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一日目 昼

001 寂れた村の中で

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 大自然の中に、異性の幼馴染と二人ぼっち。誰もいない原っぱに取り残されている。

 寿哉(としや)は、悠大な大空を見上げていた。

「あと、二日しかないのか……」

 寂れ切って人類滅亡後のような街並みしか見られないとは言え、曲がりなりにも自身が成長してきた街だ。一切合切を捨てて旅立とうとしても、未練というものはやはり残ってしまうものなのだ。

 中学校も電車通学だったが、まだ立地が駅の目のまえだったから良かった。朝の始発を逃すと欠席は確実だったが、間に合ってさえいれば無事に登校することができた。ダイヤの関係で部活動に長居することこそ出来なかったが、幾分かは充実していたはずだ。

 しかしながら、高校となると学区が一気に拡大する。地域に寄り添ってくれていた義務教育とは容貌がガラッと異なり、広い範囲に一校しかないこともしばしばになった。

 首都圏は公立・私立共に莫大な量の選択肢が与えられているが、如何せん過疎地域に選択権など無い。学力が飛びぬけていれば特別に有名どころの進学校に行かせてもらえるだろうが、そうでない子は全員進学先が同じになる。

 足取りが皆揃っているのは顔見知りばかりで良いように捉えることもできるが、選択肢がないということはとどのつまり立地に不平不満を漏らせないということだ。山の頂上にそびえ立っていても、川の三角州に陣取っていても、登校しなければならないのである。

 中学校卒業と同時に働き始めようとしても、今の時代となっては働き口の一つもない。三十年前を知っている大人ならクラスに中卒が一人くらいは紛れ込んでいたと口外すると思うが、社会は変動が凄まじい。生きるために最低限のことしか教わっていない赤子同然の子どもを正規雇用してくれる会社など、神に頼んでも降って来ないだろう。

 四月に入り、出立の日も近くなってきている。見送ってくれるのはピンク色に染まった桜並木……ではなく、葉が落ちて禿げてしまっている悲しい木々だ。この街が終焉に向かっていることを予期しているかのように、情景にマッチしている。現実の時の流れは残酷なものだ。

 今でこそ廃墟だらけの終わりかかっている山の中の集落だが、昭和中期までは林業でにぎわっていたという。木材を切り倒し、今日では本数のほとんどない秘境ローカル線と化した鉄道の貨物列車に乗せ、生計を立てていたと親から聞いた。

 木材は次第に外国産の安い物に置き換わっていき、林業のピークはとうの昔に過ぎ去っている。住民が次々と都市部へ引っ越していき、この辺ぴな地に残っているのも寿哉の家族を含めて数えるほどでしかない。

「……あとちょっとしかないね、寿哉……」

 電線の張られていない線路の向こう側にどこまでも広がっている森林を見つめている未空(みく)も、もう猶予の無いこの地での生活を思い返しているようだった。

 彼女も、寿哉と同じくこの集落に生まれ、育ち、通っている学校も変わらなかった。大自然を遊び場にして悠々と成長し、翼が生えて大空へ羽ばたこうとしている最中なのだ。

 近所同士ということもあって、未空とは小学校入学前からの長い付き合いになる。どちらかというと彼女が寿哉を引っ張っていくリーダー型で、率先して冒険に身を投げ込んでいたのは記憶にも鮮明に残っている。

 現代の最大の利点と言ってもいいだろうデジタル化は、否応なしに日本中を飲み込んだ。その大波は、この集落にも到達している。驚くべきことに、電波がこの地元民以外は誰も寄り付かないような地でも飛び交っているらしい。いやはや、恐れ入る。

 そんなこんなでデジタル機器が入ってきていないわけではなかったが、一帯の人全員が徹底して娯楽目的で使わせてくれなかった。寿哉たちが画面を見るのは、朝のワイドショーと夜のバラエティー番組だけだった。

「……高校があるところは都会だって言ってたけど、どんな感じなのかな……」

 ぽつりと、未空がつぶやいた。

 ここから高校までが遠すぎるのも相まって、受験会場は列車で少しだけ進んだ先にあった。校舎や周辺の環境などは、肉眼で一度も見たことが無い。インターネットの使用はつい最近解禁されたばかりなので、まだ使い方がよく分からず、画像検索は出来なかった。

 五階建ての建物は、高層物に入るだろうか。東京や大阪などの大都市に身を置く人々はそれほどでもないだろうが、二階建てが上限の一軒家しか目にしたことのない寿哉たちには中世に建てられた塔のように思える。

「……きっと、夜でも明るいんじゃないかな……」

 魂が抜けかかっていて、気が乗らなかった。

 山奥だという地理的要因と、古すぎて街灯が設置されていないという環境もあって、日没すると辺りは真っ暗になってしまう。懐中電灯の電池を買いに何度隣町へと足を運んだことだろうか。

 電気とガスは通っているのだが、無駄遣いをする家庭は何処にもない。徹夜で勉強など、もってのほかだ。家の灯りは、日付をまたぐ頃には全て消えてしまっている。

 夜にわざわざ外に出る人もおらず、光が無くなると町全体がお化け屋敷になる。肝試しをしようと幼い頃未空に誘われ、泣きべそをかいて逃げかえって来たことは忘れない。

 テレビでどこかのネオンサインが夜遅くまで点灯しているのを見たが、正しい一般知識が身に付くまでは魔法の力だと言って信じていなかった。それくらい、太陽が出ていないのに外が明るいことが不思議な環境だった。

「……そうだ、いいこと思いついちゃった!」

 原っぱに座ってぼんやりと目が回っていた未空が、目を輝かせて手を打った。

 ……あんまり、いい思い出が……。

 彼女自身に寿哉を困らせようとか貶めようとか言ったつもりは無いのは重々承知している。が、振り回されてばかりで大変なことが多々あった。

 例を一つ上げるとすると、かくれんぼだ。隠れる側になって草木深く見つからなさそうなところを見つけ出してしゃがみこんだのだが、これが間違いの元だった。

 当時地理勘が鈍かった寿哉である、どのようなルートを通ってたどり着いたのかは分からなかった。ただ、未空が探し出してくれるだろうと言う謎の信頼で奥へと突き進んでいっていたのだ。

 そして、一時間。彼女の姿はおろか、声すら聞こえなかった。不安で心が埋め尽くされた可哀想な少年は、泣きだして平地へと駆け出して行ったのだそうだ。ここら辺は靄がかかっていて、正確に思い出せない。

『あ、としくん……、なあに、そんなに泣いちゃって……』
『……』

 のんきに歩いていた未空を見つけて、寿哉は胸に飛び込んだらしい。ただの黒歴史である。と言うか、精神年齢が違いすぎるのである。

 未空は、実の姉のような存在だ。同じ学年だとは思えないくらいしっかり屋さんで、面倒見はピカ一。自我と羞恥心が生まれてからは機会がかなり減ったが、低学年の頃はよく甘やかされていたものだ。

「……あと、二日でしょ? せっかくだから、二人で一緒に寝てみない? 思い出作りに」

 ……何を言っているんでしょうか……。

 日光を受けて草原で日向ぼっこでもするのかと思ったが、そうではなさそうだ。未空が、自身の家を指差していた。

 確かに家族ぐるみで付き合ってきて長くなるが、恋人まで関係は進んでいない。互いの家に泊まったことも無ければ、デートをしたこともない。姉弟のような繋がりであって、恋愛というジャンルからは何個か間隔が空いているような気がする。

「……寿哉が嫌だって言うなら、やめるけど……」

 ノリノリの、絶好調だ。ネタではなく、本気らしい。

 ……まあ、変なことにはならないだろうし……。

 気性の変化が激しい人ならお断りしたかもしれないが、未空は色々な意味で身を預けられる。命を預けた人がヘマをしでかしたら自分の命が無くなると言われても、迷わず寿哉は彼女に託すだろう。

 それに、振り回されることは振り回されるのだが、その過程に楽しんで満足している自分もいるのだ。道を導いてもらうことで安心できるということと、長年の仲ですっかり打ち解けている未空とラフに会話を交わせることが。

「……ホテルなんて言われても、お金なんか持ってないけど」
「そんなとこ、働き出してからいくらでも泊まれるよ! ……未空の家で、ってこと」

 大きな身柄が、すばしっこく寿哉の隣へと落ち着いた。
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