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最終節 擬似デートをしました。 

020 嘘が、背中に重くのしかかってきた。

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 ゲームセンターは、今日も元気に目いっぱいの電力を消費していた。電力不足になった時は、真っ先にここの電源がシャットアウトされるだろう。お巡りさん、犯人はここにいます。

「……クレーンゲーム、したい……」

 道中もクレーンゲームがどうのこうの語っていた幸紀は、早速ぬいぐるみが景品のものに釘付けになっていた。馬鹿の一つ覚えのように、したいしたいと連呼している。

「……他の人がやってるんだから、順番待ちだ」

 狂乱の余り先客すら見えていなさそうな幸紀の肩を、ポンポンと軽く叩いた。

 この手のゲームは、アームが一度景品を掴んでからが一喜一憂のポイントになっている。狙いを定めるだけでホイホイ景品を持っていかれては店側も利益が出ないので、確率で落とすようになっているのだ。

 あこがれが強すぎてその仕組みを一切知らなそうな幸紀は、何度失敗しても自分の技術を批判して試行錯誤することだろう。ただのお金の無駄だ。

 そうなるよりは、先客の人から現実の厳しさを実感してもらった方が良い。

「幸紀、前の人がやってるの、よーく見といてな」
「うん」

 二つ返事だった。将来、特殊詐欺に引っ掛からないかが心配になってきた。

 アームが動き出し、ぬいぐるみの真上に静止した。狙いが寸分たがわずヒットしていて、アーム強度が操作されていなければフラグを建てても許されるレベルであった。

 幸紀の目は、アームが上から下へ動いていくのにそのまま引っ付いていた。分かりやすい人である。

 三本の脚でガッシリとぬいぐるみを掴んだアームが、また元の位置へと上がっていく。と……。

「……あれ、落ちちゃった」

 やる気をなくしたアームがぬいぐるみを手放し、初期位置とほぼ変わらない位置に落とした。

 まだゲームセンターの仕組みがよく分かっていない子供は、クレーンゲームなら自分にでも景品が取れると勇んで百円硬貨を投入し、夢を破壊される。景品をポイ捨てする光景を、何度見てきたことだろうか。

 ……幸紀、本当にやったことないのか……?

 見慣れた絵面にひどく首をかしげているのを見ると、幸紀には落ちた理由がよく分からなかったようだ。

「……クレーンゲーム、やったことある?」

 やや悲しそうに、幸紀は首を横に振った。

「……ないよ。遠くから台をボーっと眺めてたことはあったけど、それだけ。お金が無いって言われて、一回もやらせてもらえなかった」

 幸紀の口からゲーム機関連の語句が一度も飛び出していないのは、貧乏で娯楽品にまでお金が回らなかったからと見てよいだろう。楽しさを知らなければ、欲することも無い。

 やれ『自分は不幸だ』だの『流行のものを買ってもらえない』だの自己の価値を低く見積もってしまう残念な人たちを散見するが、そう思える時点で恵まれていると言ってよい。

 本当に不幸な人たちはそれこそ幸紀のように振り返る時間すらなく、不幸という事実に気づけない。流行などどこ吹く風、生活必需品を揃えることもままならない。

 一度でもゲーム機の楽しさを知った人は娯楽の時間を求めるが、それさえも経験していないと求めなくなる。これは前者がわがままだと言うよりかは、後者が貧しいということだ。

 ……アームのからくり、教える気無くなって来たな……。

 純粋に、娯楽と言うもの楽しみ方を知って欲しい。余計な情報を入れてしまうと、それが出来なくなる。

 台が空いた。その隙間に入り込むかのように、幸紀はもうガラス板に貼り付いていた。

「早くしないと、無くなっちゃうよ……」
「待て待て、景品は無くならないから落ち着けーい」

 食事にしばらくありつけなかった人がレストランで料理を出された時のようなやりとりだ。台を占拠している限り、誰かが勝手に景品を持ち去っていくということは起こらない。

 広海がポケットマネーから出した百円玉を投入口へと突っ込んだ幸紀は、早速操作ボタンの説明を読み始めた。デジタル数字のカウントダウンは、既にスタートしている。

「ええと、このボタンで右に移動させて……」
「時間切れになるから、早く!」

 広海にせかされるがまま、幸紀は右矢印のついたボタンを一押しした。二センチほど稼働して、アームは止まった。

 こういうタイプのアームは、ボタンを長押しして適切な位置まで移動させるものであって、自動的に獲れる位置まで動いてくれるものではない。

「……あれ?」

 自らの過ちに気付き、右矢印ボタンを連打する幸紀。

 ……だから、もう遅いんだって。

 台を破損でもさせようものなら警察沙汰になるので、ぜひやめていただきたい。

 どうしようもないことを悟ったか、仕方なく光っている上矢印のボタンをしっかり長押しした。脚がかかるかどうかの場所に止めて、一縷の希望に賭ける。

 ……だよなぁ……。

 景品に触ることなく、アームは虚しく空を切った。

「……リベンジさせて、お願い?」

 沼にハマっていくと一回や二回では収まらなくなるので断りたいところだが、あまりにも幸紀が報われない。

「……もう一回だけだぞ?」
「はーい」

 今度は操作を誤らず、狙いを定めた。アームが下まで伸びていき、景品のぬいぐるみをツメで落ちないようにホールドした。

 ……ここからなんだよな……。

 ここまでなら、猿でも進めることは出来る。が、この先は確率の神様に愛された一部の人のみが享受できる。

 果たして、幸紀は。

「広海、これ取れたんじゃない?」

 無事に排出口まで運ばれたクマのぬいぐるみを見て、嬉々としていた。

 乱数調整で一回目をしょうもないミスで終わらせ、二回目に確変を引き当てる。強運の持ち主でないと為せぬ技だ。

 広海が振り返ることでも無いが、幸紀は不運続きだったと言っていい。クリスマスの日に、広海に拾われるまでは。

 ……これから、幸紀には幸運ばっかりが訪れる……はずだよな?

 運の良し悪しは波形を描いているという考え方に基づくと、これから幸紀はやることなすこと全てが旨く行くことだろう。もちろん、前提として努力を怠らないというものは入っている。

 取り出し口からぬいぐるみを取り出した幸紀は、待ってましたとぬいぐるみを胸に収めた。

「もふもふだぁ……。毎晩寝る時に、隣に置いとこうかな……」

 なんと無邪気な喜び方なのだろう。未来永劫、この新鮮な心を失わずに行ってもらいたい。

 広海の視線を感じ取ったか、ぬいぐるみを抱きしめたままこちらの方を向いてきた。

「……そうかぁー、このクマちゃんが羨ましいんだぁー。幸紀の胸の下にうまりやがってぇー」
「……そんなこと、思ってるわけないだろ」

 広海の口調を真似してきたところは流石の一言だったが、それどころではなくなった。

 返答までに間が開いてしまったことに付け込まれ、追い打ちをかけられる羽目になったのだ。

「……こんなこともしちゃうんだからねー」

 広海に見せびらかすように、毛でもわもわしているクマの頭をなで始めた。丁寧に、毛羽立っているところが滑らかになっていく。

 ……羨ましいなぁ……。

 できる事なら、自分がぬいぐるみと入れ替わりたい。入れ替わって、撫でてもらいたい。

「……むむむ……」

 降伏しそうになるのを、寸でのところで耐える。幸紀に負けてはいられない。

 反射的に、広海の体は動いていた。景品を大事そうに抱える幸紀に、手を伸ばした。

「……!?……」

 幸紀の頭の上に、手を置いた。ポンポンと、髪が乱れない程度に優しくたたく。

 ……何やってるんだ、俺。

 通りすがりの一般人にこんなことをすると、変態だと喚き散らされてたちまち警察署に連れていかれかねない。友達の異性だとしても、場合によってはアウトだ。

 以前にもやったことがあるような気がするが、その時とは状況が全く違う。今度の広海は慰めたくて行為に及んだのではなく、ただ無性な可愛さへの反撃にしたというところだ。

 幸紀の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。ぬいぐるみをギュッと抱きしめ、怖いのかそれとも恥ずかしいのか小刻みに体を震わせている。

 引こうにも、もう引けなくなった。やり切るしか、突破口はなくなった。

 記憶の片隅に、『好きな人から頭をポンポンされると嬉しくなる』というものがあったことを思い出した。あくまで、好きな人限定だ。

 ……幸紀?

 嫌がっているならば抵抗の素振りを見せてもおかしくないのだが、甘んじて広海の手を受け入れている。

「……ずるいよ……。そんなこと、されたらさ……」

 聞いたことが無いような、とろんとした声だった。真っ向からの批判は涼しい顔で受け流しそうな幸紀が、アガりきってしまっていた。

 ……これは、しても大丈夫……ってことか……?

 意を決した広海は、カーブに沿うように幸紀の髪の毛を撫で下ろした。小刻みだった幸紀の震えが、撫で終わるごとに大きくなった。

 髪をなでられるときの気持ちというのは、どういったものなのだろうか。生まれてこの方一度も撫でられたことのない広海には分かりかねるが、恋人からの愛情表現でされたら絶頂してしまうのではないだろうか。

「……ここだと……、誰かに見られちゃうよ。……止めてほしいな」

 彼女にそう言われて、ようやく広海は撫でるのをやめた。意志に反するのは、広海の本意ではない。

「……幸紀に負けないように何か反撃しようと思ったら、つい……」

 広海は深々と頭を下げた。一時の衝動でしてはいけない行為をしたことについて、謝罪しなければならない。

 他人の体に触れること自体が、気を許していないと迷惑になる。ましてや異性の頭など、もってのほかだ。

「……今のはさ、彼女だと思ってやったの? ……それとも……」

 幸紀を練習台扱いしたことが、ここまで尾を引いてくるとは思わなかった。これならば、最初から嘘を付かずにデートとして誘っていた方がはっきりとしただろう。

 ……本当は、両方だって言いたいんだけどな……。

 好きである人がクラスの他の女子ではなく幸紀のことであると、この場でばらしてしまいたい。だが、流れで暴露してしまってはスルーされそうで怖がっている自分もいた。

「……幸紀だと思ってやった。……ごめん……」

 嫌だと示されてはいなかったが、その場のノリで言い出せなかっただけかもしれない。

 イジメというものを例に挙げると、なにも直接的な暴力や妬み言葉を言われることだけがいじめなのではない。本人が笑っていても、ネタとしていじられたことが不快に感じたらならばそれは立派ないじめだ。

 幸紀は、人差し指と人差し指でバッテンマークを作った。

「……私じゃなかったら、警察に訴えられてるよ……? それに、広海が好きな人はどう思うの?」

 擬似デートで広海を惑わせてはならないと、あくまでも広海のことを優先する気持ちが矢になって心に突き刺さった。

 ……もっと俺に勇気があったら、今頃幸紀と笑い話でもしてたのかな……

 前日に幸紀と一日を過ごしたいと正面から誘っていたら、遠慮せずに幸紀は本心をぶちまけられたであろう。引きずるものがなく、この場で告白できただろう。

 ……なんで、一歩踏み出せないんだ……。

 広海には、もうどのタイミングで真実を話すべきなのかが分からなくなっていた。

「……早まり過ぎた。ほら、落ち着いて」

 人に言われただけで、落ち着くはずも無かった。過呼吸になっていた幸紀が元の息を取り戻すまでに、一分もかかった。

「……話題、変えよっか? メダルゲームもしてみたいなぁ……」

 上の空だったが、まるっきり偽りというわけでもなさそうだ。

 幸紀は、自分自身をありのままに表現するか頼まれた通りに彼女役として演技をするかで葛藤しているのだ。

 彼女の本望は、もちろん幸紀として広海と会話することだろう。それが普通であったし、何より余計なことを考える必要が無い。

 しかしながら、幸紀にとっては『擬似デート』なのだ。広海と付きあっているわけではなく、あくまでも代役。自己の気持ちがどうであろうと関係ない。

 ……俺が幸紀だったら、こんなに気持ちを早く切り替えられたかな……?

 いや、それは出来なかっただろう。感情が暴走して、予め与えられていた設定など破ってしまっていたことだろう。それが、相手を怒らせたとしても。

「メダルゲームかぁ……。前に遊んだ時のメダルを預けてるはずだから、引き出してくる」

 ……幸紀にどれだけの迷惑をかけてると思ってるんだよ……。

 『今日は練習』という言葉が、幸紀を束縛している。自由に動くことが出来ず、手足を拘束されている。

「……さっきのことは、気にしないで? 広海は、好きな人のことに集中して?」

 出発時に『罪悪感はあまりない』と言ったが、それは真っ赤な嘘だった。

 ……いつまで続けるんだよ、この状態……。

 広海にメダルゲームを楽しむ余裕は微塵も無かった。
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