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6話-2
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「もうすぐでクリスマスだねぇ」
間延びした小木の言葉に、福本が「はぁ」と気のない返事をする。昼休みの教室はいつも通りに騒がしく、顔ぶれもいつも通りだ。
「なんて気のない返事だ……彼氏がこんなんじゃあ、もう無理だ」
「何が」
「入試」
「関係ねぇだろ」
二人の会話をどこか遠くで聞きながら、小木の広げている弁当を見た。相変わらずキャラ弁を作っているようだが、様子が以前とは変わっている。猫のようなおっさんが親指大の小さなおむすびになり、弁当箱いっぱいに詰め込まれている。なんだこれ、気持ち悪いな。
「そりゃあ、篠原もそんな顔になるよ」
「お前の弁当、いつの間にそんなおぞましくなったんだ」
「かわいいでしょ。森にいそうじゃない?」
「呪われた樹海にいそう」
大学入試を控えたこの時期、本来なら空気が張りつめているはずなのに、ここにいるといつも気が緩む。目の前にいる二人も、焦っているようなことは言うものの、実際そんな様子はない。
「で、クリスマスどこ行く?」
「本気で遊びに行くつもりなのかよ」
「いいじゃん一日くらい。気分転換しようよ」
恋人同士の会話が、当たり前のように目の前で飛び交う。福本いわく、小木は俺の恋愛事情を聞きたいのを必死で堪えているらしい。たしかに、以前は我慢が出来ないとばかりに口を出してきていたのに、今はそれが全く無い。「あいつなりに気を遣ってるんだよ」と言う福本の表情は、見てはいけない彼氏の顔そのもので、なんだかむず痒くなった。
「そういえば、駅前におっきいツリーができたよね」
それは、一週間ほど前に突如現れた巨大なオブジェだ。モミの木を模したツリーには色とりどりの電飾が施され、波打つように色が変わる。下校時に傍を通るだけでも、目を奪われるほどの規模だ。
「しょうがないから、この近くを制服デートでいいよ」
「お前、近所じゃん」
「もはや庭だよね」
震えてもいない携帯を取り出し、何も送られていない画面を見つめる。昨日の今日で、連絡なんてくるはずがない。分かっている。すぐには無理、という言葉からして、クリスマスにはきっと、会えない。
お迎えの時間は忙しなく、玄関と部屋の中を行ったり来たり繰り返す。頭の中でまだ来ていない子は誰だったか、と思いながら、悠希の存在が浮かび上がって首を振る。たしかにまだ迎えは来ていないが、来るのは彼女ではない。
「こんばんは」
思っているそばから、悠希の母親が来た。昨日と同じ、会社帰りの恰好で保護者カードを掲げている。少し離れた場所にいる俺を見て、あ、と反応をする。その顔がなんだか、深刻さを帯びているように感じた。
「篠原さん、悠希呼んできてください」
「え、あ、はい」
俺よりも近くに他の職員がいたのに、何故か名指しで頼まれてしまった。奥の部屋に近いからかもしれない。急いでいるのかと思い、小走りでホールに行き、帰り支度が中途半端なままの悠希にランドセルを背負わせ、半ば抱えるように両脇を持ち上げて連れて行った。
「あれ、なんで急いでるんですか?」
「は?」
「へ?」
「……あ、いや、急いでるのかと思って」
「そうですか。悠希、靴履いて」
笑顔で流された。なんだこの人、何か不自然だ。悠希が下駄箱に駆け寄り、靴を履き替えているのを待っていると、突然手を掴まれた。驚いて見ると、真剣な眼差しが突き刺さるようにぶつかる。
かさりと手のひらに乾いた感触がした。すぐに手は離れ、そこには白い紙切れが残っていた。
「じゃあ、また明日」
「あおちゃんバイバーイ」
呆気に取られているうちに二人が帰って行った。手のひらを見つめ、四つ折りになっている紙の端を摘まむ。今までにも、こうして突然、似たようなものを渡されたことがある。経験上、それは十中八九、連絡先だった。
そんなまさか、と思いながら開けば、予想通りにそこには携帯の電話番号が書かれていた。しかし、その下に書かれているメッセージに顔が強張る。
『花ちゃんのことで話したいから連絡ください』
なんだこれ。どういう意味だ。花さんのこととは、悠希絡みのことなのか。だとすれば、こんな風に遠まわしに伝えたりせず、直接言うはずだ。それをしなかったということは、今ここでは言えない彼女自身のことなのだろう。
こんばんは、と再び保護者が迎えに来て、慌てて紙切れをポケットにしまった。仕事が終わるまでは電話は出来ない。向こうもそれは分かっているはずだ。気になってやきもきする感覚を押し殺し、今はただお迎えの時間を乗り切ることに集中した。
館内の戸締りを終え、職員への挨拶もそこそこに帰り道を急いだ。人に聞かれない方がいいだろうと思い、駅までの道のりから少し外れ、小道に入ったところで携帯を取り出す。街灯の下で紙を広げ、そこに書いてある番号を急く心で押した。
『もしもし』
こちらの様子を窺うような声で、おそらく悠希の母親が出た。
「篠原です」
『あぁ、よかった。ちょっと待ってて』
安心したように言い、しばらく無言が続いたかと思えば、扉の閉まるような音が聞こえてくる。
『突然ごめんなさい、怪しかったでしょ』
「なんなんですか、花さんに何かあったんですか」
『花さん』
「……あっ、いや、その」
ふふ、とおかしそうな笑い声が届く。焦った自分をからかわれているようで、なんだか面白くない。そう思っていると一転して、真剣な声音が届いた。
『どこまで知ってるのか知らないから用件を先に言うけど、明日、あの子、元カレに会うつもりなの』
その言葉を聞いた途端、ドクリと心臓が大きく波打った。ずっと根底にあった嫌な予感が的中したように、蠢きだして心を焦らせる。
「なんでだよ。連絡先知らないだろ」
『あぁ、うん、会社にね、また来たんだって』
「は……? いつ?」
『昨日の帰り』
驚いて言葉が出てこなくなった。昨日はバイト終わりに連絡をとりあっていた。ちょうど今と同じくらいの時間だ。仕事の帰りに男と会っていたのなら、俺との連絡はその後にとっていたことになる。意図して隠したのだ。
「なんで教えてくれなかったんだよ……」
『あの子はそういう子だよ。私だって、何度も念押しして怒って、ようやく教えてくれたんだから』
それでね、と真剣な声が続く。
『昨日は立ち話で済んだんだけど、明日、夜に食事することになったって』
「なんだよそれ」
『別れるつもりなんだよ。ちゃんと言ってないはずだから。一人じゃ危ないからやめなって言ったんだけど、そうしたら返事来なくなっちゃって。電話も出てくれないし』
それで困って、俺に頼ったということらしい。
『ごめんなさい、あの子の交友関係知らなくて、親戚以外で連絡とれそうなのがあなたしかいなかったの』
事情も知っているようだし、と続いた言葉に、今までの会話でそこまで察したのだと気づいた。
『あなたから電話すれば出ると思う。だから、止めてくれないかな』
そのお願いに、迷いが生じる。今の話を聞くに、明日会うことになったのは花さん自身が決めたことだ。別れるつもりなのは、ちゃんと前を見据えている証拠だ。自分の力で、清算しようとしているのだ。
怖い、と泣いていた顔を思い出す。あんなに怯えていた彼女の決断を、俺が止めていいのだろうか。
「どこで会うのか決まってんの?」
『いや、聞いてないけど……あっ、悠希ちょっと待って。お父さんとこ行ってて』
電話口の向こうから、子供の声が聞こえてきた。再び扉の閉まる音がする。家族に会話が聞こえないように、場所を移動しているのだろう。
『とにかく、お願いね。なにかあったら、いつでも連絡くれていいから。あと』
突然、空気が変わったように改まった声になる。
『いつも悠希がお世話になってます。それじゃあ、失礼します』
「あ、はい、失礼しま」
切れた。最後の一言で、そういえば児童の保護者だったと現実に引き戻された。つい、いつもの癖で敬語を忘れて失礼な態度になっていた。まぁ、向こうも似たようなものだったからいいか。
携帯をしまい、小道から出て駅へと歩き出す。今聞いた話を心の中で反芻しながら、考えた。
俺だって、あの男に二人きりで会うなんて行為は止めたい。付き合ってる相手に暴力を振るうような人間が、数年で変わるとは思えない。どういうつもりで彼女に会いに来たのかは知らないが、あの夜道でのことを思い出すと、普通の状態には見えなかった。
でも、だからこそ、花さんは自分であいつをどうにかしようと思っているんじゃないのか。もし俺がここで強引に止めたとして、彼女はこの先ずっと、あの男の影に怯え続けることになる。それを本人も分かっている。せっかく前に進もうとしているのに、その道を閉ざすようなことはしたくない。
立ち止まり、再び携帯を取り出す。
『お疲れ様。仕事終わった?』
送ると、すぐに返事がきた。
『お疲れさま。終わったよ、もう家でご飯食べてるよ。葵くんは、学童からの帰りかな?』
今すぐに会いたい。でも、会ったら絶対に引き留めてしまう。
『昨日言ってた、大事な用事って、いつ?』
向こうからの質問には答えず、送った。既読がついてからしばらくの間、画面を見つめて待つ。
『明日だよ』
あぁ、やっぱり、そうだった。じわじわと感情が込み上げてきて、一度強く、目を瞑る。それなら俺は、背中を押すしかない。
『じゃあ、それが終わったらケーキ行こう』
なんでもないように送れば、返事はすぐにきた。
『べつにケーキじゃなくてもいいよ』
笑顔で言っている姿が思い浮かんで、心臓が締め付けられる。
『ケーキも行くし、買い物もするし、映画も見たい』
『花さんと色んなところに行きたい』
『たくさん話が聞きたい』
これじゃあまるで、告白だ。
『いつでも俺を頼って欲しい』
送ってすぐに携帯をしまい、足早に駅へと向かう。電車に乗り、最寄りの駅に着き、家まで再び速足で歩く。おかえり、という父親の声に中途半端に返事をしながら部屋へと入った。
途中で携帯が震えたことには気づいていた。勇気が出なくて見れないまま帰宅し、ようやく、そっと画面を覗く。
『ありがとう』
ただ一言、その言葉だけが送られていて、あの愛らしいスタンプは無かった。
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