上 下
36 / 40

第三十六話 蒼汰の我儘と私の我儘

しおりを挟む
 朝比奈さんの件があってからここのところ、蒼汰の帰りが遅い。
 いまは一月の下旬、仕事が忙しくなると言ってはいたが、それにしたって遅すぎる。

「アリサ、あんまり考え過ぎない方が良いんじゃないの?」

 夜の十一時をまわっても帰ってこない蒼汰に、一人でヤキモキする私をみかねて、朱里がそんなことを言い出した。
 考え過ぎる? 何を?

「私は別に何も……」
「いや、だって浮気を疑ってるって顔に書いてあるよ?」
「うそ!?」

 私ってそんなに分かりやすかったっけ?
 というか別に、浮気だけを疑っているわけではない。
 単純に知りたいだけ。
 こんな時間までメールもよこさずにどこをほっつき歩いているのかを。

「何をしてるのかな~って不思議に思っているだけで、別にそこまで浮気を疑っているわけじゃないよ?」

 そうは言いつつも、やっぱり浮気の可能性も排除できない自分がいる。
 一般的に見て、蒼汰がモテないはずがないのだ。
 私を自由にできる前は余裕が無かったかもしれないが、今では余裕たっぷりのお金持ち。

 顔もそこそこ整っている方だし、身長だって低くない。
 年齢も三十三でちょうどモテそうな年齢、身なりもよくお金持ち。精神的な余裕もある。
 モテない訳がないのだ。
 先日、朝比奈さんの件でより思い知った。
 彼が無条件で私を愛してくれるからといって、高を括ってはならない。

「あんまり強がっても虚しいよ?」
「グイグイ言ってくるね」
「後で後悔して欲しくないからね。じゃあ私は寝るね」
「おやすみ~」

 朱里は早々に自室に入っていく。
 いつもより早い。
 もしかしたら私に気を使っているのかもしれない。
 蒼汰が帰って来た時にしっかり話せるように。
 うん、絶対そうだ。
 明日は朱里は休みだし、普段なら午前三時ぐらいまで起きてるし……。

 朱里が寝室に消えていってから、私はなんとなく部屋の掃除を始める。
 何かをしていないと落ち着かないが、何かをするには集中できない状態なのだ。
 なんだかんだ部屋を綺麗にしていると、玄関の鍵が開けられる音がした。

「お帰り!」

 さっきまでのモヤモヤはどこへやら、私は急いで廊下を抜けていく。
 玄関には、疲れ切った様子の蒼汰が座り込んでいた。
 お酒の匂いもしないところをみると、これは本当に仕事で何かあったのだろう。

「何か仕事でトラブル?」

 私は声をかけながら、ホッとする自分に気づく。
 勝手に複雑な気持ちになりながら、蒼汰の上着を剥ぎ取る。

「いや、トラブルというか……調べものの成果が出たが、目的のものが見つからなかったって感じかな?」

 蒼汰は疲れた様子で立ち上がり、お風呂に向かって歩き出す。


 その後ろ姿を見守りながら、彼は疲れているのではなくショックを受けているのだと思った。
 そして嫌な予感が頭の中に浮上する。
 彼の調べものと言えばあれに決まっている。
 復讐だ。
 復讐相手、アリサを殺した実行犯を探していたのだ。
 だけど私は知っている。
 前に朝比奈さんに聞いているので知っている。
 実行犯はもうこの世にいない。
 死刑囚を使って殺させているため、もうこの世にいないのだ。

「じゃあ今回の調査はそれが分かっただけ……」

 私は一人リビングの椅子に座って呟いた。
 シャワーの音を聞きながらボーっとしていると、少しずつ眠気がやってきた。
 本来は眠くなるなんて機能無かったはずなのに、眠らなくても良かったはずなのに、最近はちゃんと眠くなる。
 まるで人間みたい。
 そんなどうしようもない感想を抱きながら、私は深い眠りへと落ちていった。






 遠くの方でがやがやとした音が聞こえる。
 これはテレビの音?
 ああそうか、私は眠ってしまったんだ。

 ゆっくりと体を起こして目を開けると、ソファーでくつろぎながらテレビを観ている蒼汰が視界に入った。
 時計を見ると午前二時。
 まあまあな時間眠っていたらしい。

「起きたかアリサ」

 蒼汰は私に気づき立ち上がる。
 
「ごめん寝ちゃってた」
「別にいいさ」

 蒼汰はそう言って私の隣の席に腰を下ろした。
 ボディーソープの香りが鼻腔をくすぐる。
 匂いを感じるだけで、私の中に色のイメージが湧く。
 ここのところそんなんばかり。
 相変わらずキャンバスに描き続けている私は、いつの間にか色に執着するようになっていた。

「きかないのか? なんの調査だったのか」
「どうせ復讐の話でしょ?」
「よくわかったね」
「だって仕事の内容に関しては、基本的に話そうとしないじゃない? そんな蒼汰が調査だなんて話してくるってことは、もう復讐の件ぐらいしかない」

 私はペラペラと説明をして、蒼汰の目を見る。

「実行犯、死んでたでしょ?」
「やっぱり知ってたか。朝比奈さんだな?」
「うん。怒らないでよ?」
「怒るもんか」

 蒼汰は静かに笑う。
 きっと本当に彼は怒らないのだろう。
 知ってて黙ってた私にも朝比奈さんにも、きっと彼は怒らない。
 
「ねえ蒼汰」
「なんだい?」
「まだ殺したい?」

 私の質問に彼は俯く。
 
「前に言ったよね? 蒼汰が我儘を通すなら、私も我儘を通すって。あの時、蒼汰は復讐を遂げたいと言っていて、私はいなくなったアリサのフリをすると宣言した。でも私はもう蒼汰の望み通り、普通の女の子”アリサ”として生きている。私の言っている意味わかる?」

 我ながらズルい言い方をするものだと感心する。
 きっとアリサはこんな言い方はしないだろう。
 これは完全に”私”が考えた言葉だ。
 前に誓った、アリサのフリをする私はここにはいない。
 
「自分は我儘をやめたのだから、お前もやめろってことか……」

 おそろしく自分勝手な理屈だが、蒼汰はそれでも否定しないだろう。
 私の言いたいことはちゃんと伝わっている。
 お互いに我儘をやめないか? という提案。
 もっとシンプルに言えば、復讐なんて止めて欲しい。

「正直さ、ずっと迷ってたんだよね」

 蒼汰は静かに語りだした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古
ライト文芸
先生、ぼくたちは幸福だったのに、異常だったのですか? 周りの身勝手な人たちは、不幸そうなのに正常だったのですか? 世の人々から、可ではなく、不可というレッテルを貼られ、まるで鴉(カフカ)を見るように厭な顔をされる精神病患者たち。 USA帰りの青年精神科医と、その秘書が、総合病院の一角たる精神科病棟で、或いは行く先々で、ボーダーラインの向こう側にいる人々と出会う。 可ではなく、不可をつけられた人たちとどう向き合い、接するのか。 何か事情がありそうな少年秘書と、青年精神科医の一話読みきりシリーズ。 大雑把な春名と、小舅のような仁の前に現れる、今日の患者は……。 ※以前、他サイトで掲載していたものです。 ※一部、性描写(必要描写です)があります。苦手な方はお気を付けください。 ※表紙画:フリーイラストの加工です。

人生負け組のスローライフ

雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした! 俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!! ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。 じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。  ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。 ―――――――――――――――――――――― 第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました! 皆様の応援ありがとうございます! ――――――――――――――――――――――

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

坂の上の帰り道

早稲 アカ
ライト文芸
 小学校からの帰り道、赤いランドセルでミチルはいつもひとりで帰ります。なぜかいうと、ミチルの家は他の子たちより違う道を通るからです。そんな帰り道のお話です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと -   

設樂理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

On my deathbed 〜せめて妻と子に看取られて~

弓月下弦
ライト文芸
もう終わりだ。心身ともに限界を迎えた私は、ホームレスで家族も失った老いぼれである。 せめて、別れた妻と息子に看取られてこの世を去りたい。。 そんな願いが奇妙な形で実現するとは、この時、「私」も「俺」も想像していなかった。

【完結】午前2時の訪問者

衿乃 光希
ライト文芸
「生身の肉体はないけど、魂はここにいる。ーーここにいるのはボクだよね」人形芸術家の所有するマネキンに入り、家族の元へ帰ってきた11歳の少年、翔〈ボクの想いは〉他。短編3本+番外編。 遺した側の強い想いと葛藤、遺された側の戸惑いや愛情が交錯する切ない物語。 幽霊や人形が出てきますがホラー要素はありません。昨今、痛ましい災害や事故事件が増え、死後にもしこんなことがあればな、と思い書いてみました。

処理中です...