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一日目 昼

006 衰退したその先に

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 未空の時間退行現象は、数分で収まってくれた。言動は記憶に残らないようで、何をされたのかも覚えていない。

 寿哉たちは、商店街のさらに向こうに位置する田園へと足を運んでいた。

「この村って林業で成り立ってたはずだけど、こんな感じで田んぼも広がってたんだなぁー……」

 年齢イコール自然豊かな山奥の農村で暮らした年数である未空が、田園の存在を知らないわけがない。テレビでインタビューされているような、腰の曲がったおじいさんやおばあさんがせっせと田植えをしていたのも、遥か彼方だ。

 管理する人が居なくなって久しい水田は、半分荒原と化していた。川から引かれている水が供給され続けているので干からびてはいないが、雑草が稲と置き換わってしまっている。草ぼうぼうで、とてもではないが再度田として復帰させるには相当な努力が必要になりそうだ。

まだ走るのもおぼつかなかったころには頻繁に稲穂を狙ってあぜ道にタムロしていたスズメも、獲物が居なくなったと知ってからはメッキリ姿を見せなくなった。二との手が入らなくなったことによって生態系は大きく変化し、多様性が消滅してしまっている。

「……跡形もなくなっちゃったね」
「田んぼを継ぐ人がいなかったから、こうなるのも仕方ないと思う」

 腰くらいまでの背丈に成長した雑草で、交差していた脇道を見つける事は困難だ。草を刈り取ろうにも、スキで地道に刈っていくしかない。

 ただでさえ手間のかかる農業を、旧時代的な手法で誰が外部から参入してくれると言うのだろうか。脱サラブームも一段落去ってしまい、交通の便が悪く隣町までも遠いこの辺境の地に引っ越してくるメリットも無くては、転入者を望むのは絶望的だ。

農業器具を使って効率化していれば、未来も違ったのだろうか。人を雇うお金が不足していたのでは同じ結末を辿ったような気がしてならないが、現時点での状態よりはまだ希望が残っていたのではないだろうか。

 蜘蛛の巣でも顔に張り付いていたのか、ぶんぶんと未空が手で振り払った。粘着してくる物質を、こそぎ落とすようにはたいている。

「……ここに高校があったとして、寿哉はここに住み続けたい?」

 簡単なようで、一筋縄ではいかない質問だ。

 寿哉も未空も、高校の志願理由は近い学校だったからである。寮生活になるのが確定事項になるほど遠距離なのだが、辛うじて住んでいる地区の区分を出ない範囲だったのが、決め手になった。

 それでは、近所に高校があったとすれば。寿哉は、喜び勇んで未空を誘ったのだろうか。

 複数の候補があって選択可能な都市部は置いていくにしても、高校の絶対数が小さい農村部で足の届くところに学校があるというのは巨大なメリットになる。家賃や光熱費などの出費が余計にかさむことが無く、学校に通わせることが出来るからだ。進学する生徒も下級学校から同じであることも多く、人付き合いにも支障は出ない。

 ……普通なら、残るべきなんだろうけど。

 この周辺の発達具合は、デジタル化が普及し切っていないで済まされるものではない。冷暖房がまともに効かず、商店に買い出しに行こうにも時間がかかる。抜け出すことなどは、到底無理なのだ。

 思うところは山ほどあり、アルバムに残る写真も舞台はここだ。それでも耐えきれないくらい、暮らしが時代から取り残されているのだ。半世紀前の航空写真に写っているものから、さして変わっていないのだ。

 ……ここに帰ってきたいかと質問されたら、『ノー』って答えるだろうし……。

 里帰りで戻ってこようとは思っているが、それも長くはない。持って十数年、下手をすれば全世帯が引っ越して動画投稿者が目を付ける廃集落となっていることだろう。

「……住み続けたくない。未空は?」

 未空は、悪く言えば何もない限界突破集落に留まり続けたかったのだろうか。

 彼女はしばらく固まっていた後、深くまぶたを閉じた。

「……高校があっても、行かないかな……。寂しいけど……」

 少しでも便利なところに行くべきだと言う理性と、生まれ育った野山から離れたくないという感情がぶつかっているようだった。

 現実では村外に身を置かざるを得ない状況なのだが、仮に出なくてもいいとなったとして、寿哉は出ていく。緩慢と流れていた時間と別れるのは辛いが、可能性を拓く方を優先したい。

 ……いずれ、この村全体がこうなるんだよな……。

 起死回生の手段など、残されてはいない。のどかで閑散としたこのエリアは、野に帰るのを待っているばかりなのだ。

 せっせと手を動かして稲作をしていたであろう田んぼに、人の姿は見つけられない。それもそうだ、農業に従事している人がゼロになってしまっているのだから。

 次世代の担い手に当たるのが寿哉と未空だが、自給自足が成り立たないのでは継ごうと言う決断を下すことは出来なかった。自然の空気に浸って生活するのは、さぞかし気持ちのいい事だろう。だが、生きていけなければどうしようもない。

「……もし五十年前だったら、私たちは何してると思う?」

 擬似タイムスリップをついさっき経験したばかりの寿哉。目にしていないものを正確に想像するのは不可能だ。が、資料写真や残されている記録から推測することは出来る。

 五十年前と言うと、高度経済成長期が終焉を迎えるころである。日本全体がイケイケムードに包まれていて、工場は規制なしに排気ガスを放出し、給料が右肩上がりだった時代だ。やれ不景気だ給料が上がらないだほざいている現代社会とは、図式が大きく異なる。

 そんな時代であるが、きっと大学進学率は低かったに違いない。中学校卒業と共に就職する学生も今とは比べものにならないほど多かったはずであり、高校にみんなが進学するというのは夢にも出てこなかっただろう。

 ……自前の田を持って、農作業に勤しんでるのが目に浮かぶな……。

 最も先ほどまでの話は都市部のことであって、農村部は人手を求めて長男坊の寿哉を後継ぎと決めていただろう。家制度こそ潰れたが、親の権力はそこそこあった。家の決定には、逆らいづらい。

 林業はまだ生きていたはずだが、先細っていくのが見えていては誰もやろうとしない。手作業で苗を大切に埋めていくのは容易に想像できる。

 ……それじゃあ、未空は……。

 男女が共に社会を形成していこうという方針は、主に1990年代以降のことだ。ブラック企業という言葉が生まれる前の時代に、男女共同参画という考え方が根付いているわけがない。

「お見合いで近所の人と結婚して、そのままなんじゃないかな?」

 恐らく、この集落を出ていくことは無いはずだ。

「うん、私もそうだと思う」

 未空はそう答えてはいたが、いまいち言葉に元気が乗っかっていない。上の空だ。

 何もかも虚しくなった空から、黒い鳥が急降下してくるのが見えた。近くに巣を作れそうな場所はいくつもあるのでカラスが飛んでいるのに不思議は無いが、やけに低空飛行している。

 先の尖った真っ黒なくちばしは、突っついたものを裂いてしまいそうだ。カラスと言うとゴミを漁ってゴミ捨て場を荒らし、人間の手が届かない空の上から悪口を言ってくる害鳥としか思っていなかったので、詳しく見つめようと思ったのは今回が初めてだ。

 それにしても、何故カラスは人様の残飯をつけ狙うようになったのだろうか。自力で獲物をとってくることが出来ないと自然界では生きていけないはず。苦労して一匹の幼虫をかっさらって来るよりも、人間が指定箇所に出す生ごみの方が簡単に頂戴出来るからなのかもしれない。

 ……なんで、こっちに向かって来るんだよ……。

 カラスが光るものを集中的に狙うという習性を知っている寿哉には、特に何も持っていない男女二人組目掛けて飛んでくるのかが分からなかった。

 未空はまだ荒れ果てた田んぼに目を向けていて、背後から急接近してきている黒鳥に気付いている様子はない。昔の生活と自身を照らし合わせて、もし時代が違えばと未来をイメージしているのだろう。

 漆黒の矢は、スピードを緩めることなく未空へと向かって行って……。

「……危ない!」
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