姉気質の優しい幼馴染と、振り回される意気地なしな俺の話。

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008 リベンジマッチ

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 日が暮れかかったころ、寿哉は荷物に埋もれそうになっていた。

「おじゃましまーす」

 約束の時間通りに、未空宅を訪問した。ドアをノックして、準備が出来ているかどうかをうかがう。田舎あるあるで施錠されていないのだが、それでもズカズカと入り込むのが図々しようでためらわれた。

 辺りはすっかり日が落ちてしまい、影が腰をおろしている。こんな時でも安全に外出できるよう、泊まりに行くセットの他に懐中電灯がかばんに入っている。電池が切れたとき用の代替品もあり、万が一たたき出されても準備万端だ。

 『ガタガタ』

 強風が吹いただけでコンクリート製の建物はびくともしない。が、築うん十年の木造住宅ともなると、家全体が軋めく。倒壊しない強度は保っているが、初めて経験をした人は途轍もない不安を覚えるだろう。

 この時隙間風が老朽化した木材の間を縫ってくるため、常に冷房がかかっているようにヒンヤリとする。暖房の効きが悪く、光熱費が馬鹿にならない。

 都会から田舎へと引っ越すのがトレンドらしいが、なぜ人々は便利さを捨ててのどかな自然に夢を見るのだろうか。仕事に疲れたとして、しばらく地方で休養していればいいだけの話なのではないだろうか。

 そこそこの田舎ならのんびりとした雰囲気を味わえるだろう。スマホの電波も届いていて、冷暖房完備。ビルが乱立する環境から密度がスカスカになっただけなので、都会と比べて便利さがそこまで悪化していない。

 しかしながら、寿哉たちが生活しているような地図から消えかかっている田舎はレベルが違う。電気とガスこそ通っているが、生計を立てるための産業が何一つない。車以外で脱出できない。コミュニケーションをとろうとも、元々関係が密接で入っていけない。デメリットしかないのは明白だ。

 ……自然なんか、慣れちゃえばそれこそビル群と変わらないのに……。

 不動産を選ぶ時に『窓から見える景色が良い』という理由で強くお勧めしてくるものがあるが、寿哉からすれば何がプラスポイントなのか分からない。別荘で使うならともかく、定住地として使う分に景色は介入してこないと言うのに。

 日光が採り入れられるかどうかが対象になるのは理解できる。日差しが入らないと日中暗がりで過ごさなければならず、健康に良くない。洗濯物を乾かしたくとも、光が当たらないのでは乾きにくい。

 景色というものは、いずれ慣れてしまうものだ。雄大な富士山が目前に見えていたとしても、街工場の煙突しか入らなかったとしても、一年住んでいれば変わらなくなる。来賓を招く部屋には必要かもしれないが、わざわざそのためだけに大金をドブに捨てるほど思考停止はしていない。

「……玄関、開いてるよー?」

 一軒家の中から、聞き覚えのある丸い声が響いてきた。曇りガラスに反射されて、音がこもっている。

 相手方から勧められて、ようやく寿哉は玄関の取っ手を引っ張った。重厚な音を立てて、スライド式の扉が左にズレていく。

 正面に仁王立ちしていたのは、幼馴染の未空だった。昼間と服装が変わっており、水色の部屋着になっていた。家の中だからスカートということは無いらしく、柔軟性バツグンのポリウレタン多めで編まれているトレーニングパンツであった。泥が跳ね返っていたので、着替えるのは当然と言える。

「荷物は……、居間に置いといてくれるかな」

 古風な建物ということもあり、洋室が一部屋も無い。すべての部屋に畳が敷かれていて、所々い草が跳ねている。もう長い事住まないと、手入れを放棄しているのが見て取れる。

 身長よりわずかに低い鴨居を通って居間に入ると、そこには昭和御用達のちゃぶ台が真ん中に置かれてあった。机上はサッパリしていて、汚れているということも無い。

「机の上でも、はじっこでも、どこでもいいよー」

 廊下の方から、未空の声が反響して耳に届いた。

 壁際のセンターに、こぢんまりとしたテレビが置かれていた。一世代前のテレビはチャンネル回しで選局していたらしいが、流石にそこまで古くは無かった。四角いボックスの上に、付属のリモコンが無造作にひっくり返っていた。

 荷物を置いて廊下に帰ろうとした時、未空が何のためらいも無く上がり込んできた。未空の家なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

「……お腹、すいてない?」
「……すいてる」

 時刻は、おおよそ午後六時。習い事で勉強に熱中している勤勉な子もいれば、昼寝が延長してもはや睡眠時間となっているぐうたらな子もいる。

 夕食の時間にはいささか早いような気はするのだが、如何せん寿哉と未空は外を動き回っていた。学校の休み時間のように定められていないわけであり、遅かろうと早かろうと注意されるようなことでは無い。

「……それじゃあ、今から作るよ! 楽しみにして……」

 袖をたくし上げ、気合十分といった感じで台所に乗り込もうとした未空の両肩を、思いっきり縛り付けた。刑事が能天気で浮かれている容疑者を捕まえるかのように、震えが表面を伝って全身に広がっていくのが分かった。

「……待て待て。未空、料理下手だって言ってたよな……?」

 そう、未空は料理、いや家庭科に含まれる作業全てが苦手なのである。

 中学校の授業で調理実習が実施された際、万能で一部を除き頼られる存在となっていた未空は、当然料理をしっかりこなしてくれるだろうと望んで、争奪戦になった。班全体での評価となるため、ジャンケンの必死さと言ったらそれはそれは滑稽なものだった。

 とは言えど異性に絡もうという勇気を持てなかった男子は多く、ほとんど女子がじゃんけん大会に参加していた。プライドをかなぐり捨てて『評価がほしいから入れさせてくれ』と懇願していたリーダー格の男子が初戦で敗退していたのが、一番記憶として残っている。

 勝者は喜び勇み、敗者は渋々徒党を組んで原点を最小限に抑えようと作戦会議をしていた。人間、評価というエサをちらつかせられると死に物狂いで獲得しようとする生き物なのだと再認識された。

 かく言う寿哉は未空から直々に指名があり、特別枠での編入になっていた。『ズルだ』『正々堂々と勝負しろ』と心無い野次も飛んできたが、慣れ親しんだ幼馴染と一緒にする方が安心できるというものであるし、そもそも本人の希望を他者が捻じ曲げることなどできない。

 未空はジャンケンが行われている間中『そんなに上手くない』と連呼していたが、誰もそれを真に受けることは無かった。謙遜することが多かった彼女の定型句だと自分勝手に理解し、なおさら安心していた者も少なくなかっただろう。

 何はともあれ、実習が始まってしばらく経った頃。

『……寿哉、ちょっとこっち来て?』

 自信喪失どころか逼迫した表情をしていた未空に、調理テーブルから離れたところへ来るよう頼まれた。心なしか、腕を引っ張られる力が強いように感じた。

『……入れる順番間違っちゃって、ジャガイモが何処かにいっちゃった……』

 急いで沸騰したカレーの中に入っている具材を探すも、ジャガイモはもう豆粒ほどの大きさにまで縮小してしまっていた。食材はギリギリの分量しか用意されておらず、それらが入っていないとなればもちろん減点対象になる。

 未空の証言によれば、玉ねぎや肉の中まで熱が通る様にと慎重に加熱している内に、最初にいれたジャガイモが水に溶けだしてしまったようだ。

 開始早々担当教師から雑用を頼まれ、クラスに出す食器を延々と洗っていた寿哉。助けられるタイミングが無く、この事態が招かれてしまった。

 班の体制にも問題があった。雑務で離脱した寿哉を除くと、普段友達として接し未空の上方を深く知っている人が誰一人いなかった。未空を全自動調理ロボットだと勘違いし、食材のカットから鍋の監視まで全てを任していたのだ。

 未空は未空で、期待をしょい込まされていた。口頭で提示されただけのレシピをうろ覚えで辿り、たった一人で全行程をこなしていた。

 『そんなもの、一人だけでも出来る』と反論するのは争点が間違っている。普段から調理慣れしているからそうなのであって、未空は煮込み方の順番を間違うとどうなるのかを知らなかった。家では既成食品ばかりが食卓に並んでいたらしく、自炊もほとんどしない。

 何度となく背伸びをして無理やり完成させたという成功体験が仇となり、具が溶けてしまった。後から更に水の量が多かったことが分かり、カレー粉を入れてしまっているので取り返しがつかなくなっていた。

 ……前のこともあるから、一人では絶対に任せられないし、任せたらいけない。

 未空は、期待を受けると本来の能力を超えた物事に取り組もうとする傾向にある。上手くいっている内は良いが、その内ボロが出てしまう。そうならない為に、気付いた人が素早くフォローを入れるのが大事だ。

「……俺も手伝うよ。得意ってわけでもないけど」

 そして今は、『寿哉のために』と自身で勝手に目標を掲げているような気がした。昔からの仲なのだから頼ってくれればそれでいいのだが、未空は意地でも一人で完成させようとするのが想像できる。

「……それなら、お願いしちゃおうかな」

 両手を合わせて、ふふっと微笑みを漏らした。前回の大失敗を忘れているわけではないだろうが、引きずっている様子はない。

「……一から作ると思ってなかったから、エプロン持ってきてないな……」

 『泊まる』というイメージが先行して、入浴と寝具の用意しかしてきていない。

 衛生面を考えると、何もせずに調理するというのはあまりしたくない。いつもの食事でそこまで気を遣うことも無さそうだが、万一食中毒になってしまった日には悔やんでも悔やみきれない。

「無いなら、このままで……」
「あるよ、私が授業で作ったのが……」

 ちょっと待ってて、と未空が階段を駆け上っていった。

 ……それ、自分で付ければいいのに……。

 同じ家庭科で、調理実習用のエプロンをミシンで作れというものがあった。前の事例で未空が着ていたのも自作の可愛らしい薄ピンクのエプロンだった。

 ミシンについても、お世辞にも上手いとは言えない。名前の順で連続している(野間寿哉と野矢未空)関係でミシン室のテーブルが同じだったのだが、ちょいちょいミシンの進行方向が傾いていた。スピードが一番遅いものに合わせても線上に上手く合わせられずに、出来上がりサイズが説明書と比べてやや小さくなってしまっていた。

 自分が一度でも着たものなのだから、普通は異性など以ての外なのではないだろうか。付き合いのよしみで心を開けているのだろう。

 ……これ、『嬉しい』って言ったらダメなやつ……?

 自分のありのままの気持ちを伝えていい時と悪い時というのは、区別の仕方が面倒くさい。

 不意に女子の胸が当たってしまっている時に『ラッキー』などと口にすれば痴漢だと認定されかねず、また通りすがりの女性に『いい匂い』と直接口に出すのは社会人生をどぶに捨てることになりかねない。

 これらの逆でダメとされるパターンは極端に少ない。少ないが、損をしていく。表に出ては来ないが、確実にポイントを失っている。相手に良い感情を持ってもらおうとするのならば、細かい所で失点してはいけないのだ。

「……おまたせー。はい、これ」

 二階から戻って来た未空が手渡そうとしてきたのは、想像通りの薄ピンクエプロンだった。荒い縫い目がちらほら目に付くが、性能に致命的な欠陥を与えているわけでもない。むしろこれは、頑張った証拠になる。

「……未空は?」

「私は、家にあるの使うから」

 そう言うと、ハンガーにかかっていた大きめの家庭用エプロンを下ろしてきた。

 ここまで言われてしまっては、反対する理由など無い。寿哉は、生まれて初めてピンク色のものを装着した。

「似合ってるよー!」
「それ、喜んでいい……?」

 ピンクは好きな色でない。それなのに相性がいいと言われていることについて、複雑な心境になる。もっと暗めの色とマッチしていると思っていたのだが。

 ……これは、未空が作ってたエプロンだよな……。

 改めて観察してみると、手渡された時以上に荒さが目立つ。縫い目が内よりできつい部分があるかと思えば、ミシン糸が切れているのを見過ごしたか縫えていない箇所もある。指がこんにちは出来てしまう。

 それでも、店頭に並んでいる縫い目が綺麗なエプロンよりほんのり心が温まるのはどうしてなのだろうか。無機質な白い布には親しみも愛情も感じられないが、未空製作の薄ピンクは一生懸命努力した痕跡がいたるところについている。寿哉が未空の悪戦苦闘しながらも進めていく一部始終を見ていたからこそ言えるが、完成した時の弾けた笑顔は忘れられない。

「……準備はいい? もう、始めるよー」

 冷蔵庫の野菜室から、もう未空は材料を取り出しているところだった。人参や玉ねぎが、次々と洗われたまな板の上に置かれていく。

「……今日の献立は、いかがなさるおつもりで?」
「リベンジ!」

 力強い、腹の底から出したような声だった。ドラマに出ているイケメン男優に負けず劣らずカッコよかった。

 リベンジと言うのは、大失敗した一度目の挑戦を基にしている。未空が一人で何でもしようとして何も出来なかった料理……。そう、カレーである。

 しかし不思議なことに、レシピが書かれた紙が冷蔵庫に貼られているわけではなく、手慣れているといった様子でもない。

「……作り方の手順、覚えてる?」

「調べずに挑戦するほど、私もバカじゃない。まず、野菜を切るところからだよね」

 ……それはそうなんだけど……。

 突っ込む気力は早々に失せてしまった。これからはその都度、指摘を入れて脱線しかけの列車を元に復帰させることにしよう。

 やることが決まれば、と未空が早速包丁を手に取った。が、そこで手が止まった。何から切るのかを思案されている模様だ。

 今日使うのだろう食材は、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、肉の一般的なカレーそのものだ。買ってきてすぐの状態で、どれも生で食べるには辛い。生肉は寄生虫に当たってしまう。

「……切る順番はなんでもいいんじゃない?」
「えっ? ……でも、たしか順番が……」
「それは煮込みの話であって、切るのは何でも良かった……はず」

 野菜を切るまな板と肉を切るまな板を別々にすれば、危険はない。まさか全部まとめて切るのではないだろうから、皮むき以外は手助け不要なはずだ。

 背中を押されたこともあってか、未空はフラフラ芯が定まらないながらも調理を開始した。

 しかし、野菜と肉を切る順番を決める事すらままならない人が無難に進められるはずも無く……。

「未空、すとーっぷ! ジャガイモの芽は、包丁の根本でそぎ落とさないと! 刃先で全部捨ててたら、身が無くなるぞ?」

 調理実習でジャガイモが煮崩れを起こして消えていたのは、最初の切り方がまずかったのもあったのだろう。未空がやる通り刃先で厚く切っていては、可食部分も多く三角コーナー行きになってしまう。食品ロスという観点からも、正しい知識を付けるのは必要だ。

「……根本? ここ、鋭くないよ?」
「……そこだよ……」

 ……これじゃ、いつまで経っても終わらないぞ……。

 溜息が出てしまいそうな前途多難なスタートに、寿哉は頭を抱えてしまった。
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