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最終章 崩れゆく世界に天秤を 1
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俺達が南に向けて車を走らせて六時間。周囲にほとんど人工物がないほどの自然の中に来ていた。唯一の人工物が、この車が走っている道路だけだ。それ以外には本当に何もない。まさか日本にそんなところがあるとは、思ってもみなかった。
やがて舗装もされなくなった道はどんどん細くなり、道の左右には反比例するように立派な木々がそびえ立つ。水の流れる音で、近くに小川があることを知る。ここまで来ると空気も美味しく感じられた。
「ずいぶん遠くに来たね」
真姫は心なしか嬉しそうに俺の顔を見つめながら口にした。
「そうだな。人なんて俺達ぐらいだろ?」
俺達が逃げると決めた時、選択肢は二つあった。
逃げる先を人がいない今のような自然の中に逃げるか、木を隠すなら森の中という言葉通り、人である俺達が隠れるなら、いっそのこと都会の人ごみの中に隠れるかというものだ。
きっとどっちを選んでも大差ないと思った。都会の中にいた方が生活は便利だろうし、あれだけの人ごみの中なら変装すればそうそう見つからないとは思う。
制星教会の連中があの端末で星の使徒の信号を頼りに俺達を探したとしても、大量に人が歩き回る雑踏から俺達をピンポイントで判別するのは至難の業だ。
そして今回のように自然の中、つまり文明から離れたところに行けば、生活は不便になるがそもそも制星教会の隊員は存在しない。彼らは人を崩壊病から守るのが仕事だ。人がいない山奥などには決していない。
遠すぎれば、俺達が発しているという星の使徒と同じ反応も彼ら端末には届かない。
どっちでも良かった。一長一短だ。そのどちらを選んでも、制星教会や国が本気で俺達を捕まえようと思えば、どうせ逃げられないのだ。
それでも俺達はこっちを選んだ。自然の中で静かに過ごすことを選んだ。理由は何だっただろう? たぶん疲れていたんだ。人と接することに疲れていた。ニュースを聞いたり人と話したり、バレないように変装したり。それに耐えられそうに無かったからこっちを選んだ。後悔なんてない。
「…………」
俺達はそれから無言で山道を走り続けた。俺も彼女も胸中はごちゃごちゃだ。そうして走り続けていると、小汚いトンネルが見えてきた。
「こんなところにトンネル?」
真姫は不思議そうに窓から身を乗り出して、トンネルを凝視する。
もう道はない。ここは完全に自然の中。こんなところにトンネルなんて掘る意味がない。
「通る?」
真姫は嫌な顔をして俺を見る。
「でも先に行くにはここを抜けるしかない。ちょっと不気味だけど……」
「ねえ暮人……トンネルを抜けるのは良いけど、手を握ってても良いかな?」
そう言って真姫は俺の左手を握る。
「俺に片手で運転しろと?」
「別に出来るでしょう? ここには誰もいない。道路もないんだから、交通ルールなんて無視でいいでしょう?」
確かに今さら俺達がルールだ危険だなんて言うのは違う気がする。
「分かったよ。だけどトンネルも狭いからゆっくり行くぞ。スピード出すと片手で制御できないからな」
俺はアクセルをゆっくり踏む。車はのろのろとトンネルに向かって進み始める。車のエンジン音が狭いトンネル内に反響する。
本当に車一台が限度の大きさだ。造りは岩で出来ていて、どことなく自然の洞窟を思わせるが、一定の間隔に設置された薄暗い照明が、ここが人工のトンネルだと教えてくれていた。
トンネルの内部は、岩の亀裂から滴る水滴がポツポツと地面に当たり続け、水たまりが随所に作られていた。今は夏のはずなのに、このトンネル内は妙に涼しく、冷たかった。何か内臓ごと冷やされたような感覚。
「なあ真姫」
「どうしたの暮人?」
「なんか説明出来ないんだけど、このトンネル大丈夫かな?」
俺は不意に不安に感じた。なぜかは分からないけれど、このまま進んでしまって大丈夫なのかと思ってしまった。
「大丈夫って崩落とかってこと? 結構古そうだからちょっと怖いけど、地震とか来なければ大丈夫じゃない?」
俺は真姫の答えにモヤモヤしながらも、前進し続けた。
確証はないが、俺が心配しているのは崩落とかそういった事柄では無いと思う。そういう具体的な事ではなく、もっと漠然とした不安だった。このまま死んでしまうのではないかという、説明できない不安。もっと本能レベルの恐怖。
「そろそろ抜けるぞ」
俺は自身の正体不明の恐怖心を押さえつけ、出口を目指した。ドンドン気温が下がっていくのを感じる。それは真姫も同じらしく、体をさすっている。
「なんだ……ここ?」
俺達は無事にトンネルを抜けたはずだった。そのはずだった。俺達は自然しかない山奥の古びた怪しいトンネルをくぐったはずなのに、その抜けた先はどうだ? 目の前には小さな神社があるだけ。しかも廃墟と言っていい。賽銭箱からはツタが生え、神社そのものも老朽化が進んでいるのか、所々崩れている。
「なんか寒くない?」
真姫はお寺を見て驚きながらも、今現在の最大の疑問を口にする。
そうだ。寒い。今は夏のはずなのに、体感十一月ぐらいの寒さだ。車から降りて上を見上げると、空は雲なのか塵なのかよく分からないものが太陽光を塞いでしまっている。だから寒いのか?
「戻るか?」
そう言って振り向いた先には、トンネルはすでに存在せず、ただの岩壁となっている。
「え!? どういうこと?」
真姫は軽いパニックになる。
「俺達トンネルを抜けて来たよな?」
「うん。そのはず……なんで消えてるの?」
俺達は岩壁の前で呆然と立ち尽くす。一体ここはどこだろう?
俺は真姫を連れて、トンネルがあったはずの岩壁の反対側へと向かう。崩壊した神社を横目に進んでいき、小ぶりな鳥居を潜ると、その先は下が見えないほどの、急勾配で長い階段になっていた。
「どうする?」
「どうするったって……」
後ろは岩壁、左右は森林。このままここに滞在していても死ぬだけだ。とにかくここが何処なのかを把握しないといけない。
「車とはここでお別れだな」
「そうね……とりあえず降りてみよう」
俺と真姫はお互いの顔を見て頷き、手を握りながらゆっくりと階段を下り始めた。
やがて舗装もされなくなった道はどんどん細くなり、道の左右には反比例するように立派な木々がそびえ立つ。水の流れる音で、近くに小川があることを知る。ここまで来ると空気も美味しく感じられた。
「ずいぶん遠くに来たね」
真姫は心なしか嬉しそうに俺の顔を見つめながら口にした。
「そうだな。人なんて俺達ぐらいだろ?」
俺達が逃げると決めた時、選択肢は二つあった。
逃げる先を人がいない今のような自然の中に逃げるか、木を隠すなら森の中という言葉通り、人である俺達が隠れるなら、いっそのこと都会の人ごみの中に隠れるかというものだ。
きっとどっちを選んでも大差ないと思った。都会の中にいた方が生活は便利だろうし、あれだけの人ごみの中なら変装すればそうそう見つからないとは思う。
制星教会の連中があの端末で星の使徒の信号を頼りに俺達を探したとしても、大量に人が歩き回る雑踏から俺達をピンポイントで判別するのは至難の業だ。
そして今回のように自然の中、つまり文明から離れたところに行けば、生活は不便になるがそもそも制星教会の隊員は存在しない。彼らは人を崩壊病から守るのが仕事だ。人がいない山奥などには決していない。
遠すぎれば、俺達が発しているという星の使徒と同じ反応も彼ら端末には届かない。
どっちでも良かった。一長一短だ。そのどちらを選んでも、制星教会や国が本気で俺達を捕まえようと思えば、どうせ逃げられないのだ。
それでも俺達はこっちを選んだ。自然の中で静かに過ごすことを選んだ。理由は何だっただろう? たぶん疲れていたんだ。人と接することに疲れていた。ニュースを聞いたり人と話したり、バレないように変装したり。それに耐えられそうに無かったからこっちを選んだ。後悔なんてない。
「…………」
俺達はそれから無言で山道を走り続けた。俺も彼女も胸中はごちゃごちゃだ。そうして走り続けていると、小汚いトンネルが見えてきた。
「こんなところにトンネル?」
真姫は不思議そうに窓から身を乗り出して、トンネルを凝視する。
もう道はない。ここは完全に自然の中。こんなところにトンネルなんて掘る意味がない。
「通る?」
真姫は嫌な顔をして俺を見る。
「でも先に行くにはここを抜けるしかない。ちょっと不気味だけど……」
「ねえ暮人……トンネルを抜けるのは良いけど、手を握ってても良いかな?」
そう言って真姫は俺の左手を握る。
「俺に片手で運転しろと?」
「別に出来るでしょう? ここには誰もいない。道路もないんだから、交通ルールなんて無視でいいでしょう?」
確かに今さら俺達がルールだ危険だなんて言うのは違う気がする。
「分かったよ。だけどトンネルも狭いからゆっくり行くぞ。スピード出すと片手で制御できないからな」
俺はアクセルをゆっくり踏む。車はのろのろとトンネルに向かって進み始める。車のエンジン音が狭いトンネル内に反響する。
本当に車一台が限度の大きさだ。造りは岩で出来ていて、どことなく自然の洞窟を思わせるが、一定の間隔に設置された薄暗い照明が、ここが人工のトンネルだと教えてくれていた。
トンネルの内部は、岩の亀裂から滴る水滴がポツポツと地面に当たり続け、水たまりが随所に作られていた。今は夏のはずなのに、このトンネル内は妙に涼しく、冷たかった。何か内臓ごと冷やされたような感覚。
「なあ真姫」
「どうしたの暮人?」
「なんか説明出来ないんだけど、このトンネル大丈夫かな?」
俺は不意に不安に感じた。なぜかは分からないけれど、このまま進んでしまって大丈夫なのかと思ってしまった。
「大丈夫って崩落とかってこと? 結構古そうだからちょっと怖いけど、地震とか来なければ大丈夫じゃない?」
俺は真姫の答えにモヤモヤしながらも、前進し続けた。
確証はないが、俺が心配しているのは崩落とかそういった事柄では無いと思う。そういう具体的な事ではなく、もっと漠然とした不安だった。このまま死んでしまうのではないかという、説明できない不安。もっと本能レベルの恐怖。
「そろそろ抜けるぞ」
俺は自身の正体不明の恐怖心を押さえつけ、出口を目指した。ドンドン気温が下がっていくのを感じる。それは真姫も同じらしく、体をさすっている。
「なんだ……ここ?」
俺達は無事にトンネルを抜けたはずだった。そのはずだった。俺達は自然しかない山奥の古びた怪しいトンネルをくぐったはずなのに、その抜けた先はどうだ? 目の前には小さな神社があるだけ。しかも廃墟と言っていい。賽銭箱からはツタが生え、神社そのものも老朽化が進んでいるのか、所々崩れている。
「なんか寒くない?」
真姫はお寺を見て驚きながらも、今現在の最大の疑問を口にする。
そうだ。寒い。今は夏のはずなのに、体感十一月ぐらいの寒さだ。車から降りて上を見上げると、空は雲なのか塵なのかよく分からないものが太陽光を塞いでしまっている。だから寒いのか?
「戻るか?」
そう言って振り向いた先には、トンネルはすでに存在せず、ただの岩壁となっている。
「え!? どういうこと?」
真姫は軽いパニックになる。
「俺達トンネルを抜けて来たよな?」
「うん。そのはず……なんで消えてるの?」
俺達は岩壁の前で呆然と立ち尽くす。一体ここはどこだろう?
俺は真姫を連れて、トンネルがあったはずの岩壁の反対側へと向かう。崩壊した神社を横目に進んでいき、小ぶりな鳥居を潜ると、その先は下が見えないほどの、急勾配で長い階段になっていた。
「どうする?」
「どうするったって……」
後ろは岩壁、左右は森林。このままここに滞在していても死ぬだけだ。とにかくここが何処なのかを把握しないといけない。
「車とはここでお別れだな」
「そうね……とりあえず降りてみよう」
俺と真姫はお互いの顔を見て頷き、手を握りながらゆっくりと階段を下り始めた。
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