姉気質の優しい幼馴染と、振り回される意気地なしな俺の話。

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一日目 昼

002 しっかり者

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 体育座りで緩く並んでいるのを写真に収めてみると、彼女がいかに大柄か分かる。だらんと両腕が地面すれすれになるほどネジが外れかかっているのだが、上から見下ろす形となっているのだ。

 中学で心無い野次は頻繁に飛んでいた。田舎だから和気あいあい、と未経験者が想像するような頬が零れる平和な図は、絵に描いた餅でしかない。

 大人の議論では根拠がないと一蹴されるような主張も、反論技術や判定員が未熟な義務教育中では通ってしまうこともそう珍しい事ではない。『男子なのに机を運ばない』『女子なのに裁縫がヘタクソ』……。国会議員が発言すると辞任要求が止まらなさそうな題材が、いともたやすく正当化されてしまうのだ。

 未空も、その無差別爆撃の標的に選ばれたことがあった。女子であるのにもかかわらず背がクラス内で一、二を争うほど高いことに難癖が付いたのだ。

 イジメの形容というものは、語彙力の成長と比例して悪質なものになっていく。『バカ』『アホ』から始まり、墓場には見るだけで吐き気を催すこの世の醜悪を煮詰めた誹謗中傷を浴びせられるのだ。

『お前、背が高いんだよ、女の癖に。ちょっと面倒見が良いって言うだけで、調子乗るなよな!』

 そう捨て台詞を吐かれていたのが、寿哉が目撃した最初の攻撃だった。

 不良の溜まり場として教室に全員が集合しているわけではない、先程のような陰湿な悪口行為をする輩は数人ほどの集団だけだったと思う。大多数のクラスメートは、反感の意を彼らにぶつけながらも直接訴えることはしていなかった。加勢に行くと、自身もろとも標的に追加されてしまう事を知っていたからだ。

 目に見えるところでは反撃が恐ろしく話しかけられなかった寿哉だったが、帰りの列車内や道中では頻繁に心配をかけていた。現場で力になってあげられていなければ無力であることを痛感しながらも、行動に移す勇気が持てなかった。

『……大丈夫? って言っても薄情者だけどさ……』
『……あんな感じに絡まれてる子を助けに行こう、なんてできる事じゃないよ。寿哉は、普通の人だよ。裏切り者なんかじゃない』

 普通の人。薄情者ではないと気遣ってくれたのだろうが、『普通』が親友として付き合って来た友達心の奥深くまで突き刺さった。返しがついていて、引っ張れば引っ張るだけ余計に組織が傷つけられる。

 寿哉は、普通の人になどなりたくなかった。いつも甘やかされたり手伝ってもらったりされている分、他方で活躍して味方のスーパーマンになりたかったのだ。困ったときはお互い様で、オロオロしている未空に涼しい顔で手を差し伸べる……。アニメの見すぎだと流されても仕方のないほど、英雄に憧れていた。

 翌日、それまで間を置いて教室の扉を開けていたのだが、同時に入ることにした。未空からは散々同情しなくてもいいと忠告を受けたが、使命感がそれらをキッパリと断った。

 結果は、貶されて不快な思いをする人が一人増えただけに終わった。何者かからの通報でいじめの首謀者と取り巻きが厳重注意を受けたことで嫌がらせは無くなったが、寿哉は何一つ力になれなかったということだ。

 だからと言って、全てが無駄だったとは思わない。

 ……あの事件以降、積極的に前へ出れるようになったんだよな……。

 声を上げなければ、状況が変わることはない。その事実を知ってしまったからには、沈黙で多数派に流されることが許せなくなった。話し合いで視界を取りまとめる事が多くなり、未空ほどのリーダーシップ力ではないものの無難に役職をこなせるだけの能力も身に付いたと個人的に思っている。

 ……未空、よく折れなかったよな……。

 罵詈雑言を浴びせられて、気が気ではなかっただろう。器が地平線の彼方まで広がっているとは言っても、沸点は設定されているのが人間。言い返しの一つや二つしたくなるところを、彼女は受け止めるばかりだった。

 寿哉が想像するに、無言の抵抗を続けていたのではないだろうか。感情的になって言い返さずに態度だけで示すことによって、屈しないというメッセージを送っていたのかもしれない。

 内側に引っ込んでいた頬が、外につまみ出された。肉しかついていないとはいえ、痛い物は痛い。

「……聞いてる? 先生の話は、よく聞かないといけないってあれほど注意したのに……」
「それ、何年前の話なんだよ……」

 余りにも過去の回想に入り浸りだったらしく、未空を待たせてしまっていたようだ。

 彼女は、多少のことで落ち込んだりなどしない。寿哉が泣きじゃくったことは山ほどあれ、未空のクシャクシャ顔は二度しか見たことが無いのではないだろうか。

 一度目は、よく可愛がってもらっていたおばあさんが亡くなった時。まだ未就学児で堅苦しい言葉の数々は頭に入ってこなかったが、目を覆いたくなる天空を引き裂くような幼少未空のキンキン声は、海馬に刻み込まれるには十分過ぎた。

 二度目は、山の中で迷子になり、日没して何処にいるのか分からない状態で帰って来た寿哉を向かい入れた時だ。悲し涙と言うよりかは、不安の蓄積で決壊寸前だった堤防が一気に崩壊したと表現した方が正しそうだ。

「……何も反論してこないってことは、いいってことだよね?」

 ……それは、引っかかるところがあったらすぐに聞き返してるだろうからなー……。

 ある人が出した意見に対して反対意見を述べないということは、黙認しているのと同義なのだ。後から口八丁でカウンターを目論まれても、適切な場面で使えなかった武器に威力はない。

 両親が猛反対しなければ、寿哉も賛成と言えば賛成だ。未空の家に上がり込んだことは何度かあるが、寝泊まりはついに許可が下りなかった。時期尚早だと、先送りにされ続けてきたのだ。

 ……どっちの家も木造だから、寒くてそれどころじゃないんだっけ……?

 密閉されている築年数の浅い物件と、古くからの伝統住宅を守りつないでいる過疎地域における木造の一軒家は格が違う。建築から年月が経過することで隙間から外気が侵入し、夏は暑く冬は寒くなるのだ。家を買い替えるように業者が仕向けたものではなく、経年劣化が引き起こす現象である。

 ドが付く田舎だからと言って、なめてもらっては困る。囲炉裏で暖を取るのは流石に旧世代の手法であり、現代は扇風機と団扇という空気の循環を助けるものがきちんと存在する。エアコンは高くて取り付けられなかったらしいが。

 しかし扇風機があれど、冬の銀世界から発せられる冷波はどうにもならない。日が落ちたら潔く布団に入り込み、寒さを体が感じる前に寝る。冬季の攻略法は、その一点に尽きる。

 ……二人だけで泊まるって、どんな風になるんだろう?

 ビジネスパートナーと節約の関係で寝泊まりするのではないのだから、何かしらアクションがあるのではなかろうか。寝室は、同じになるのだろうか。

 ……寝かしつけられ……はしないぞ!

 寿哉は、大きな赤ちゃんではない。ミルクの入った哺乳瓶をしゃぶらされながら膝枕をされたとしても、絶対に寝付く気は無い。もしあやされた挙句赤ちゃんになってしまったら、一生笑いのネタになってしまう。

「……変な事考えてなんか、ないよね?」
「……もちろんです……」

 顔にでも出てしまっていたのだろうか、指摘がいちいち的確である。

「……敬語になるってことは……?」

 ため口で接しているくせして、詮索してほしくない場所に差し掛かると途端に敬語になる。寿哉が物事を隠せないと言われる所以だ。

 ……そんなこと言われるとは思ってなかったから……。

 釈明会見は、どのように切り出そうか。異性と一夜を共にするのは不純だの、準備不足であたふたしてしまっただの……。何にせよ、言論で太刀打ちでき無さそうだ。

「それじゃあ、決まりっていうことで! 夜の良い時間くらいに、玄関から呼んでくれたらそれでいいから」

 あっさりと、スケジュール帳が埋まってしまった。ポッカリとしていて元の状態のままでは堕落した生活を送りそうであったから、悪い気はしない。

 ……小っちゃい頃は、未空に手を引っ張られて野山を連れまわされたっけな……。

 未空のことに意識が向くと同時に、わっとアルバムの一場面があふれ出してきた。ここ最近の他愛も無い出来事から、遥か昔の消えかかっている記憶まで、スケールも年代もより取り見取りだった。

「……いつまでもここでボーっとしてるだけじゃ時間ばっかり過ぎていくなぁー……。寿哉、最後に一回町全体でも回らない?」

 寿哉たちの住んでいるこの町にめぼしい観光名所は存在しない。そんなものがあれば、とっくに観光地化して集落が過疎で潰れる事も無いはずだ。

 素人目からしれば、芸術的にも歴史的にも価値のない寂れた建物がただ並んでいるようにだけ映るだろう。風雨で窓ガラスが割れてしまっている住宅、放置されて荒れ放題の水田、人の手が入らなくなって遷移の進んだ里山……。SNSにアップしても評価がつかなそうな写真しか撮れないこの地帯に、一般人の用はない。

 しかしながら、地元で長年定着していた人々から見ると、建物ひとつに何十もの思い入れがある。立て替えて新築になってしまってはみることが出来なくなる愛着が、そこら中に張り付いているのだ。

 ……さよならを言う意味でも、いいかもな……。

 冒涜した挙句捨て台詞を放って去っていく部外者に誘われたのなら、断固拒否する。物珍しさだけに惹かれてノコノコとテリトリーに入ってくるようなろくでなしに、人の思い出を踏みつける資格などあるはずがない。

「……俺も、それがいいと思う」

 寿哉がそう答えたが早いか、グイグイと腕を引っ張られた。

「そうと決まれば、早速行ってみよう!」

 テレビ局のノリがいいリポーターかと勘違いしてしまうほどの軽快さで、未空は元中心街へと小走りで草原の丘を駆け下りて行った。

 ……似合わないな、この町と……。

 活気を失い、今にも地盤沈下で地図から消滅しそうな田舎町に、一人ポツンと未来ある女子高生がはしゃいでいる。絵面的には、アンバランスだ。

 どうして、町の歯車は錆びついて止まってしまったのだろう。糧にしていた林業がストップしたのが致命傷になったのは事実だが、他の産業に励んで盛り返そうという動きが全く見られなかったのが気になっている。

 古くから続いてきた伝統も、新しい文化の波に飲まれていく。グローバル化は良い面ばかり取りざたされるが、反面少人数で暮らしている村々を次々と都市へ吸収していく。すると、その場所で流れていた穏やかな時間が消えてなくなり、効率主義の社会がしみ込んでいってしまうのだ。

 ……過去のことをいちいち迷ってても、未来は見えてこないぞ?

 終わってしまったことばかり呟く自分への戒めとして、檄を飛ばす。

「ちょっと待ってくれよ、未空ぅー……」

 楽しそうに弾む水色の後ろ姿を追って、寿哉も風を切っていった。
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