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一日目 夜
016 おふとん!
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「おまたせー! ……テレビ見て暇つぶししてても良かったんだよ?」
「それなら、最初から泊まりに来てない」
お風呂上がりで、湯気こそ立ち上っていないもののもわっとした熱気が流れてきた。ヘアゴムで束ねられていない髪の毛は、バラバラになっていた。気にしている様子はない。
浴衣の未空もそうだったが、制服というかしこまった服装とのギャップが非常に目に付く。角ばって自然と背筋が伸びるような伸縮性の弱いブレザーでは見られなかった、生地が緩く肌が見える。
女子の私生活というものは、想像の範囲でしかなかった。放課後も共に行動しているのだが、家にまで入り込むことは数えるほどしかない。ましてや就寝まで付き添うと言うのは、なおさらだ。
ベールに包まれているものを、人はどうしても知りたくなる。全公開されているデータでは気にならない数値であっても、意図的に黒い線で塗りつぶされているとそこが重要なデータだと思い込んでしまう。
歯医者独特の慣れない空気があるように、他人の家も染み付いたにおいが漂っている。普段からそこで生活していると麻痺して気付かないのだろうが、部外者である寿哉はソワソワしてしまう。
パジャマ姿の未空を見て、大多数の人は『美しい』と感想を述べるのではないだろうか。乱れて散っている髪をたくし上げるしなやかな手つきは、上品で優雅なお嬢様そのものだ。
「……服に、ゴミでもついてたかな? お風呂あがった後だし、そんなことはないと思うけど……」
「いや、ボーっとしてただけ」
大人っぽさをにおわせていた未空を、知らず知らず注視してしまっていたようだ。街中なら、変質者だと通報されるまでは至らないが気味悪がられてそっと離れられそうだ。
シャンプーとリンスは丁寧に刷り込んでいく性格らしく、洗い立ての頭髪が吊り下げられた蛍光灯の光を反射している。とことん手を抜かないのは、プライベートでも変わっていない。
肝心のパジャマなのだが、寿哉は何の凝らしもされていないオールブラックス。黒いサングラスと白マスクをすれば、典型的な犯罪者イラストになる。
ファッションセンスがないと煽られても困る。寿哉には、持っていく服の選択権が無かった。生活費の内の食費割合を示すエンゲル係数が大きく、衣服などは二着あれば使いまわししていた家庭に育ち、その二着を交互に着ていた。夕方に選別をしていた時点で、残っているものがこの上下真っ黒しかなかったのだ。
さて、未空の方はと言えば、赤と白の縦スプライトが入った通気性の良さそうなものだ。野球のグラウンドでグラブをはめているだけで、選手と間違われそうなほどの完成度である。
『異性と寝る』という短文から、何が連想できるだろうか。下品な大人の声に出して言えないような戯言は燃やしてしまうとして、やはり男女関係がどうなるのかは気になるところだろう。
友達だが特に共通点があるわけでもない異性と強制的に同じ空間に居るとして、大抵の場合は親密度が増す。できる事が二者間の会話しかなく、本性が危険でもない限りは多少なりとも好意を抱くことが予想できるからだ。
それでは、既に相手のことを知り尽くしている幼馴染ではどうなるだろう。強制でなくともくっついていることの多い未空と寿哉くらいの関係にもなれば、日常によくあること。進展することも後退することもなく、ただ会話しただけで終わってしまう。
ここに、『寝る時も』という文言を追加してみよう。たちまち、予想がつかなくなるのだ。
……日向ぼっこしてて二人とも寝落ちしたことはあったけど……。
お天道様の下で折り重なったのは偶然であり、意図したことでは無かった。故に特別な感情が生まれることも無かった。
同じ学年の男と寝ようとする時、女子はどのような気持ちになるのか。乙女心を解析するのは現代科学でも不可能なので全て推測になるわけだが、ネット記事に面白いものを見つけたことがあるのでそこから引用することにする。
そのサイトでは、トップページにでかでかとしたタイトルで、『襲われるかも?』と男子側からの襲撃を警戒していた。その場のノリ、体格の差で逆らえなくなるので、注意が必要だと。
確かに、その通りだ。力任せに抑え込まれると、並みの女子では歯が立たない。重量差も手伝って、不快な思いをする可能性も十重にある。寿哉が女子に入れ替わるとするなら、相手選びは慎重になるだろう。
しかし、誘って来たのは未空からだ。それだけ寿哉がおかしな行動を取るようなことはしないと信頼を置いてくれているのだろうが、サイトに書かれていたような心理にはなっていないだろう。
……あんまり深く考えても、らちが明かないな。
恋愛関係の悩みは、解決しようと試行錯誤するほど底なし沼に嵌まる。邪心の一切を振り払い、真っすぐな気持ちになるのがシンプルながら良い手段なのではないだろうか。
「布団を敷かないといけないから、寿哉は邪魔にならないように立っててくれない?」
手際よく押し入れから裸の敷布団を引っ張っている所だった。
手助けしたい気持ちでバケツがひっくり返りそうなほどだ。が、郷に入っては郷に従え。余計なお世話は不要だ。
敷布団は思っていたよりも大きく、和室全体を覆い隠してしまっていた。引っ越し前かと錯覚したくらい綺麗に片付いていたので途中突っかかることは無かったが、この大きさでは一人分を遥かに超えている。
大の字になって占拠してしまって、未空の寝る場所を無くしてしまおうか。いや、悪ふざけを人の家に来てまでしていいものか。未空なら笑って許してくれなさそうなものだが、疲れていたらいい迷惑なのではないか……。くだらない事ばかりが浮かんでくる。
その道一本三十年の熟練家政婦かのように、四隅にシーツが被せられていく。手こずったあげく上から隠すようにして誤魔化したことのある寿哉からすると、超能力者に見える。
「これで、寝る準備は整った訳だけど……。これから、どうする? もちろん寿哉が寝たいって言うなら、それでもいいけど」
そうは言っているが、輝いている目からは物足りなさを感じる。そして、それは寿哉も同じ感想だ。
「まだ、寝たくは無いかな」
「やっぱり、そうだよね。私たち、いっつも気が合うねー」
花火で意見が食い違っていたのは記憶から消し飛んでいるようだ。共通点は多いが、意見は結構対立することも多い。
二人だけでも楽しめるようなものを持ってくる、と未空は引き戸の襖をあけて出て行った。
対戦型ゲーム機など、天から降ってきてもいなければこの集落に存在しない。インターネットに接続できる機器は全て親に管理されており、調べもの以外で使う事は認められていない。オンラインゲームをしようものなら、問答無用で永久ロックがかかる。
全身の力が急に抜け、布団の上に仰向けで倒れ込んだ。興奮と緊張で気付いていなかったが、かなりの疲労が溜まっていたようだ。脚も、腕も、頭も、全てが重い。
和室で寝ているのは未空しかいないと事前に聞いたので、いつも彼女はこのだだっ広い空間を抱きしめて寝ているのだろう。眠りへといざなう常夜灯に、一日の思いをぶちまけているのかもしれない。
中には眠気に勝てず畳の上に突っ伏してしまったこともあったようだから、普段の疲労が寿哉の比ではない。冬にそんなことをすると風邪を引いてしまいそうなものだが、そんなことが無かったのは幸いだ。
フローリングの上で寝てしまうと、全身の痛みに揺すり起こされることになる。自重で床が沈まないせいで局所に負荷が集中し、それが痛みとなって現れるからだ。
畳というのは不思議なもので、直で体を横にしていても体重を支えてくれている。体重がかかっても沈み込むことで負荷を緩和し、快眠をサポートしてくれる。寒い時期だと冷えるのでやめておいた方がいいが。
……未空が、ちょっと強引だな……。
普段の未空なら絶対にしないような、やや無理気味の合わせが気になる。あくまでも自身の事を優先させるのが普通なのだが、今日は寿哉に合わせている。
出発がもう近いがための異様な興奮ならそれで説明がつく。だが、それでも無さそうだ。出生地を離れる上でのやり残しで感情が昂っていたのはせいぜい商店街を歩いた時くらいであって、花火で特別感傷に浸ってはいなかった。
原因不明で、声を掛けようにも身軽に躱されてしまいそうである。未空から理由が出てくることも無いだろうから、お蔵入りだ。
使わな過ぎてホコリを被っていただろう小汚い箱を持って、また未空が和室に戻ってきた。柄にハートやダイヤが描かれているとなれば、もう言われなくとも中身は分かる。
「じゃーん! 困ったときの強―い味方、トランプだよ」
「それなら、最初から泊まりに来てない」
お風呂上がりで、湯気こそ立ち上っていないもののもわっとした熱気が流れてきた。ヘアゴムで束ねられていない髪の毛は、バラバラになっていた。気にしている様子はない。
浴衣の未空もそうだったが、制服というかしこまった服装とのギャップが非常に目に付く。角ばって自然と背筋が伸びるような伸縮性の弱いブレザーでは見られなかった、生地が緩く肌が見える。
女子の私生活というものは、想像の範囲でしかなかった。放課後も共に行動しているのだが、家にまで入り込むことは数えるほどしかない。ましてや就寝まで付き添うと言うのは、なおさらだ。
ベールに包まれているものを、人はどうしても知りたくなる。全公開されているデータでは気にならない数値であっても、意図的に黒い線で塗りつぶされているとそこが重要なデータだと思い込んでしまう。
歯医者独特の慣れない空気があるように、他人の家も染み付いたにおいが漂っている。普段からそこで生活していると麻痺して気付かないのだろうが、部外者である寿哉はソワソワしてしまう。
パジャマ姿の未空を見て、大多数の人は『美しい』と感想を述べるのではないだろうか。乱れて散っている髪をたくし上げるしなやかな手つきは、上品で優雅なお嬢様そのものだ。
「……服に、ゴミでもついてたかな? お風呂あがった後だし、そんなことはないと思うけど……」
「いや、ボーっとしてただけ」
大人っぽさをにおわせていた未空を、知らず知らず注視してしまっていたようだ。街中なら、変質者だと通報されるまでは至らないが気味悪がられてそっと離れられそうだ。
シャンプーとリンスは丁寧に刷り込んでいく性格らしく、洗い立ての頭髪が吊り下げられた蛍光灯の光を反射している。とことん手を抜かないのは、プライベートでも変わっていない。
肝心のパジャマなのだが、寿哉は何の凝らしもされていないオールブラックス。黒いサングラスと白マスクをすれば、典型的な犯罪者イラストになる。
ファッションセンスがないと煽られても困る。寿哉には、持っていく服の選択権が無かった。生活費の内の食費割合を示すエンゲル係数が大きく、衣服などは二着あれば使いまわししていた家庭に育ち、その二着を交互に着ていた。夕方に選別をしていた時点で、残っているものがこの上下真っ黒しかなかったのだ。
さて、未空の方はと言えば、赤と白の縦スプライトが入った通気性の良さそうなものだ。野球のグラウンドでグラブをはめているだけで、選手と間違われそうなほどの完成度である。
『異性と寝る』という短文から、何が連想できるだろうか。下品な大人の声に出して言えないような戯言は燃やしてしまうとして、やはり男女関係がどうなるのかは気になるところだろう。
友達だが特に共通点があるわけでもない異性と強制的に同じ空間に居るとして、大抵の場合は親密度が増す。できる事が二者間の会話しかなく、本性が危険でもない限りは多少なりとも好意を抱くことが予想できるからだ。
それでは、既に相手のことを知り尽くしている幼馴染ではどうなるだろう。強制でなくともくっついていることの多い未空と寿哉くらいの関係にもなれば、日常によくあること。進展することも後退することもなく、ただ会話しただけで終わってしまう。
ここに、『寝る時も』という文言を追加してみよう。たちまち、予想がつかなくなるのだ。
……日向ぼっこしてて二人とも寝落ちしたことはあったけど……。
お天道様の下で折り重なったのは偶然であり、意図したことでは無かった。故に特別な感情が生まれることも無かった。
同じ学年の男と寝ようとする時、女子はどのような気持ちになるのか。乙女心を解析するのは現代科学でも不可能なので全て推測になるわけだが、ネット記事に面白いものを見つけたことがあるのでそこから引用することにする。
そのサイトでは、トップページにでかでかとしたタイトルで、『襲われるかも?』と男子側からの襲撃を警戒していた。その場のノリ、体格の差で逆らえなくなるので、注意が必要だと。
確かに、その通りだ。力任せに抑え込まれると、並みの女子では歯が立たない。重量差も手伝って、不快な思いをする可能性も十重にある。寿哉が女子に入れ替わるとするなら、相手選びは慎重になるだろう。
しかし、誘って来たのは未空からだ。それだけ寿哉がおかしな行動を取るようなことはしないと信頼を置いてくれているのだろうが、サイトに書かれていたような心理にはなっていないだろう。
……あんまり深く考えても、らちが明かないな。
恋愛関係の悩みは、解決しようと試行錯誤するほど底なし沼に嵌まる。邪心の一切を振り払い、真っすぐな気持ちになるのがシンプルながら良い手段なのではないだろうか。
「布団を敷かないといけないから、寿哉は邪魔にならないように立っててくれない?」
手際よく押し入れから裸の敷布団を引っ張っている所だった。
手助けしたい気持ちでバケツがひっくり返りそうなほどだ。が、郷に入っては郷に従え。余計なお世話は不要だ。
敷布団は思っていたよりも大きく、和室全体を覆い隠してしまっていた。引っ越し前かと錯覚したくらい綺麗に片付いていたので途中突っかかることは無かったが、この大きさでは一人分を遥かに超えている。
大の字になって占拠してしまって、未空の寝る場所を無くしてしまおうか。いや、悪ふざけを人の家に来てまでしていいものか。未空なら笑って許してくれなさそうなものだが、疲れていたらいい迷惑なのではないか……。くだらない事ばかりが浮かんでくる。
その道一本三十年の熟練家政婦かのように、四隅にシーツが被せられていく。手こずったあげく上から隠すようにして誤魔化したことのある寿哉からすると、超能力者に見える。
「これで、寝る準備は整った訳だけど……。これから、どうする? もちろん寿哉が寝たいって言うなら、それでもいいけど」
そうは言っているが、輝いている目からは物足りなさを感じる。そして、それは寿哉も同じ感想だ。
「まだ、寝たくは無いかな」
「やっぱり、そうだよね。私たち、いっつも気が合うねー」
花火で意見が食い違っていたのは記憶から消し飛んでいるようだ。共通点は多いが、意見は結構対立することも多い。
二人だけでも楽しめるようなものを持ってくる、と未空は引き戸の襖をあけて出て行った。
対戦型ゲーム機など、天から降ってきてもいなければこの集落に存在しない。インターネットに接続できる機器は全て親に管理されており、調べもの以外で使う事は認められていない。オンラインゲームをしようものなら、問答無用で永久ロックがかかる。
全身の力が急に抜け、布団の上に仰向けで倒れ込んだ。興奮と緊張で気付いていなかったが、かなりの疲労が溜まっていたようだ。脚も、腕も、頭も、全てが重い。
和室で寝ているのは未空しかいないと事前に聞いたので、いつも彼女はこのだだっ広い空間を抱きしめて寝ているのだろう。眠りへといざなう常夜灯に、一日の思いをぶちまけているのかもしれない。
中には眠気に勝てず畳の上に突っ伏してしまったこともあったようだから、普段の疲労が寿哉の比ではない。冬にそんなことをすると風邪を引いてしまいそうなものだが、そんなことが無かったのは幸いだ。
フローリングの上で寝てしまうと、全身の痛みに揺すり起こされることになる。自重で床が沈まないせいで局所に負荷が集中し、それが痛みとなって現れるからだ。
畳というのは不思議なもので、直で体を横にしていても体重を支えてくれている。体重がかかっても沈み込むことで負荷を緩和し、快眠をサポートしてくれる。寒い時期だと冷えるのでやめておいた方がいいが。
……未空が、ちょっと強引だな……。
普段の未空なら絶対にしないような、やや無理気味の合わせが気になる。あくまでも自身の事を優先させるのが普通なのだが、今日は寿哉に合わせている。
出発がもう近いがための異様な興奮ならそれで説明がつく。だが、それでも無さそうだ。出生地を離れる上でのやり残しで感情が昂っていたのはせいぜい商店街を歩いた時くらいであって、花火で特別感傷に浸ってはいなかった。
原因不明で、声を掛けようにも身軽に躱されてしまいそうである。未空から理由が出てくることも無いだろうから、お蔵入りだ。
使わな過ぎてホコリを被っていただろう小汚い箱を持って、また未空が和室に戻ってきた。柄にハートやダイヤが描かれているとなれば、もう言われなくとも中身は分かる。
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