サンタの願いと贈り物

紅茶風味

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【淳平編】1話-1

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「実は私、サンタクロースなんです」

 女が神妙な面持ちで、そう言った。静かな公園には助けを求められる相手も、逃げられる場所もなく、僕はそっと葵の身体を抱きしめた。とんだ変質者に遭遇してしまったようだ。



 十一月の半ば、その日はいつもと変わらない朝だった。

 六時に起き、家族を起こさないようにそっと部屋を出て、リビングで朝ごはんの準備を始める。

 湯を沸かし、目玉焼きを作り、食パンで野菜を適当に挟み、果物を切る。慣れたルーティーンをこなし、テーブルに食事を用意してからリビングを出た。寝室のドアを遠慮なく開けると、暗闇のその中から二つの寝息が聞こえてくる。

「朝だぞ、起きろ」

 ダブルベッドに、大きな塊と小さな塊がある。僕の声に、小さな塊の方が反応した。掛け布団の中でうごめき、数秒後に上半身が起き上がる。

「おはよう」

 僕が言うと、葵は声にならないようなかすれ声で「おはよう」と言った。小さな手で片目を擦っている。

「もう朝ごはん出来てるから。お父さん起こして、連れてきてくれるか」
「うん」

 葵の手が、隣で寝ている父親の背中に伸びるのを横目で見ながら、部屋を後にした。低い唸り声が、開け放した部屋の中から聞こえてくる。

 リビングに戻り、テレビの電源を付けた。いつも見ているニュース番組にチャンネルを変えたが、なぜかそこに映っているのは見知らぬキャスターだった。

 ぼんやりと眺めていると、父と葵が来た。父は短髪を四方八方に向けながら、荒んだ目で僕を見る。

「ひどい」
「何が」
「嫌がらせだ」

 何を言っているのか分からないが、ひどいひどいと繰り返しながら自分の席に座った。葵もその向かいにある子供用の椅子に座る。

 大きなダイニングテーブルには、空席が一つある。そこには常に母の写真が置かれている。キッチンに一番近く、移動をするのに楽な席だ。ここがいつもの、母の席だった。

 母が亡くなったのは、葵が生まれた時だった。もともと身体の弱い母は、出産に伴うリスクが高かったらしい。僕を産んだ時も難産であったと、母が亡くなってしばらくしてから、父から聞かされた。

 当時、中学一年生だった僕は、母の死と、それと引き換えに生まれた新しい命に感情が追いついていかなかった。嬉しいはずなのに喜べない、悲しいはずなのに泣けない、そんな矛盾した感覚だ。

 学校から家に帰り、ゲージの中にいる葵を見ると、自然と母の記憶が蘇ってくる。それは、常に頭の中にいる笑顔の母だけではなく、日常の何でもない光景や、僕を叱る時の怒った姿など、生き生きとした母の思い出だった。まるで、葵の中に母が眠っているかのように感じた。

 夕飯時、そのことを父に話した。僕の言葉を聞き、父は泣いた。箸を握り締め、声が漏れないように耐えながら、大粒の涙を流し続ける父を見て、僕も泣いた。母が亡くなった日から、ずっと蓄えていた涙が、一斉に溢れ出したようだった。

 家の手伝いをするうちに、掃除も洗濯も料理も、一通りの家事はなんでも出来るようになった。葵の面倒も、分からないなりに頑張っていたと思う。

 葵は僕によく懐いた。成長し、一人で歩けるようになると、どこに行くにも僕の傍にいるようになった。トイレに行けばドアの前まで付いて来るし、テレビを見ている時には常に隣にくっついていた。視線を向ければ、笑顔にはならないものの、その小さな手をいっぱいに伸ばして僕の身体を抱きしめる。

 葵は四歳になり、僕は十六歳になった。子供の成長は早いものだと、最近になってつくづく思う。四歳のわりには身体が小さく、喋る言葉も少ないが、四年前の赤ん坊の姿を思い出すと、短い間にとても多くの事が出来るようになったと、親のような目線で見てしまう自分がいる。
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