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第七章 早坂天音 1
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「真希人、大丈夫かな……」
私は自室で朝の支度をしながら、昨日入院する運びとなった真希人を想う。
私には親がいない。
正確にはいなくなったと言うべきか。
私が小学校を卒業するタイミングで、お母さんは交通事故で命を落とした。
派手な事故で、かなりニュースにもなった。
それでもお父さんは帰ってこなかった。
お父さんは海外で働いており、なかなか日本に帰ってこない。
そんな時、常に側にいてくれたのが真希人と彼の母親だった。
事あるごとにおばさんは私を気にかけてくれたし、もう亡くなってしまったけれど、真希人のお父さんだって私にピアノを教えてくれた。
家もお隣だし、小さい頃からの付き合いだったから、隣りに真希人がいるのが当たり前になっていた。
他にも友達はいるし、たまになら異性に告白されることだってある。
だけど私には真希人しか考えられなかった。
同い年なのに大人たちに混ざって、その才能を駆使して成りあがっていく彼。
一人で巨大なホールを埋めて演奏する彼。
テレビやニュースで取り上げられる彼。
どれも輝いて見えたし眩しかった。
そしてなにより恐怖を感じた。
私は恐怖したのだ。
彼が私の隣りからスルスルと抜け出して、どこか私の知らない世界へと旅立って行くんじゃないかと、不安で仕方がなかった。
それと同時に、どんどん独りになっていく彼を私は心配した。
だからかな?
彼がピアノの音が聞こえないと言い出した時、いけないことだと分かっていても、心のどこかでホッとしたのは。
彼がどこかに行ってしまう可能性が無くなったと、どこかホッとした。
これで彼も同級生に混じって、天才ピアニストでも悲劇の主人公でもない、一人の等身大の少年”菅原真希人”として生きていける。
そう思ってしまった私は間違っていたのだろうか?
「人は独りでは生きていけないか……」
真希人に言った言葉。
間違いなく私の本心。
真希人がいてくれたから生きていられた私の本心。
だからこそピアノを失った真希人が心を開いて、周囲に溶け込んでいくのを期待したけれど、現実は甘くなかった。
彼のこれまでの態度も相まって、落ちぶれた天才と揶揄されだしてから、彼と周囲の人間たちとの溝は修復できないところまで来てしまった。
真希人の症状は病気ではない。
唯一私だけが見えていた、死神による斬撃。
その瞬間から真希人はピアノの音を失った。
死神の呪い。
荒唐無稽な話だけど、でも見てしまったのだから信じるしかない。
あの大鎌が真希人からピアノの音を奪ったのは間違いないと思う。
死神の呪い。
だけどこの前のプロデューサーや、昨日のように特定個人の声が聞こえなくなるというのは一体なんなのだろう?
あれも死神の呪いなのだろうか?
もしそうだとしたら、その特定個人の選別はどういう基準なのだろう。
そう考えた時、私は一気に怖くなった。
もしもその対象に私が含まれたら?
私までもが呪いの対象になり、彼に声が届けられなくなったら?
そう思うと震えが止まらない。
私は真希人なしでは生きていけない。
こういう時こそ私がしっかりしなくちゃ!
「行ってきます!」
私は無人の家にそう告げて出発した。
クラスに到着すると、私の友人たちが出迎えてくれる。
真希人がいると、彼女たちは遠慮してあんまり絡んでこないのだ。
「今日は菅原君一緒じゃないの?」
「うん。昨日から寝込んじゃって」
「そうなんだ~心配だね」
社交辞令的な心配をして、それ以上彼について言及してこなかった。
「天音はさあ、やっぱり菅原君がこうやって学校に来るようになって嬉しいの?」
仲良しグループの一人である絵美が尋ねる。
絵美とは高校に入学してからの付き合いだ。
真希人の次に大事な私の友達。
「う~ん、まあそうかな。ちょっと複雑だけどね」
私は素直に答える。
嬉しさ半分と、悔しさ半分。
彼の側にいられる時間が増えて嬉しいのは本当だが、彼の持つ類まれなる才能が埋もれていくことに悔しさもある。
だけど同時に彼が孤独にならないようにしなければと思うし、自分だけの彼でいて欲しいという気持ちもある。
自分自身でも迷っている。
「そうだよね。でも私は、菅原君には活躍しててもらいたいかな」
「それって天音に構ってもらえる時間が増えるからでしょ」
途中で同じく仲のいい明美が茶々をいれる。
「う、うん。そうだよ」
思いの外当たっていたのか、絵美はやや歯切れが悪い。
「明美も意地悪言わないの」
私は明美に笑いながらそう言うと、絵美はあんまり笑っていない。
どうしたのか聞こうと思ったところで、先生が教室に入って来てしまった。
私は授業中ずっと気になっていたのだが、なかなか聞けるタイミングがないまま下校時間となってしまった。
「ねえ天音、ちょっと良いかな?」
絵美は複雑な表情を浮かべ、私をあまりひとけの無い廊下の端っこに連れてきた。
「どうしたの?」
私も絵美に朝の様子について聞きたかったのだが、まずは誘ってきた絵美に先に喋らせる。
「その、今までずっと思ってたことで、ずっと言いにくかったんだけど……」
嫌な前置きだ。
こういう前置きの後、良い話がきた試しがない。
「もう少し菅原君と距離を開けた方が良いと思って」
「どうして?」
そうか。
そう思うのか。
気づけば私は即座に聞き返していた。
「……ほら、菅原君ってずっとメディアに出続けてたし、天才ピアニストとか騒がれてたから、私たちのことをどこか見下してる感じがしてて……それだけならまだ良かったんだけど、最近耳の事とかあって学校に来る頻度が上がってから、より一層とっつきにくくなっちゃったし……」
絵美は私の剣幕に押されて、緊張気味に話す。
「絵美が言いたいことは分かったけど、その話と私と真希人の間柄は関係ないでしょ?」
「関係あるよ!」
関係ないと言った瞬間、今度は絵美が間髪入れずに反応する。
「だって天音は本当に良い子なんだよ? 前のスターだった菅原君なら私も目を瞑ってたけど、今の何もない菅原君に天音はもったいない! 天音の評判まで下がっちゃう!」
絵美は言い切った後、肩で息をする。
彼女の言いたいことは分かる。
理解もする。
だけど同意はできない。
「何もない? 真希人に何もないってそう言ったの?」
私は自分の声が沈んでいるのが分かった。
いつもより低くなった声。
頭がちりちりとする感覚。
久しぶりにキレそう。
「絵美はさあ、高校に入ってから真希人を知ったよね? 私はずっと隣りで見てきたんだ。それこそ幼稚園ぐらいの時からずっと……」
私の剣幕に押されてか、絵美は一歩下がる。
「それで、ピアノの音が聞こえなくなったから、真希人には何もないってどうして言えるの? たかだか二年弱の間しか彼を知らない絵美が、どうしてそんな知った風な口が利けるの!?」
気づけば叫んでいた。
廊下に出ていた生徒たちが、私たちの方を向く。
でも構わない。
全て言ってやる!
「小学生の頃からずっとメディアに追われるのがどんなものかも知らないで、常に背負わされる重責の中、誹謗中傷に耐えながらもここまで生きてきた真希人の苦悩も知らないで! 何がもったいないよ!」
私たちを遠巻きに見ている生徒が増えだしたが、私は構わず続ける。
いっそのこと、ここに集まっている全員に言ってやる!
「みんなはいつもそう。目立っているからって目の敵にして、ちょっと調子が悪かったり上手くいかない時には嘲笑って、自分たちは学校が終わったら遊びに出かけたりデートしたり、部活に励んだりバイトしたり……真希人にはそんなのどれも許されなかったんだから! アンタたちと違うのは当たり前でしょ!」
やや騒がしかった廊下が静まり返る。
なにげに全員が聞き耳を立てていたようだ。
「絵美、あなたの言いたいことは分かるけど、それだけは譲れないから。私は誰のものでもなく真希人のものよ……」
私は絵美を睨む。
今まで理解があると思っていたのに、それを裏切られた気分だ。
「じゃあね絵美、もう話しかけないで」
私はそう言って歩き出す。
一人残された絵美を残して歩き出す。
絵美は呆然と立ち尽くし、やがて近くで聞いていた明美が私を睨む。
どうやら彼女も絵美と同じ意見のようだった。
私は自室で朝の支度をしながら、昨日入院する運びとなった真希人を想う。
私には親がいない。
正確にはいなくなったと言うべきか。
私が小学校を卒業するタイミングで、お母さんは交通事故で命を落とした。
派手な事故で、かなりニュースにもなった。
それでもお父さんは帰ってこなかった。
お父さんは海外で働いており、なかなか日本に帰ってこない。
そんな時、常に側にいてくれたのが真希人と彼の母親だった。
事あるごとにおばさんは私を気にかけてくれたし、もう亡くなってしまったけれど、真希人のお父さんだって私にピアノを教えてくれた。
家もお隣だし、小さい頃からの付き合いだったから、隣りに真希人がいるのが当たり前になっていた。
他にも友達はいるし、たまになら異性に告白されることだってある。
だけど私には真希人しか考えられなかった。
同い年なのに大人たちに混ざって、その才能を駆使して成りあがっていく彼。
一人で巨大なホールを埋めて演奏する彼。
テレビやニュースで取り上げられる彼。
どれも輝いて見えたし眩しかった。
そしてなにより恐怖を感じた。
私は恐怖したのだ。
彼が私の隣りからスルスルと抜け出して、どこか私の知らない世界へと旅立って行くんじゃないかと、不安で仕方がなかった。
それと同時に、どんどん独りになっていく彼を私は心配した。
だからかな?
彼がピアノの音が聞こえないと言い出した時、いけないことだと分かっていても、心のどこかでホッとしたのは。
彼がどこかに行ってしまう可能性が無くなったと、どこかホッとした。
これで彼も同級生に混じって、天才ピアニストでも悲劇の主人公でもない、一人の等身大の少年”菅原真希人”として生きていける。
そう思ってしまった私は間違っていたのだろうか?
「人は独りでは生きていけないか……」
真希人に言った言葉。
間違いなく私の本心。
真希人がいてくれたから生きていられた私の本心。
だからこそピアノを失った真希人が心を開いて、周囲に溶け込んでいくのを期待したけれど、現実は甘くなかった。
彼のこれまでの態度も相まって、落ちぶれた天才と揶揄されだしてから、彼と周囲の人間たちとの溝は修復できないところまで来てしまった。
真希人の症状は病気ではない。
唯一私だけが見えていた、死神による斬撃。
その瞬間から真希人はピアノの音を失った。
死神の呪い。
荒唐無稽な話だけど、でも見てしまったのだから信じるしかない。
あの大鎌が真希人からピアノの音を奪ったのは間違いないと思う。
死神の呪い。
だけどこの前のプロデューサーや、昨日のように特定個人の声が聞こえなくなるというのは一体なんなのだろう?
あれも死神の呪いなのだろうか?
もしそうだとしたら、その特定個人の選別はどういう基準なのだろう。
そう考えた時、私は一気に怖くなった。
もしもその対象に私が含まれたら?
私までもが呪いの対象になり、彼に声が届けられなくなったら?
そう思うと震えが止まらない。
私は真希人なしでは生きていけない。
こういう時こそ私がしっかりしなくちゃ!
「行ってきます!」
私は無人の家にそう告げて出発した。
クラスに到着すると、私の友人たちが出迎えてくれる。
真希人がいると、彼女たちは遠慮してあんまり絡んでこないのだ。
「今日は菅原君一緒じゃないの?」
「うん。昨日から寝込んじゃって」
「そうなんだ~心配だね」
社交辞令的な心配をして、それ以上彼について言及してこなかった。
「天音はさあ、やっぱり菅原君がこうやって学校に来るようになって嬉しいの?」
仲良しグループの一人である絵美が尋ねる。
絵美とは高校に入学してからの付き合いだ。
真希人の次に大事な私の友達。
「う~ん、まあそうかな。ちょっと複雑だけどね」
私は素直に答える。
嬉しさ半分と、悔しさ半分。
彼の側にいられる時間が増えて嬉しいのは本当だが、彼の持つ類まれなる才能が埋もれていくことに悔しさもある。
だけど同時に彼が孤独にならないようにしなければと思うし、自分だけの彼でいて欲しいという気持ちもある。
自分自身でも迷っている。
「そうだよね。でも私は、菅原君には活躍しててもらいたいかな」
「それって天音に構ってもらえる時間が増えるからでしょ」
途中で同じく仲のいい明美が茶々をいれる。
「う、うん。そうだよ」
思いの外当たっていたのか、絵美はやや歯切れが悪い。
「明美も意地悪言わないの」
私は明美に笑いながらそう言うと、絵美はあんまり笑っていない。
どうしたのか聞こうと思ったところで、先生が教室に入って来てしまった。
私は授業中ずっと気になっていたのだが、なかなか聞けるタイミングがないまま下校時間となってしまった。
「ねえ天音、ちょっと良いかな?」
絵美は複雑な表情を浮かべ、私をあまりひとけの無い廊下の端っこに連れてきた。
「どうしたの?」
私も絵美に朝の様子について聞きたかったのだが、まずは誘ってきた絵美に先に喋らせる。
「その、今までずっと思ってたことで、ずっと言いにくかったんだけど……」
嫌な前置きだ。
こういう前置きの後、良い話がきた試しがない。
「もう少し菅原君と距離を開けた方が良いと思って」
「どうして?」
そうか。
そう思うのか。
気づけば私は即座に聞き返していた。
「……ほら、菅原君ってずっとメディアに出続けてたし、天才ピアニストとか騒がれてたから、私たちのことをどこか見下してる感じがしてて……それだけならまだ良かったんだけど、最近耳の事とかあって学校に来る頻度が上がってから、より一層とっつきにくくなっちゃったし……」
絵美は私の剣幕に押されて、緊張気味に話す。
「絵美が言いたいことは分かったけど、その話と私と真希人の間柄は関係ないでしょ?」
「関係あるよ!」
関係ないと言った瞬間、今度は絵美が間髪入れずに反応する。
「だって天音は本当に良い子なんだよ? 前のスターだった菅原君なら私も目を瞑ってたけど、今の何もない菅原君に天音はもったいない! 天音の評判まで下がっちゃう!」
絵美は言い切った後、肩で息をする。
彼女の言いたいことは分かる。
理解もする。
だけど同意はできない。
「何もない? 真希人に何もないってそう言ったの?」
私は自分の声が沈んでいるのが分かった。
いつもより低くなった声。
頭がちりちりとする感覚。
久しぶりにキレそう。
「絵美はさあ、高校に入ってから真希人を知ったよね? 私はずっと隣りで見てきたんだ。それこそ幼稚園ぐらいの時からずっと……」
私の剣幕に押されてか、絵美は一歩下がる。
「それで、ピアノの音が聞こえなくなったから、真希人には何もないってどうして言えるの? たかだか二年弱の間しか彼を知らない絵美が、どうしてそんな知った風な口が利けるの!?」
気づけば叫んでいた。
廊下に出ていた生徒たちが、私たちの方を向く。
でも構わない。
全て言ってやる!
「小学生の頃からずっとメディアに追われるのがどんなものかも知らないで、常に背負わされる重責の中、誹謗中傷に耐えながらもここまで生きてきた真希人の苦悩も知らないで! 何がもったいないよ!」
私たちを遠巻きに見ている生徒が増えだしたが、私は構わず続ける。
いっそのこと、ここに集まっている全員に言ってやる!
「みんなはいつもそう。目立っているからって目の敵にして、ちょっと調子が悪かったり上手くいかない時には嘲笑って、自分たちは学校が終わったら遊びに出かけたりデートしたり、部活に励んだりバイトしたり……真希人にはそんなのどれも許されなかったんだから! アンタたちと違うのは当たり前でしょ!」
やや騒がしかった廊下が静まり返る。
なにげに全員が聞き耳を立てていたようだ。
「絵美、あなたの言いたいことは分かるけど、それだけは譲れないから。私は誰のものでもなく真希人のものよ……」
私は絵美を睨む。
今まで理解があると思っていたのに、それを裏切られた気分だ。
「じゃあね絵美、もう話しかけないで」
私はそう言って歩き出す。
一人残された絵美を残して歩き出す。
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