魔導師の弟子

ねこうちココ

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第二幕

第31話 歪な少年

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 車椅子に腰を下ろしたエリザベスは、まだ夢心地のような表情をしていた。 
 花びらのシャワーは止み。草花で敷き詰められていた床はフローリングに戻っている。 
「凄いわマホ!あなたって最高の魔法使いよ!」 
「お気に召したかな、小さなお姫様」 
エリザベスはくすくすと笑う。 
「本当に素敵な時間だった。私の目が見えていたら、もっと感動したわね。マホの顔も、の姿も見ることができるのに」 
「彼って? ボーイフレンドかい?」 
エリザベスの年頃なら恋人がいてもおかしくはない。しかし彼女は首を横に振る。 
「“彼” の名前は知らない。夜になると私の部屋に現れるの。そして本を読みかせてくれたり、魔法使いの話をしてくれるのよ」 
僕は彼女の言葉に顔をしかめた。少女の部屋へ夜になると現れる男。あまりにも危険な匂いがする。 
「“彼” は何十年、何百年と生きているんだって言ってた。怖くないのよ。本当よ。でもね、夜な夜な私が一人で喋ってるってお父様は思ったらしくて、私を教会まで連れて行って悪魔祓いをさせたの。酷いわ。“彼” は悪魔なんかじゃないのに。それに最近は妙な匂いのするアロマをくの。よく眠れるアロマだよって私に言うけど。それはきっと違うわ。あれも“彼” が私に寄り付かなくさせるための手段でしょうね。そのせいで“彼” はあまり来てくれなくなっちゃった…」 
ここで僕は合点がいった。 

 ウィリアムズさんへ届けたのは〈妖精避け〉のアロマだ。魔香堂まこうどうへ来店した際にもいつも購入していた。
 これは油香炉こうろで焚くことにより効果を発揮する。妖精が嫌う成分や匂いで作られたアロマなのだ。ウィリアムズさん本人が使うためではなく、娘のエリザベスの為に使っていたというわけか。 
 エリザベスはその“姿が見えない妖精” に心許している。これは亜澄果あすかのときと同じだ。妖精との距離感を間違えれば、何をされるかわからない。 
「エリザベス。“彼” は恐らく悪魔じゃない。僕が思うに妖精だよ」 
「やっぱりそうなのね!」と喜ぶ。そんな姿を見ると心苦しかった。 
「いいかい。妖精は僕たち人間に良い行いおこないだけをしてくれるとは限らないんだ。“彼” がどんな妖精か分からない以上、気をつけた方がいいと思う」 
彼女の表情から笑顔がスっと消える。 
「どうして……どうしてそんなことを言うの……“彼” は良いヒトよ。お父様とは違うわ」 
「エリザベス……」 
結局は彼女を傷つけることになってしまった。けれど妖精についてハッキリしていない以上は警戒した方がいい。
 エリザベスにとって“彼” は話し相手になってくれる友人なのだろう。だからこそ、悪く言われるのが嫌なのもわかる。そして得体の知れない者に娘が懐いているのを拒むウィリアムズさんの気持ちもわかるんだ。 
 僕は膝を曲げて腰を下ろし、顔を伏せるエリザベスを下から見上げた。 
「ごめんよエリザベス。けれど僕は魔法使いとして、君に忠告しておかなきゃいけない。“彼” が本当に良い妖精なら、なんら構わないんだ。ただ、もしものことがあった場合。僕はエリザベスに傷ついてほしくないんだよ」 
彼女は両手で顔をおおう。 
「誰も……誰も、わかってくれないの……誰も私を愛してくれないの……」 
「そんな……君の父さんは娘の君を愛してるよ」 
「違うわ……お父様が愛しているのはお母様だけ。私は邪魔なのよ……こんな娘だから……」 
胸騒ぎがした。 
「君のお母さんって、もしかして……」 
ずっと姿を見せないエリザベスの母親。なんとなく察してはいたのだが─── 
「死んじゃった……事故にあって……生きてたのは私だけだもの……」 
僕は返す言葉が見つからなかった。 
 エリザベスもまた、亡き妻を想う父親の後ろ姿を幾度となく見てきたのだろう。そして父親が自分に向ける眼差しが、自分を通り越して、愛する妻を想う眼差しに感じていた。 
 彼女が足と目の不自由について「罪」だと語ったのは、きっと自分だけ生き残ってしまったことへの罪悪感からきたものだ。そんな孤独に苛まれている彼女にとって、“彼” の存在は大きかったに違いない。

 僕は肩にかけていたバッグの中を漁り、小瓶をエリザベスに握らせた。 
「これは僕から君へのプレゼントだ。御守り代わりに持っていて。中には魔鉱石まこうせきの欠片が入っている。君を守ってくれるよ」 
エリザベスは白く小さな手で小瓶を握る。 
「また遊びに来てもいいかな? 」 
そう聞くと彼女は頷いた。 
「ありがとう。“ 彼 ” にもよろしくね。僕のことは〈オズの子〉と伝えて欲しい」 
エリザベスは不思議そうに顔を上げる。 
「……オズの子?」 
「うん。“彼” が妖精ならわかるはずだよ。それだけは必ず忘れないで」 
「わかった。言っておく」

 それから僕は部屋を出た。それと同時くらいにウィリアムズさんがこちらへやって来る。 
「随分と話し込んでいたようだね。娘が君を引き止めていたのかな。すまなかったよ」 
「いいえ。僕も楽しかったですよ」 
「そうか、そうか」とウィリアムズさんは目尻に皺を寄せて笑う。笑った顔はエリザベスと似ていた。 

 玄関まで見送ってもらい、その間際まぎわにウィリアムズさんへ問いかけてみた。 
「あの、妖精避けの薬はエリザベスに使っているんですか」 
すると彼は困ったように笑う。 
「そうなんだよ。娘の寝付きが悪くてね。どうやらそれが妖精の仕業のようで。お陰で役に立っているよ。ありがとう」 
「そうですか。それなら何よりです」 
こうしてウィリアムズ家の玄関は閉じられた。 

 ウィリアムズさんの言い方は何か引っかかっる。「エリザベスの寝付きが悪いのは妖精のせい」と言っているようだった。
 だけど違う。エリザベスはのではなく、のだ。
 娘と妖精を引き離したい。というのならば「妖精が夜な夜な娘の部屋にやって来て困っていた」とか「娘が妖精に懐いてしまっていて」などと言うものだろう。それを彼は「」と表現していた。 
 ウィリアムズさんにとって、娘と妖精の関係は隠したいことなのだろうか。 

 僕は後ろ髪を引かれる思いで、ウィリアムズ家をあとにした。


*******


 コッツウォルズに着いた頃には夕方で。ただでさえコッツウォルズ行きのバスは本数が限られているというのに、帰って来れなくなるところだった。 
 鳥羽さんの家に向かうまでには小川に建つ橋を超えてゆくのだが、そこを越えた先。家を囲む木造フェンスの前。ひとりの少年が立っていた。敷地内へ入ろうとせずに、ただ家をじっと眺めている。少年は僕より幼くみえた。10歳くらいだろうか。 
「なにか用がある?」 
そう声をかけると少年はやっと家から目を逸らした。 
「やぁ、やっと会えたね」 
目を細め、口角を釣り上げて笑う少年はなんだか不気味に思える。 
「僕は君と会った覚えはないのだけど……」 
すると近寄ってきた少年はかかとを上げてつま先立ちになると、両手で僕の顔を挟み込んだ。少年の真っ黒な瞳と僕の目が交差する。 
「オズヴァルト。ボクを覚えてないの?」 
答えられなかった。
 深淵を覗くような、底なしの闇を見ているようで、見つめれば見つめるほどに、吸い込まれて落ちてしまいそうな不安に駆られている。 
 そして返事がないとわかると、「なーんだ」と僕から離れ、興味なさげに毛先を弄りだした。 
「記憶がないっていうのは本当だったんだね」 
「君は誰なの?」 
恐らく人間では無さそうだ。得体の知れない少年に背筋がゾッとする。 
「覚えてないんでしょう? どうして記憶ごと消しちゃったのかな。つまんないや」 
「オズヴァルトと知り合い? オズヴァルトはもう何千年と前の魔法使いだろう? 君もそれくらい長く生きた妖精なのかな」 
風が少年の髪をたなびかせる。細く目が笑う。 

「ボクはだよ」 

──息子だって?そんな記述は魔法の歴史書でも見たことがない。 
「嘘をつくな」 
「嘘じゃないさ。真実だよ。でもね、オズヴァルトはずっと、ずーっと、ボクを暗くて寒い場所に閉じ込めてた。やっと陽の光を浴びたんだ。それでね、オズの子が生まれたって聞いて、わくわくして探してたのさ。またオズヴァルトに会えるってね!でもオズの子は記憶がないし、オズヴァルトじゃない。だってキミって生前のオズヴァルトより未熟だもん。赤ちゃんみたい。ガッカリしたよ。期待外れだよ。でも、それでいいんだ。そうだよ、いいんだよ。オズヴァルトがいなくたってボクは平気さ!」 
「……なんの話しをしてるんだ」 
「ボクは自由を手に入れたって話だよ。ニセモノのオズヴァルト」 
「………」 
しゃくに障る言い草をする奴だ。 
 だけど悪寒がするほど気持ちの悪さを感じるのは何故なのか。見た目は普通の少年なのに、纏うまとう歪さが生身の人間ではないと悟らせている。

「うっ……」
吐き気、頭痛、倦怠感。風邪にも似た症状が突如として僕を襲った。足の力が抜け、立っているのもままならず、地面に倒れ込んだ。立ち上がる力さえ湧いてこない。 
 遠くなってゆく意識のなか。薄らとした視界には少年の足元が見える。 
「おやすみなさい。オズの子」 

それが最後に聞いた少年の声だった───
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