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二
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ミレーユは微睡んでいた。
朧気に侯爵の顔が目の前に現れる。
『あの馬鹿は』
苦々しく吐き捨てた侯爵の顔が歪む。
『愛人のことは結婚してから伝えろと言っておいたのに』
(ああ、コレは)
あのときの記憶だ。
ミレーユは、婚姻前から不貞の報告をしてきた婚約者の事を、侯爵に話した。
どういうことなのか、と。
話が違うではないかと。
その応えが、先程の台詞だった。
「…侯爵様が婚姻前から愛人を認めていたというのは、本当だったのですね」
ミレーユは裏切られた。
侯爵家に嫁いでくれたらミレーユを大事にすると侯爵は言った。
社交界では、【融通の効かぬ頑固者だが嘘や偽りを嫌う男】として有名であったのに。
侯爵夫人は不貞をして離縁された。
侯爵には愛人などいなかったから、妻の裏切りが許せなかった。
愛人を持つ者にも、不貞を悪びれない者にも、嫌悪を見せていた侯爵が、自身の息子には容認しているなんて。
「貴族の婚姻は政略であることが多い…」
「…」
「愛人をもつ貴族も少なくはないだろう」
まさか、だった。
侯爵の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「ミレーユ嬢には申し訳ないが、契約で成ったこの婚姻を破棄する気も解消する気も此方にはない」
貴族なら愛だなんだとごねても意味はないことはわかっているが、悔しかった。
「…本当は、結婚の後に伝えるつもりだった」
侯爵の呟きに続く言葉は、トントンという規則正しい音に打ち消された。
扉のノックでミレーユは目覚めた。
足の間に溜まる違和感に、身体にかけられていたブランケットを剥いだ。
股を伝う白濁に、昨夜の事を思い出す。
当然のように隣にはもう男の居た痕跡はない。
乱れたはずのシーツは清潔なものに変わっている。
自分から言い出したこととはいえ、本当にカーテンの隙間から朝日が刺すまで男はミレーユの中に放ち続けた。
途中何度か意識がなくなっていたけれど、「これは義務だから」と男は何度も呟いて、ミレーユから抜け出すことはなかった。
もう一度、扉を叩く音がした。
返事をすると、ゆっくり扉が開き、侯爵の補佐をしている秘書が顔を出した。
「おはよう御座います。体調は如何ですか」
秘書、というよりも護衛と言ったほうがしっくりくる、がっしりとした体格の長身の男は姿勢正しく扉の位置からミレーユに声をかけた。
そっと視線を逸らされたのは、ミレーユが一糸まとわぬ姿で横たわっているせいだろう。
曲がりなりにも貴族令嬢として生きてきていたので、使用人に裸を見せることに羞恥はない。
侯爵様や書類上の夫であったならばこのような格好で対面はできないが。
「おはよう、と言うには遅すぎるわね」
わざわざ遮光カーテンを引き、薄暗くしている室内はミレーユを休ませるためのものだとわかっている。
それでも隙間から溢れる光と影の向きで実際は昼を過ぎている頃だと知れた。
「それは、…まぁ、致し方ございません」
「それで、私の旦那様は?」
あえてそう付け加えたのは、秘書にとっての旦那様は侯爵様のこと。
愛があろがなかろうが、書面上はミレーユの旦那様は昨日夫となった男だ。
「…早朝より離れの方に」
「朝から?元気ねぇ」
いつの間にか寝台に近づいていた秘書が、ミレーユにブランケットを掛け直した。
「お身体を清めますか?」
「うーん…、今日は何か予定があるかしら?」
「いえ、お休みするように、旦那様より言い付かっております」
「そう?ならこのまま休むわ」
「では清めを」
「いいえ」
身体を覆うブランケットを整える秘書の手に触れると、驚いた顔をして顔を赤くする。
秘書が雇われた時点で夫人は既にいなかったらしいので、婦女に対する扱いに不慣れなのだろう。
初々しい反応に口元が緩んだ。
「まだ子種を洗い流したくはないから」
「…わかりました」
ふいと顔を背けられた。
不機嫌そうな態度だけれど、そうでは無い。
照れているのだ。とても、わかりやすい。
「もし、月の物があったらまた閨のお願いしなくてはいけないわよね。侯爵様にお伝えすれば手筈を整えてくれるのかしら」
「…そのように対処いたします」
逸らしていた顔をこちらに向けた秘書は真面目な顔で答え、ミレーユはくすりと笑う。
後継者を産む事が侯爵家に嫁いだミレーユに科せられた使命の一つ。
だが、実を結ぶのはもう少し後でも良いなとまったりした時間の中で思った。
朧気に侯爵の顔が目の前に現れる。
『あの馬鹿は』
苦々しく吐き捨てた侯爵の顔が歪む。
『愛人のことは結婚してから伝えろと言っておいたのに』
(ああ、コレは)
あのときの記憶だ。
ミレーユは、婚姻前から不貞の報告をしてきた婚約者の事を、侯爵に話した。
どういうことなのか、と。
話が違うではないかと。
その応えが、先程の台詞だった。
「…侯爵様が婚姻前から愛人を認めていたというのは、本当だったのですね」
ミレーユは裏切られた。
侯爵家に嫁いでくれたらミレーユを大事にすると侯爵は言った。
社交界では、【融通の効かぬ頑固者だが嘘や偽りを嫌う男】として有名であったのに。
侯爵夫人は不貞をして離縁された。
侯爵には愛人などいなかったから、妻の裏切りが許せなかった。
愛人を持つ者にも、不貞を悪びれない者にも、嫌悪を見せていた侯爵が、自身の息子には容認しているなんて。
「貴族の婚姻は政略であることが多い…」
「…」
「愛人をもつ貴族も少なくはないだろう」
まさか、だった。
侯爵の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「ミレーユ嬢には申し訳ないが、契約で成ったこの婚姻を破棄する気も解消する気も此方にはない」
貴族なら愛だなんだとごねても意味はないことはわかっているが、悔しかった。
「…本当は、結婚の後に伝えるつもりだった」
侯爵の呟きに続く言葉は、トントンという規則正しい音に打ち消された。
扉のノックでミレーユは目覚めた。
足の間に溜まる違和感に、身体にかけられていたブランケットを剥いだ。
股を伝う白濁に、昨夜の事を思い出す。
当然のように隣にはもう男の居た痕跡はない。
乱れたはずのシーツは清潔なものに変わっている。
自分から言い出したこととはいえ、本当にカーテンの隙間から朝日が刺すまで男はミレーユの中に放ち続けた。
途中何度か意識がなくなっていたけれど、「これは義務だから」と男は何度も呟いて、ミレーユから抜け出すことはなかった。
もう一度、扉を叩く音がした。
返事をすると、ゆっくり扉が開き、侯爵の補佐をしている秘書が顔を出した。
「おはよう御座います。体調は如何ですか」
秘書、というよりも護衛と言ったほうがしっくりくる、がっしりとした体格の長身の男は姿勢正しく扉の位置からミレーユに声をかけた。
そっと視線を逸らされたのは、ミレーユが一糸まとわぬ姿で横たわっているせいだろう。
曲がりなりにも貴族令嬢として生きてきていたので、使用人に裸を見せることに羞恥はない。
侯爵様や書類上の夫であったならばこのような格好で対面はできないが。
「おはよう、と言うには遅すぎるわね」
わざわざ遮光カーテンを引き、薄暗くしている室内はミレーユを休ませるためのものだとわかっている。
それでも隙間から溢れる光と影の向きで実際は昼を過ぎている頃だと知れた。
「それは、…まぁ、致し方ございません」
「それで、私の旦那様は?」
あえてそう付け加えたのは、秘書にとっての旦那様は侯爵様のこと。
愛があろがなかろうが、書面上はミレーユの旦那様は昨日夫となった男だ。
「…早朝より離れの方に」
「朝から?元気ねぇ」
いつの間にか寝台に近づいていた秘書が、ミレーユにブランケットを掛け直した。
「お身体を清めますか?」
「うーん…、今日は何か予定があるかしら?」
「いえ、お休みするように、旦那様より言い付かっております」
「そう?ならこのまま休むわ」
「では清めを」
「いいえ」
身体を覆うブランケットを整える秘書の手に触れると、驚いた顔をして顔を赤くする。
秘書が雇われた時点で夫人は既にいなかったらしいので、婦女に対する扱いに不慣れなのだろう。
初々しい反応に口元が緩んだ。
「まだ子種を洗い流したくはないから」
「…わかりました」
ふいと顔を背けられた。
不機嫌そうな態度だけれど、そうでは無い。
照れているのだ。とても、わかりやすい。
「もし、月の物があったらまた閨のお願いしなくてはいけないわよね。侯爵様にお伝えすれば手筈を整えてくれるのかしら」
「…そのように対処いたします」
逸らしていた顔をこちらに向けた秘書は真面目な顔で答え、ミレーユはくすりと笑う。
後継者を産む事が侯爵家に嫁いだミレーユに科せられた使命の一つ。
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