サンタの願いと贈り物

紅茶風味

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【葵編】5話-1

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 久しぶりに会うのに部屋着のような恰好ではあんまりだと思い、適当な服に着替えた。洗面所で髪を雑に濡らして整えるも、跳ねた束はなかなか収まらない。まぁいいか、と諦めて廊下に出れば、じとりとした目で父が俺を見ていた。

「夕飯までには帰ってきなさいよ」

 少し口元を緩ませながらそう言うと、意味ありげな顔でリビングへと戻っていく。誤解しているのは明らかだったが、面倒くさいのでそのまま黙って家を出た。

 待ち合わせの時間まで、随分と余裕がある。ゆっくりと歩き、カバの公園の中をなんとなく通り、到着時間を調整しながら保育園へと向かう。手土産でも持ってくるべきだったか。こういう気遣いは、いつも兄が率先してやっている為にどうも苦手だ。

 約束した時間の五分ほど前に保育園へ着いた。既に取り壊されているので、実際にあるのは建設中のマンションだ。

 電話が鳴った。里美先生からだ。

『葵君、今どこ?』
「もう着いたよ。建物の前にいる」

 保育園が取り壊されていることは電話で話していたし、里美先生も知っていた。

『じゃあ、中に入ってくれるかな』
「中……? え、この中?」
『そう、その中』
「怒られるよ」
『大丈夫。今日は工事してないから誰もいないよ。私も中にいるの』

 驚いて半透明のシートを凝視した。当然、そこは関係者以外立ち入り禁止だ。あまり規律を乱すようなことをする人には思えないが、意外と破天荒な性格なのかもしれない。

 周囲に視線を向け、誰もいないことを確認してからシートの隙間から中に入った。まだ外壁はなく、骨組みと足場が設置されているだけだった。狭い空からは薄暗い明かりが見える。

 里美先生の姿がない。中にいると言っていたが、この場所のことではなかったのだろうか。心配になって携帯電話を取り出した。掛けなおそうとした時、背後でシートの捲れる音がした。

「……久しぶりだね」

 振り向くと、そこには一人の女性がいた。すぐには里美先生だと気づけなかった。思い出を美化していたのかもしれない。少しやつれ、お世辞にも綺麗とは言い難い風貌で、控えめな笑みを作っている。

「ごめんね、中にいるって、嘘ついちゃったの」
「嘘? なんで?」
「君が、警察を連れてくるんじゃないかと思って」

 警察、という言葉に、どくりと心臓が鳴る。思考が一気に事件のことだけに直結される。

「私に突然電話をしてきて、聞きたいことがあるだなんて、あの時のことに決まってるよね」

 里美先生が、ゆっくりと歩いてくる。むき出しの地面は歩きづらく、時折よろけては下を向く。

「……俺、ずっと忘れてたんだ。あの時のこと、保育園から、病院で目が覚めるまでの間のこと。でも、思い出した」
「私のこと?」
「うん。俺を園の外に連れて行ったのは、里美先生だった」

 スカートから覗く足は驚くほど細く、俺の目の前まで来ると止まった。その顔をまじまじと見る。歳をとった。当然だ。あれからもう、十二年も経つのだから。いつの間にか背丈を追い越し、見下ろす側となった。

 伏せられた睫毛を見ていると、わずかに震えて悲しげに閉じた。眉を下げ、細く息を吐く。

「ごめんなさい……」

 か細い声で言った。

「あんなことになるなんて、思わなかったの。わたし、本当に馬鹿だった。本当に……」

 俯き、持っていたハンドバッグを前に抱えた。力を込められたそれが歪んで潰れ、膝を折ってしゃがみ込んでしまう。

「先生、大丈夫。事情があったんだろ、大丈夫だよ。警察に言ったりしないから」

 白髪の混じった髪が揺れた。顔が見えない。泣いているのかもしれないと思い、膝をついて肩に触れた。

「何があったのか教えて。それだけ聞きたくて、俺」

 言い終わるよりも前に、身体に痛みがはしった。全身を何かで刺されたような、強烈な痛みだ。驚きのあまり声も出ず、喉が引きつって目を見開く。

 何が起きているのか分からず、ただ目の前で立ち上がる里美先生の顔だけが視界に入った。気づけば地面に横たわっていて、薄暗い空を背に冷たい瞳が俺を見下ろしていた。
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