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1章無色透明な習作
3打ち砕かれる幻想
しおりを挟む「なんだ、あれは?」
渡界人の部屋に通された私は古めかしい巨大な鏡に目を奪われた。
その天井に届かんばかりの鏡は現代のアパートよりも中世の古城にこそ相応しい。
ただし、ロマンスではなくホラーの舞台としての、という意味である。
コポコポコポコポ
部屋の主以上に奇怪な印象を与える鏡を見つめている私に何かの液体が注がれる音が聞こえた。
ギョッとして音のした方を見ると私から見て左の壁一面に低い収納棚があってその上に無造作に置かれている空の試験管の一つに黄金の液体が見えないヤカンか急須から注がれるように満たされていくのを私は呆然と見ていた。
その収納棚には他に何かの実験とか調合につかうようなすり鉢とかバーナーの様な物があった。
「さて、これから何があっても声を出してはいけないよ。君がするのは頷く事だけだ。いいね」
有無を言わせない渡の声に私は頷くしかなかった。
暫くしてその巨大な鏡にある女性の姿が映し出された。
(女神様)
思わずそう呟いた当時の私を笑う者はいないだろう。
その鏡に映った女性は10人が10人思い描くであろう女神の姿をしていた。
すなわち真っ白なワンピース状の神聖さを感じさせる衣
腰まである豊かな金髪
荘厳さと知性と美貌、いやこの世の徳を全て集めたような完璧な外見を備えたこの女性を見たら誰もが私と同じ感想を持つに違いない。
だがその話す言葉はすぐに私を失望いや、幻滅させることになる。
「相棒を雇ったのですか」
「仕事によっては、です」
私は頷く。
女神はそれきり私に関心を無くしたようで
「報酬はこれで良いでしょうね」
「もちろんです、女神シールト」
「送られてきた戦士ですが・・・私は慎重な者をと言いましたが疑り深い人間を寄こせとは言いませんでしたよ。おかげで超常の力を与えたり、その許可を大神ゾマーに申請するなどの余計な手間がかかったので、その手間賃を差し引いた額を振り込んでおきました」
「心中お察しします。ですが最適の人材を送ったと自負していますよ。それくらいでないとあなたの世界ガムシャラットで悪神討伐など到底出来ないと考えましたのでね」
「あの性格でうまくやれるでしょうか?そこだけが心配しているのですよ。何しろ安くはない代償を払っているのですからね」
「最初こそギクシャクするでしょうが時間と共に解消されますよ。今回そちらに送り込んだ惟賀正義の精神構造はあの男のいた世界、つまり我々の世界よりもガムシャラットの世界の住人のそれの方がはるかになじみがあるはずです」
女神はその美しい顔を右に反らすと
「その通りのようですね。今我が民草と意気投合して最初の四天王を倒しましたよ。これならきっと使命を果たしてくれるでしょう。なるほど評判は伊達ではないようですね」
「もちろん」
「それでは。又何かあったらまた依頼をします」
そう言って女神の姿は鏡の中から消えた。
この会見の間私はずっと黙っていた。
(金・金・金!女神として恥ずかしくないのか!)
私は怒りのあまり危うく声が出そうになったが理性を総動員して思いとどまった
神や女神とは世間から隔絶された、超然の存在でなければならない。
だが目の前の女神はその美の女神ビーナスもかくやという美貌と知恵の女神アテナに匹敵するであろう知性を感じさせる瞳と声を持ちながら、話す内容は俗悪極まる金や他の神々達との上下関係を思わせる内容なのである。
言い換えれば学園一の高嶺の華と思われていた憧れの美少女が実はパートのおばちゃんが友人共と場もわきまえずにしゃべり散らかすあの下世話な話をしているところを想像して欲しい。
百年の恋など一瞬にして覚めるという物である。
今私はそれと同じ感覚を味わっていた。
しかし私のこの考えをもし誰かに、よもや身内に聞かれでもしたら私の家族親類は確実に私に精神科の受診を勧めるだろう。
それくらい胸の奥底に秘めた神聖な思いだったのである。
私は今日この日自分が一番大切にしていた物を汚されたという思いで暫く呆然と突っ立っていた。
それも無慈悲に思える笑いで中断され、キッとなってその声の主に私は噛みついた。
「君は、お前という奴は本当に人の心の分からない奴だな」
「そりゃあおかしいさ。常識人代表と見える奴がこと異世界関連となると超速理解というかなんでも受け入れてしまうんだからね。そしてその舞台裏を知って打ちのめされているといったところか。さしずめ君は現代のドン・キホーテだな」
「君の言っている事は分からないが、バカにされているというのはわかるぞ」
「どうするね?物事の片方だけを見てやめちまうかい?物事のもう片方、つまり僕が送り込んだ男についても知っておきたいかね?現代と異世界この両方の人物がいて初めて僕の仕事は成立するんだが、あの女神の依頼を僕がどう解釈し、なぜあの男を選んだか知りたくはないか?」
私としてはこれ以上自分の理想を汚されたくないとの思いと理想はもはや地に落ちているのだからこれ以上悪くなりようがないのだというもう一つの考えの2つで揺れ動いていた。
だが異世界転生あるいは転移が現実のものである以上はその仕組みが例え現実的で興ざめするような内容でも知っておきたいという探求心が勝った。
「そいつの、惟賀という人の家族の所へ行くのか?」
「いや、彼の住んでいるアパートに行く。だがそれは明日だ。もう遅いから、大家さんにも迷惑がかかる。その時に色々と説明してあげよう。だが今は何か食べよう。お互い仕事帰りで空腹だろう」
そう言うと渡は黄金の液に満たされた試験管を逆さにする。
すると試験管からこぼれた液体がたちまち固形物として彼のもう一方の手に落ちた。
「き、金の延べ棒」
正直食欲なぞなかったがゲームのグラフィックでしか見たことのない黄金の塊を見て、私の心は踊った。
そして同時に豪勢な食事にありつけるという算段が私の腹の虫を刺激するのだった。
近くの買取屋と渡はなじみらしく、6桁の数字の現金をさも当然の様にやり取りし、渡がそれを封筒にしまうのを横目で見ながら私の期待はいやがうえにも高まった。
1時間後確かに私達は豪遊した。
駅前のファミレスの一番高い物を頼むという形で。
食事の最中、彼は自分の仕事については何も話さなかった。
そして不思議な事に私達の隣の席で私達2人と同じくらい食べていた客の支払いさえしていた。
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