サンタの願いと贈り物

紅茶風味

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【葵編】6話-3(完結)

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 月日は流れ、あっという間に一年半が経った。高校生活は特に何があったという思い出もないが、小木と福本と話すようになったのは大きい。何でも無い日常が、つまらないとは思わなくなった。

 三上先生に助言をもらい、学童保育でアルバイトを始めた。子供と接することにはあまり慣れていなかったが、飛び込んでみれば案外馴染むまで早く、子供達もすぐに受け入れてくれた。

 サンタクロースなどというファンシーな職業は、クリスマス以外に需要はなく、実際は保育に関わる仕事に就くのが一般的らしい。保育といっても多々ある。自分に向いているものが何かも分からず、とりあえず保育士の資格を取る為、経験を積むことにした。

 大学は、家から近くて、保育科のある学校を受験した。然程レベルの高いところではないので、苦労することなく受かった。高校を卒業し、大学に入り、新しい生活にも慣れ始めた頃、それは起きた。

「ここ、眺めがいいんですよ」

 そう言って不動産屋の女性が窓を全開にして、笑顔を向けてきた。周囲の建物が低いので視界を妨げるものがなく、一望できる。近くには川が流れていて、家々の隙間から小さく見えた。まぁ、眺めが良いといえば良い。

「広さも充分にありますし、最上階はすぐに埋まってしまうのでチャンスですよ」
「なんでこんなに家賃安いの?」

 聞くと、少し狼狽えたように目を丸くした。「買い物が出来るお店が遠いからです」と言ったが、他に何かありそうな気はする。

 とは言え、条件はたしかに良い。今の家よりも広いし、駐車場もある。防犯設備など、男の一人暮らしには勿体ないほどだ。店の遠さは車があれば問題ない。

 借主の本人はといえば、間取りの印刷された紙を片手に、携帯画面を見つめたまま部屋の真ん中で立っている。近づいて覗き込んでみれば、地図を表示させていた。

「ここにすれば?」
「……日野の家まで遠いのが、ちょっと……」
「十五分もあれば行けるじゃん」
「何かあった時に十五分も掛かったんじゃ遅いだろ」

 兄の新居探しは一週間前に始まったばかりだが、このやりとりを既に三回はしている。俺がたまたま内見に付き合った時の回数なので、実際に断念した物件はもっと多いのだろう。

 日野家へ兄が通うようになってから、彼女の容態は少しずつ良くなっていった。長年寝たきりだった身体の指先が、不意に動くことがあるのだという。俺はその瞬間を見たことはないが、皆の心の中に、もしかしたら目を覚ますのではないか、という希望が生まれつつある。

 その日を願い、兄は近くに引っ越すことにした。今の家と同じくらいの設備で、日野の家に近ければ近いほどいい、理想は数分で着くところ。などとストーカーじみたことを平然と言っていて若干心配になった。彼女の両親が歓迎してくれていることが救いだ。

 結局、今日見た物件も見送ることになった。近い場所という条件が譲れない以上、数ヶ月単位で探す覚悟は必要そうだ。

「じゃあ、俺戻るから」

 不動産屋の女性と物件前で別れ、日野の家に向かおうとする兄に言った。当然一緒に行くと思っていたのだろう、え、と驚いて俺を見る。

「行かないのか」
「先週行ったばっかだし、兄ちゃん一人のほうがいいだろ」

 暗に二人きりになりたいだろうという意味で言ったが、その表情を見るに分かってなさそうだ。

「それに俺、これからデートだから」
「うわ、やめろよ……。お前からその言葉が出てくるとドキッとするんだよ……」

 まるで悪いことでもしているかのような言われっぷりだ。適当に流して兄と別れ、駅に向かって歩き出す。静かな住宅地に、人の影はない。この辺りの空気はゆったりとした穏やかさを感じる。日野がいる場所というだけで、そう感じているのかもしれない。

 最近、自分の身体に異変が起きるようになった。物を生み出した直後、酷い疲労感が出るようになったのだ。大した物を出したわけでもないのに、半日ほど動けなくなることもある。ここのところ、他のことに思考が奪われて力を使う機会が減っていたから、なまっているのだと思った。

 けれど、それと同じ頃から日野の身体に良い兆しが見え始め、悟った。なんとなく自分の行く末が分かってしまったが、兄や三上先生には黙っていた。

 もう、力を使うのは止めよう。因果関係は分からないが、もしかしたら、それで彼女の回復が早まるかもしれない。そうなったら嬉しい。サンタの力は喜んで返す。保育士になるという目標が消えるわけでもない。

 広い青空を見上げ、煌めく光を思い出す。最後に一度だけ、と周囲を見回し、両手を目の前に出した。頭の中で想像し、そこに現れる様を思い浮かべる。そうやって数え切れないほど繰り返した一連の動作が、突然、記憶が抜け落ちてしまったかのようにやり方が分からなくなった。

 何も出ない。感覚が思い出せない。ただそこにある自分の手のひらを見つめ、あぁ、と心の中に暖かいものが流れていく。こんなに早くこの日がくるなんて思っていなかった。携帯を取り出し、先ほど別れたばかりの兄にメッセージを送った。

『もう家に着いた?』

 すぐに、『まだ。あとちょっと』と返事がくる。

『ひのりん、起きてる気がする』

 それに対する返事はこない。ふざけているとでも思ったのかもしれない。再び駅への道を歩き出した。自分の靴音だけが小さく聞こえ、時折吹く風がどこかで木の葉を揺らしている。

 携帯が着信を知らせた。通話ボタンを押して耳に当てれば、兄の震える声が聞こえてきた。



【葵編】完結
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