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第一話 安倍童子、賀茂忠行に師事する。
始まり
しおりを挟む「父上!お呼びでしょうか!!」
ドタドタと足音を荒げ襖が壊れる勢いで声を荒げて来たのは、この家の家長、賀茂忠行の息子にして長男の賀茂保憲だ。声を荒げているつもりはないのだが、この青年の声は兎角、大きい。そして力強い。今も襖を壊すところだった。
「これこれ、もっと静かに出来んのか・・・」
何時もの事ながら、賀茂忠行は我が息子の事をたしなめつつ将来を案じてしまう。
この賀茂忠行という男は、この時代随一の陰陽道の担い手。そして、陰陽師を束ねる陰陽頭(リーダー)でもある。
陰陽師とは当時の科学者で朝廷が定めた役人であった。
空を観て天気を予測し、人の生涯を占い、暦を作り時間を管理したり、卦を視て地鎮祭に悪霊払いに方違えを執り行う。そして、政治等にも携わる宗教的科学者集団だ。
その息子の保憲は次期陰陽頭になれるほどの類稀な実力の持ち主だが、今はまだ父でもある師匠の忠行の許で修行中の身。
「す、すみませぬ!」
そして、剛胆な外見に似合わず素直な心根の持ち主であった。
「まあ、良い。保憲よ、今宵は見事な満月よ。どうじゃ一杯?」
そう言いながら、忠行は瓢箪(ひょうたん)の中に入っているにごり酒を盃に並々と注ぎ、保憲に渡した。
自分の盃にも酒を注ぎ一気に飲む。
「それではいただきまする。」
保憲も受け取った酒を一気にグイッと飲み干した。
そうしていると、廊下が騒がしくなった。数人の足音が近付いて来ている。何事かと思えば、慌てて来た下人が密かに忠行親子に告げた。
「只今、東三条院の御屋敷から使者が参りまして御座りまする。」
今日は既に宵闇に包まれた時刻であった。こんな時間には、魑魅魍魎が魃琥していてもおかしくはない。
「あい、わかった。」
仕方無く、忠行は支度を始めた。大した事などないとわかっていながら。
忠行親子が、使者に連れられて着いた先は東三条邸であった。其処の主人はこう言った。
「忠行殿、先頃庭園にて黒猫が通って行ったのだが、何か良くない事でも起こるのだろうか?」
この時代は何かある度に、陰陽師や坊主等を呼びよせ占わせていた。
黒い生き物は、昔から良くない者の象徴とされてきていたからか。そんな些細な事でも、陰陽師である忠行を呼んだのだ。
「さして気にする事もありますまい。ですが、どうしても気になるのでしたらお祓いをするが宜しいかと。」
さも有りなん。と、忠行は判断した。第一この時代はどうでも良い事でも真剣に心配をする。
それは、裏で我策する貴族達が相手を蹴落とす事もいとわないので、呪いは勿論の事、暗殺等も平気でした。そうすると、もしかしたら。と、己もされているかもしれない。と、怯える毎日を送って要るからか用心深い。
だが、ソレを判断する身にもなって貰いたいものだ。と常日頃から忠行は思っている。
そんな下らない事で昼日中ならともかく、深夜に叩き起こされる事もあるのだから。
今日の様に親子の語らいも邪魔される。
用事も済んで牛車の中で、連れてこさせた保憲に愚痴る。
「ですが、これも父上が素晴らしい術者だからでございましょう。」
「そうは言ってものう・・・。」
そんな事を言い合っている時、辺りは霧に包まれ、牛飼い童は牛をどちらの方角に進ませれば良いのか判らなくなっていた。
それでもいつも通っている場所だからと進んで行く。
忠行・保憲親子も異変に直ぐに気付いてはいたが、さして気にする事もないと判じた。
陰陽師にとって馴染み深いモノで、いざというときの術は心得ている。
どのくらい経っただろうか。或いは然程経っていないのだろうか。遠くからは、太鼓や笛に琵琶等の楽器が、霧の濃い夜道に風に流れて聴こえてくる。
ピ~ヒャラドンドンピ~♪
それは普通の人間には聴こえない音色だが、真っ直ぐ忠行達の方角に向かって来ていた。
忠行と保憲は陰陽師が使う呪(しゅ)、隠形の呪を唱える。そうする事により、忠行達の姿が消えて、其処には誰もいなくなったかの様になった。
牛飼い童に止まるよう、何があっても声を出さない様に忠行は指示を出した。
忠行達の乗っている牛車に、百鬼夜行の群れが通過する。
それらは、楽しく太鼓を叩き踊り歌い、この世の者が聞けば気が狂うだろう声と姿をしながら忠行達に最後まで気付かずに通り過ぎていった。
「ふぅ。もう行っても良かろう。」
「畏まり申した。親方様・・・。先程の風は何でしょうか?」
牛飼い童は、意を決して不思議で不気味な生暖かい風について、聞いてみたくなった。
「気にする程の事でも無いが、百鬼夜行が通過したのよ。」
事もなげに保憲が忠行の代わりに応える。
「・・・鬼・・・でござりまするか・・・。」
牛飼い童は、先程の不気味な風を思い出し肩を震わす。
牛も何かを感じとったのか、牛飼い童にピタリと寄り添う。
陰陽師とはかくも不思議な集団だと、視えない者は思う。
牛飼い童は生涯、この時の事を黙する。
この牛飼い童は、別件で他の用事に出掛けた時に還らぬ者になってしまうからだ。
その時の忠行親子が、ソコまで把握していたかと云えば、それは別のお話になるだろう。
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