん。私が死んだら、石にして。ずっとお姉ちゃんの傍にいさせて」
璃茉が素直に頷いてやれないうちに、その時はやってきた。璃珠、享年9。早すぎる死。
こんなことならすぐに頷くんだったと、璃茉は悔いた。しかし灰を宝石にする技術など、一介の妓女が持ち合わせているわけもない。璃茉は焼かれた妹の骨を埋葬する時、灰を少量くすねるだけで精一杯だった。
璃珠の死後、月長石は重い空気に包まれた。あの小さい子がいかに店の空気を明るくしていたか、皆身に染みてわかった。璃茉の落ち込みようはひとしおで、食事もまともに喉を通らない様子であった。心配した姐さんらが買い物に誘っても、下を向くばかり。唯一本を見るときだけは顔を上げ、何やら必死に探していた。それらはみな石、特に宝石に関する書物ばかりだったので、姐さんのひとりが美しい宝石を買ってやると言った。しかし璃茉は断り、こう言ったのだ。
「私の欲しい石は、誰にも用意できません」
と。
そんな治世の犠牲になった姉妹がいる。璃茉は赤子の頃、妹の璃珠とともに、都の花街に捨てられた。せめて裕福な人に拾ってもらえるようにという、母の最後の愛情だったのだろうか。そんなことは、今となっては知る由もない。
2人を拾ったのは、とある妓楼の楼主だった。楼主は愛らしい女子の赤ん坊を見て、商売道具になるやもしれぬと思った。そこで、将来の太夫候補として、たいそう大事に育てた。歌に管弦、舞に読み書き、算術と、惜しむことなく叩き込む。妹のほうはあまりものにならなかったが、姉は太夫たちにも称賛されるほど立派になった。
「璃珠、また頼める?」
璃珠は芸事が苦手な分、家事に精を出した。特に裁縫の腕は一級品で、店に出しても文句は言われまい。璃茉は厳しい稽古で穴の開いた足袋を、何度となく璃珠に託している。
「はいはい、また穴ね。お姉ちゃんは頑張り屋さんだなあ」
「それほどでもないよ」
もうだいぶ使い古した足袋であるが、新調するのは簡単でない。稼ぎ頭の太夫ともなれば話は別だが、今は見習いの身。裁縫の上手い妹を持って幸運だったと思う。
「う、ゴホッ、ゴホ」
「また咳? やはり一度医者に診てもらったほうが」
「ううん、平気」
璃珠はただの風邪だと言い張る。けれども、ずいぶんと辛そうな咳だ。璃茉は遣り手に頼むことにした。柘榴婆は長年月長石に勤める遣り手で、妓女たちからの信頼も厚い。少々金にうるさいところはあるが、楼主がその辺甘いところを考えるとよい塩梅といえる。
柘榴婆も考えは同じだったらしく、思ったよりもはやく医者を手配してくれた。そして医者は璃珠を診るや否や、病人を隔離するよう言いつけた。はじめ詳しい話はしてくれなかったが、璃茉が姉だと言うと重い口を開いてくれた。璃珠は結核だった。
医者でも薬師でもない璃茉にできることは、なるべく共に時間を過ごすことだけだった。襖越しに、いろいろな話をした。覚えていない故郷のこと、母のこと、父のこと……世話になった姐さんや、拾ってくれた楼主・橄欖様のこと。そして、死後のこと。遺灰は宝石の材料になるという。璃珠は言いづらそうにしながら、しかしはっきりと言った。
「お姉ちゃん。私が死んだら、石にして。ずっとお姉ちゃんの傍にいさせて」
璃茉が素直に頷いてやれないうちに、その時はやってきた。璃珠、享年9。早すぎる死。
こんなことならすぐに頷くんだったと、璃茉は悔いた。しかし灰を宝石にする技術など、一介の妓女が持ち合わせているわけもない。璃茉は焼かれた妹の骨を埋葬する時、灰を少量くすねるだけで精一杯だった。
璃珠の死後、月長石は重い空気に包まれた。あの小さい子がいかに店の空気を明るくしていたか、皆身に染みてわかった。璃茉の落ち込みようはひとしおで、食事もまともに喉を通らない様子であった。心配した姐さんらが買い物に誘っても、下を向くばかり。唯一本を見るときだけは顔を上げ、何やら必死に探していた。それらはみな石、特に宝石に関する書物ばかりだったので、姐さんのひとりが美しい宝石を買ってやると言った。しかし璃茉は断り、こう言ったのだ。
「私の欲しい石は、誰にも用意できません」
と。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル
初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。
義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……!
『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527
の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。
※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。
※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。
一ト切り 奈落太夫と堅物与力
相沢泉見@8月時代小説刊行
歴史・時代
一ト切り【いっときり】……線香が燃え尽きるまでの、僅かなあいだ。
奈落大夫の異名を持つ花魁が華麗に謎を解く!
絵師崩れの若者・佐彦は、幕臣一の堅物・見習与力の青木市之進の下男を務めている。
ある日、頭の堅さが仇となって取り調べに行き詰まってしまった市之進は、筆頭与力の父親に「もっと頭を柔らかくしてこい」と言われ、佐彦とともにしぶしぶ吉原へ足を踏み入れた。
そこで出会ったのは、地獄のような恐ろしい柄の着物を纏った目を瞠るほどの美しい花魁・桐花。またの名を、かつての名花魁・地獄太夫にあやかって『奈落太夫』という。
御免色里に来ているにもかかわらず仏頂面を崩さない市之進に向かって、桐花は「困り事があるなら言ってみろ」と持ちかけてきて……。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
女髪結い唄の恋物語
恵美須 一二三
歴史・時代
今は昔、江戸の時代。唄という女髪結いがおりました。
ある日、唄は自分に知らない間に実は許嫁がいたことを知ります。一体、唄の許嫁はどこの誰なのでしょう?
これは、女髪結いの唄にまつわる恋の物語です。
(実際の史実と多少異なる部分があっても、フィクションとしてお許し下さい)
捨松──鹿鳴館に至る道──
渡波みずき
歴史・時代
日本初の女子留学生として、津田梅子らとともにアメリカに十年間の官費留学をしていた山川捨松は、女子教育を志し、大学を卒業した1882(明治15)年の冬、日本に帰国する。だが、前途洋々と思われた帰国後の暮らしには、いくつかの障害が立ちはだかっていた。
豊家軽業夜話
黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。
肩越の逢瀬 韋駄天お吟結髪手控
紅侘助(くれない わびすけ)
歴史・時代
江戸吉原は揚屋町の長屋に住む女髪結師のお吟。
日々の修練から神速の手業を身につけ韋駄天の異名を取るお吟は、ふとしたことから角町の妓楼・揚羽屋の花魁・露菊の髪を結うように頼まれる。
お吟は露菊に辛く悲しいを別れをせねばならなかった思い人の気配を感じ動揺する。
自ら望んで吉原の遊女となった露菊と辛い過去を持つお吟は次第に惹かれ合うようになる。
その二人の逢瀬の背後で、露菊の身請け話が進行していた――
イラストレーター猫月ユキ企画「花魁はなくらべ その弐」参加作。
三國志 on 世説新語
ヘツポツ斎
歴史・時代
三國志のオリジンと言えば「三国志演義」? あるいは正史の「三國志」?
確かに、その辺りが重要です。けど、他の所にもネタが転がっています。
それが「世説新語」。三國志のちょっと後の時代に書かれた人物エピソード集です。当作はそこに載る1130エピソードの中から、三國志に関わる人物(西晋の統一まで)をピックアップ。それらを原文と、その超訳とでお送りします!
※当作はカクヨムさんの「世説新語 on the Web」を起点に、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさん、エブリスタさんにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる