ぬいぐるみ、熊野熊次郎は語る

まさかミケ猫

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ぬいぐるみ、熊野熊次郎は語る

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――熊野熊次郎さん。本日はご多用の中、お時間を割いていただきありがとうございます。

 いや、そんな堅苦しくなくていい。単純な忙しさでいえば、現役で子どもたちの相手をしているぬいぐるみの方が多忙だろう。俺のような隠居ジジイの話が、何か後輩の役に立てばいいが。

――ご謙遜を。後輩ぬいぐるみからすると、あるじが社会人になってからも大切に扱われている熊野氏は憧れですよ。

 良い主に出会ったからなぁ。
 もちろん俺もぬいぐるみとして最善を心がけてはいるし、日々の努力やこだわりなんかもあるが……やはり、最終的には巡り合わせだろうからな。ありがたいことだ。

――なるほど。さっそくですが、いろいろとお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか。熊野氏が今のような生活を送るに至った経緯をお聞きしたいのですが。

 うむ。では僭越ながら話をさせていただこう。多少なりとも後輩たちの参考になる話ができれば、俺も嬉しいからな。



 これは多くのぬいぐるみに共通する話だと思うが、明確な自我を持つタイミングとして「名付け」というのは定番の大イベントだと思っている。

「わぁ、おっきいクマさん!」

 目をキラキラさせる主の姿は、今でも忘れない。
 俺はぬいぐるみ職人による手作りのぬいぐるみであったが、この喜びは工場生産組でも同じことだろう。初めて主の手元に届いて、封を開けられ、大興奮で迎え入れられた時の記憶というのは……とても尊く大切なものだ。

あかねちゃん。この子のお名前はどうするの?」
「そーだなー、どうしよっかな。クマだから……クマじろうにしよう。あなたはクマのクマじろうよ!」

 熊野熊次郎。
 その名前を与えられた瞬間、全身に電流が走ったように――まぁ、ぬいぐるみだから電気は流れないのだが――とにかく強烈な衝撃と共に、それまで無機質だった俺の自我はクッキリと鮮やかになり、固定された。

 当時、主の茜は4歳である。
 誕生日プレゼントに何が欲しいかと問われ、魔法少女の変身グッズにしようか、ミニチュアのドールハウスにしようか、おままごと用のおもちゃ家電にしようか……色々と悩んだ末に、クマのぬいぐるみを選択したそうだ。

「クマじろう。はい、ごはんですよ。テーブルにひじをついたらだめですからね。ばらんすよく、のこさずたべてね」

 どれ、頂くとしようか。
 主は毎回、豪華な食事を用意してくれた。ハンバーグ、オムライス、カレー、ラーメン、切った野菜やゆで卵に、謎のブロックやボールまで。もちろん全ておもちゃだが、俺は毎回感動に震えながら食事をとっていた。これは、他のぬいぐるみたちも共感してくれる部分だろう。

「クマじろう。おふろにはいろうね」

 そうやって、湯に漬けられたこともある。
 主の母親は俺を物干しのところに吊り下げると、ドライヤーを使って丁寧に乾かしてくれた。なかなか楽しい体験ではあったのだが、お母上は「乾かすの大変なのよね」と愚痴をこぼしていた。申し訳ない。

 主が寝小便をしなくなった頃から、俺は夜になると主のベッドの中に招き入れられるようになった。そう。つまり主の夢の中に入り込めるようになったのだ。

「クマじろう、今日はケーキを食べたいな」
「分かった、用意しよう」
「わぁ、こんなにいっぱい。一緒に食べよ?」

 夢の中の世界であれば、ぬいぐるみは自由に動ける。
 俺はおままごとの時以上に色々なモノを食べた。ジャングルの奥地で愉快なサバイバル生活をしたこともあるし、宇宙船に乗って異星を探索したこともある。何より、夢の中では主とたくさんの言葉を交わせるのが最高である。
 もちろん、目が覚めれば主の記憶には残らないのだが。

 主が幼いうちは、そんな楽しい生活を送っていた。
 しかし主が成長するにつれ、そんな夢も少しずつ様変わりしていった。小学校高学年ともなれば、もっと現実的な夢を見るようになったのだ。

「……クマじろうは、シュウヤくんの役ね」
「あぁ。いいだろう」

 すると俺の姿は一瞬で、シュウヤという名の男子小学生のものへと変化する。主は最近、この男の子のことをよく考えているようだった。

 夕暮れに染まる河原の道を、主と二人で歩く。

「シュウヤくん。私のこと、好き?」
「あぁ。俺は茜のことが大好きだぞ」
「えーうそ、本気で言ってる?」
「本当だ。昔からずっと大好きだ」

 俺がそう答えると……主は溜息をついて項垂れる。

「あー……やっぱりリアリティないなぁ」
「そうか?」
「うん。シュウヤくんは最近、マリエちゃんと付き合い始めたんだよね。まぁ、私の顔じゃマリエちゃんには太刀打ちできないのは分かりきったことだけど……シュウヤくんは私のこと、畑のじゃがいもくらいにしか思ってないから」

 俺はあの時、主になんと声をかけるべきだったのだろう。

 あの日からだんだんと、主は俺に抱きついて眠ることをしなくなっていった。夢の中に入れなければ、主と言葉を交わすこともできない。そうして、大抵のぬいぐるみがそうであるように、俺もまた部屋の隅になんとなく飾られるだけの存在になっていったのだ。

 それから何年も何年も……俺にできるのは、主を見守ることだけだった。

 中学生になった主は、以前よりも少し内向的な性格になった。笑うことも少なくなって、周囲から意地悪をされていた時期もあったようだ。
 落ち込んだ日には、ノートに向かって何やらポエムのようなものを書き綴っていた。細かい内容までは知らないが、ずいぶん鬼気迫る様子で書いているので、相当の恨みつらみを込めたのだろう。

 夢の中に連れて行ってくれれば、いくらでも話を聞くのに。俺はいつもそう思いながら、部屋の隅から主のことを見守っていた。

 高校生の頃には手芸部に入り、コスプレ衣装を作成しては鏡の前でポーズを取っていた時期もある。大学生になるとずいぶん垢抜けて、化粧も上手になり、彼氏の家に入り浸ったりもしていた。主が楽しそうにしている様子を見て、俺はホッとしていたのだが。

 主の様子おかしくなったのは、社会人になってからだった。

「私、何のために生きてるんだろう」

 部屋の中でポツリと呟いた主に……しかし、ぬいぐるみに過ぎない俺は、何もできずにいた。

 実家から出て一人暮らしを始めた主は、朝早くに仕事に出て、夜遅くに帰って来る生活をしていた。恋人もなし、友人もなし。趣味に時間をかけるような体力的な余裕も、精神的なゆとりもない。電子レンジで温めるだけの食事は……なぜだろう。俺の目には、子どもの頃のおもちゃのハンバーグより美味しそうには見えなかった。

「どこで何を間違っちゃったのかな……」

 そうして安いお酒で酔っ払った主は。
 泣きそうな顔をしながら、俺に抱きつくようにして、冷たいフローリングの上で眠りに落ちた。



 夢の中の景色は殺伐としていた。
 子ども時代の姿の主が、椅子に座って縮こまっている。その隣には、人型の影のようなモノがガミガミと主を怒鳴りつけていた。正直、聞いていられないような言葉ばかりだ。

 主を酷く責めたてる言葉。
 人間性を、存在価値を否定する言葉。

 夢の世界の空気は淀み、空は今にも泣き出しそう。昔はあんなに豊かだった世界が、あちこち崩れ、潰れ、枯れ果てている。あぁ……こんな風になるまできっと、たくさんたくさん、大変なことがあったんだろう。

 口汚く怒鳴り続ける人型の影。
 俺はそれに近づくと……静かに抱きしめる。

「主。それはダメだ。良くない」
「……クマじろう?」

 抱きしめた影からは、ポロポロと表面が剥がれるようにして……大人になった主の、涙を流す姿が現れる。気がつけば、椅子に座っていた子ども姿の主は消え去り、空からはポツリポツリと雨粒が降り始めていた。

「大好きな主が、自分で自分を責めていたら、俺は悲しい。それは……とても良くないことだと思う」
「クマじろう……私……もうなんか、分かんなくなっちゃって……いろんなこと……どうしたらいいのか、ほんとに全然、何も分かんなくなっちゃって」
「……いいんだよ。分からなくたって」

 俺は主の頭をポンポンと撫でる。

「夢の中の出来事なんて、主は覚えてないだろうけどさ。昔、主と行った宇宙旅行は楽しかったなぁ……どんぐり星人の主食はどんぐりなんだけど、『それって共食いじゃないの?』って主が指摘したんだ。そうしたら世界が急にホラーになって。慌てて宇宙船で脱出する羽目になったり」
「……そんなことあったっけ」
「あとはそう、名探偵になった主が洋館に閉じ込められるんだけど、あまりにビビるもんだから事件を起こすのをやめにしたこともあったんだ。結果的に『ただ閉じ込められた人々』ってだけで夢が終わってな」
「記憶にないなぁ……ふふ」

 主は涙でぐちゃぐちゃの顔を俺に押し付けながら、少しずつ呼吸を落ち着けていく。あぁ、こうしていると子どもの頃を思い出すなぁ。親に叱られた時、友達とケンカした時、テストで赤点を取った時……よくこうやって頭をポンポンと撫でたものだ。

「俺は主のことが大好きだ。昔から変わらず、今でも。これから先もずっと。だから、そんな風に主が自分を責めていると悲しくなってしまう」
「……そっかぁ」
「俺は所詮ぬいぐるみだし、難しいことは分からない。でも、主には楽しく生きてほしいんだ。ポエムを書いたり、コスプレ衣装を作ったり。それで……たまに俺を夢の中に呼んでくれたりしたら、それ以上の幸せはない」

 俺がそう言うと、主は「黒歴史が混じってんだよなぁ」と言いながら……照れくさそうに頬を掻いて、口の端を小さく持ち上げる。

「決めた。私、仕事やめるよ」
「それがいい」
「ふふ。久しぶりに手芸でもやろうかなぁ」

 そう言った主は、笑っているのか泣いているのか、良くわからない顔をしながら俺の頭をガシガシと撫でた。

 夢の中のことは、記憶には残らない。
 だけれど翌朝になると、主はなにやらスッキリした顔でどこかに電話をかけ、仕事をやめる手続きを淡々とこなした。しばらくの間は失業手当を受け取りながら、次の仕事はのんびり探すことにしたらしい。



――それが、今や世界的に大人気のぬいぐるみ職人Akaneの誕生秘話であると。そういうわけですね。

 まぁ、その後も色々とあったがな。
 あれから俺は再び、主の夢の中に呼ばれるようになった。遊んだり愚痴を聞いたり……主自身、明確に夢の記憶を残しているわけではないようだが、なんだか俺のことを前より大切に扱ってくれるようになってな。幸せな暮らしをしているよ。

――現在はどういった活動を?

 そうだな。主はぬいぐるみを作ってるからな。後輩たちが出荷される前に、俺の体験してきたことを語って聞かせてやってるくらいか。ちょうど今、お前さんに向かって話してるのと同じ感じで、インタビューに答えたりとかな。

 お前さんもそろそろ出荷だろう。
 どこに行く予定なんだ。

――はい。北海道で暮らしてる女の子のところに送られるらしいです。

 そうか、それは楽しみだな。
 ぬいぐるみとの接し方は人それぞれだが、主の作ったぬいぐるみは子どもたちにかなり好評だと聞いている。これからお前さんがその子とどんな関係を築いていくにしろ、素敵な生活を送れることを願っているよ。

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