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一日目 夜

011 花火

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 胃の中が一杯になっているのに全力疾走して吐きやしないかと心配になったが、二人でいられる時間が増えるとなれば何でもいいようだ。魔法の力で、満腹感を今だけ消しているのだろう。

 未空が持ってきたのは、大型の花火セットだった。打ち上げ花火のくす玉ではなく、家庭用に売られている手で持つシリーズだ。

 夏祭りの定番と言える線香花火も、セットに含まれていた。細長く頼りない紐のようだが、火をつけるとスパークを散らして技術にもよるが長持ちする。

 まさか日が落ちてから外に出ることになるとは思ってもいなかったがために、防寒着の無い状態で挑むことになった。とは言っても自宅は目の前に位置しているのだが、戻るのも面倒くさく鍵もかけている。

 三匹の子豚では藁の家に住んでいる豚がいたが、古い構造でも藁ぶきの屋根ではない。強風が吹くと瓦が落ちる可能性のある分藁より危険かもしれないが、花火の流れ弾ごときで燃え出す金属は使われていない。アルカリ金属があるぞと突っ込んだ人は実際に作ってみて欲しい。

「……線香花火だけは、最後にしてほしいな……。見たことあるよね、二人かがんで線香花火をするところ」

 ロマンチックを追及する未空に、寿哉も賛同した。

 ……未空と、線香花火……。

 灯りのほとんどない夜中に、線香花火の熱と光が未空の顔を照らすのを想像すると、居ても立っても居られない。火の玉越しにドキドキを膨らませている未空はファッション雑誌の表紙に陣取れる。それだけの素材だ。

「さあ、始めちゃおう! 寿哉、この『激しい!』って書かれてるの、やってみよ?」
「……言いにくいんだけど……」

 早速目星をつけていただろうやってみたい花火を手に取っていた未空だったが、何か大切なことを忘れてしまっている。

「……寿哉、花火嫌い? それなら、無理しなくても……」
「ロウソク、用意しないと」

 衝撃で電池が外れ、ブンブン振っていた腕がピタリと止まった。時空が限界の壁にぶつかってしまったように、目に見えるもの全てが静止していた。

「……知ってたなら、早く言ってほしかった」
「いや、これから取りに行くのかな、と」

 真実は花火セットを持ってこられた時から火種のことに気付いていたのだが、それをこの場で暴露すると言葉を聞いてくれなくなりそうだ。

「……これから、取りにいくところ。忘れてなんかないんだからね?」

 憎しみの無い捨て台詞を吐いて、小走りで照明がついている家の中に引きさがっていった。辺りが暗く、顔の色まで読み取ることは出来なかった。

 ロウソクが一般家庭に置かれているのか、気になったことがある。怪談話のアニメで蝋燭を取り囲んでいるのを見たのがきっかけだ。障子の外がら青白い人魂がゆらゆら飛んでくるのは、子供に恐怖心を植え付けるのに十分だっただろう。

 昔ながらの慣習が残る時計の針が静止したままの街並みではあるが、電気が通っている以上は上にぶら下がっているわっかの蛍光灯を光源として生活している。もう二十年前までは囲炉裏に薪をくべていた老夫婦の家があったようだが、亡くなると同時に家も取り壊されてしまったらしい。

 非常用として準備されているバッグの中には、数日間しのげるだけの食糧と水が入っていることは周知の事実だ。寿哉の場合、それに加えて松明兼暖房器具兼着火機としての蝋燭も入っていた。

 理科の教科書で、点火されたロウソクのロウに消しゴムカスを振りかけるとそれらがどんどん登っていくというものがあった。このマジックをまだ知らない下の学年に教えようとして、火気厳禁だときつくお咎めを受けたのは過去の記憶になる。

 とまあ、用意はされているものの日常生活で使うにはやや心もとない。そもそも非常用であり、花火に使っていい物なのか。寿哉には、判断しかねる。

 ……打ち上げ花火なら、連れられた夏祭りで見たっけな。

 花火玉が天高く舞い上がり、上空で色の大爆発を起こす。ちりばめられていた弾丸が葉となり枝となり、ネオンサインのイルミネーションの数十倍もの輝きと美しさを放つ。爆発音も合わせて、今でも忘れられない。

 その時に、両隣はスカスカだった。屋台通りから少し離れたベンチに腰を下ろし、小さいなりに頭を空に向けていた。驚きで、声が出なかった。

 夏祭りも打ち上げ花火も、その一度きりだった。未空とどこかで会うこともなく、永遠に封印されたままだ。浴衣などに着替えたことも全くない。

 ……出来るなら、未空と一緒に見てみたいなぁ……。

 一人よりも、共に楽しめる大の仲良しと組んで夜の空を見上げたい。そう思った。

 危なっかしい足取りで、両手の塞がった未空が段々坂を一段ずつ下りてきた。足元は見えづらく、草木も所々横に伸びている。つまずきでもしたら、ケガをしてしまう。

「おまたせ……って言うほど時間は空いてないか。ほら、お目当てのものだよ」

 そう言う未空の左手には、注文通りの大型ロウソクが握りこまれている。金属製の受け皿が漆黒の光沢を出していて、これなら多少の風で転倒することは無さそうだ。

 一方の右手は、火をおこすのに欠かせないアイテム箱を掴んでいた。固いものに投げつけて箱を壊すタイプではなく、引き出しを開けて内容物を取り出せばいい。

 近代的な点火用道具と言えば、ライターが真っ先に挙げられることが多い。ボタン一つで火が生まれ、新聞紙に移してキャンプファイヤーをすることもお安い御用の便利なものだ。

 残念ながらライターが置かれていない家庭の未空や寿哉も、万策尽きたわけではない。手間はライターより上だが、授業で役に立つ赤色帽子を使うという手がある。

 上手ければライターより安定して一発で火をつけられるが、現代に置いては敬遠される傾向にあるマッチ。火遊びに使われてはたまらないからだそうだ。

 ザラザラの面に頭をこすりつけて、火を起こす。仕組みは、寿哉にもよく分からない。

「あれ、おかしいな……? 火が、付かない?」

 怯まずにマッチ棒を箱の側面で擦っているが、点火する様子はない。

 火に恐怖する人にとって、火をおこすという行為そのものが悪魔のような行いだ。他の班が順調に実験を進めているのに、自分の班だけはマッチの火を付けられずに作業が遅れる。時間にすれば十秒そこらしかかからないが、本人には地獄なのだ。

 野焼きやキャンプで山ほど経験を積んだこともあって、未空が点火するのに手こずったのを見たことは無かった。これで最後という意識がそうさせるのか、今日に限ってはやたらと未空が不安定だ。

 別のに変えてくるかと念のため箱を受け取って、ようやく原因が判明した。注意書きが書かれていてツルツルしている方が汚れていたのだ。これでは、いくらお祈りをしても通じるはずがない。

 『また、未空がミスを犯した』。彼女が普通に振舞おうとして、思いがけない誤りをしている。何が彼女をそうさせているのだろうか。

 ……体調でも、悪いのかな……?

 体調不良ならば、はっきり休みたいと意思表示をするのが未空という人間だ。特殊な事情があったとしても、村の中を縦横無尽に駆け回れるわけがない。

「細かいことは気にしないで、今からいっぱい楽しむぞー!」

 いささか虚勢を張っているようにも聞こえたが、それ以上にワクワクが勝っている。自然と微笑んでいて、後ろめたさを何一つ感じさせない。

 彼女が最初に手に取ったのは、予定通りのロケット花火だった。ロケットは真上に打ちあがるものだが、まさか手持ち花火が上方に花火を飛ばしはしまい。もしそうなら、とんだ欠陥品だ。

 二人の知らない新世界の重たい扉が、ギギギと開く音がした。もう夜だと言うのに、朝日が差し込んでいた。

 点火してみて、なるほどロケットだと思わされた。誰もいない草むらに向かって、一直線になった火花の閃光が飛んでいったのだ。魔法のステッキが光を放つのと同じだった。

 それだけでは終わらず、地面と平行に飛行しながら光の球を左右に振り撒いていく。急いでいるサンタクロースでも、これほど雑な配り方はしない。天界の飛行機が、下界の人間のために幸福をばらまいているような気になった。

 『激しい』といううたい文句に負けなかったロケット花火が鎮火して、第二陣があるかと思えば一向になかった。燃え尽きた棒を手に持ったままの未空が、非現実で神秘的な花火の散らばり方に心を奪われていたのだ。

 見とれて動かなくなってしまった未空を無視して新たな華を咲かせても良かったのだが、この場で一番花火を楽しもうと意気込んでいるのは彼女だ。放っておくわけにもいかない。

 両肩にそっと手を当てたが、特に気にする様子も無く石段に身を置いた状態から変化しなかった。魂が花火に吸い取られ、消えて行ったのと同時にバラバラになってしまったのだろうか。

 もはや最終手段しか残されていない、と未空にも聞こえやすい位置で呟いた時、ようやく彼女が反応を示した。

「打ち上げ花火と比べてどうなのかなと思ってたけど、これもいいね……」

 直々に『お姉ちゃん』とささやかれたくなかったからなのか、それとも意識が復帰したタイミングが重なっただけなのか。都会のビル群を肉眼で見て腰を抜かしているような未空のテンションを下げる質問は避けたかった。

「まだまだ残ってるから、色んなのを試してみようよ」

 この一発だけで終わってしまっては、不完全燃焼。高校の寮生活では、必ず生活を共に送る時間は減る。もっともっと、一緒の空気を吸う時間を伸ばしたいと、はっきり思った。

 三十本もの数量は二人で消費し切れ無さそうだったが、面白さが分かると途端に減りが早くなった。約束通り線香花火だけを残して、持ち手がしっかりしているものは次々と輝きを放ち、虚空に消えて行った。

「……私たちも、こんな感じなのかな……」
「何言ってるんだよ。周りが暗いからって、毒されたらダメだぞ?」
「……青春って、意外と短い。その短期間に輝けば輝くほど、終わった後も心に残るのかな」

 一切口に出してこなかった、ぼんやりとした疑問。答えを出してくるのが難しく、おまけに出さなければ一生付きまとう。未空には、花火が青春に見えたようだ。自信喪失が激しい。

 人生は、一言で語り切れない程長い。あまりにも幅が広い。スタートラインからはおろか、ゴール付近まで走って来ても終点は地平線の更に向こうだ。

 青春、つまり思春期はその内のたった一段落でしかない。人間として生を受けてからまだ十数年で、気難しい感情が内部から湧いてくるようになるのだ。

 今と言う時間を力の限り生きるというのが正解だと寿哉は思うのだが、それに未空も当てはまるかどうかは分からない。

 ……答えを探すよりも、自分で作ってしまえば。

 唯一解など存在しないのだから、解答を自分自身で作ってしまえばいい。迷いは、何の得も生みやしない。

「消えたように見えても、何処かにまだ残ってる。ずっと続いていくものだから、悲観的に見なくてもいいんじゃないかな」

 家系図を眺めてみたことはあるだろうか。五世代も六世代も前のものは天皇家くらいしか残っていないだろうが、祖父母世代までならさかのぼれる。

 そうしてぼんやり眺めていると、気付くことがある。二つの線がまじりあって、新たな子を作り、またその子が別の家系と合体して新たな系譜を繋いでいく。人類皆兄弟と言われるように、誰もが繋がって生きているのだ。

 過去の祖先がどこかで途絶えていれば、寿哉も未空もここで悠長に花火をしてはいられなかっただろう。過去と現在は、密接な関係にある。

 現在に位置する自分たちが何も手を打たなければ、家系図が下に伸びていくことは無く血筋が断絶してしまう。太古から受け継がれてきた遺伝子を残したいと思うのは、生物としての本能だ。

 過去、現在、未来と歴史は進んでいく。寿哉たちもその年表の一部分でしかないが、欠けてしまってはいけない重要な役割を担ってもいる。

 青春と言うたった数年の概念に縛られず、永遠という時間世界に身を置いていることを自覚して人と関わっていく。かと言って疎かにするわけではなく、今の一瞬に全てを賭けていく。そういう生き方をしていきたい。

 悲観的になって花火が失恋映画になってしまっていた未空は、ゆっくりではあるが落ち着きを取り戻してきた。一時の興奮は収まっているが、視線が落ちることなくやや上方を向いている。ナーバスな気持ちを吹き飛ばしてしまったらしい。

 ……一にも二にも、未空が悲しんでたら楽しくない。

 人の不幸は蜜の味とは、誰が考えついた言葉なのだろうか。人の汚らしい一面を存分に表していると感心したものだ。悪い意味で。

 政治家の失策や有名人の失敗をあざ笑うかのようなコメントも嫌悪対象になる寿哉に、親友のマイナス感情がどうしてプラスに働こうか。気持ちというのは自然と共有されるもので、伝染していく。相方が沈んでいて、こちらが浮くわけがない。

 今日の主役は、未空だ。企画立案をして、上手くいかなくても軌道修正をしている頑張り屋さんだ。

 ……俺は、未空が悲しんでる姿なんて一ミリも見たくない。

 頼りがいがあって、しかし微妙に甘い未空が好きなのだ。自分勝手な要望のように思えるが、これが長年親友として義弟として付き合って来た寿哉から見た未空だったのだ。

「まだまだ、面白そうなのがあるよ? 先、取っちゃうもんねー」
「あ、それ俺が狙ってたやつ」
「そうだった? 仕方ないなぁ……」
「わざわざ膝の上においてたものを取ることないだろ……」

 いつものわちゃわちゃに戻った。主導して回転し始める未空と、振り回された遠心力に耐えきれず飛んでいく寿哉なのであった。
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