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一日目 昼

003 鎮魂歌

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 寿哉たちが歩いている通りは、ちょっとした商店が立ち並んでいた通りだったところだ。もちろん今ではその面影も無く、日光の日陰にひっそりと隠れてしまっている。

 覚えている内では、この商店街は既に機能を失っていた。シャッター街と化していて、生活必需品の買い物は隣町まで遠征しなければならなかった。他地域への寄生なしに、もう生きていけなくなっていた。

 台風が襲来する度、何かしらの家屋が倒壊している。通路側ではなく外側に倒れているので通れるには通れるのだが、次自然災害に遭うと今度こそ危ないかもしれない。

 自然の脅威は、侮ってはならない。登山中に猛吹雪に当たってしまえば遭難してしまうし、落雷で命を落としている人だって年間数十人いる。情報収集を怠った結果、水遊び中に流されてしまうことだってあるのだ。

 コンクリートを基礎にして建築された建物自体がほとんどないこの商店街は、腐りかけた木で辛うじて支えられていることが見た目だけでも分かる。いつ音を立てて崩れてもおかしくはない。

「……ここらへん、気付いた時からこうなっちゃってたんだよね……」

 未空の頭にも、この場所がにぎわっていた覚えはないようだ。事実を淡々と述べているというよりかは、時間の経過に逆らえる物はないと悲愁漂っていると言ったところだろうか。いつだって前を向いていこうとしている彼女の目が、落ち込んでいた。

 ……栄えたものは、いつか滅びるんだ……。

 一時は世界征服をうかがうことの出来た強大国ですらも、この基本原則に抗う事は出来なかった。内部分裂を起こし、結託した民族に攻められ、影響力は失墜していった。

 燃料として使われる資源も、木の葉から石炭、そして石油へと変化していっている。石油産出国が潤っているのはそのためであり、炭鉱都市が没落していったのもトップの座を石油に取られてしまったからだ。

 そのような町では、過去の栄光に縋り続けようとする群と変化を促して自立していこうとする群の二グループに分かれた。頑なに新世代を認めず『仕事をなくすな』とデモに訴えかけるか、それとも事業を転換していくかだ。

 どちらの方法でも、失敗して財政がひっ迫した都市は多発した。唯一の相違点と言えば、過去に囚われた町の成功例がないということだ。

 この山奥の閑散とした集落も、林業の需要が大きかった時代のことを忘れられなかったがために起こったことだ。有効な打開策を打ち出せず、住民は離れて行ってしまい、今の景色だけが残った。

 ……そもそも、林業から世界が転換した時点で運命は決まってたかもしれない。

 人口も平地も少ない山間部では、策を起こそうにも予算と時間が無い。もしかすると、山合いという立地に住み始めた瞬間から運命の歯車は回っていたのだろうか。それを知っているのは、非科学的な神という存在だけである。

「……私も、あんまり覚えてないけどさ……。そこにあった八百屋のおばあちゃんだけは、優しくしてくれたよね……」
「……そうだったな……」

 未空が、古ぼけた二階建てのこぢんまりとした店を指差した。

 十年前からお先真っ暗であったこの地域だが、商店街の端に店を構えていたおばあさんだけは顔が鮮明に映し出せる。

 お使いに行くときは必ずと言っていいほどこのおばあさんの店に行き、そんな希少な子供だった寿哉や未空に飴玉などのお菓子をコッソリとくれていたのだ。いつ見ても朗らかで、起こったことが人生で一度も無いのではと思ってしまうほどの人であった。

 ふぅ、と重く長い溜息が風邪に載って聞こえてきた。

「……それでも、もう……」

 未空が泣きわめいていた、お葬式。写真に飾られていたのが、そのおばあさんだった。畳の上で安らかになくなっていたらしく、昼ごろになるまで誰も気づかなかったというのが事後談だ。

 少子高齢化の影響で子供が寿哉と未空含めて一桁しかおらず、その子持ち世帯は逃げるように保障の厚い都市へ引っ越していってしまった。寿哉からは姉のように慕われていて、弱音を吐き出せない。未空が心の底から頼っていたのが、おばあさんであったのだ。

「……辛かったこと、また蒸し返さなくても」
「……もう、ここに戻って来れなくなるから。事実を、真っすぐ見ようと思って」

 努力で未来を変えることは出来るが、過去に起こった事象を捻じ曲げられはしない。彼女は、痛ましい記憶をもう一度掘り返し、改めて何か言おうとしているのだ。

 ……臭いものにふたをする、っていうのも手段としていいと思うんだけどな……。

 現実逃避というと聞こえが悪いかもしれないが、精神を守るうえでの立派な方法だ。親や教師に叱られた後に、アニメに熱中する。これくらいのことなら、構わない。未来に悪い効果をもたらすのでなければ、見て見ぬふりは決して邪道なやり方にはならない。

 だが、そんなことを寿哉がアドバイスしたとして、未空の気持ちを変化させることは無理だろう。一度決めたことは、テコでも動かない。何でも許そうとする彼女だからこそ、常人なら無意識に回避することでもぶつかるのだ。

 それならば、不幸を避けようとせずに受け入れてしまう彼女は、不幸せなのだろうか。

 ……マイナスの方面だけを見るから、そうなるのであって。

 人一倍不幸を吸収しているのなら、それを大きく超える幸福を受け取っている。やはり常人では責任を負いたくないがために手を出せない分野に首を突っ込み、成功させ、皆が良い気持ちになる。未空とは、そういう人間なのだと思う。

「……おばあちゃん、聞こえてますか? 未空です」

 雨にさらされてペンキが剥げてしまっているが、間違いなく緑の壁の建物だ。周りが朽ち果てている中、数少ない自立しているものであり、二階のベランダ部分に『やおや』と大きな看板が固定されている。

 未空は、その八百屋に手を合わせ、そっと目を閉じた。

「……最後に会ってから、何年経ったかな? まだ私は小っちゃくて、分からないことだらけでした。そんな私を、おばあちゃんは我が子のようにかわいがってくれました。……できれば、今日ここで面と向かいたかったです」

 大きな災害があった時などに、その日を迎えるたびに式典が開催されることがある。読み上げる人の大半は被災者なのだが、読み上げる文章を作成するのはまちまちだ。

 本人がありのままの気持ちを綴った原稿ならば、批評のしようがない。当事者として胸に秘めた苦しい気持ちと、それにめげずに前を向いて行こうという前向きな思いの両方が伝わる、感極まったものになるだろう。

 ところが、全くの他人が書いたものだとどうなるだろう。現場に即していない形式だけの文章を読まされて、気持ちが晴れるどころか曇っていくのではないだろうか。

 未空の声は、震えている。当時の引き裂かれそうだった心境と旅立つ思いが掛け合わさり、彼女自身もどうなっているのか分からくなっていそうだ。

 喉につっかえる言葉を、必死の思いで音声にしていっている。

「……私は、二日後にここを出ていきます。たぶん、戻ってくることはありません。……今まで、……ありがとう」

 目尻から、水の粒が頬を伝っていっていた。嬉し涙なのか悲し涙なのか識別不能なそれだった。が、それが未空の一切が詰まった宝箱ということは分かった。

 ここで終わりたそうだったのだが、まだやり残したことがあるらしい。

「……さようなら……」

 膝カックンされたように、未空はへなへなと座り込んでしまった。

 ……決別したかったんだ。いつまでも付きまとってきそうな過去の重りを外して、万全の状態でここを出れるように。

 思い残しがあっては、足取りが中々進んでくれない。そうならないよう、敢えていばらの道を選択したのだ。棘で肌が傷つこうとも、ツタに足を引っ掛けて転んでしまおうとも、気になる事項をクリアしようとした。

 もう泣き止んではいたが、とても歩けそうには見えない。

「……おばあちゃんとは、もう別れられたか……?」

 追い打ちをかけているようで、両端のヒモを引っ張ったように心が締まる。

「……もうちょっとだけ、待ってて……?」

 頷くことも首を横に振ることもせず、ただ時間を作らせて欲しいと嘆願してきた。こんな未空は、見たことが無い。

 ……好きだったんだもんな……。

 寿哉はそれなりだったが、未空はどっぷり浸かっていた。よく気をかけてくれていたのもあって、一種の依存症になっていたのではないだろうか。

 大切な人を亡くして、平気でいられるはずがない。その悲劇が何年前であろうと、思い出す度に涙が出て止まらないという弱い人もいるに違いない。

 ……そこまではよくある話だけど、嫌な事を引きずるのはよくない。

 最愛のペットを亡くして、数日間悲観に暮れるのは仕方のない側面がある。家族同然のように屋根の下で暮らしてきて、単なる動物が死んだだけと情を入れない方が難しい。

 問題なのは、そのショックがいつまでも持続して日常生活を送ることすら困難になってしまっている場合である。協力関係にあったなら立ち直れるだろうが、依存になるまで傾倒してしまっていたのならズルズルと闇の世界へ引き込まれて行ってしまってもおかしくはない。

 ……未空は、ずっと葬式の日のことが頭から離れなくて……?

 寿哉も関わっていたとはいえ、頻繁に構ってもらっていたわけでもなかった。白黒しか目に付かない異様な雰囲気と、もう帰ってこない故人の写真が置かれている異様な雰囲気に気押されたものの、一週間たつ頃には切り替えられていた。

 未空の様子は、どうだっただろうか。あの日以来、妙に隠し事をしている雰囲気を出していなかっただろうか。

 ……もしかしたら、俺を心配させない為に……?

 憶測の範囲を出ないが、弟分にまで感情が伝播しないよう、未空が感情を押し殺してきた線は太い。

 心の傷を埋めてくれるものは、時間経過しかない。それも、数年という単位でわずかずつ埋まっていくものだ。薄めてくれるだけであって、消し去るには本人の意志が重要になる。

 ……今日まで……?

 悲壮感を漂わせている未空を見るに、今日一日でぶり返してきた思いではないだろう。長い間熟成され、発酵し、異臭を放っているような残り物を清算しているように映った。

 負担にならないのなら、詳細な経緯を聞きたい。だがしかし、それは寿哉の自己満足にしかならない。傷口に塩を塗られて、平気な顔でいる人が何処にいるのか。

「……これじゃあ、寿哉にいいところ見せられないよ……」
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