サンタの願いと贈り物

紅茶風味

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【葵編】1話-1

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 十月初旬、夏の暑さが過ぎ、秋の気候が見え始めた。夕方の空は明るく、次第に短く、その時間を刻んでいく。

 マンションの一室に着き、学校指定の鞄から鍵を取り出した。キーホルダーには二つの鍵が付けられており、その片方を使って開け、中に入る。

「ただいま」

 玄関に靴が無いのでまだ帰っていないことは分かっていたが、一応、部屋の中へと声を上げた。案の定返事はなく、それを然程気にせず靴を脱ぐ。

 少し物が散乱しているリビングに入り、鞄を放り投げて制服のブレザーを脱いだ。手を洗ってうがいをし、冷蔵庫からペットボトル飲料を取り出すとダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。慣れた一連の動作は、本来、この場所で行われるものではない。

 教科書を広げ、今日出た課題を進めていると、玄関の鍵の開く音がした。時計を見ると、十九時を周る頃だった。げ、と嫌そうな声が小さく聞こえてくる。足音が近づき、リビングのドアが開くと兄が俺を見てぎょっとした顔をした。その目がすぐに細められ、重々しく低い声で言う。

「……言いたいことが二つある」
「おかえり」

 気にせず迎えれば、更に睨まれた。

「なんで毎週毎週、うちに来るんだ」
「べつにいいじゃん」
「ちゃんと帰れよ、父さん心配してるぞ」
「兄ちゃんちにいるんだから、心配することなんか無いって」
「だから、それを予め父さんに伝えろって言ってるんだよ。あと、僕にも」

 そんなことを言われても、急に来ようと思いついたのだから仕方がない。それがたまたま、毎週金曜日なだけだ。口に出したら小言が増えるから、言わないけれど。

「もう一つは?」
「その顔はなんだ」

 その顔、とは、口元に貼られている大きなガーゼのことだろう。唇の際まで被せられている為、ペットボトル飲料が飲みづらくて煩わしい。

「口が切れた」
「なんで」
「殴られたから」
「……相手は」

 それが、相手は誰なのだ、という問いではないことは分かっている。

「打撲と捻挫」

 呆れたようにため息をつく兄に、思わず口を尖らせた。

「俺がやったんじゃないよ。勝手に転んで階段から落ちたの」
「階段って……!」
「だから、打撲と捻挫だけだってば。喧嘩売られて殴られて、避けたら落ちてったんだよ。俺悪くないじゃん」
「お前そんなんばっかだろ……」

 兄の言う通り、こういういざこざは学校内でたまに起きる。なぜ喧嘩を売られるのか自分でもよく分からないが、クラスメイトいわく、俺の直球な物言いが相手を不快にさせるらしい。

「シャワー浴びてくるから、ごはんとおかず温めておいてくれ」
「わかった」
「あ。あと、父さんにちゃんと連絡しろよ」
「はいはい」

 スーツを脱ぎながら風呂場に向かっていく後ろ姿を見て、そっと息を吐く。兄の小言は、年々増してきているように感じる。以前は小さなことでいちいち口を出してくるようなことはなかったし、幼い頃はもっと甘やかされていた記憶すらある。

 課題を進めていた手を止めてシャーペンを置いた。近くにある背の低い棚の上には、写真立てがいくつかある。立ち上がり、そこに近づいた。

 父と母、兄の三人で映った写真。父と兄、自分の三人で映った写真。兄弟二人きりの写真。それぞれ家族同士で撮ったものだが、四人揃っている写真は無い。俺が産まれたのと同時に母が亡くなっているからだ。

 どれも実家に飾ってあるものと同じような写真だが、一つだけ、異色なものがある。人物の映っていない写真だ。

 それは公園の砂場を撮ったもので、中央に拙いながらも立派なお城が作り上げられている。覚えていないが、これは俺が四歳の頃に作ったものらしい。兄と日野と、三人でカバの公園に行った時のことだ。

 あの事件があった日から、十二年が経っていた。俺は十六歳になり、兄は二十八歳になった。日野は生きていれば……、と考え、首を振った。当時の彼女が一体いくつだったのか分からない。

 事件当日のことはあまり覚えていない。保育園でいつも通りに過ごしていたのに、気づいたら病院にいて、全て事が終わっていた、そんな感覚だった。ただ、兄と父の悲痛な表情だけは今でも思い出すことができる。

 日野の葬儀には参列させてもらえなかった。それどころか、親族に会うことも、墓の場所を教えてもらうことすらも叶っていない。避けられているのだろうと思った。俺の存在が彼女の命を奪ったのだから、当然だ。
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