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【淳平編】1話-4
しおりを挟む葵は公園に入ると、持参していた子供用のバケツとシャベルを持って、砂場へ向かって行った。他に人はおらず、大通りの裏側に位置しているせいか、通行人も少ない。
砂場でしゃがみ込み、何やら黙々と砂を掘り続けている。掘り起こされた砂の山を触ると、「それは駄目なの」と言われ、手を引っ込めた。
葵はこうして、一人で遊ぶのが好きなようだ。保育園でも、公園でも、誰かと一緒になって遊んでいる姿をあまり見ない。たまに心配にはなるが、自分の子供の頃を思い出してみれば、さほど変わらないような気もする。
ふと、公園の隅に自動販売機を見つけた。特に喉が渇いているわけではなかったが、手持ち無沙汰なので何かを買おうと思った。
「葵、なんか飲むか?」
「リンゴジュース」
「え……」
あるだろうか。せめてジュース、とだけ言ってくれればいいのに。そう思いながら自販機に近づくと、やはり、リンゴジュースは無かった。代わりはないかと探したが、ジュースと呼べるものは炭酸しかない。葵は炭酸が飲めない。しかたなく、お茶を買って戻ることにした。
振り返り、砂場に視線を向け、身体がギクリと硬直した。葵の傍に誰かがいる。先ほどまで人気が全く無かったのに、自販機と対面していたわずか十数秒のうちに、突然そこに現れたかのようだった。
不審者だろうか、と警戒したが、若い女のようだったので、少しだけ安心した。女は砂場でしゃがみ込み、こちらに背を向けた状態で葵を見ている。葵は立ち上がっているので、女の目線と同じくらいの位置にある。
微かに声が聞こえてくる。何かを話しているようだ。女の顔は見えないが、葵は不思議そうな顔でその人物を見つめている。いつもそんな顔をしているので、心境はよく分からない。
「なんでもいいんですよ」
近づくと、女の声が鮮明に聞こえた。
「今、欲しいなぁって思う物を、言ってみてください」
その言葉に、眉を寄せる。やはり不審者かもしれない。葵が、女の後ろにいる僕に気づいて視線を上げた。そのまま、口を開く。
「リンゴジュース」
「え、リンゴジュース、ですか。よし、分かりました」
女が右手を後ろに回した。僕の位置からちょうど見えるその手は、腰の辺りで止まると手の平を上に向ける。何かを受け止めるような手つきだが、そこに何かが落ちてくるわけでもあるまい。
不思議に思い、その手を凝視した。すると、次の瞬間、手の上に四角い物体が現れた。上から落ちてきたわけでも、鞄や服の中から出したわけでもない。突如として、何も無かった空間に出現したのだ。手の平サイズのその箱は、よく見ると紙パックの飲料だと分かる。
女は、それを当たり前のように目の前に持ってくると、葵に差し出した。
「紙パックのですが」
それはリンゴジュースのようだった。
「どうぞ」
葵は少し驚いた様子で、その紙パックを見つめている。差し出されたそれに、小さな手が伸びるのを見て、咄嗟に声を上げた。
「だ、駄目だ」
動揺して、どもってしまった。僕の声に、葵が手を止め、女の身体が大きくびくついた。紙パックを砂場に落とし、慌ててこちらを振り向く。
「しまった、大人だ」
そう言って立ち上がり、後ろに下がって盛大に転んだ。葵が掘った穴に足をとられたようだ。尻もちをついて呻いている隙に、葵の手を引いて砂場から出た。念のため身体を隅々まで見たが、何かをされた形跡は無い。
「あんた何なんだ。警察呼ぶぞ」
「えぇっ、警察って、そんな、違いますよ。誤解です」
女が言いながら、起き上がる。
「私はただ、葵ちゃんの望みを叶えようと」
「なんで名前を知ってるんだよ」
「教えてもらったんですよ、本人から」
女が立ち上がった。身体中に付いた砂を払い、周囲を見回すとこちらを見据えた。内緒話でもするように片手を口元に添え、小声で言う。
「ここだけの話なんですが、実は私、サンタクロースなんです」
やはり変質者だった。どうしたらいいか分からず、そっと葵を抱きしめる。頭がおかしいのだとしたら、会話を中断して走って逃げた方がいいかもしれない。
「とは言っても、まだ見習いなんですけどね。試験に合格しないと、正式に採用されないんですよ」
「僕達これで、失礼します」
「待って、待ってください!」
葵を連れて去ろうとすると、女が慌てて止めた。砂場に落ちている紙パックのジュースを拾い、それを差し出してくる。
「これを葵ちゃんに」
「いらないって」
「葵ちゃん、いらないですか」
女は僕の言葉を無視して、葵に聞いた。その行動に少し腹が立ったが、葵は僕の手を離れて女に近づいていった。あ、と思った時には、紙パックを受け取っていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
葵に女は微笑み、自分の左手の甲を見た。笑みが、瞬時に悲しそうに消える。
「ほら、行くぞ」
僕は葵の手を掴んで乱暴に引いた。女はそれ以上は何も言わず、追ってくることもなかった。肩を落とし、手を見つめた格好のまま、砂場の中に立ち尽くしていた。
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