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11、カンタービレ 歌うように
しおりを挟む校庭では今日も椿くんが走っている。
私はそれをいつものように音楽室のベランダから見つめる。
椿くんと話したことがないとき、どんなひとなんだろうって、ずっと想像してた。
笑顔がすてきで明るくて、どんな声とどんなテンポでしゃべるんだろうって。
あなたとおしゃべりして、想像してたよりももっとすてきなひとだって知った。
やっぱり私は、あなたが好きなんだってことも。
私は抹茶のチョコレートを口にふくんだ。
「よし!休憩終わり!」
私はベランダから音楽室内に戻る。
「愛華」
「うわあっ!?」
急に声をかけられて、私は飛び上がった。
そこにいたのは水原くんだった。
「びっくりしたぁ、水原くんかぁ」
水原くんはいつもみたいに無表情で、いつもどおりにクールだった。
「調子はどうだ?先生からはほめられていたみたいだったが」
「うん、ばっちり!自分なりの解釈もできてるし、このままいけばコンクールもいいところまでいけるかも!」
めずらしく自信のある私の言葉に、水原くんは「そうか」と言ってほっとしたような表情を見せた。
しかしその表情もすぐにくもってしまう。
「…また、校庭を見ていたのか」
「あ、うん…」
少し気まずくて、私は視線を外した。
水原くんは浅く息をはき出した。
「愛華の気持ちが俺に向いていないことはよくわかっている」
「うん…ごめん…。私、水原くんの気持ちには答えられないと思う。やっぱり椿くんのことが、好きだから…」
「気にしなくていい。俺はきっとこの先も愛華のことが好きだろうし、そもそも愛華と違って、恋愛にピアノまで左右されるつもりはない」
「うん、水原くんらしいね」
あまりに水原くんらしい言葉で、少し笑ってしまった。
「そんなことよりも、俺は愛華がずっと俺と競いあえる人間であってほしいと思う」
「うん、ありがとう。私、もう大丈夫だから」
この気持ちの行く先は、もう見えている。
私はこのコンクールに今の気持ちをのせるんだ。
あっという間にピアノコンクールの日がやってきた。
この前のピアノ教室の発表会よりも、不思議とものすごく心が落ち着いていて、今日ならぜったいうまくいく、そう確信がもてた。
「愛華ちゃんっ!」
「美音ちゃん、それに藤宮くんも」
コンサートホール内を歩いていると、ちょうど美音ちゃんに声をかけられた。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ!誘ってくれてありがとう!」
椿くんをコンクールに誘ったあと、美音ちゃんにも声をかけた。
今の私のできる最高の演奏を、みんなにも聞いてもらいたかったから。
「藤宮くんも、来てくれてありがとうね」
藤宮くんは相変わらず無表情で「別に」とだけ言った。
「えっと、椿くんは?」
てっきりふたりといっしょにくるものだと思っていたから、その姿が見えなくて私はきょろきょろと辺りを見回した。
美音ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん愛華ちゃん、椿、少し遅れるって。寝坊したわけじゃないみたいなんだけど…。演奏には間に合うと思うから!」
「そっか」
それならよかった。
この曲は、椿くんに聴かせるために仕上げた曲だから…。
「それにしても愛華ちゃんすごいねっ!ピアノ弾けるなんてかっこいい!応援してるね!」
「ありがとう!」
そう言ってふたりは去って行く。
私も控室に戻ることにした。
「愛華ちゃん」
「麗良ちゃん」
ピンクのかわいいドレスに身を包んだ麗良ちゃんが、私の前にやってきた。
麗良ちゃんと話すのは、あのとき以来だった。
「いよいよだね」
「そうだね」
「私、ぜったいに愛華ちゃんに負けないから」
麗良ちゃんはぷいっと顔を背けると、控室を出て行った。
入れ替わりに、水原くんが入ってきた。
「愛華、準備はできているか?」
「もちろん」
「いい演奏を期待している」
水原くんがめずらしくにっと笑うので、私も同じように笑った。
「まかせて」
私の演奏の順番は最後だった。
水原くん、麗良ちゃんの演奏を聴いて、やっぱりふたりとも上手だなって改めて思った。
けれど、ふたりに負ける気はまったくしない。
私だってここ数日、たくさん練習したんだ。
椿くんに聴いてもらいたい。
私の、あなたへの「別れの曲」を。
あっという間に順番は回ってきて、私は拍手とともにステージに上がった。
一瞬ステージを見ただけで、椿くんがどこに座っているかわかった。
わかるよ、だってあなたはいつもまぶしいくらいに光っている。
椅子に腰を降ろして、ペダルに足を乗せた。
これが私の、ショパンの「別れの曲」。
今までいろんなことがあったなぁ…。
校庭で走るあなたを見つけて、駅で助けてもらって。
それからたくさんおしゃべりしたね。
私のピアノも聴きに来てくれた。
私の好きなお菓子を好きだと言ってくれた。うれしかった。
あの抹茶のチョコレートみたいに、私も好きになってほしかった。
椿くんと過ごしたどれもが、私にとっては大事な時間で、幸せな時間だった。
でも、この恋はけっして実らない。
私は今日、ここで、この恋を終わらせる決意をしたんだ。
これが私の恋への、「別れの曲」。
前を向いて進むための、大事な別れなんだ。
その気持ちを私はショパンのメロディに乗せる。
さよなら、初恋。
初恋は実らない、苦いものだ、ってだれかが言っていたような気がするけれど、本当にそのとおりだったなぁ…。
そんなことを思って、私は少し笑ってしまった。
きっともう間もなく、コンクールの結果が発表になる。
予選通過は問題ないとは思うけれど、それでも結果が出るまでは不安でいっぱいだ。
水原くんと麗良ちゃんといっしょにロビーに行って、張り出される結果表をドキドキしながら待った。
ふたりの男性がやってきて、ロビーに結果表が貼り出された。
予選通過者、そう書かれた下には、柏崎 愛華の名前があった。
「よかった……」
私はほっと胸をなでおろす。
「まぁ、当然だな」
「麗良もあったよ!」
私のとなりで、水原くんと麗良ちゃんもうれしそうな声をあげる。
「愛華ちゃんとの決着は、本戦まで持ち越しかぁ」
麗良ちゃんが残念そうに、けれど自信満々に私へと指をさした。
「次だって負けないんだからっ!」
「望むところだよ」
麗良ちゃんとは、けんか中…ってことになるのかな…?
それでも以前よりも競い合えることがうれしくて、楽しいと思ってしまう。
水原くんに麗良ちゃん。
負けたくないと思えるライバルがいるって、なんだかうれしいことだ。
私はこの先もずっと、ふたりと競い合ってピアノを弾いていきたい。
もっと上手になりたい。
将来、ピアノを仕事にできたら…。
そんなふうに意識したのは、今日がはじめてだった。
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