恋を奏でるピアノ

四条葵

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9、ペルデーンドシ 消えるように

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 放課後。音楽室のピアノで練習をして、校庭で走る椿くんを見て。
 いつもと変わらない穏やかな日々。
 椿くんの部活でがんばっている姿を見ていると、私ももっとがんばらなきゃって気合が入るんだ。

「よし!がんばるぞー!」

 ピアノ教室の発表会が終わって一段落したと思ったら、今度はピアノのコンクールに向けて練習する時期がやってきた。


 コンクールの課題曲は、ショパンの練習曲作品10-3「別れの曲」。
 ショパンが故郷に想いを寄せて書いたとも言われる曲だけれど、本当のところはどうだったんだろう。
 故郷を懐かしむ気持ち、大切なひとと別れて前に進む気持ち。
 私は、この曲をどう解釈して弾いたらいいだろう。

 そんな風にショパンと曲に想いをはせて、私はピアノの練習にはげんだ。



「今日はちょっと遅くなっちゃった」

 音楽室での練習を終えて、あわてて荷物をまとめた私は昇降口へとやってきた。
 そこに数人の男子が集まっていて、なにか楽しそうに盛り上がっている。

 部活終わりのひとたちかな?

 私はその裏の自分の靴箱で、上履きからローファーに履き替えた。

「椿ってさぁ…」

 ん?つばき?椿くん?

 椿、なんてお名前、うちの学校だと三浦 椿くんしかいないと思う。
 私は息をひそめて男子たちの話に耳をかたむけた。

「椿って、佐藤さんのこと好きなんかな?」
「佐藤って、佐藤 美音?」
「そう」
「あー幼なじみとか言ってたっけ。でもあのふたりやたらと距離近いよな」
「そうなんだよ…あれはぜったい両想いだろ…」

 そう、なのかなぁ…。

 私も何度か考えた話題だった。

 でも美音ちゃんは藤宮くんの方が気になっているような場面もあって…。

 でも、椿くんは?

 椿くんは、美音ちゃんのこと気になっていたりする、のかな…?

「お待たせ―!」

 元気よく男子の集まりにやってきた声を聞いて、私ははっとする。
 椿くんの声だ。

「椿おせーよ」
「悪い!職員室で先生に捕まってさ」
「で、結局のところ椿はどう思ってるんだよ」
「え?なにが?」

 男子たちの突然の質問に、椿くんのきょとんした顔が目に浮かぶ。

「椿は、佐藤さんのこと、どう思ってるかって」
「え?美音?どうって…?」
「好きとか嫌いとか」

 椿くんの返答に耳をすませる。

 椿くんはなんて答えるんだろう…?

 私は息をつめてその返答を待った。


「そりゃ、好きだろ」


 え……?

 椿くんの言葉に、男子たちが一気にはやし立てる。

「ひゅーっ!はっきり言うねえ!」
「はーまじかー。椿が佐藤さんのこと好きなら勝ち目ねーじゃん!」

 わはははと笑いながら、男子の集団が校舎を出て行く。
 椿くんがなにか言っているような気もしたけれど、うまく聞き取れなかった。

 椿くんが、美音ちゃんを好き…?

 私はしばらく、その場から動けずにいた。




 次の日の放課後。

 音楽室のピアノの前に座ったきり弾く気にはなれなくて、私はただただぼーっとしていた。
 昨日の椿くんの言葉が忘れられない。

 美音ちゃんのことが好き。

 椿くんは、そうはっきりと口にした。

 ベランダに出て校庭を見下ろすと、今日も椿くんは楽しそうに部活動をしていて、何本も何本も走りこんでいる。

「今日も、がんばってるなぁ…」

 それなのに今日の私は、ぜんぜんがんばれていない。
 こんなんじゃ椿くんには釣り合わないし、合わせる顔がないよ…。

「はぁ…」

 失恋って、ことになるのかな…。
 椿くんが美音ちゃんのことを好きなら、きっとそれはもう私の恋は終わりだということだと思う。

 それって失恋だよね…。

 だってこの恋はもう叶うことがないのだから。

「ピアノ、練習しなくちゃ…」

 私はふらふらとピアノに歩み寄ると、ゆっくりと腰を降ろして、鍵盤に指を置いた。

 あ、練習する曲って、「別れの曲」だっけ…。

 椿くんと私が別れるみたいで、なんだか嫌だな。
 この曲はもしかしたら、未来に向けて必要な明るい別れの曲なのかもしれない。
 だけど今の私が弾いても、暗い曲になってしまうだけ…。

「はぁ……」

 もやもやした気持ちが心にうずまいていて、ぜんぜん集中できない。

「なんだその演奏は」

 冷たい声が音楽室に響いて、私ははっとして顔を上げた。
 ぼーっとしていてまったく気がつかなかった。
 いつからそこにいたのか、ピアノの横に水原くんが立っていた。

「み、水原くん!?いつからそこに!?」
「愛華がベランダでため息をついていたところからだ。やっとピアノの前に戻ってきたと思ったら、ひどい演奏ばかりして。愛華は本当に俺が見ていないとだめだな」
「だめって…」

 水原くんはいつものように私の演奏に文句をつける。
 それはいつものことだし、このあとしっかりとしたアドバイスもくれる。
 だけど今日だけは気持ちが落ちているせいか、だめだと言われると本当に私はだめな人間なんだという気がしてきてしまう。
 胸が苦しくて、でもまぶたを閉じると椿くんの笑顔があって、私は自分がどうしたらいいのかよくわからなくなっていた。

 ふと、いつの日か椿くんが私を美人だと言ってくれたことを思い出した。

「ねえ、水原くん」
「なんだ?」
「私って美人かな?かわいい、って思うところ、ある?」

 美音ちゃんに比べて、私にかわいらしいところなんてまったくない。
 そんな私を、椿くんが好きになってくれる可能性なんてあるのかな…。

 はじめての恋に、自信なんてあるわけない。
 どうしていいかなんてわからないもん…。

「なんだ急に」

 文句を言いながらも、水原くんは私の顔をじっと見た。

「まぁ目つきはきついが、美人の部類なんじゃないか?性格は勝気すぎるとは思うが、そうでなきゃ俺のライバルにはなり得ない」

 ほめられているのかけなされているのか、いまいちわからない返答だった。

「それってどういうこと?」
「俺は愛華が好きだから、他のやつと比べたことがない」
「へっ?」

 水原くん、今さらっとなんて言いました?

 私が目をぱちくりさせていると、水原くんはたんたんと話す。

「愛華のピアノに、俺は一目置いている。でなければこの前の発表会も愛華をペアに選んだりしない。もともといい演奏ができるやつだとは思っていたが、この前の発表会は想像以上だった。それに愛華はなんだかんだいってかわいらしいところもある。いつもは負けず嫌いで生意気ではあるが、ときたま見せる笑顔とかうれしそうな表情とか、俺はそういう愛華のくるくる変わる表情も好きで」
「ちょ、ちょっと、すとーっぷっ!!」
「なんだ?まだ話の途中なんだが」

 すらすらと私のことを語る水原くんを聞いていられなくて、私はあわてて制止した。

 ツッコみたいことが多すぎるっ。

 私はひとつずつ質問していく。

「え、この前の発表会、水原くんが私をペアに選んだの?」
「ああ、そうだ。愛華とペアで演奏したくて、先生に頼んだんだ」
「ど、どうして…」
「さっきも言ったが、俺は愛華に一目置いているからだ。あのピアノ教室で俺の次にうまいのは愛華だと思っている」
「そ、そうなの…?」

 そういえばいつかも、ペアがどうのと言っていて、ずっと聞きそびれていたけれど。
 私と水原くんのペアは、水原くんが先生に頼んで組まれたものだったんだ…。

「あ、あの…」
「なんだ?」

 私はもしかしたら聞き間違いかと思い、改めて聞いてみることにした。

「私のこと、好きって言ってくれた?」

 自分でこんなことを聞くのも恥ずかしいけれど、私は水原くんの顔色をうかがうように質問した。
 水原くんはいつものクールな表情のまま、まったく顔色ひとつ変えずにたんたんと言った。

「俺は愛華が好きだ。幼なじみやライバルとしてだけじゃない、恋愛的な意味で愛華が好きだ」

 はっきり、きっぱりそう言い切った。
 まったく恥ずかしげもなく言うものだから、それが告白だとは一瞬理解できなかった。

 恋愛的な意味で、好き…?

「水原くんが!?私を!?好き!?」

 告白をした水原くんよりも私のほうが照れてしまって、頬にどんどん熱がおびていくのがわかる。

「なんだ?気がついていなかったのか?」
「き、気がつかなかったよ…。だって水原くん、私にはいつもどおり厳しかったじゃん。ふつう好きな子には優しくしたりしない?」
「それはそれだろう。ピアノで妥協するつもりはない」

 なんとも水原くんらしい言葉だった。
 好きだろうがなんだろうが、ピアノには厳しい。

「恋愛のこと、馬鹿にしてなかったっけ…?」

 この前教室で椿くんを見て騒いでいた私や女子に、水原くんは冷たい視線を送っていたような気がする。

「馬鹿にはしていない。ただ、今の愛華みたいに恋愛に熱中しすぎて失恋した時にメンタルに不調をきたし、演奏に支障が出るのは馬鹿らしいとは思っている」

 それって馬鹿にしてるんじゃ…?

「で、愛華は失恋したのか?」
「うっ…」

 失恋した、ってことになるのかな…。

 椿くんの口から、美音ちゃんが好きだと聞いてしまった。

 それはもう、失恋、なんだよね?
 だってどんなにがんばったって、もうこの恋は叶うことがないんだもん…。

「……………」

 目の前がゆらゆらと見えなくなって、私の頬に涙がつたった。

 私、失恋したんだ……。

 私の恋は、終わっちゃったんだ……。

 はっきりとそれを自覚すると、次から次へと涙があふれてきた。

「お、おい…愛華…?」

 水原くんの戸惑ったような声が聞こえた。
 水原くんのこんな声を聞くのは、はじめてかもしれない。
 私は、あふれる涙を止めることもできず、ただただ流し続けた。



「はぁ…」

 駅へと向かう帰り道。
 私は大きなため息をついた。
 水原くんに、恥ずかしいところ見られちゃったな…。


 あのあと私が泣き止むまで、水原くんはなにも言わずに私に寄りそい続けてくれた。
 ポケットから出したハンカチを私に差しだしてくれた。

「落ち着いたか?」
「う、うん……」

 涙はようやく落ち着いてきたけれど、当然心が落ち着いたわけじゃない。
 ずっと片想いをしていて、最近ようやく仲良くなれたのに。

 私の恋は、終わっちゃったんだ……。

 椿くんの笑顔を思い出して、私の胸は締めつけられるように苦しくなった。

「愛華は失恋するとこうなるとわかっていたんだ」
「え…」

 水原くんのつぶやきに私は耳をかたむける。

「だから早く告白しようとも思っていた。愛華が傷つく前に、俺が愛華の心を守りたかった」
「水原くん…」
「なのに知らない間によくわからない三浦とかいう男を好きになって、あげく失恋で演奏はボロボロ。俺の予想したとおりだったな」
「うぐっ」

 返す言葉もない私は、ただただうつむくことしかできない。

「だから…」

 水原くんはそこで言葉を切ると、私の顔を強引に自分の方に向けた。

「俺にしておけ。俺だったら愛華を泣かせるようなことは、ぜったいにしない」

 不覚にもどきっとしてしまった。
 水原くんが、私にそんなことを言うなんて、思ってもみなかったから。

「あ、ありがとう…?」

 どう返答していいのかわからなくて、私は水原くんから視線を外した。

「愛華、ちゃんと考えてみてくれ」
「え?」
「俺と付き合うこと」




 わかった。そう返答したはいいけれど、私の心は混乱したままだった。 
 椿くんにはフラれて、そのあと急に水原くんに告白されるなんて、思ってもみなかったから…。

「はぁ……」

 私、どうしたらいんだろう…?

 まぶしいほどにオレンジ色の夕焼けを見ながら、私はまた大きくため息をついた。


「愛華さんっ!」
「ひゃあっ!?」

 急に真横から声をかけられて、心臓が飛び上がった。
 そこにいたのは、今日も変わらず明るい笑顔を浮かべる椿くんで。

「つ、椿くんっ!?」
「ごめん、そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど」
「あ、ううん!こっちこそ、ちょっとぼーっとしてて…大げさに驚いてごめん…」

 いつもだったら声をかけてもらえてうれしいはずなのに、どうして今はこんなにも苦しく感じちゃうんだろう…。

「愛華さん…、なにかあった?平気?」
「へっ!?」
「なんか元気ないかな、って」

 椿くんの心配そうな表情に、私の胸はますます苦しくなる。

「へ、平気だよ!いつもどおり!元気、元気!」

 私はガッツポーズをして、元気アピールをした。

「それならいい、け、ど……」

 椿くんの言葉が途中で切れて、椿くんはますます心配そうに私の顔をのぞきこんだ。

「愛華さん…もしかして泣いてた…?」

 どきっと肩が強張る。

「目元が赤くなってる…」

 そう言いながら椿くんは私の頬をなでた。
 触れられた驚きと、あまりに近い椿くんの顔に、私の心臓はまた不規則な鼓動を刻みはじめる。

「な、泣いてないよ…」

 私は顔を背けて、小さくつぶやいた。

「嘘。ぜったい泣いたでしょ?なんで?だれが愛華さんを泣かせたの?」

 それでも椿くんはぐいぐいと身を寄せてくる。

 気がつかなくていいよ…、私の気持ちなんて。
 どうせ叶うことのない恋なんでしょう?
 椿くんは、美音ちゃんが好きなんでしょう?
 
 それなのに、どうして気づいてくれるの……?

 私は椿くんに向けて、精一杯の笑顔を作った。

「泣いてないよ。私は平気!平気だから」


 だれか、この恋の終わらせ方を教えてください。


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