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涙の意味

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「羅羅」

「うん?」


私のそんな視線を感じたのかその顔は外に向けたまま何か言いたげな咲希。
あらかた飲んでほぼ氷だけになってしまったほうじ茶をストローでざくざくとつつく。
言いたいことはあるんだけど言葉を選んでるんだろう。
長い付き合いだからそんな微妙な間で、だいたい次に出てくる言葉は予想ができる


「なんか悩んでない?とか?」

「ふふっ。。お見通しかいな、かなわんな羅羅には」

咲希の大きな切れ長の瞳が逆さ三日月の様に垂れ下がった。
小さな溜息を一つ溢して覗き込むようにしてこちらを向くと私の頭を猫なでするようにポンポンと叩く。

「元気ないし。ここ二三日ずっと遠い目してるし授業でも外ばっかり見てるし」

「・・・・・・」

「何やのん?どうしたん?」

そんな咲希の大きな瞳に導かれて小さな吐息とともにポツリと溢す。


「向き合うもんが大きすぎてさ。
 手に負えなくてさ。。
 けど小さい頃からずっと考えてて」

羅羅がその小さな胸にずっと抱き続けて来たもの。
背負い続けてきたものと言っても良いのかもしれない。

夜遅く訳もなく泣いている母を目にすることは度々あった。
一人でお酒を飲んで涙を零している時もあれば
父に背中を擦られてその胸の中で泣き崩れている時もあった。
指一本開けた戸の隙間から夜な夜な覗き見たその光景は私にとってはトラウマに近い記憶。

ママの涙、その悲しみはどこから来てるのか
ママには面と向かっては聞くことはできず、ある日パパにそれとなく聞いたことがあった。

(涙ってね別に悪いもんじゃなくて、流さないとだめなものでもあるんだよ
泣くことで幸せになれることもある)
とか子供には難しすぎる大人の言い訳にも思える理屈。
ただ子供心に分かったのは現在進行形で起きてる悲しみじゃなく過去にあったこと。それがずっとママの中の悲しみとしてある。

今じゃなくて昔のこと。子供の私はそれでなんとなくホッとして自分の中では解決できたんだろう。
だから一度聞いて、当時10歳の私はもう二度と聞くことはなかった。
それからもまだ涙する母を目にすることはあったけど。
それはもう幼い私にはどうすることもできない大人の世界の……。


「ちょっと、羅羅ってば。大丈夫?」

「・・・」

「ほらほら、また」

遠い目をして御所の緑の中に意識を委ねていた私
そんな目の前の景色を遮るように咲希の掌が目の前で左右に揺れる。



「何や知らんけど、吐き出せるもんやったら吐き出したほうがええし。お腹に溜め取ってええのは人の悪口と男への未練だけやっておばあちゃんがよう言うてはったし。ほら、とりあえずもうそんな涙目はやめよし」



咲希の大きな黒い瞳はまるで磨き込まれた水晶玉の様に澄んでいて、見るものの心を射抜くほどの力がある。私はそんな咲希の傍らで大学の3年間、いつもその瞳の中に自分を探してたような気がする。彼女が居るその世界は安心で安寧で幸せで。心が許せる愛してやまない洞院咲希。
とは言っても彼女の存在は恋だの愛だのの類じゃない。
私はLGBTでもセクシュアルマイノリティでもないし、男が好きでイケメンが好きなごく普通のノーマルな京女でしかないから。


「強いやんな。咲希は」

「そうやな。分からへんけど、そんなに弱くはあらへんかな」

「いやいやいや、強いやろ。体力も気力も何もかも。勝てる人間うちらのまわりではおれへんし」

「気力はどうやろな。メンタルの強さでいくとあんたも相当なもんやで」

「私が?……」

「うん。女としてタフやておかあはんがよう言うんや。
羅羅ちゃんは花街で生きたら一端の置屋を背負えるような芸子になれる言うて」

「それはおばさんは私のファンやから」

「ファンって。。ふふっ。自分で言う?」


咲希がおかあはんと呼ぶのは咲希のおばぁちゃんのこと。花街では置屋の主は祖父でも母でもおかあはんと呼ぶのが通例。ただ祖母の宵松はまだ還暦手前の若さでその美貌と相まって咲希がおかあはんと呼んでも何の違和感も感じられないのだけど。


「そやかて、いつも宵松のおばさんに会うたら、羅々ちゃん芸子になれへんかって口説きが入んねんから。ほっぺたスリスリして寄って来はんねんで」

「それは羅々がいっつも満更でもない顔するからやろ。脈があると思われてるんや」

「あほらし、誰が? もうこの歳でなれるわけないやん。咲希みたいにしゅっとしてる訳ないし、可愛さもほどほどやし。なれるとも思わへんしなろうとも思わへん。芸子なんかに。。」

言ってしまってから「あっ」と小さな声が漏れて思わず手で口を抑えた。

「ええよ、別に気ぃ使わんでも」とトーンが1オクターブ下がったような咲希。

「芸子なんてなんやねんと思おて、なったれへんかったんがこの洞院咲希やからな」


(そうやないやろ。
あんたは絶対芸子なんかとディスった目で見てないはずや。
なりたくてなりたくてしようがない花街で生きる道をあんたは捨てた。
あのひとの為にあんたはそんな道を捨てたんや)

そんな心の声を押し殺しなが私は笹屋伊織のどら焼き抹茶アイスパフェにかぶりつく。
程よく溶けた抹茶アイスが口の中でとろけるように消えてゆく。
その甘さが何故か今日は目に滲みた。
この子の、この洞院咲希という子の、報われない今までのその人生を想った。


「くふっ。。くふっふふん、ふぇーん。。。」

「なになに、ちょ、ちょっと待って。なに泣いてんの急に」

「・・・」

涙が溢れてしようがなかった。
まだ物心が付かない頃に幼くして母親から引き離され、年頃になったらまたその母親が現れて
親権取られて奪われるようにその母の元へ。
けど実の父と母と暮らせたのは1年足らずで、また男を作って母は失踪。

(可哀想なやつなんや。心が優しすぎるから騙されやすうて。
惨めでどうしようもない男を見ると絆されてしまうんや)

そんな仏様を絵に描いたような父を残して木屋町の祖母の元へ戻るわけにもいかず。
咲希はその父の元でどうしようもない母親を待つと心に決めた。


「やっぱり、咲希は強いからあかんねん」

「どうゆうこと?それって今言わなあかんこと?泣きながらこんなとこで言わなあかんこと?」


周りを気にしながらのトーンを抑えた咲希のなだめるような声。
お昼休みに入って笹屋伊織の店内はぼちぼちと席は埋まりつつあった。
穏やかな京都御苑の昼下がり。
嗚咽混じりの私の涙声は静かな店内にはちょっとしたスロージャズのようによく響いた。


「もちょっと弱かったら女の子らしいかわいい人生を歩めたのに」

「ちょっと待ち。かわいくない残念で可哀想な人生やなって言いたいんやな、うちのことを」

「そやないけど」

「言うてるやん。そう言うてるのとおんなじことやん。
思われたないなそんなことは。少なくとも羅々にだけは同情なんかしてほしない」

「同情って。。そんなんやないって」

「同情やろ、泣いて情けかけてる。うちは木屋町の女豹なんやろ。気高くてかっこいい女豹なんやろ、
なんでそんなこというのん」

「咲希。。」


今度は咲希が泣く番やった。
大きな瞳に涙がいっぱい溜まって瞬きをひとつふたつとするとテーブルの上に小さな水たまりがポツポツとできた。
泣くのも一緒、笑うのも一緒。毎日同じことを繰り返してるような私と咲希。バッグからハンカチを取り出して咲希の目の前に差し出すとうつむいたままぷっと吹き出すような笑みが涙と一緒にこぼれた。


「それで?あんたはあれだけ声上げて泣いたのに、涙一つ溢さずかいな」

「昭和のぶりっこアイドルみたいやろ」
ぺろっと出した舌にはまだ涙の塩っぱい味が残ってた。

「確かに。ふふ」

私のクロミちゃん柄のピンクのハンカチで頬の涙を拭う咲希。

「借りとくでクロミちゃん」

「あげるわ、腐るほどあるし」



涙の乾いた二人は何事もなかったように顔をあげて前を向いた。
拡がる御苑の木々の緑はもう西陽を浴びてオレンジ色にキラキラと輝いて揺れていた。
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