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伯爵令嬢ジニアは、公爵令嬢カッシーナに婚約者を奪われた。

カッシーナに言い寄られた婚約者はあっさりジニアとの婚約を解消した。
侯爵家の子息は、ジニアのことなど気遣うことなく望まれるままカッシーナと新たな婚約を果たした。


公爵令嬢カッシーナ、彼女の評判はあまり良くない。

最近王太子の妃候補から落選した彼女には当然婚約者はいなかった。
まさか落とされるなどと考えていなかった公爵は慌てて娘の相手に見合う者を探していたようだけれど、彼女はお気に召さなかった。


婚約者がいようがいまいが彼女はおかまいなしに男を物色した。
白羽の矢が立ったのが、ジニアの婚約者、侯爵家の子息。

だが、そんなことは今となってはどうでも良い。
侯爵子息との婚約を解消して間もなく、ジニアは早々に新たな婚約者を迎えた。


そんなジニアに嫌がらせのつもりか、元婚約者との仲をみせつけたいのか、カッシーナは婚約発表の場にジニアを招待した。
彼女の性格の悪さが現れている。
爵位の低い此方はこの招待を断ることはできない。

-----

当日。
公爵家の広い会場に着くなり、当のご令嬢がわざわざやってきた。
挨拶もそこそこに「そういえば」と切り出される。


「いそいで見繕った相手を婚約者にしたそうね?
そんなに焦って決めてしまったよろしかったの?ジニア様」

カッシーナに心配そうな言葉をかけられるが、その面は嘲笑を隠していない。

「問題ありません」

ジニアは真っ直ぐ彼女を見据えて答える。
堂々とした態度にカッシーナは鼻白んだ。

そんな折、急に周りがざわついた。

入り口から足早にやってきた男は、ジニアを見つけ、真っ直ぐ向かって来る。

「遅くなった」

突然現れた長身の男は、王都では見かけない顔だ。
焼けた肌に精悍な顔立ち、高い背丈のせいもあり、どこにいてもよく目立つ。
周囲の令嬢がどちらの殿方かしらと沸き立つのも無理はない。

「ええっと、あなたは…?」

カッシーナは頬を染め、恥ずかしそうに扇子で口元を隠した。
彼の外見が好みだったのだろうか。
だとしたら、侯爵家のあの男を選んだのはそれ以外の理由だろう。
元婚約者は顔は良いが、彼とは違って色白の線の細い男だった。

ジニアは眩しそうに婚約者を見上げる。

「ハルト様」
「婚約者殿、一人にして済まない」

彼はジニアの手を取り、甲に口付けた。
この作法は王都ではもうされていない。
作法にも流行り廃れがある。
しかし彼のそれは絵になった。
絵本の王子様というよりは、忠誠を示す騎士のようだ。

公爵令嬢を無視してしまっていることをさらりと彼に伝える。

「ハルト様、こちらが本日の主役の…」
「あぁ、婚約おめでとうございます」
「いえその、」

カッシーナはハルト様を上から下に舐めるように見つめる。

「貴方が良ければ貴方を私の婚約者にしてもよろしくてよ?」

にこりを微笑む公爵令嬢は図々しくも人の婚約者に笑えない冗談を放った。

「いえ。私のような田舎貴族を揶揄わないで頂きたい」

ジニアはおやっとハルトを見上げた。
先程より声のトーンが下がっている。これは、少し機嫌が悪くなったようだ。

普段の気安い口調と、表情豊かな彼は鳴りを潜めた。
面には出していないが、余程気分を害しているのかジニアの腰に添える手に力が入った。

「田舎貴族…?」
「辺境に住んでおります」

まぁ、と驚く公爵令嬢の「…王都外の貴族は考慮してなかったわ…このような良い男がまだ…」との呟きを拾えたのは立ち位置から恐らくジニアだけだろう。

「では、初めての王都ですの?よければご案内しましょうか?」

ぐいぐいと人の婚約者に言い寄り始めた公爵令嬢。
婚約発表の場だということを忘れてしまったかのように人の婚約者を誘う。

「いえ。王都には父が居りますから初めてでは…。しかし、あまり長居はしたくない場所ですね」
「お父様…?辺境伯が王都にいらっしゃるの?」

辺境の主でありながら王都にも屋敷を構えている。
国王陛下より褒賞として賜ったものだ。

王都に屋敷があるならば、なんの問題もないではないかとカッシーナは瞳を煌めかせた。

「辺境伯?いえ。父はただの公爵です。若輩ながら私が辺境伯です」
「…まぁ…すでにご当主なのですね」

狙いを定めた公爵令嬢は舌なめずりをせんばかりにハルトに秋波を送る。
しかし、当の本人は反応しなかった。
むしろ、ハルトの苛立ちがジニアには見えた。
早く解放しろと心の声が聞こえてくるようだ。
ジニアはひやひやと二人を見守るしかない。

「ここにいたのですね。愛しのー」

他の貴族に挨拶をしていた元婚約者、侯爵子息が空気を読まずカッシーナの元にやってきた。
彼女は舌打ちせんばかりに侯爵子息を睨む。

「馴れ馴れしくしないで下さいませ」

婚約者だというのに侯爵子息に冷たく言い放つ。
言われた当人は公爵令嬢の言葉に動揺していた。

「では我々はこれで」

ハルトはここぞとばかりにその場から離れようとした。

「お待ちに、もう少しお話を」

慌てたカッシーナに頭を軽く下げ、「またの機会に」となかば強引に立ち去った。


-----

「なんだったんだあれは」
「さぁ…」

馬車に揺られ二人は向かい合って座っていた。
嬉々とジニアに対してマウントを取っていた公爵令嬢は、最終的に悔し気に睨みつけていた。

「あの男もあの男でちゃんと婚約者を管理しておけよ。勝手な婚約を押し付けたくせに」

そうなのだ。
そもそも、最初から元婚約者の侯爵子息はカッシーナ狙いだったのだ。

蓼食う虫もなんとやら。
公爵令嬢が王太子の妃候補から落選してすぐ、釣書を送ったらしいが梨の礫だったようだ。

『私に見合う年頃で、婚約できていない子息など何か問題があるはずよ。婚約者のいる子息から相手を見つけるわ』

カッシーナがそう溢していた事を公爵家の使用人から聞き出し、婚約者のいなかったジニアと強引に婚約した。

『私の女神カッシーナ嬢と結ばれるための仮の婚約だ。私の心を得ようとなどと考えるなよ』

あの子息にははじめにそう釘を刺された。
爵位上断れず、解消を前提とした婚約だったのだ。

そんな婚約に未練もクソもない。
カッシーナに煽られた所でなにを思うわけもない。

「とりあえず、親父には一言文句を言っておきたいところだな」

ハルトとの婚約が遅れたせいでジニアは侯爵子息との仮初の婚約を受けざるを得なかった。
ジニアとの婚約に待ったをかけた元凶である父親に、ハルトの怒りの矛先が向いた。

二人を乗せた馬車が王都にあるハルトの父の屋敷、公爵家に着くなり、ジニアは大歓迎を受けた。

「ジニアー久しいなぁー!」

公爵にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、ハルトに引き剥がされる。
懐かしい、昔はよくあったやり取りだった。

「他の男と婚約したと聞いたときは、とうとう愚息に愛想を尽かされたのかと思ったが…」
「親父のせいだろうが」

目線を外して空恍ける公爵を睨みつけるハルト。

「なんだか、機嫌悪くないか?」

公爵からにこっそり耳打ちされるが、ジニアは返答に窮した。なんと答えたらいいものか。
そんなやり取りをしているところに、来客を伝えられる。

-----
応接間に案内されたのは、公爵令嬢のカッシーナだった。
なんと彼女は、自分の婚約発表の場を放り出して追って来たようだ。

はじめは公爵が対応していたが、面倒くさそうな状況になりそうな空気を察し、ハルトともに立ち去ろうとするジニア達を呼び止め、話がしたいと引かなかった。
公爵はカッシーナを無下にもできず仕方無しに応接間に通した。



「それで、なんの御用でしょうか」

ソファに対面する形でカッシーナの向かいにハルトが座る。
ジニアはハルトの隣に座ろうとして、腰を引かれて彼の膝に座らされた。

「ハルッ」

婚約者だけれども、さすがに羞恥した。
ハルトはハルトで、素知らぬ顔でジニアの尻をさらりと撫でる。
カッシーナの前で叱りつけることもできず、しぶしぶされるがままにその腕の中にジニアはおとなしく収まった。

「…仲がよろしいのですね」

カッシーナは目を細めてジニアを睨む。

「用件は一体なんでしょうか」

ハルトは重ねるように問う。
その目はさきほどまでの外向きの繕った表情ではない。

「考えましたの。ジニアさんを第二夫人として認めますわ。ですから、…問題は解決されるかと」
「…」

カッシーナの言葉の意味を二人はすぐに理解できなかった。

「全く意味がわからん」

ハルトはもう完全に外行きの顔をやめてしまった。
そんな彼の言葉には同意しかないけれど。

「ですから、ジニアさんを第二夫人として」
「まさかと思うが、アンタは俺の正妻に収まりたいなどと考えているのか?」

馬鹿にするように鼻で笑う。
ハルトの態度にカッシーナは言葉に詰まった。
男を手玉にとってきた渾身の笑みも譲歩も、ハルトには通用しなかった。

「アンタ、特技はなんだ」

ハルトの突然の質問に戸惑う。

「うちのジニーより秀でているものがあるのか?」

ああ、そういう事ね。
カッシーナはすぐに気を取り直して、趣味と特技をつらつらと上げていく。

「…そちらのお嬢さんよりは、色々嗜んでおりますわ」
「そうか。なら何体倒せる?」

カッシーナは意味がわからず首をかしげた。

「うちは辺境警備を生業としている。野盗も獣も魔物も相手にしなければならない。何体まで相手にできる?」

ハルトの言葉にカッシーナは答えられなかった。
バイオリンもピアノも刺繍もダンスも、侵入者を対処できるものではない。

「…私は女ですが」
「それがどうした?女だったら野盗や魔物には襲われないと思っているのか?」
「…妻を守るのが夫の定めなのでは」
「そうか。ならば夫を守るのは誰だ」
「…腕の良い警備兵を雇えば良いだけではないですか」
「だめだな。全然わかってない」

ハルトは、苛立ちを発散させるためにジニアにちょっかいをかけている。
つまりカッシーナの前でいちゃついているわけだが。

「知らないのなら教えてやる。金で雇われた人間は金で裏切るんだ」

辺境に国内外から間者を紛れ込ませようするのはよくあることだ。
だから、ハルトの領地には気心のしれた昔からの仲間しか駐在していない。

「野盗一人対処できない人材はうちには要らない。足手まといだ」

きっぱりと拒否されカッシーナは口をつぐんだ。
キッとハルトを睨みつける。

「ならば、そちらの令嬢はどうですの?まさか対処できますの?まぁ恐ろしい」
「当然だ。死にたくなければ力は必要だ。アンタ一人射殺すことなど造作もない」

ハルトとの婚約が遅れた理由でもある。
ハルトの父、公爵からの婚約の条件がそれだった。

武術の獲得。
辺境伯の妻は危険に晒されることもあるだろうと想定した上での条件だった。
目を光らせているハルトでも常に側にいるとは限らない。
己の実は己で守らなければ辺境では生きられない。

ハルトは嬉しそうにジニアの弓の腕前を語る。
恥ずかしいからやめてくれと肩を叩いても一向に収まらない。

「左様ですか。ジニアさんはさぞ素晴らしい兵士なのでしょうね。ぜひ皆様に知っていただかねば」

やさしい口調ではあるが、これは暗に良くない噂をばら撒かれるだろうことは予想がついた。
彼女も披露の場を放り出してハルトを追って来ておいて、相手にされなかったと手ぶらで帰るわけにはいかないのだろう。

本当はハルトを陥れたいのだろうが、今は辺境伯だが公爵の子息でもある彼を相手にするには分が悪いと算段してジニアに矛先が向いた。

しかし王都でどんな噂になっても辺境へ嫁ぐジニアには関係ない。
好きにすれば良いと思っていた。


「…兵士といえば。本人から聞いた話ですがこんな話知っていますか?」

急にハルトの口調が外行き用のものに戻った。
このような話し方をするのは、公の場と交渉の場、あとは腹にすえかねた時。
なにかがハルトの逆鱗に触れてしまったようだ。

「殿下の婚約者候補だった令嬢が候補を降ろされた話ですが、それがどうやら殿下付きの近衛兵が部屋にいたところに忍び入って、股を開いていたらしいんですよね。それを殿下に見つかって、王城を放り出されたとか」

カッシーナは一瞬顔色を変えた。
そんな衝撃的な話は人の口に上りそうなものだが今まで聞いたことはない。

「…とんでもない話ですわね。しかしそんな事実はありませんわ。誰からそんなデマ話をきいたのかしら」

いつもの調子に戻ったカッシーナは、口角を上げて笑う。

「ええ。令嬢の実家が金と人を使って揉み消したそうですからね。ですが、から聞いたので間違いはないかと」

「ふふふ、ならばおつきあいを考えたほうがよろしくてよ。そのような法螺話を噂する人間との」

「そうですか?信頼する友人なのですが」

「どうせ、下賎な近衛兵の作り話でしょう?浅ましい」

「下賎な者が近衛になれるとは思えませんが、そうですか。貴女は私の友人を信用に値しない浅ましい人間だと思われているのですね。
…仮にも婚約者候補だった相手をそう思っていたとはね。婚約が成立する前で良かった。」

カッシーナは眉を寄せた。
ハルトの言葉をゆっくり咀嚼しているようだった。

「ご友人とは、あの近衛の事では」
「どの近衛か知りませんが。私の友人は王太子殿下ですよ」

「なっ!」

「彼曰く、部屋の扉を開けてみれば、王太子の婚約者候補のご令嬢が近衛の前で足を開いて誘っていて驚いたらしいですよ。なんだったか、『貴方の剣を私の鞘に納めて』でしたか?」

カッシーナは顔を一瞬で真っ赤にしてプルプルと震えていた。

「も、もう、失礼するわ!」

立ち上がるカッシーナに続いてハルトもジニアを抱き上げ立ち上がった。

「ああそうだ。うちのジニーの頼りがいのある話を皆さんにしてさしあげるのでしたっけ。
ならば私もこの面白い話を是非聞いて貰いましょう。
ジニー、再び公爵令嬢殿の婚約披露の会場に赴くぞ」

ジニアが彼の腕から見上げれば、悪い顔をしている。
敵を前にした時によく見せる顔だ。
ジニアはこの顔を比較的好いている。

目を見開いて口をぱくつかせるカッシーナの顔色は悪い。

「い、え…もうお祝いの言葉は頂きましたし…お戻りいただく必要は…」

あの話を暴露されたらカッシーナの婚約は無くなるかもしれない。
カッシーナの実家はもう陛下や王太子から見放されている。

公爵家は使用人に金を握らせ黙らせたが、いつこの話が外に出るかわからない。
知られる前になんとか他の家と繋ぎを取っておきたかったのはカッシーナの父親だった。
力のある貴族に嫁がせたかったが、カッシーナの我侭でそれも叶わなかった。

「他の者の口を封じても、さすがの公爵家といえど殿下の口までは封じれなかったようですね。
ちなみにお教えしましょう。金で黙らせた者は、金で口を開くんですよ。知っておいたほうが良い」

ジニアの耳を塞ぎ、カッシーナの耳元でハルトが囁く。
カッシーナはすっかり顔の色を失い、令嬢とは思えない行儀の悪さで屋敷から去っていった。

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