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六
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「キャスリン。側にいるかい」
国王の執務室の前で待機していたキャスリンは、中からの声に慌てて扉を開いた。
リーゲネスは、キャスリンをまっすぐ見つめ、腕を広げる。
おずおずと彼に近づいて、キャスリンは夫の胸に額をつけた。
優しく彼の腕に抱かれて、歓喜の涙が溢れた。
「キャス。ごめん。僕は君に酷いことを言ったよね」
キャスリンの夫は優しく妻を抱きしめ背を撫でる。
「いいえ。リーグ、貴方は少し混乱していただけで何も酷いことなど」
リーゲネスはキャスリンを慰めるために頬に口づけを落とした。
はたと気づいたように、頬に手を添えて破片が掠めた場所をじっと見つめていた。
「ごめん。キャス」
「いいえ。リーグのせいでは」
「僕のせいだよ」
キャスリンの夫は、理性的で妻に甘い。
ファリシアの婚約者だった男とは違う。
「…アイツが表に出ているときは、此方は何もできない。極希に断片的に垣間見ることはあっても、手が出せない。だから、本当に迷惑をかけている」
キャスリンに吐息混じりで囁く彼は、キャスリンの夫のリーゲネスだ。
初めて彼と対面した時に、告げられた。
リーゲネスの中には二つの人格が共存している事。
生まれた時から居た人格と、あとから派生した人格。
恐らく先見の力を開花させた時に生まれた人格なのではないかと思われた。
二つ目の人格、キャスリンが夫と認識し愛している彼は、先見の夢を正しく理解できたのだが、主人格の方は断片的にしか夢を理解出来なかったのだと気づいたのは、元婚約者を助けるための婚約破棄を画策した夜会の前日だった。
当主が罪人となる前に終えておきたかった。
しかし、ファリシアを助ける為の罪をつぶされた後に戻った二つ目の人格は溜め息を漏らした。
主人格であるリーゲネス本体のために、ファリシアを救う手立てを打っていたのに、なぜ彼が計画を潰すのかわからなかった。
彼女を当主の罪と連座すれば、もう貴族には戻れない。
そこまで考えて、…それならそれでも構わないなと思っていた。
二つ目の人格はそれ程ファリシアに対して想いはない。
ファリシアが妃になるには足りないものが多すぎた。
貴族令嬢らしくなかった所を、主人格は気に入っていたのだろうが、国母向きではない。
二つ目の人格は、呼び出したキャスリンと側近らに自分の知るすべてを告げた。
近い未来に、キャスリンの父は捕縛される。
彼女も罰を受け、平民に落とされる。それを救うための冤罪を、主人格につぶされた事。
リーゲネスのチグハグな発言に、体調を心配する側近らは、初めこそ彼の言葉を信じていなかった。
しかしキャスリンだけは、違いに気づいた。
今のリーゲネスは、執着に似たファリシアへの狂気を感じないこと。
キャスリンは二つ目の人格の存在を信じ、そして彼を愛した。
彼もキャスリンの愛を受け入れ、妻に望んだ。
ファリシアがいなければ、順当に考えてもキャスリンが王の妃に選ばれていたはずだ。
奇しくも、側近らがリーゲネスの二つ目の人格を理解したのは、彼の発言通りファリシアが罪人となり平民に落ちた事実を知ってから。
ファリシアとの婚約破棄に怯える一つ目の人格とは違い、理性的に物事を考える二つ目の人格こそ、王の素質だと認めたのだった。
彼らは一つ目の人格が目を覚ますことを危惧していた。
十年もの間、眠り続けていたのに、戴冠式を終えた直後に目覚めるとは思いもしなかった。
キャスリンが素早く記者団からリーゲネスを逃がせてよかった。
あの場で一つ目の人格がファリシアを求め叫んでいたらと思えば…ぞっとする。
今この国は、二つ目の人格のリーゲネスと、キャスリンのおかげで成り立っている。
この安寧を誰も失いたくはない。
夫の体調が不安だと侍女に言い残し、キャスリンはリーゲネスを寝室に連れて行く。
連日の式典で体調不良ということで、王はしばらく休みを取った。
妃はずっと彼の看護を続けていたとされているが、それから三ヶ月後、キャスリンの懐妊の知らせが城内を掛けめぐった。
王は妃に感謝し、微笑ましい夫婦の姿と共に、時々、ぼぉっと辺境領地のある方角を見つめる王の姿も見受けられた。
国王の執務室の前で待機していたキャスリンは、中からの声に慌てて扉を開いた。
リーゲネスは、キャスリンをまっすぐ見つめ、腕を広げる。
おずおずと彼に近づいて、キャスリンは夫の胸に額をつけた。
優しく彼の腕に抱かれて、歓喜の涙が溢れた。
「キャス。ごめん。僕は君に酷いことを言ったよね」
キャスリンの夫は優しく妻を抱きしめ背を撫でる。
「いいえ。リーグ、貴方は少し混乱していただけで何も酷いことなど」
リーゲネスはキャスリンを慰めるために頬に口づけを落とした。
はたと気づいたように、頬に手を添えて破片が掠めた場所をじっと見つめていた。
「ごめん。キャス」
「いいえ。リーグのせいでは」
「僕のせいだよ」
キャスリンの夫は、理性的で妻に甘い。
ファリシアの婚約者だった男とは違う。
「…アイツが表に出ているときは、此方は何もできない。極希に断片的に垣間見ることはあっても、手が出せない。だから、本当に迷惑をかけている」
キャスリンに吐息混じりで囁く彼は、キャスリンの夫のリーゲネスだ。
初めて彼と対面した時に、告げられた。
リーゲネスの中には二つの人格が共存している事。
生まれた時から居た人格と、あとから派生した人格。
恐らく先見の力を開花させた時に生まれた人格なのではないかと思われた。
二つ目の人格、キャスリンが夫と認識し愛している彼は、先見の夢を正しく理解できたのだが、主人格の方は断片的にしか夢を理解出来なかったのだと気づいたのは、元婚約者を助けるための婚約破棄を画策した夜会の前日だった。
当主が罪人となる前に終えておきたかった。
しかし、ファリシアを助ける為の罪をつぶされた後に戻った二つ目の人格は溜め息を漏らした。
主人格であるリーゲネス本体のために、ファリシアを救う手立てを打っていたのに、なぜ彼が計画を潰すのかわからなかった。
彼女を当主の罪と連座すれば、もう貴族には戻れない。
そこまで考えて、…それならそれでも構わないなと思っていた。
二つ目の人格はそれ程ファリシアに対して想いはない。
ファリシアが妃になるには足りないものが多すぎた。
貴族令嬢らしくなかった所を、主人格は気に入っていたのだろうが、国母向きではない。
二つ目の人格は、呼び出したキャスリンと側近らに自分の知るすべてを告げた。
近い未来に、キャスリンの父は捕縛される。
彼女も罰を受け、平民に落とされる。それを救うための冤罪を、主人格につぶされた事。
リーゲネスのチグハグな発言に、体調を心配する側近らは、初めこそ彼の言葉を信じていなかった。
しかしキャスリンだけは、違いに気づいた。
今のリーゲネスは、執着に似たファリシアへの狂気を感じないこと。
キャスリンは二つ目の人格の存在を信じ、そして彼を愛した。
彼もキャスリンの愛を受け入れ、妻に望んだ。
ファリシアがいなければ、順当に考えてもキャスリンが王の妃に選ばれていたはずだ。
奇しくも、側近らがリーゲネスの二つ目の人格を理解したのは、彼の発言通りファリシアが罪人となり平民に落ちた事実を知ってから。
ファリシアとの婚約破棄に怯える一つ目の人格とは違い、理性的に物事を考える二つ目の人格こそ、王の素質だと認めたのだった。
彼らは一つ目の人格が目を覚ますことを危惧していた。
十年もの間、眠り続けていたのに、戴冠式を終えた直後に目覚めるとは思いもしなかった。
キャスリンが素早く記者団からリーゲネスを逃がせてよかった。
あの場で一つ目の人格がファリシアを求め叫んでいたらと思えば…ぞっとする。
今この国は、二つ目の人格のリーゲネスと、キャスリンのおかげで成り立っている。
この安寧を誰も失いたくはない。
夫の体調が不安だと侍女に言い残し、キャスリンはリーゲネスを寝室に連れて行く。
連日の式典で体調不良ということで、王はしばらく休みを取った。
妃はずっと彼の看護を続けていたとされているが、それから三ヶ月後、キャスリンの懐妊の知らせが城内を掛けめぐった。
王は妃に感謝し、微笑ましい夫婦の姿と共に、時々、ぼぉっと辺境領地のある方角を見つめる王の姿も見受けられた。
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