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「フランシール!!」
「殿下!危険です」

護衛の制止を振り切り、王太子は駆け出す。
崖の淵で四つん這いになって闇を覗く。
口無しといわれるその崖は底が見えぬほど深く、這い上がってくるのも困難な場所ゆえ。

「…どうして」

崖に飛び込む直前、フランシールは笑っていた。
とても貴族らしい、嫌味な笑い方をして。

「君は、そんなひとじゃなかった」

他人を傷つけられるような子じゃなかった。
自分に恋した女ができても、笑って許してくれるだろうと思った。
まさか排除しようとするとは思いもせず。

それほどまでに愛されていた…?

王太子の胸がギリリと軋む。
ふいに、恋した伯爵令嬢を振り返ると、護衛の騎士に「終わった?いつ帰るのか」と「お腹が空いた」と話していた。

私は彼女コレを愛していた…?
愛しいと、これは真実の愛だと思っていたのに、今は何も感じない。

視線を闇に戻す。
フランシールが飛び込んだ闇は彼女の姿をすっかり飲み込んだ。
魔術師は首を横に振り、魔力の感知なしを伝える。
フランシールが魔法覚醒したり、他の者が彼女を救った痕跡はない、という意味だ。

フランシールは間違いなくこの奈落に落ちた。

「どうしてこんなことになってしまったのだろう」

渓谷への投身刑を決めたのは自分自身だったはずのに、今はその罰への行き着いた自分の思考が信じられなかった。

確かにフランシールは伯爵令嬢への暴行を図ったが、それは命の危険のあるものではない。
伯爵令嬢には王家に伝わる家宝の守り石を渡して身につけさせていた。
どんな危険からも守る石は、フランシールの平手打ちから伯爵令嬢を守り、砕けた。



王太子はフランシールと共に、貴族学園に入学した。
入学の式典の会場に入り、目の前で足を縺れさせた伯爵令嬢に手を貸した。
一緒にいたフランシールは、そんな彼女に「醜い」と言い放ち、蹲る令嬢をつい庇うような発言を王太子がしてからだろうか。

フランシールの人変わったような言動が目立ち始めた。
伯爵令嬢への態度が厳しいものになった。


幼い頃、王妃の前で同じように足を縺れさせたフランシールに王太子の母は手を差し出すことなく「醜い」と言い放った。

王太子が無様に転がっても、母は笑って助け起こしてくれていたのに、あまりの自分との対応の差に王太子は硬直してしまった。

王太子はフランシールを助け起こしもせず、手も貸さず、彼女を庇うような発言もしなかった。

「もうしわけありません、おうひさま」

そう言って自ら立ち上がったフランシールは毅然としていた。

貴族令嬢とはそうあるべきだ。
母は頷いてそれをフランシールに教えた。

伯爵令嬢は学園を卒業した今も、時々人前で派手に転び、王太子が手を差し出すまで床に蹲っている。

彼女に、姫を守る騎士のようだとうっとりされて、王太子は苦笑した。

真の騎士ならまず姫を無様に地に転がすようなことはしない。
躓かぬように先に手助けする。
何事もなかったように配慮するのが有能な騎士だ。

その王太子とはズレた感覚を愛しく思っていたのに。


「もう終わったのなら帰りましょうよ。美味しいものを食べたら気分は晴れますわ」

呑気なその声は、王太子を不快な気持ちにさせた。
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