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王太子は婚約者…元婚約者のエルセンシアの行く末を案じた。
王族との婚約解消は彼女の瑕疵になるだろう。
数年修道院に入るか、領地に籠り、社交界の噂が落ち着いた頃に王都に戻ってきてどこかの貴族に嫁ぐ。
そんな所だろうと思っている。
彼女はまだ若い。
王太子よりも五つも若い彼女なら、受け入れてくれる家もあるだろう。
彼女の悪い噂を払拭する為にも、王太子は次の婚約者を早急に決め、婚姻してしまわねばならない。
急ぎすぎれば、婚約解消理由を公表していないのは、王太子が原因ではないかと貴族らに勘ぐられるかもしれないが、それでも構わない。
エルセンシアの為なら、国王に眉を顰められようと喜んで泥をかぶってやるつもりだった。
王太子は側近として仕えている従姉の公爵令嬢マグノリエを思う。
王太子よりも二歳年上のマグノリエは、エルセンシアを見初めなければそのまま王太子の婚約者になっていたのではないかと言われていた令嬢だ。
その彼女が教えてくれた。
エルセンシアは城で酷い扱いを受けていた事を。
人形のように無感情なエルセンシアを気味悪く思っており、誰も彼女の世話をすすんでやりたがらない。
軽い悪戯にも反応を示さない。
それ故に、エルセンシアへの嫌がらせ行為は過激になっていっていた。
高位貴族に対する憂さ晴らしの対象にされたのだ。
マグノリエがそれを発見した時点で、侍女らを城から追い出した。
マグノリエの勝手な行為と批判を受けたが、話を聞いた王太子は従姉を庇った。
侍女らがエルセンシアを虐げていた現場を発見したのが王太子だったらば、もっと酷い罰を与えていたに違いない。
しかし、エルセンシアが人形のようになってしまったのは侍女らのせいではない。
一因はあるかもしれないがそうではないことを知っている。
エルセンシアは一年に一度会える家族の面会の日に、泣きながら洩らしていた。
「私が選ばれなければ、お父様やお母様、お兄様と一緒に暮らせたのに」
エルセンシアの家族にしか見せない笑顔を盗み見たいがため、隠れ潜んでいた王太子は、ガツンと頭を打たれるほどのショックを受けた。
王太子は、妃に選ばれる令嬢は幸せであると聞かされて生きてきた。
それを、エルセンシアもその家族も否定した。
「私にもっと力があれば娘を取られずに済んだのに」
エルセンシアを抱きしめ慰める当主も、夫人も、子息も誰も娘の幸運を祝福していなかった。
夫妻はもっと娘に幸運な事であると言い聞かせるべきなのに。
王太子の最愛は、王太子に選ばれた境遇を不幸だと嘆いていた。
そんなはずはない。
従姉のマグノリエにエルセンシアの無礼を拗ねたように報告した。
慰めが欲しかった。
同意が得られると思ったのに。
「…それは、そうでしょう。まだ五つの時に家族から離されて。殿下は今も陛下と王妃殿下と共に食事をとり、家族水入らずの時間を得ていらっしゃいますが、彼女はいつも一人です」
「いつも、ひとり…?」
王太子の婚約者。
それだけの立場では、まだ王族と食事を共にはできない。
当たり前のことなのだが、彼女が皆が羨む王城で孤立しているなど、マグノリエに言われるまで気がつかなかった。
彼女は十数年もの間、孤独に過ごした。
彼女を不幸だと思わせたのは、王太子がエルセンシアを選んだから。
彼女の不幸はそこから始まっている。
それにようやく気づいた王太子は、悩んだ末エルセンシアを解放することを選んだ。
エルセンシアを手放す事は王太子にとって心を割かれるほど耐え難いことだった。
それでも決断した。
婚姻まであと一年と差し迫った時期。
婚姻行事が本格的に動き出す前に、王太子は国王にエルセンシアを婚約者から外すことを願い出た。
元々、王太子の我儘で決まったような婚約だったので婚約の解消まで、一月と掛からずに終えた。
まるで、すでに準備がしてあったかのようなほどスムーズに事が運んだ。
新たな婚約者の候補にはマグノリエが有力だろう。
エルセンシアの教育進行状況を報告するために、授業に同席していた彼女も必要な妃教育を終えている。
その従姉が、思慕に耽る王太子の前に現れた。
なにか報告があるのだろう。
側近として仕えて長い彼女の顔を見れば、何かがあったのだろうと察せた。
「…報告いたします。エルセンシア様が」
王太子の眉がぴくりと上がる。
「…修道院へ向かうエルセンシア様の馬車が、襲われたそうです」
「それは確かか。彼女は無事か?」
王太子は椅子から腰を浮かせて続きを促す。
「…御者は意識を失わされていたようですが怪我はなく、付き添っていた侍女は」
「そんな者らの事はどうでもいい!エルセンシアは!」
声を荒らげる王太子に対し、押し黙り、マグノリエは視線を落とした。
「まさか…死んだのか」
「いえ」
マグノリエは視線を上げると真っ直ぐ王太子に合わせた。
彼女の顔色は悪い。
しかし、真剣な眼差しで王太子を射抜く。
「襲撃者に…身を、穢されたようです」
王太子は、はっと息を止めた。
王族との婚約解消は彼女の瑕疵になるだろう。
数年修道院に入るか、領地に籠り、社交界の噂が落ち着いた頃に王都に戻ってきてどこかの貴族に嫁ぐ。
そんな所だろうと思っている。
彼女はまだ若い。
王太子よりも五つも若い彼女なら、受け入れてくれる家もあるだろう。
彼女の悪い噂を払拭する為にも、王太子は次の婚約者を早急に決め、婚姻してしまわねばならない。
急ぎすぎれば、婚約解消理由を公表していないのは、王太子が原因ではないかと貴族らに勘ぐられるかもしれないが、それでも構わない。
エルセンシアの為なら、国王に眉を顰められようと喜んで泥をかぶってやるつもりだった。
王太子は側近として仕えている従姉の公爵令嬢マグノリエを思う。
王太子よりも二歳年上のマグノリエは、エルセンシアを見初めなければそのまま王太子の婚約者になっていたのではないかと言われていた令嬢だ。
その彼女が教えてくれた。
エルセンシアは城で酷い扱いを受けていた事を。
人形のように無感情なエルセンシアを気味悪く思っており、誰も彼女の世話をすすんでやりたがらない。
軽い悪戯にも反応を示さない。
それ故に、エルセンシアへの嫌がらせ行為は過激になっていっていた。
高位貴族に対する憂さ晴らしの対象にされたのだ。
マグノリエがそれを発見した時点で、侍女らを城から追い出した。
マグノリエの勝手な行為と批判を受けたが、話を聞いた王太子は従姉を庇った。
侍女らがエルセンシアを虐げていた現場を発見したのが王太子だったらば、もっと酷い罰を与えていたに違いない。
しかし、エルセンシアが人形のようになってしまったのは侍女らのせいではない。
一因はあるかもしれないがそうではないことを知っている。
エルセンシアは一年に一度会える家族の面会の日に、泣きながら洩らしていた。
「私が選ばれなければ、お父様やお母様、お兄様と一緒に暮らせたのに」
エルセンシアの家族にしか見せない笑顔を盗み見たいがため、隠れ潜んでいた王太子は、ガツンと頭を打たれるほどのショックを受けた。
王太子は、妃に選ばれる令嬢は幸せであると聞かされて生きてきた。
それを、エルセンシアもその家族も否定した。
「私にもっと力があれば娘を取られずに済んだのに」
エルセンシアを抱きしめ慰める当主も、夫人も、子息も誰も娘の幸運を祝福していなかった。
夫妻はもっと娘に幸運な事であると言い聞かせるべきなのに。
王太子の最愛は、王太子に選ばれた境遇を不幸だと嘆いていた。
そんなはずはない。
従姉のマグノリエにエルセンシアの無礼を拗ねたように報告した。
慰めが欲しかった。
同意が得られると思ったのに。
「…それは、そうでしょう。まだ五つの時に家族から離されて。殿下は今も陛下と王妃殿下と共に食事をとり、家族水入らずの時間を得ていらっしゃいますが、彼女はいつも一人です」
「いつも、ひとり…?」
王太子の婚約者。
それだけの立場では、まだ王族と食事を共にはできない。
当たり前のことなのだが、彼女が皆が羨む王城で孤立しているなど、マグノリエに言われるまで気がつかなかった。
彼女は十数年もの間、孤独に過ごした。
彼女を不幸だと思わせたのは、王太子がエルセンシアを選んだから。
彼女の不幸はそこから始まっている。
それにようやく気づいた王太子は、悩んだ末エルセンシアを解放することを選んだ。
エルセンシアを手放す事は王太子にとって心を割かれるほど耐え難いことだった。
それでも決断した。
婚姻まであと一年と差し迫った時期。
婚姻行事が本格的に動き出す前に、王太子は国王にエルセンシアを婚約者から外すことを願い出た。
元々、王太子の我儘で決まったような婚約だったので婚約の解消まで、一月と掛からずに終えた。
まるで、すでに準備がしてあったかのようなほどスムーズに事が運んだ。
新たな婚約者の候補にはマグノリエが有力だろう。
エルセンシアの教育進行状況を報告するために、授業に同席していた彼女も必要な妃教育を終えている。
その従姉が、思慕に耽る王太子の前に現れた。
なにか報告があるのだろう。
側近として仕えて長い彼女の顔を見れば、何かがあったのだろうと察せた。
「…報告いたします。エルセンシア様が」
王太子の眉がぴくりと上がる。
「…修道院へ向かうエルセンシア様の馬車が、襲われたそうです」
「それは確かか。彼女は無事か?」
王太子は椅子から腰を浮かせて続きを促す。
「…御者は意識を失わされていたようですが怪我はなく、付き添っていた侍女は」
「そんな者らの事はどうでもいい!エルセンシアは!」
声を荒らげる王太子に対し、押し黙り、マグノリエは視線を落とした。
「まさか…死んだのか」
「いえ」
マグノリエは視線を上げると真っ直ぐ王太子に合わせた。
彼女の顔色は悪い。
しかし、真剣な眼差しで王太子を射抜く。
「襲撃者に…身を、穢されたようです」
王太子は、はっと息を止めた。
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