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第27話『運命のコイン投げ』

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■ 運命のコイン投げ

 空港の出口に、上りの階段とエスカレーターが並んでいる。地球一家6人は階段を上ろうとしたが、タクは疲れた様子で、一人だけエスカレーターに向かった。エスカレーターで上っていると、後ろで女性二人の話し声がする。タクは耳をそばだてた。お昼に何を食べようか、スパゲティとカレーのどちらにしようかという話のようだ。
「コイン投げで決めよう。あ、コインを家に置いてきちゃった。何か代わりになる物は……」
「じゃ、こうしよう。私たちの前に、男の子が立ってるじゃない。彼がエスカレーターを降りる時に、右足から降りたらスパゲティ。左足から降りたらカレー」
「いいね。そうしよう」

 タクは前を向いたまま困惑した。なぜ自分が決めることに? 責任重大だ。
「スパゲティかカレー……。カレーのほうが、カロリーが高いんじゃないか。二人の健康を考えたら、スパゲティにしてあげるほうが親切だろうな。よし!」

 エスカレーターの終わりに近づくと、タクは右足を踏み出した。
「あ、スパゲティだ!」
 女性の声を聞いたタクは、後ろを振り向きもせずに走り出し、家族5人と合流した。エスカレーターに乗ったにもかかわらず余計に疲れた表情のタクを見て、みんなあきれて笑った。タクが訳を話すと、ジュンが首をかしげた。
「コイン投げの代わりというのが、気になるな。確かにエスカレーターに乗りながらコインを投げるのは難しいだろうけど、コイン一枚くらいは持っていただろうに」
「見なさい。きっと、あのことじゃないか」
 父が指差す先には、片手に乗るくらいの箱を手に持った女性がいた。透明なプラスチックでできた箱で、底の部分は木の板になっており、中にコインが一枚入っている。周りを見ると、同じ物を手に乗せている人が大勢いる。

「表が出れば、まっすぐ帰る。裏が出たら、買い物して帰る」
 女性がそう言いながら、箱のボタンを押した。底板に振動が発生し、コインが跳ね上がる。コインは5秒ほど回転し、星のマークが見える向きに倒れた。女性はまっすぐ帰った。

 何人かを続けて観察し、星のマークのほうが表で、何も描かれていないほうが裏だとわかった。みんな、何かを決める時はコインを投げる。そして、あの便利な箱があれば、外出先でもコインが遠くに飛んでいってしまうことはない。

 地球一家6人がホストハウスに到着すると、HF(ホストファーザー)が一人で出迎えた。一緒に暮らしている妻は、友人に誘われて泊まりがけで登山に出かけたらしい。

 リビングに入ると、テーブルの上に例のコイン投げの箱が置いてあった。ずいぶん古びたように見える。地球一家が興味を示すのを見て、HFが説明した。
「このコイン投げの箱は、子供の頃から50年使い続けています。思い起こせば、高校進学、大学進学、就職、結婚。数々の人生の大イベントで、これを使って決めてきました」
 そんな大事な決め事に、コインなど使っていいのだろうか?
「人生、何よりも肝心なのは、決断のスピードです。考え込んでも仕方ありません。優柔不断では、人生損をするばかりです。私はこれのおかげで、てきぱきと物事を進めることができ、成功を収めてきました。一代で相当な財産を築けたのも、これのおかげだと思っています」
 確かに財産がありそうな、立派な家だ。

「さあ、皆さん。食事はどうしましょうか。高級ホテルのディナーにご案内することもできます。胃が重いようでしたら、スーパーで買ってきた物にしてもいいですけど」
 HFにそう言われ、父と母が小声で相談を始めた。どうする? せっかくだから高級ホテル? でも大家族だから申し訳ない気もする。でも裕福そうだし……。
「迷っていらっしゃるようでしたら、私がこれで決めましょう」
 HFは、コインの箱を手に取った。
「もちろん、人生の節目の大イベントばかりでなく、日常的に何かを決める時も、コインを投げます。さあ、表が出ればホテルのディナー、裏ならばスーパーのお総菜……」
 HFはボタンを押した。コインが跳ね上がる。地球一家がどきどきしながら眺めると、コインは5秒ほど回転し、裏向きに倒れた。
「裏だ。スーパーで買ってきましょう」
 地球一家はうなずいたが、内心残念だった。HFは続けて尋ねた。
「それから皆さん、どこで寝ますか? ホテルの最高クラスの部屋を予約することもできますよ。もちろん、この家も広いですから、6人寝ることもできます」
 やはり、どうしようかと父母が迷っている間に、HFは箱を手に取った。
「表が出ればホテルのスイートルーム、裏ならば我が家で……」
 地球一家が胸をときめかせて見ていると、コインは今回も裏向きに倒れた。高級ホテルに泊まれず、またしても残念。

 さて、翌朝早く、客間では地球一家6人が朝の光で目覚めた。ジュンがコインの箱を持って部屋に戻ってきた。
「からくりが気になって、ちょっと拝借してきちゃった。何か魔法のような仕掛けがあるのか、確かめたくて」
 ジュンは、ドライバーで箱のねじを緩めた。母が慌てて止める。
「ちょっと待って、ジュン。それはおじさんが子供の頃から大事にしている物でしょう」
「そうよ。いくらジュンが機械に強いからといっても……」とミサ。
「ねじを取り外して、中を見たらまた元に戻すだけなんだから、こんなの機械いじりのうちに入らないよ」
 ジュンはそう言って、またドライバーを動かした。板の部分が二つに分かれ、中の空洞が見えた。
「でもおじさん、よく貸してくれたわね」とミサ。
「あ、彼はまだ寝てたから、あとで返しておけばいいかと思って……」とジュン。
「黙って持ってきたのかい? まずいよ」と父。
「中を見たら、すぐに戻しておくよ」
 ジュンは、ボタンとばねの裏側をよく観察した。何の仕掛けも見当たらない。ボタンを押すと、コインがはじかれる。ただそれだけだ。このコインで運命の選択をして、なぜこれまで成功したのだろうか? とにかく、何もないことだけは確かだ。ジュンは板を元に戻し、ねじを締めた。そして試しに、箱のボタンを押してみた。すると、コインは2秒ほど回転し、裏向きに倒れた。
「コインが倒れるのが、今までより早いんじゃない?」とミサ。
 ジュンは再度ボタンを押してみたが、やはりコインは2秒ほど回転するだけで倒れた。
「うそだろ。すぐに結果が出るようになっちゃった」とジュン。
「今までは5秒。今は2秒ってとこかしら」と母。
 元どおりにしたはずなのに。まあ、コイン投げができることに変わりはないから、正直に話せば許してもらえるかもしれない。

 6人がリビングに行くと、HFも起きてきた。朝の挨拶を交わした後、ジュンはコインの箱を見せながらHFに言った。
「あのー、このコインのことなんですけど……」
 ちょうどその時、電話のベルが鳴った。
「あ、ちょっと待ってくれるかな。何だろう、こんなに朝早く」
 HFは電話で話し始めると、すぐに険しい表情になり、電話を切った。
「大変だ。妻が山で大けがをして病院に運ばれた。今すぐ病院に行かなければ。皆さんに留守番をお願いするわけにはいかないので、一緒に来ていただけませんか」
 HFは、ジュンからコインの箱を奪い取り、出かける準備を始めた。

 地球一家と共に病院に着いたHFは、廊下で外科医の説明を聞いた。妻の足は重傷で、ただちに手術を施さないと一生治らないかもしれないそうだ。
「手術すれば、足はきっと治ります。ただ、手術代はかなり高額になります」
 医者は、HFに金額を書いた紙を見せた。
「どうなさいますか? 今すぐの決断が必要です」
 HFが考え込む様子を、地球一家は見守った。手術するに決まっているだろう。お金持ちなのが不幸中の幸いだ。

 すると意外にも、HFはコインの箱を取り出した。まさか、コインで決めるのか?
「表が出れば手術、裏が出ればやめておく……」
 HFはボタンを押した。コインが2秒ほど回転しただけで倒れたので、HFは驚いた。
「あれ?」
 ジュンは心の中で、まずい、と叫んだ。

 コインは裏だ。手術しないということか。HFは黙ってコインを見つめ、医者に頼んだ。
「先生、お願いします。手術、すぐに始めてください」
 手術? 裏が出たのに?

 手術が開始された。手術室のすぐ外で、家族が見守る中、ジュンがHFに話を切り出した。
「あのー、コインのことですけど」
 HFは、ジュンにコインの箱を見せた。
「これのことかな?」
「すみませんでした。壊したのは、僕なんです」
「壊した?」
「今まで、5秒くらいコインが回転してましたよね。今は2秒くらいで止まってしまいます」
「そうか、君だったのか」
「本当に申し訳ないことをしてしまいました。中身がどうなっているのか気になって分解したら、なぜか元に戻らなくて……」
「いや、お礼を言いたい。どうもありがとう」
「え?」
「あの5秒間が長くて仕方がなかったんだ。一秒でも早く決断したいのに。この箱を作った人の単なる演出効果だったんだよ」
「そうだったんですか。じゃあ、どうしてさっきはコインに従わなかったんですか? 裏が出れば、手術はやめるはずなのに」
「言っていなかったかな? いつもコインに従うわけではない。従わなかったことも数えきれないくらいあるよ」
 HFがコインの箱を逆さにすると、底にラベルが貼ってあった。
「この説明を見てごらん。『コイン投げの結果に必ず従うべし』とは書いていない。こう書いてあるんだ。『何事も、迷った時はコインを投げるべし。コインの結果を見て何の不安もなければ、その結果に従うべし。少しでも未練があれば、逆のほうを選択すべし』。どうですか? コイン投げを使えば、すぐに決断できる理由がおわかりになったでしょう」

 地球一家が無言で聞き入ると、HFは説明を続けた。
「私が財産を築き上げて幸せをつかむことができたのは、その都度人生の選択が正しかったからなのか? それはわかりません。逆を選んでいたら、もっと良い結果になっていたかもしれません。ただ一つ確かなことは、長い時間迷わずにすぐに決断することで気持ちが前向きになり、運が開けるということです。それもこのコインのおかげなのです」
「よくわかりました」とジュン。
「私たちが誤解していました。昨日は全部コインの決定に従っていたので、必ず従うものだと……」と母。
「あー、昨日は小さな迷い事ばかりでしたからね。わざわざコインに逆らうほどのことじゃないでしょう。皆さんがどんな食事をしようと、どっちでもいいじゃないですか。皆さんがどこで寝ようと、どっちでもいいじゃないですか。ハハハ」
 HFが笑い出したのを受けて、地球一家は苦笑いした。その時、手術室から医者が出てきて、手術が成功したことを伝えた。

 HFとお別れした地球一家6人は、会話しながら歩いて空港の階段付近に到着した。
「コイン投げのルールには、納得できたよ」とジュン。
「最後の『どっちでもいいじゃないですか』には、ちょっとカチンときたけどね」とミサ。
「でも、大いに時間をかけて迷ったほうがいい時もあると思うけどね」と母。
「タクは優柔不断すぎるから、あの箱、一個買っておくか?」と父。
 そういえば、タクの姿が見えない。階段ではなく、下りエスカレーターに乗りに行ったのだ。

 タクがエスカレーターに乗っていると、後ろで女性二人の会話が聞こえる。
「今日のお昼ご飯は何にする? また、前に立ってる子に決めてもらう?」
 タクが驚いて振り向くと、女性二人も驚いた。
「あれ? 昨日と同じ男の子?」
「はい。昨日はスパゲティ食べたんですよね?」
「あ、スパゲティって決めてくれたけど、どうしてもカレーが食べたくて、カレーにしたわ」
 ずっこけるポーズのタク。
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