恋を奏でるピアノ

四条葵

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5、アニマート 元気に、生き生きと

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「あれ…?」

 いつものように音楽室でピアノの練習をしていて、休憩と供給のために三浦くんの練習を見ていたときのこと。

「三浦くん、どうしたんだろう…?」

 今日の三浦くんは、なんだか元気がないような気がした。
 いつもなら楽しく走っているのだけど、今日の三浦くんはタイムを測っては苦しそうな顔ばかりしている気がする。

「いいタイムが出ないのかな…」

 運動部の大会がいつなのかは私にはわからないけれど、もしかしたら大会が近いのかもしれない。

 それであせっている…とか?

 いつも楽しそうに走る三浦くんばかり見ていたから、こんなことははじめてだった。

「大丈夫かな…」

 少し心配に思いながらも、私はピアノの練習に戻った。



 けれど次の日もその次の日も、三浦くんはなんだか辛そうだった。
 廊下ですれちがった三浦くんに、私は思わず声をかけていた。

「三浦くんっ!」

 きっといつもだったらどうしようどうしようと思ってしまって、声をかける勇気なんて一生でなかったと思う。
 けれどその日の放課後、なんだか元気のない三浦くんと廊下ですれちがって、私は反射的に声をかけていた。

「柏崎さん」

 三浦くんは私の声に振り返ると、いつものように笑顔を浮かべた。

「よっ!元気?」

 いつもと変わらず接してくれる三浦くんに、胸がぎゅっと苦しくなった。

「私は元気だよ…」
「そっか!最近あんまり話せてなかったから」
「うん…」

 いつも通りに、振る舞おうとしているのだと思う…。
 けれど、私にはわかる。
 三浦くんの元気がない。
 ずっと見てきたんだもん。隠したってわかるよ。

「柏崎さん、俺になにか用あった?」
「あ、用ってわけじゃ…。ただ、三浦くん、ここのところ元気がなさそうかな、って」

 あ…。

 言ってからはっとした。
 ここのところ元気がない、なんて、私が毎日三浦くんのこと見ているのがばればれじゃない!?

 どうしよう気持ち悪がられるかな…、と心配している私をよそに、三浦くんは目を丸くして私を見ていた。

「え、俺、元気なさそう?」
「う、うん…」
「そう、か…。柏崎さんには、そう見えるんだ」
「え、えっと…?」

 言わないほうよかったのかな…。
 三浦くんはまた笑顔に戻ってこう言った。

「ありがと、柏崎さん。平気だよ。そろそろ部活行かなきゃだから、またな」
「あ、うん、がんばって」

 「おう」と後ろ手に手を振る三浦くんは、やっぱり元気がなさそうに見えた。

 平気だって、言ってたけど、絶対平気じゃないよ……。



 その日の音楽室でのピアノの練習は、三浦くんのことばかり考えていた。
 三浦くんのことを考えているのはいつものことなのだけれど、今日は余計に。
 三浦くんがどんなことに悩んでいて、なにがうまくいっていないのかは、私にはわからない。

 だけど、私が三浦くんを元気づけてあげることはできないのかな?

 私にできることなんて、なにかいっしょにおいしいお菓子を食べるとか、元気の出るクラシックをピアノで演奏するとか。そんなことくらいしか思いつかないけれど…。

「元気が出るような曲…かぁ…」

 私はどんな曲が明るくて元気が出るかなぁ、と頭にある楽譜を探しながら鍵盤に指を置いた。

 ショパンの「英雄ポロネーズ」とか、「華麗なる大円舞曲」とかどうかな…?
 弾いても聴いても軽快で少し気分が上がる感じがするけれど…。
 三浦くんが元気になったらいいな…。

 そう思いながら、今日は明るい曲を弾き続けた。



「さ、そろそろ帰ろう」

 ピアノを閉じて、カバーを掛けて、私は音楽室を出た。
 すると。

「わあっ!?」

 音楽室の廊下の壁にもたれ掛かるように、ひとりの男子生徒が座りこんでいた。
 体調でも悪いのかと近づいてみると、膝の上に腕を乗せて、どうやら眠っているようだった。

「え、三浦くん…?」

 そこにいたのはまぎれもなく私の大好きなひとで。
 私は驚いて何度も見てしまった。
 寝顔を見るなんて失礼かな…とも思ったのだけれど、三浦くんをこんな近くでじっくりゆっくり見られる機会なんてそうそうない。
 私は迷った結果、三浦くんのとなりに腰をおろして、じっくりとその姿を見ることにした。

 部活、今日は終わるの早かったのかな…。

 制服姿の三浦くんを見つめる。
 ワイシャツの袖はまくっていて、スクールベストを着ている。

 ブレザーは鞄の中かな?

 私の着ている紺色のカーディガンと三浦くんのベストの色が同じ紺色で、なんだかうれしくなった。

 いつからここにいたんだろう?
 どうしてここにいるんだろう?
 音楽室の近くに用があった?

 それとも…。

 …私に用があったとか?

 そんなことはないだろうとは思いつつも、そうだったらいいなと思ってしまう。
 私に会いに来てくれていたら、いいのになぁ…。

 眠る三浦くんを見ていたら、なんだか私まで眠くなってきてしまった。

 三浦くんが、いつもみたいに楽しく走れるようになりますように…。
 三浦くんの抱えている苦しい気持ちが、どこかにいきますように…。

 そう思いながら、私の意識は夢の中へと落ちて行った。



「……わ、きさん…、かし……きさん、」
「ん、んんっ~…」

 だれかに呼ばれたような気がしたけれど、まぶたが重くて開けられない。

「あと五分……」
「……あ、愛華」

 名前を呼ばれた気がして、私の意識は一気に覚醒した。
 ぱっと目を開けると、目の前には三浦くんの顔があって……。

「え!?み、三浦くんっ!?」
「か、柏崎さん、おはよう…」
「お、おはようございます…」

 そうだった。眠る三浦くんを見ていたら、私まで眠くなってきてしまって、それでつい寝ちゃったんだ…!
 三浦くんは少し気まずそうに視線を外した。

「柏崎さん、気持ち良さそうに寝てたから起こしにくかったんだけど、もう最終下校時刻だから」

 そう話しながら、三浦くんは自分の腕時計を私に見せてくれた。

「あ!もうこんな時間!?」
「とりあえず、学校出よう」

 私たちはあわてて校舎を出た。


 昇降口を出ると、もうすでに宵闇が迫っていて、辺りは暗かった。

「ご、ごめんなさい!私、けっこうな時間眠っちゃってたよね?」
「いや、先に寝てたのは俺のほうだから。こっちこそごめん」

 三浦くんが謝る必要なんてまったくないのに、申し訳なさそうに頬をかく姿さえ、好きだなぁと思ってしまった。

「あのぉ…私、大丈夫だった…?」
「ん?なにが?」
「よだれはたらしていなかったと思うけど、寝顔がひどかったとか、いびきをかいていたとか…」

 私の心配を、三浦くんは明るく笑い飛ばした。

「ぜんっぜん平気だよ。むしろすげーきれいな寝顔で見惚れちゃったくらい」
「え?見惚れ…?」
「あ…」

 三浦くんは自分の言ったことが恥ずかしくなったのか、あわてて付け足す。

「か、柏崎さんって美人だから、寝顔も変じゃなかったよ、って、言いたかったというか…」
「び、美人!?私が!?」
「え?なんか俺また変なこと言った?」
「あ、ううん!えっと、ありがとう…?」

 って返しでいいのかな…?

 美人だなんて言ってもらえるなんて、恐れ多すぎる…。
 「なんで疑問形なの」と笑った三浦くんはいつも通りだった。

 悩み…解決したのかな…?

「三浦くんは、どうして音楽室の前にいたの?」

 私の質問に、三浦くんは少し困ったように笑った。

「元気、もらいに行ってたんだ」
「元気?もらいにって、だれに?」

 首をかしげる私を、三浦くんは真っ直ぐに見つめた。

「柏崎さんに」
「え?私に?」
「柏崎さんのピアノ聴いてると、なんだか元気出るんだよな。いつも自信というか、がんばろうって気持ちが伝わってくると言うか。ふだんはしっとりした曲が多いけど、今日はめずらしく明るい曲が多かったな」

 そう言って笑いかけてくれる三浦くんに、私の心臓はまた早くなる。
 三浦くんが元気になるといいな、と思って弾いていたのが、本人に伝わっていたなんて…。
 私はうれしくて涙が出そうだった。

「でも、聴いているうちになんだか心地よくなって眠っちゃった。最後まで聴きたかったのに」
「い、いつでも弾くよ!三浦くんのためなら!」
「え?」

 私はうれしくて前のめりになって言ってしまった。

「三浦くんが聞きたいと思ってくれるなら、私、いつでもピアノ弾くよ!」

 三浦くんがそれで元気になれるのなら。
 私で力になれることがあるのなら。

 三浦くんは一瞬きょとんとしてから、またいつもの明るい笑顔を見せてくれた。

「ありがとう、柏崎さん」

 その笑顔に、私の胸はまたきゅーっとなった。

「実はさ、最近いい走りができてなくて、少し落ちこんでたんだ」
「うん…」

 元気がなさそうに見えていたのは、やっぱりそうだったんだ。

「大会も近いのにいいタイムも出なくて、このままだと選手にも選ばれないかもって、すごくあせってた…」
「うん…」
「でも柏崎さんの演奏聴いて、吹っ切れたよ」
「え?」
「落ちこんでないで、前を向いて走らなきゃって」
「私の演奏で…?」
「うん。柏崎さん、毎日音楽室で練習してるだろ?実はけっこう前から知ってて」
「え!?そうだったの!?」
「うん、部活終わりにいつも音楽室からピアノの音がするなーとは思ってたんだ。弾いてるのはだれか知らなかったけど、いつもがんばってるな、って思ってたんだ」
「そう、だったんだ…」

 いつからだろう?
 いつから三浦くんは、私のピアノを聴いてくれていたんだろう…?
 私が三浦くんを見つける前から、三浦くんは私を見つけてくれていたの…?

「まさか落ちこんでいるのが、柏崎さんに見抜かれるとは思ってなかったけど…。情けないよな」

 そう少し恥ずかしそうに笑う三浦くんに、私は首を横に振った。

「ううん、情けなくなんかない」
「え?」
「落ちこむことなんて、だれにだってあるよ。私だってそう、うまくいかなくて落ちこむことばっかりだよ」
「柏崎さんも?」
「もちろん。でも、どんなに落ちこんだとしても、やっぱりピアノを弾くのが好きなんだ。だから、好きなことをあきらめたくないの」
「好きなことを、あきらめたくない…か…」
「それになにより、ピアノを弾くことが楽しいから」

 楽しい気持ちは、三浦くんが思い出させてくれたんだよ。

 がむしゃらに練習することも大事かもしれない。
 けれど、それ以上に好きなことをめいっぱい楽しみたい。

 三浦くんが、いつもそうしているように。
 三浦くんはなにかをそしゃくするように、少し間を置いてから、「うん」とうなずいた。

「俺ももうちょっとがんばってみるよ。やっぱりレギュラーあきらめられないし!」
「うん!がんばって!」
「ありがと!」

 三浦くんはにかっと笑った。

 よかった…。いつもの三浦くんだ。

 自然と頬がゆるむ。

 一方的に元気をもらっていると思っていたけれど、こんな私でも三浦くんに元気をあげられていたのかな…?
 そうだったら、いいなぁ…。

 私もピアノの発表会に向けて、よりいっそう気合が入った。

「私も、がんばるから…!」
「おう!いっしょにがんばろう!」

 私と三浦くんはこつんとこぶしを合わせた。


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