538 / 782
旅路〜グランヌス(渓谷・渓流)〜
546
しおりを挟む「おー、走ってる走ってる」
朝飯の片づけが終わって、昼食の準備が一段落したところで窓から外を眺めると、偵察隊の人達が走っていた。
「私もよく走ってたなあ……」
今だって過去形ではなく、まったくの他人事ごとではない。調理室でご飯作りをしていても、自衛官であることには変わらないし、定期的に訓練に参加することもあるのだから。
「でも、最近じゃ脚力より、絶対に腕力の方が強くなっているわよね」
大鍋でおかずをかき混ぜたりするのはかなりの重労働。二の腕には、ここに来た時よりも絶対に筋肉がついたと思う。そう思いながら腕を曲げて力こぶを作ってみた。ほら見て、立派な力こぶができた♪
私の後ろでは、駐屯地内のいろんな部署から派遣されてくる隊員さん達が昼食の準備をしていた。別に私がサボっているわけでも、彼等が懲罰でここに来させられているわけでもない。これも、一応は訓練のうちなのだ。
どういうことかというと、なにか有事が起きてここの隊員達がてんでばらばらになった時にでも、ちゃんと一人でサバイバルできるように調理技術も身につけさせるという、まあいわば親心みたいなものなんだとか。
いま作業している彼等も、最初に来た時はそりゃもう使いものにならなくて大変だった。
まさか自衛隊に来て、誰かにジャガイモの皮のむき方から仕込まなくちゃいけなくなるなんて、私も思いもしなかった。だけど、そんな彼等も今ではなんとか形になるものを作れるようになり、味つけに関しても私が確認すれば良いだけになっていた。すごい進歩でしょ? 鍋をひっくりかえしたくなる衝動をこらえながら、我慢強く指導した自分をほめてあげたい。
「あれ、ペースが遅くなってきた」
最初は張り切って走っていた一団の、走るスピードがどんどん遅くなっている。もしかしてスタミナ切れ? ああ、やっぱりもっと栄養価が高くて腹持ちのする朝ご飯を用意しなくちゃ駄目かな?
「……でも、後ろについて走ってる人はずっと同じペースで走り続けてるよね」
人によってエネルギー代謝率はさまざまだし、後ろを走っている人は省エネタイプなのかな。そう言えば見たことのない顔かも。あ、新しく着任した小隊長さんかな?
そんな私の頭の中の声が聞こえたのか、グループの最後尾を走っていた人がこっちを見た。や、やばい、糧食班がサボっていると思われちゃうよ! 慌てて姿勢を正してみたものの、窓際に立っていたら同じことだって気がついた。な、中に引っ込まなくちゃ!
「わあ」
後ろに下がろうとしたら、濡れていた床に足をとられて尻餅をついてしまった。よく見ればジャガイモの皮が。どうやらこれで滑ったらしい。
「もう! なんでこんなところにジャガイモの皮?!」
もしかして私の長靴にでもひっついてきた? 皮をつまむ。そして皮を見つめたところで、その向こう側でこちらを見ている数名の隊員と目が合った。
「ちょっと。そこはこう、なんて言うか、大丈夫ですかって声をかけないまでも、見ないふりをする優しさとか無いんですか?」
私のムカついた言葉に、慌てて視線を自分達の手元におとす。どうして肩が震えているかな、まったく。あ。
「あ、これってもしかして、私に対する嫌がらせですか?!」
つまみあげたジャガイモの皮を突き出すと、全員がとんでもないと慌てて首を振った。
「違う違う、嫌がらせなんてとんでもない!」
「そうですよ。ここにきて二ヶ月、ここまで任せてもらえるまで調理の腕が上達できたのは、音無三曹の指導のお蔭なんです。感謝することはあっても、嫌がらせなんてとんでもない」
「音無三曹がいなくなったら、俺達は美味しいご飯が食べられなくなるじゃないか。嫌がらせする奴は俺達が許さないから……俺達の胃袋のためにも」
「それって喜んでいいんですか?」
「もちろんですよ!」
そう、私はここの駐屯地の男連中の胃袋を、わしづかみにしているらしい。
「その調子で、新しく来た幹部殿のことも調略してほしいんですけどねえ」
「調略って、どこの陰謀時代劇ですか」
「だってすっげー怖い人らしいですよ。鬼、悪魔って呼ばれているらしいです。その人が配属された小隊から死人が出るかも」
「えー?」
俺、ここから戻りたくないなあなんて言い出す人までいる始末。いったい、どんな怖い人がやって来たのやら。
「その人って、どこか別のところから来たベテランさんなんですか?」
「いや。BOCを終えたばかりの若い幹部だよ。今年度うちに来たのは二人なんだけどね、そのうちの一人が、そりゃえげつないぐらい化け物じみているらしいよ。あ、これは人事の知り合いからの伝聞で、俺はまだ会ったことがないけど」
「それって一体どういう……」
もしかして私の憧れるなんとか兵曹みたいな人なんだろうか? あ、でも彼は特殊部隊の指揮官をしていたベテランで、新米さんではないわよね? ってことはミリオタかぶれの変人とか? ああ、でもそれだったらBOCなんて行かないような気はするし。
「あ、そういえば」
さっき偵察小隊の一団の後ろを走っていた人も、見たことのない顔だった。ってことは、そのなんとか兵曹もどきさんの可能性もあり?
気になってもう一度、こっそりと窓から外をのぞいてみる。さっきの小隊はまだ走っていて足元がおぼつかない隊員が何人かいる中で、一番後ろの隊長さんらしき人はまったくさっきと変わらない。どのぐらいの時間を走っているのかわからないけど、なかなかのスタミナだよね。
「もしかしてー、もしかするのかなー?」
どんな人なのかな? ちょっと興味があるかもしれない。普段は厨房の奥に隠れている私も、その新しい小隊長さんは気になる存在になりつつあった。だって憧れのなんとか兵曹だよ? 気になって当然じゃない? ああ、鬼か悪魔だったら困るけど。
「音無三曹、味の確認をお願いします」
声をかけられたので窓から離れる。
「今日のカレーのできばえはどうでしょうか」
本日の味つけを任されたのは、この中で一番若い陸士長君だ。この子も、来たばかりの時は、包丁の持ち方からしてどうしようかと思うぐらいだったけれど、今では野菜の皮むきをさせたら右に出るものはいないぐらいなっていた。最近では、捨てる皮を使って細工切りまでするんだから感心してしまう。
小皿にルーを入れてフーフーしながら味見。うん、素晴らしい。
「うん、おいしいです。もしかして今回が、今までで一番のできじゃないですか? 合格です」
「本当に? やったー! ここにいる間に合格もらえたー!!」
よっしゃー!と言う感じで両手をあげて喜ぶ陸士長君。ここまで長かったねー、お姉さんも嬉しいよ。
「この調子で夕飯の時も頑張りましょう」
「了解しました!!」
そういうわけで隊員の皆さーん、本日のお昼ご飯は皆の大好きなカレーですよー!
+++++
昼食の時間になって、外にいた隊員達が一斉に食堂に戻ってきた。
さっき私が走るのを観察していた小隊の人達も戻ってきたけど、心なしか顔色が悪い。さらにはその中の大森二曹と山本二曹が、ご機嫌ななめな様子でなにやらブツブツと悪態をついている。なになに? あの森永ってやつの持久力は化け物か?
ああ、やっぱりさっきの隊長さんらしき人がケーシーなにがしさんなんだ。遠くからしか見えなかったけれど、どんな人なんだろう? 顔を見たいけど、幹部はこことは違う場所で食事をしているので、残念ながら遠目でしかご尊顔を拝することはできない。
「今日のカレーはうまいな」
そんな声が聞こえてきて、自分のことのように嬉しくなる。ぜいたくを言うなら、もう少しゆっくり味わって食べて欲しいんだけどなかなかそれは難しい。でも、ここからながめていても、おいしそうに食べてくれているのがわかるから良しとするか。
そんな感じで慌ただしい食事作りの任務もとどこおりなく終わり、在庫確認を終えると、食器を片づけるという一日の最後の作業に入った。人数が人数だからこれもなかなか重労働な作業だ。所定の場所に食器を片づていると、コンコンとカウンターをたたく音がした。ふりかえると、トレーを持った隊員が立っていた。
「ああ、もう。なんでもう少し早く持ってきてくれないんですか? そりゃあ任務のうちですから片づけますけどね、次の準備もありますし、こっちにも手順ってものがあるんですよ?」
「すまない。名取一佐に呼び出しを受けていて、食べるのが遅くなってしまった」
「そうなんですか? しかられていたのならしかたないですね、こっちに渡してください」
「べつに、しかられていたわけじゃないんだが」
「どちらにしろ呼び出しを食らったんでしょ? 似たようなものですよ」
そう言いながら、その人が立っているところに足早に向かう。
「……あまり見かけない顔ですね?」
と言いながら、階級章に目をやって飛び上がった。二尉ってことは幹部! 幹部がどうして食器を自分で運んでくるの?! こういうことって下の子達がすることなんじゃ?!
「あ、失礼しました! 幹部のかたとは知らずに」
「いや、かまわない。遅くなったのは事実だから。ところで、ここでは君がすべて食事を作っているのか?」
カウンターにトレーを置くと少しだけこちらを覗き込むように身を屈めてから尋ねてきた。
「ここは民間に委託してませんからね。糧食班には、駐屯地内の色んな部署から隊員が派遣されてくるのは御存知でしょう? 彼らが慣れるまでは私がしますが、ある程度任せられるようになったので、今はほとんど彼らが作ってますよ。お口にあいませんでしたか?」
心配になって思わず聞いてしまった。
「いや、うまかったよ」
「そうですか、それは良かった。今日は新人陸士長君会心のできでしたからね。幹部の人にほめてもらったって知ったら喜びます」
食器をシンクに運んでから、その人がまだそこに立っていることに気がついた。
「あの、まさかご飯のおかわりがしたいとか、言いませんよね?」
「あるのかい?」
「残念ながら完食御礼です。幹部のかたなら営外住みで自由に出来るんだから、色々と自宅に備蓄はしてるんでしょう? まだお腹が寂しいならそれを食べてください」
私の言葉に、その人がおかしそうに笑った。真面目な顔をしている時はちょっと怖そうな感じではあったけど、笑うと急に可愛くなっちゃうのね、意外なギャップだ。
「そう言えば、昼間のカレーはうまかったな」
「ここは毎週水曜日がカレーの日なんですよ、昼だったり夜だったり、まちまちですけど」
陸自カレーに関しては、海自カレーとは違って全体で曜日が統一されているわけではないのだ。
「そうか。じゃあ、来週の水曜日をまた楽しみにしているよ」
「ここはカレーしかおいしくないって言われてるみたい」
「そんなことはないさ。朝飯もうまかったし、この夕飯もうまかった」
「なら良いんですけどね」
「じゃあ。二度手間をかけてもうしわけなかった」
「いいえ。次からはできるだけ時間内に食べてくださいね。そうしたらカレーのおかわりにありつけるかも」
頑張るよと笑いながら立ち去ろうとしたその人は、急に立ち止まってふりかえった。
「ところでそっちの名前は?」
「私ですか? まさか無礼な口振りを上に告げ口するとか」
「そんなことはしないよ。社交辞令の一環として」
「なら良いんですけど。音無です、音無三等陸曹です。そちらのことをおうかがいしても?」
「森永だ」
あ、つい最近その名前を聞いた覚えが。
「ああ、ケー」
ケーシーなにがしと言いかけて、あわてて口をつぐんだ。
「ケ?」
「いえ。新しく着任された小隊長のお一人なのかなと」
「ああ、そうだ。これからはしばらく俺の胃袋がお世話になると思うけどよろしく」
こうして私は、気になるケーシーなにがし的な小隊長さんと対面することができた。
「……思っていたより細身で小柄だったかな」
映画と現実をごっちゃにしたら駄目だよって話だよね。
朝飯の片づけが終わって、昼食の準備が一段落したところで窓から外を眺めると、偵察隊の人達が走っていた。
「私もよく走ってたなあ……」
今だって過去形ではなく、まったくの他人事ごとではない。調理室でご飯作りをしていても、自衛官であることには変わらないし、定期的に訓練に参加することもあるのだから。
「でも、最近じゃ脚力より、絶対に腕力の方が強くなっているわよね」
大鍋でおかずをかき混ぜたりするのはかなりの重労働。二の腕には、ここに来た時よりも絶対に筋肉がついたと思う。そう思いながら腕を曲げて力こぶを作ってみた。ほら見て、立派な力こぶができた♪
私の後ろでは、駐屯地内のいろんな部署から派遣されてくる隊員さん達が昼食の準備をしていた。別に私がサボっているわけでも、彼等が懲罰でここに来させられているわけでもない。これも、一応は訓練のうちなのだ。
どういうことかというと、なにか有事が起きてここの隊員達がてんでばらばらになった時にでも、ちゃんと一人でサバイバルできるように調理技術も身につけさせるという、まあいわば親心みたいなものなんだとか。
いま作業している彼等も、最初に来た時はそりゃもう使いものにならなくて大変だった。
まさか自衛隊に来て、誰かにジャガイモの皮のむき方から仕込まなくちゃいけなくなるなんて、私も思いもしなかった。だけど、そんな彼等も今ではなんとか形になるものを作れるようになり、味つけに関しても私が確認すれば良いだけになっていた。すごい進歩でしょ? 鍋をひっくりかえしたくなる衝動をこらえながら、我慢強く指導した自分をほめてあげたい。
「あれ、ペースが遅くなってきた」
最初は張り切って走っていた一団の、走るスピードがどんどん遅くなっている。もしかしてスタミナ切れ? ああ、やっぱりもっと栄養価が高くて腹持ちのする朝ご飯を用意しなくちゃ駄目かな?
「……でも、後ろについて走ってる人はずっと同じペースで走り続けてるよね」
人によってエネルギー代謝率はさまざまだし、後ろを走っている人は省エネタイプなのかな。そう言えば見たことのない顔かも。あ、新しく着任した小隊長さんかな?
そんな私の頭の中の声が聞こえたのか、グループの最後尾を走っていた人がこっちを見た。や、やばい、糧食班がサボっていると思われちゃうよ! 慌てて姿勢を正してみたものの、窓際に立っていたら同じことだって気がついた。な、中に引っ込まなくちゃ!
「わあ」
後ろに下がろうとしたら、濡れていた床に足をとられて尻餅をついてしまった。よく見ればジャガイモの皮が。どうやらこれで滑ったらしい。
「もう! なんでこんなところにジャガイモの皮?!」
もしかして私の長靴にでもひっついてきた? 皮をつまむ。そして皮を見つめたところで、その向こう側でこちらを見ている数名の隊員と目が合った。
「ちょっと。そこはこう、なんて言うか、大丈夫ですかって声をかけないまでも、見ないふりをする優しさとか無いんですか?」
私のムカついた言葉に、慌てて視線を自分達の手元におとす。どうして肩が震えているかな、まったく。あ。
「あ、これってもしかして、私に対する嫌がらせですか?!」
つまみあげたジャガイモの皮を突き出すと、全員がとんでもないと慌てて首を振った。
「違う違う、嫌がらせなんてとんでもない!」
「そうですよ。ここにきて二ヶ月、ここまで任せてもらえるまで調理の腕が上達できたのは、音無三曹の指導のお蔭なんです。感謝することはあっても、嫌がらせなんてとんでもない」
「音無三曹がいなくなったら、俺達は美味しいご飯が食べられなくなるじゃないか。嫌がらせする奴は俺達が許さないから……俺達の胃袋のためにも」
「それって喜んでいいんですか?」
「もちろんですよ!」
そう、私はここの駐屯地の男連中の胃袋を、わしづかみにしているらしい。
「その調子で、新しく来た幹部殿のことも調略してほしいんですけどねえ」
「調略って、どこの陰謀時代劇ですか」
「だってすっげー怖い人らしいですよ。鬼、悪魔って呼ばれているらしいです。その人が配属された小隊から死人が出るかも」
「えー?」
俺、ここから戻りたくないなあなんて言い出す人までいる始末。いったい、どんな怖い人がやって来たのやら。
「その人って、どこか別のところから来たベテランさんなんですか?」
「いや。BOCを終えたばかりの若い幹部だよ。今年度うちに来たのは二人なんだけどね、そのうちの一人が、そりゃえげつないぐらい化け物じみているらしいよ。あ、これは人事の知り合いからの伝聞で、俺はまだ会ったことがないけど」
「それって一体どういう……」
もしかして私の憧れるなんとか兵曹みたいな人なんだろうか? あ、でも彼は特殊部隊の指揮官をしていたベテランで、新米さんではないわよね? ってことはミリオタかぶれの変人とか? ああ、でもそれだったらBOCなんて行かないような気はするし。
「あ、そういえば」
さっき偵察小隊の一団の後ろを走っていた人も、見たことのない顔だった。ってことは、そのなんとか兵曹もどきさんの可能性もあり?
気になってもう一度、こっそりと窓から外をのぞいてみる。さっきの小隊はまだ走っていて足元がおぼつかない隊員が何人かいる中で、一番後ろの隊長さんらしき人はまったくさっきと変わらない。どのぐらいの時間を走っているのかわからないけど、なかなかのスタミナだよね。
「もしかしてー、もしかするのかなー?」
どんな人なのかな? ちょっと興味があるかもしれない。普段は厨房の奥に隠れている私も、その新しい小隊長さんは気になる存在になりつつあった。だって憧れのなんとか兵曹だよ? 気になって当然じゃない? ああ、鬼か悪魔だったら困るけど。
「音無三曹、味の確認をお願いします」
声をかけられたので窓から離れる。
「今日のカレーのできばえはどうでしょうか」
本日の味つけを任されたのは、この中で一番若い陸士長君だ。この子も、来たばかりの時は、包丁の持ち方からしてどうしようかと思うぐらいだったけれど、今では野菜の皮むきをさせたら右に出るものはいないぐらいなっていた。最近では、捨てる皮を使って細工切りまでするんだから感心してしまう。
小皿にルーを入れてフーフーしながら味見。うん、素晴らしい。
「うん、おいしいです。もしかして今回が、今までで一番のできじゃないですか? 合格です」
「本当に? やったー! ここにいる間に合格もらえたー!!」
よっしゃー!と言う感じで両手をあげて喜ぶ陸士長君。ここまで長かったねー、お姉さんも嬉しいよ。
「この調子で夕飯の時も頑張りましょう」
「了解しました!!」
そういうわけで隊員の皆さーん、本日のお昼ご飯は皆の大好きなカレーですよー!
+++++
昼食の時間になって、外にいた隊員達が一斉に食堂に戻ってきた。
さっき私が走るのを観察していた小隊の人達も戻ってきたけど、心なしか顔色が悪い。さらにはその中の大森二曹と山本二曹が、ご機嫌ななめな様子でなにやらブツブツと悪態をついている。なになに? あの森永ってやつの持久力は化け物か?
ああ、やっぱりさっきの隊長さんらしき人がケーシーなにがしさんなんだ。遠くからしか見えなかったけれど、どんな人なんだろう? 顔を見たいけど、幹部はこことは違う場所で食事をしているので、残念ながら遠目でしかご尊顔を拝することはできない。
「今日のカレーはうまいな」
そんな声が聞こえてきて、自分のことのように嬉しくなる。ぜいたくを言うなら、もう少しゆっくり味わって食べて欲しいんだけどなかなかそれは難しい。でも、ここからながめていても、おいしそうに食べてくれているのがわかるから良しとするか。
そんな感じで慌ただしい食事作りの任務もとどこおりなく終わり、在庫確認を終えると、食器を片づけるという一日の最後の作業に入った。人数が人数だからこれもなかなか重労働な作業だ。所定の場所に食器を片づていると、コンコンとカウンターをたたく音がした。ふりかえると、トレーを持った隊員が立っていた。
「ああ、もう。なんでもう少し早く持ってきてくれないんですか? そりゃあ任務のうちですから片づけますけどね、次の準備もありますし、こっちにも手順ってものがあるんですよ?」
「すまない。名取一佐に呼び出しを受けていて、食べるのが遅くなってしまった」
「そうなんですか? しかられていたのならしかたないですね、こっちに渡してください」
「べつに、しかられていたわけじゃないんだが」
「どちらにしろ呼び出しを食らったんでしょ? 似たようなものですよ」
そう言いながら、その人が立っているところに足早に向かう。
「……あまり見かけない顔ですね?」
と言いながら、階級章に目をやって飛び上がった。二尉ってことは幹部! 幹部がどうして食器を自分で運んでくるの?! こういうことって下の子達がすることなんじゃ?!
「あ、失礼しました! 幹部のかたとは知らずに」
「いや、かまわない。遅くなったのは事実だから。ところで、ここでは君がすべて食事を作っているのか?」
カウンターにトレーを置くと少しだけこちらを覗き込むように身を屈めてから尋ねてきた。
「ここは民間に委託してませんからね。糧食班には、駐屯地内の色んな部署から隊員が派遣されてくるのは御存知でしょう? 彼らが慣れるまでは私がしますが、ある程度任せられるようになったので、今はほとんど彼らが作ってますよ。お口にあいませんでしたか?」
心配になって思わず聞いてしまった。
「いや、うまかったよ」
「そうですか、それは良かった。今日は新人陸士長君会心のできでしたからね。幹部の人にほめてもらったって知ったら喜びます」
食器をシンクに運んでから、その人がまだそこに立っていることに気がついた。
「あの、まさかご飯のおかわりがしたいとか、言いませんよね?」
「あるのかい?」
「残念ながら完食御礼です。幹部のかたなら営外住みで自由に出来るんだから、色々と自宅に備蓄はしてるんでしょう? まだお腹が寂しいならそれを食べてください」
私の言葉に、その人がおかしそうに笑った。真面目な顔をしている時はちょっと怖そうな感じではあったけど、笑うと急に可愛くなっちゃうのね、意外なギャップだ。
「そう言えば、昼間のカレーはうまかったな」
「ここは毎週水曜日がカレーの日なんですよ、昼だったり夜だったり、まちまちですけど」
陸自カレーに関しては、海自カレーとは違って全体で曜日が統一されているわけではないのだ。
「そうか。じゃあ、来週の水曜日をまた楽しみにしているよ」
「ここはカレーしかおいしくないって言われてるみたい」
「そんなことはないさ。朝飯もうまかったし、この夕飯もうまかった」
「なら良いんですけどね」
「じゃあ。二度手間をかけてもうしわけなかった」
「いいえ。次からはできるだけ時間内に食べてくださいね。そうしたらカレーのおかわりにありつけるかも」
頑張るよと笑いながら立ち去ろうとしたその人は、急に立ち止まってふりかえった。
「ところでそっちの名前は?」
「私ですか? まさか無礼な口振りを上に告げ口するとか」
「そんなことはしないよ。社交辞令の一環として」
「なら良いんですけど。音無です、音無三等陸曹です。そちらのことをおうかがいしても?」
「森永だ」
あ、つい最近その名前を聞いた覚えが。
「ああ、ケー」
ケーシーなにがしと言いかけて、あわてて口をつぐんだ。
「ケ?」
「いえ。新しく着任された小隊長のお一人なのかなと」
「ああ、そうだ。これからはしばらく俺の胃袋がお世話になると思うけどよろしく」
こうして私は、気になるケーシーなにがし的な小隊長さんと対面することができた。
「……思っていたより細身で小柄だったかな」
映画と現実をごっちゃにしたら駄目だよって話だよね。
740
お気に入りに追加
10,436
あなたにおすすめの小説
無名の三流テイマーは王都のはずれでのんびり暮らす~でも、国家の要職に就く弟子たちがなぜか頼ってきます~
鈴木竜一
ファンタジー
※本作の書籍化が決定いたしました!
詳細は近況ボードに載せていきます!
「もうおまえたちに教えることは何もない――いや、マジで!」
特にこれといった功績を挙げず、ダラダラと冒険者生活を続けてきた無名冒険者兼テイマーのバーツ。今日も危険とは無縁の安全な採集クエストをこなして飯代を稼げたことを喜ぶ彼の前に、自分を「師匠」と呼ぶ若い女性・ノエリ―が現れる。弟子をとった記憶のないバーツだったが、十年ほど前に当時惚れていた女性にいいところを見せようと、彼女が運営する施設の子どもたちにテイマーとしての心得を説いたことを思い出す。ノエリ―はその時にいた子どものひとりだったのだ。彼女曰く、師匠であるバーツの教えを守って修行を続けた結果、あの時の弟子たちはみんな国にとって欠かせない重要な役職に就いて繁栄に貢献しているという。すべては師匠であるバーツのおかげだと信じるノエリ―は、彼に王都へと移り住んでもらい、その教えを広めてほしいとお願いに来たのだ。
しかし、自身をただのしがない無名の三流冒険者だと思っているバーツは、そんな指導力はないと語る――が、そう思っているのは本人のみで、実はバーツはテイマーとしてだけでなく、【育成者】としてもとんでもない資質を持っていた。
バーツはノエリ―に押し切られる形で王都へと出向くことになるのだが、そこで立派に成長した弟子たちと再会。さらに、かつてテイムしていたが、諸事情で契約を解除した魔獣たちも、いつかバーツに再会することを夢見て自主的に鍛錬を続けており、気がつけばSランクを越える神獣へと進化していて――
こうして、無名のテイマー・バーツは慕ってくれる可愛い弟子や懐いている神獣たちとともにさまざまな国家絡みのトラブルを解決していき、気づけば国家の重要ポストの候補にまで名を連ねるが、当人は「勘弁してくれ」と困惑気味。そんなバーツは今日も王都のはずれにある運河のほとりに建てられた小屋を拠点に畑をしたり釣りをしたり、今日ものんびり暮らしつつ、弟子たちからの依頼をこなすのだった。

元捨て子の新米王子様、今日もお仕事頑張ります!
藤なごみ
ファンタジー
簡易説明
転生前も転生後も捨て子として育てられた少年が、大きく成長する物語です
詳細説明
生まれた直後に病院に遺棄されるという運命を背負った少年は、様々な境遇の子どもが集まった孤児院で成長していった。
そして孤児院を退寮後に働いていたのだが、本人が気が付かないうちに就寝中に病気で亡くなってしまいす。
そして再び少年が目を覚ますと、前世の記憶を持ったまま全く別の世界で新たな生を受ける事に。
しかし、ここでも再び少年は生後直ぐに遺棄される運命を辿って行く事になります。
赤ん坊となった少年は、果たして家族と再会する事が出来るのか。
色々な視点が出てきて読みにくいと思いますがご了承ください。
家族の絆、血のつながりのある絆、血のつながらない絆とかを書いて行く予定です。
※小説家になろう様でも投稿しております
【完結】魔物をテイムしたので忌み子と呼ばれ一族から追放された最弱テイマー~今頃、お前の力が必要だと言われても魔王の息子になったのでもう遅い~
柊彼方
ファンタジー
「一族から出ていけ!」「お前は忌み子だ! 俺たちの子じゃない!」
テイマーのエリート一族に生まれた俺は一族の中で最弱だった。
この一族は十二歳になると獣と契約を交わさないといけない。
誰にも期待されていなかった俺は自分で獣を見つけて契約を交わすことに成功した。
しかし、一族のみんなに見せるとそれは『獣』ではなく『魔物』だった。
その瞬間俺は全ての関係を失い、一族、そして村から追放され、野原に捨てられてしまう。
だが、急な展開過ぎて追いつけなくなった俺は最初は夢だと思って行動することに。
「やっと来たか勇者! …………ん、子供?」
「貴方がマオウさんですね! これからお世話になります!」
これは魔物、魔族、そして魔王と一緒に暮らし、いずれ世界最強のテイマー、冒険者として名をとどろかせる俺の物語
2月28日HOTランキング9位!
3月1日HOTランキング6位!
本当にありがとうございます!
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」
授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。
途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。
ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。
駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。
しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。
毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。
翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。
使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった!
一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。
その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。
この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。
次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。
悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。
ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった!
<第一部:疫病編>
一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24
二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29
三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31
四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4
五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8
六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11
七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18

召喚失敗!?いや、私聖女みたいなんですけど・・・まぁいっか。
SaToo
ファンタジー
聖女を召喚しておいてお前は聖女じゃないって、それはなくない?
その魔道具、私の力量りきれてないよ?まぁ聖女じゃないっていうならそれでもいいけど。
ってなんで地下牢に閉じ込められてるんだろ…。
せっかく異世界に来たんだから、世界中を旅したいよ。
こんなところさっさと抜け出して、旅に出ますか。
【完結】月下の聖女〜婚約破棄された元聖女、冒険者になって悠々自適に過ごす予定が、追いかけてきた同級生に何故か溺愛されています。
五城楼スケ(デコスケ)
ファンタジー
※本編完結しました。お付き合いいただいた皆様、有難うございました!※
両親を事故で亡くしたティナは、膨大な量の光の魔力を持つ為に聖女にされてしまう。
多忙なティナが学院を休んでいる間に、男爵令嬢のマリーから悪い噂を吹き込まれた王子はティナに婚約破棄を告げる。
大喜びで婚約破棄を受け入れたティナは憧れの冒険者になるが、両親が残した幻の花の種を育てる為に、栽培場所を探す旅に出る事を決意する。
そんなティナに、何故か同級生だったトールが同行を申し出て……?
*HOTランキング1位、エールに感想有難うございます!とても励みになっています!

憧れのテイマーになれたけど、何で神獣ばっかりなの⁉
陣ノ内猫子
ファンタジー
神様の使い魔を助けて死んでしまった主人公。
お詫びにと、ずっとなりたいと思っていたテイマーとなって、憧れの異世界へ行けることに。
チートな力と装備を神様からもらって、助けた使い魔を連れ、いざ異世界へGO!
ーーーーーーーーー
これはボクっ子女子が織りなす、チートな冒険物語です。
ご都合主義、あるかもしれません。
一話一話が短いです。
週一回を目標に投稿したと思います。
面白い、続きが読みたいと思って頂けたら幸いです。
誤字脱字があれば教えてください。すぐに修正します。
感想を頂けると嬉しいです。(返事ができないこともあるかもしれません)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる