ふわふわタンポポ少女を救いたい!

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公園で一緒にランニング。

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 優希を救うと大言壮語したものの、どうしていいかはひらめかない。死に物狂いで勉強に取り組んでいれば、もっと論理的に助けられたのだろうか。

 航生の心の中には、理想と現実の開きがモヤモヤとなって蓄積していた。タンスの上に溜まるホコリのように汚く、放置すればするほど増大していくものだ。

 ……あれを見させられて、何かしたいけど……。

 無意識に駆け足をしてしまう。物理的に優希が苦しめられるようなことがあれば急行できるのだが、そのような事件は起こらないし、起こってほしくもない。

 教室掃除を女子がサボったのは、明らかに優希を仲間外れにしようという意志が見えるものである。重責ばかりを押し付け、投げ出さなくとも見栄を張っているとネチネチ責めることが出来る。なんとも都合のいいことだ。

 制服から半袖にモデルチェンジした航生は、例の公園にジョギングで向かっていた。ストレスを発散させるには、体を動かして何もかも忘れてしまうのが良い。

 あれだけ日光がグラウンドに降りていたはずなのだが、心境を鏡に映すかのように曇天だ。天気予報ではずっと曇りが続くらしい。ランニングに持ってこいの天候である。

 春で半袖と言うと、ポカポカ陽気に包まれる日が一般的。まだまだ朝晩が冷え込む日も多く、長袖と併用でスタメンになる程度だ。ランニングでは、半袖は必須級になる。

 まだ帰宅ラッシュ前とあってか、人通りはまばらだ。自転車がすれ違うので精一杯な歩道も占領できてしまうほどに空いている。

 ……優希も、ランニングしてたんだっけ。

 タンポポ動乱の日に、確かそのようなことを言っていた気がする。あの時はそれどころではなかったので、うろ覚えだ。

 帰宅部だからと言って、他の部に運動で野次を飛ばされたくない。その捻じ曲がった思いが、航生を初めにランニングへと誘った。毎日塾という地獄設定が課されたのは、その大分後の話である。

 人間には持久走に向いている人とそうでない人がいるらしく、それは努力では埋まらない差なのだそう。アスリートほど鍛錬を積んでいない航生は判別不可能だが、恐らく苦手な部類に入っている。

 優希の運動神経は、どれくらいのものなのだろう。男女別という隔離された体育の環境では、その良し悪しを推し量ることが出来ない。

 文化部所属、好きなものはタンポポの命だいじに少女、優希。この肩書を見るだけでは、数十メートル走っただけで息が切れてしまう貧弱な体しか思い浮かばない。

 ……どうなんだろうな……。

 バリバリのスポーツ少女でも、それはそれで華があるというものだ。

 公園は縦長の構造であり、タンポポが自生していた芝生広場は最奥部に位置している。双方向に移動できるような作りにしなかったのは、どうしてなのだろう。

 公園の内外を仕切る門は、学校にある校門をさらに長くしたようなものだった。今は昼間なので解放されているが、深夜帯では鍵が掛けられる。不良たちの溜まり場を作ってたまるかという、町の強い意志が見える。

 ランニングコースは、入ってすぐぶつかる道を通る。スタート地点が設定されていないので、キロポストも設置されていない。勝手に走っているから、当然と言えばそうなるのだが。

 ……大会前の陸上部じゃないんだから、軽めでいくか。

 無い袖を捲し上げて、胸を二度叩いた。やる気スイッチが入りづらい体質なので、こうでもしないと力が漲って来ない。

 体力と、気力。どちらが重宝されるのかは、行うものによって異なってくるものだ。

 前提として、どちらかが切れていれば何も出来ない。体力が無ければ体が動かないし、気力がなくては行動を起こせない。

 長距離を走るのならば、体力が大事になってくる。スパート合戦は根性で食らいつかなければならないが、その段階に行くためには完走できる体力が必要不可欠だからだ。思い立ったが吉日といきなり挑戦しても、成し遂げられはしない。

 気力もとい情熱は、その場でじっとするものに影響を及ぼす。体を動かさないと、相対的に他の要素が占めるウエイトが大きくなるのは当然のことだ。

 言論の場などは、まさにそうだろう。次々と繰り出される反論を受け流し、カウンターパンチを入れ、自らの主張を通そうとする。根負けしたその瞬間、相手に飲み込まれてしまうのだ。

 優希の情熱は凄まじい。すぐ横に並んで立っているだけで、火傷をしてしまいそうなほど熱い。断熱材で包まれた部屋に閉じ込めたら、水蒸気が膨張して爆発してしまうだろう。

 自分に自信を持てない人間が淘汰されていく言論の世界で、生き抜いていくために必要なもの。それは、枯れずに湧き出る『想い』だ。

 信念が強固なら、その時は実らずともいつか花を咲かせる。表面上で茎がしなびてしまったとしても、根が無事なら新たな一本が芽生える。心に宿る想いは、無限大の可能性を秘めているのだ。

 優希が、命を粗末に扱おうとしたことがあっただろうか。弾力のないコンクリートに全身を打ち付けられて、意志の芯は折れてしまっただろうか。いや、そんなことは無い。

 理解されることを諦めかけていても、己の考えまで腐らせてはいない。それが、彼女の強さだ。

 現に、優希が先を真っすぐ見据えていたことで、助けられた人がいる。真っ先に名乗り出るのは、航生。タンポポをちぎって捨てようとしていたヤケクソ少年は、他人の思いやりについて考える一般生にまで回復している。

 単純なものが、結局は一番強い。シンプルであるが故に、無駄がないのだ。

 まだ走り始めていないと言うのに、ふとももが武者震いした。心拍数が上がって、血流が脳へと送り出されていく。

 ……ほんとに、すごい女の子だよ。

 宗教を信仰している人には、神がいつもそばにいるように見えているのだろう。無宗派の航生には分からないが、強い味方がいるというだけで安心できるはずだ。

 優希と一緒に走っているわけではない。ストレス解消のためだけの、単独走。砂利が蹴とばされた音も、聞こえない。

 それでも、視界から優希が離れなくなっていた。誰もいない遊具に目を逸らしても、それに合わせるかのようについてくる。思い切って目を瞑っても、満足そうに頬っぺたを膨らませている優希がスポットライトに照らされていた。

 目から、何かが溢れてくるような気がした。下まぶたをぬぐってみるが、乾いた肌があるだけだった。

 いつの間にか、彼女のことで頭が一杯になっている。無心になるはずが、逆に思いつめてしまっている。

 ひょんなことから、心が壊れてしまわないか。いじめがエスカレートして、身体的な苦痛を与えられる羽目にならないか。余計なお世話である悩みが、絶えず宙を舞っている。本人にこのようなことをしゃべっては怒られそうだ。

 ゆっくりと、足を前へと踏み出す。固い地面の感触が、ワンクッション置いて直に伝わって来た。

 現実にいるが、空想世界に身がある。足の感覚と思考の次元が、ズレているようだった。ランニングをしている自分を、上空からカメラで追っている。そのような感じだ。

 つい一か月前までは、優希の『ゆ』すら聞き覚えが無かった。それもそのはず、面識も無ければ血縁も無かったのだから。

 桜散る季節は、別れと出会いの季節。航生に別れは実質存在しなかったわけだが、大きな出会いはあった。

 芝生広場の端に座り込んでいたのは、ほんの出来心であった。ランニングをしていても良かったわけであり、なぜあの日だけタンポポをちぎろうとしたのかは謎に包まれているままだ。

 日本の人口から考えれば、一生の内に会うことの出来る人間などちっぽけなものに過ぎない。どれだけ交友範囲の広い陽気な人でも、それは変わらない。

 そのような奇跡で、優希と巡り会えた。将来聖人と会えることが確約されていたとしても、今は今だ。今日頑張れないことが、明日頑張れるようになるはずがない。

 ……ただの変な女子だと思ってたのが、恥ずかしいな……。

 自作小説をゴミ箱へ葬り去ってしまうように、過去をシュレッダーで刻んでしまいたい。事実を改変できないことは知っていても、カギをかけて奥の方にしまってしまいたくなる。

 軽く汗をかこうと思っていただけだったのだが、段々ペースが上がってきた。筋肉がほぐれてきたのか、腕振りも肩甲骨まで下がるようになってきた。

 優希が今までに受けてきたであろう仕打ちに比べれば、切れ目なく塾に行かされることなどなんでもない。一層力が入り、推進力を生み出す。

 スピードに乗ってくると、周りの風景が高速で流れていく。列車の車窓から眺める景色もいいものだが、足を運びながらというものも中々だ。

 年齢が上がるにつれ、公園という公共施設を利用する回数は減っていく。遊具が子供用しかないことも要因ではあるが、一番の理由は外遊び自体が減るからだ。

 体を動かす元気が有り余っている小学生とは違い、高校生はインターネットやオンラインゲームなどの様々な誘惑が辺りに佇んでいる。スマートフォンを買ってもらった人も多く、電子機器の魔力にのめり込んでいってしまう。

 子供の遊び場が減っているのは、子供が遊ばなくなったからではないのか。そんな疑問を投げかけたくなる航生である。

 ……優希は、どうなんだろう……。

 彼女も、特別ではない。自然保護団体の代表になる気など無いだろう。すべての命を平等に扱うこと以外は、もっぱら女子高生なのだから。

 ただ、家に引きこもってばかりの優希を想像できない。生物の知識をたんまり持っていて、外に興味が向かないとは思えないのだ。

 あれよあれよと、数分もしない内に芝生広場が見えてきた。親子がキャッチボールをしている姿が微笑ましい。一人で壁当てをしていた頃を思い出す。

 凛として咲いていたあの日のタンポポは、真っ白の球体に擬態していた。刺身に添えられる菊と言うよりかは、マリモのようだ。

 汗がべとついて、着心地がいささか悪い。綿毛が吹き飛んでいないことからも、今日は凪であることが誰にでもわかる。

 これも、自然現象だ。タンポポはいつまでも黄色い花を咲かせ続けない。子孫を残すために綿毛となり、風に揺られて飛んでいく。そうして新天地で、子供がまた立派な花を開くのだ。

 優希が、このことを悲しむことは無いだろう。不変であるものはこの世に存在せず、創り出すことも出来ない。老いて死にゆくのも、また運命というものなのだ。

 ……このタンポポは、どこから来たんだろうな……。

 彼女と接していると、自然に植物の人生へと焦点を当ててしまう。一人一人に代えの効かない物語があるように、植物たちにも生い立ちがある、と。

 自分の意志で着地地点を選べない植物は、天運に身を任せるしかない。うっかり道路の上に落ちようものなら、即アウトだ。種子を作るどころか、生きられない。

 やっとのことで土の上へと降り立っても、天候と環境によっては枯れてしまう。日照条件が悪ければ、うまく育ってはくれないだろう。

 数十キロも綿毛が飛んでいくとは思えないので、生まれたのは近所のタンポポからと見ていい。ご両親は、残念ながらである。

 公園ですくすく成長し、苦難を乗り越えて黄色の花を咲かせたタンポポ。これをちぎろうとした自分が、大悪党か何かに見える。

 ……何やってるんだよ……。

 痛みを感じた時、人間は言葉を発してその旨を周囲い伝えようとする。動物も、鳴き声や態度で示してくる。

 植物は、どれだけ危機的状況に立たされようとその場を動けない。一部対抗する種もいるが、大体はそのままやられてしまうだろう。

 視野が狭いと、とんでもない事を平気でしでかしてしまう。気を付けなくてはならない。

 ……もう、あんな藍文知をしてたまるか。

 握りこぶしが、また一段と引き締まった。

「……航生、だよね? 走るの、遅いぞー!」

 タンポポの一生で足が止まりかけていた航生に、後ろから追いついてきたらしい女子が肩を小突いてきた。

 声がした方を振り返る間もなく、横から人影がぬるりとすり抜けていく。

 あの日見た優希と、全く同じだった。運動不足の大人がついていけないようなペースを一定間隔で刻み、平然と悪路を駆け抜けていく。

 体力をセーブしようと流れでここまでやってきたのだが、追い付け追い越せと脚の回転が速くなっていた。離されかけていた背中が、また近くなっていく。跳ねる上半身は、リズムゲームに参加しているかのようである。

 ピッタリと人の後ろについて追走していると、いいことがある。とは言っても、漂って来たにおいをキャッチできるといった変態的なものではない。

 地球に空気が存在する以上、空気抵抗なるものが発生する。スピードが増すほど抵抗も増大していき、これを減らすのは速度を維持する上で大切だ。

 新幹線は、在来線を滅ぼさんばかりの猛スピードで軌道の上を進んでいく。このような芸当が出来るのも、前面が流線形になっているからである。

 何の予告も無く、地面を蹴った推進力で前へ行こうとする優希の両肩を固定した。抜かされた仕返しだ。

「ふええ!?」

 素っ頓狂で間抜けな悲鳴が漏れた。濡れ雑巾が首に飛んできたような冷たさに、お化け屋敷を思い出しでもしたのだろうか。どちらかと言うと首よりを掴んではいる。

 後ろにいる航生にも聞こえるくらいの大きな深呼吸が、空気を介してきた。既視感のあるような気がして、背筋が凍り付く。

 感情を抑えようとする時、頭を冷やすことが多い。議論が白熱した時は、冷水を上からかぶった方が冷静になれる。

 この時期の新鮮な空気というものは、ヒンヤリしている。これを脳に送り届けることで温度を下げ、理性を取り戻そうとするのだ。

 問題は、何故感情が高ぶってしまうようなことになるか、だ。様々な理由が考えられるが、今回に限ってはサルでもわかる。

「……航生? 心臓、止まりそうになったなぁ……」

 曇りで洗濯物が乾かない陰気な空が、優希に憑依していた。前髪をもっと伸ばしてばらけさせれば、それこそ幽霊だ。

 彼女は何処までも真っすぐだが、ただただ植物にばかり傾倒するばかりではない側面も見せてくれる。

 どうしても忘れそうになるが、優希も女子高生だ。精神年齢が子供のまま育ってはいない。ノリが良くていけないことは無い。

 ……でも、普段あまり怒らない人だと、やっぱり怖いんだよな……。

 こちらの方が心臓を吐き出しそうになるので、あまり迫真の演技をされても困る。

「……ゆ、優希だっていきなり抜かしてきただろ……?」
「それと、後ろから襲い掛かることの何か関係あるのかな……?」
「……すみませんでした」

 本物か偽物かもわからない威圧感に崖から蹴落とされ、あえなく白旗を出した航生だった。





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「……優希だからって、何でも許す訳じゃないよー? もちろん、故意に生命を奪ったりなんかしたら怒るけど……」

 はらわたが煮えくり返っているらしい優希は、出力を落として横に並んできた。並走するにしては、腕と腕がしきりに触れ合う。

 女子を口説きたくて仕方のない男なら、ここで腕を引くのだろう。恋心というのは些細な出来事から生まれるものであり、手を繋いだだけでもふと湧き出るかもしれない。

 航生には、そんな余裕も意図も無かった。友達という分際で、本気で燃え上がる気持ちも無いのに中途半端なことをするのは、気が引けたのだ。

 夫婦でのんびりランニングしているところを見ると、今日も平和だと感じる。いきなりドッキリを仕掛けられて血が上ったと主張している優希は、正にそのような雰囲気だ。

「……ランニング、しに来たんだね。どうして?」
「何せ、塾が……」

 思い出すだけで洞穴にこもってしまいそうになる。重い足枷となっている勉強教材を、何処かに捨ててしまいたい。

 高校に入学した瞬間から、将来を見据えての受験勉強をするべきだということは、言われなくとも知識として持っている。中学三年間より遥かに範囲が膨大で、復習を今から始めなければならないと思っている。

 だからといって、青春を一ミリも味合わせてくれないのは、拷問以外の何物でもない。自由を失った先に待っているのは、暗雲が立ち込める灰色の世界だ。

 つい何かに当たりたくなる気持ちはある。アリを潰してせいせいしたことも、芝生を殴ってストレスを流していたことも、過去にはあった。

 ……そんなのは、正しい方法じゃない。

 そこら辺のアリや芝生に、一個人のむしゃくしゃを受け止める義理はない。神経が通っているかどうかは問題ではなく、理不尽である。

 重圧から逃れるにしても、方法というものがあるのだ。例えばアルコール中毒になるまで酒に飲まれるのは心の健康ごと害してしまい、逆効果になってしまう。

 大きな悩み事を処理しようとすると、他の行動が疎かになる。腕の振りが衰えて、黙りこくったまま時折遅れそうになった。

 他人の感情を読むのに長けているのか、機敏に察知した優希から緩んだ空気が吹き飛んだ。

「……『大丈夫?』なんて言っても、隠しちゃいそうだから。辛いときは、どんどんその気持ちを話しちゃっていいんだよ?」

 ランニング中とは思えない、流暢な響きだった。体を鍛えている成果は大きそうだ。

 カウンセリングの手紙が学校から送られてきたことがあったが、全て古紙回収に回していたのを記憶の片隅から取り出した。自分のことは自分で何とか出来ると封殺していたのが強がりだったと、思い知らされる。

 横に並んでいるのに、目の前で優希が座っている。机には何も置かれておらず、一脚の椅子が用意されているだけ。お悩み相談室に入った気分だ。

 遠慮の心が入って、あまり頭を横に向けられない。そのせいで、感情もよく分からない。

 それでも、深部の闇に冒されている航生の身を慮っていることはよく理解できた。

「……困ってるときは、お互い様。どちらかが頑張れば、それでいいんだよ?」

 見えない小柄な後ろ姿が、より大きく見えた。

 二人で支え合っている漢字の代表例として挙げられる、『人』という字だが、決して支え合ってはいない。パソコン上などはそう見えるだろうが、楷書体で書いてみるとよく性質が現れる。

 『人』は、一方がもう一方を支えて成り立っているのだ。協力関係と言うよりかは、依存関係にあるのだろう。

 依存という二字熟語を聞くと、どうにも不快な思いをする。寄りかかっている方は何の苦労もせずに飯を食べていて、努力をしている人が貪り取られているようでならないからだ。

 ネット依存、薬物依存、アルコール依存……。どうにも『依存』という言葉が用いられているものにポジティブなイメージがないのは、人自身が支えられることを悪としているからだろう。

 ……依存しないなんて、出来るのか?

 協力と言うと聞こえはいいが、苦手分野を補完し合うのは『依存』だ。綺麗な名詞で表現しようとしても、本質は同じなのだ。

 相手に頼ることは、ある種仕方のない事。そう割り切れないと、ストレスばかりが溜まっていくのではないだろうか。

「……優希はまだ、ぶら下がるには頼りない枝かもしれないけど……。それでも、信じて欲しいな」

 そうやって笑いかけてくる優希は、背伸びをしているのかどうか。彼女が持っているクッションへ、上空から飛び込んでしまって大丈夫か。

 生命の重要性を追い求める健気な少女を信じることを、決断しなければならない時が来たのだ。

 ……バカにされることは、まさか無いだろうけど……。

 人に嘲笑われた経験が蓄積している彼女は、その行為が精神に莫大なダメージを与えることをよく身に覚えているだろう。いくら説得しても頑として動かず、紙切れのように吹き飛ばされる様は、見るのも耐えがたい。

 不安なのは、自分の心だ。

 何もかも投げ出したくなる衝動が、心臓を内から破壊しようとしていた。血流が滞っているのか、胸が酸欠を訴えて振動している。風船が膨らんでいて、息を吸っているのに酸素が取り込めない。

 厳しい環境に置かれた後に自由世界へと放り出されると、反動で堕落してしまうことだろう。同様のことが、起こりかねない。

 助け合っていかなくてはならないのに、優希が見せる一部でしかない温かさに身を委ねてしまいそうで、怖い。甘い沼から抜けられなくなりそうで、優希を裏切ってしまいそうで、手を出すのを躊躇してしまう。

「……そこまでして助けるほど、俺に何か?」

「誰からも相手にされなかった優希のことを、初めて見てくれたのが航生。考え方を突っぱねないで、理解してくれたのが航生。それだけだよ」

 必要としてくれている人がいると、俄然気力が出てくる。自分を認識してくれているだけで、明日への活力が盛り上がってくる。

 優希の口から出てきた、なんでもない一言。それが乾いていた感情に潤いを与えてくれたのだ。

 ……これが聞けただけでも、今日ランニングに来た意味があったな……。

 知り合って間もない女友達に、人生を百八十度ひっくり返されるとは、妄想好きの作家と言えども想定できなかっただろう。

「……優希のこと、信じてみるよ」

 リスクを恐れていては、何処にも行けなくなる。隕石が降ってくる確率などたかが知れているし、どんなに気を遣っていても不運な人は当たる。

「やったね! これで、優希も航生も一心同体だよー」

 四字熟語の使い方に語弊があるような気がするが、水を差すまでもない。

 四月も中旬になると桜は散ってしまうのが普通なのだが、公園の地面は珍しく桃色に染まっていた。誰のエサになるでもない花びらが、見慣れない色のバージンロードを作っている。

 一閃、突風が流れた。桜吹雪が、優希のなびく髪と一緒にはためいた。

「……そうだ、近いうちにお花見にでも行ってみない? 桜もまだ残ってるし」

 舞い降りる桜の花びらを見て、懐かしい目で彼女がそう提案してきた。

 芸術のセンスが皆無である航生は、花見の誘いを受けるたびに断って来た過去がある。木下で弁当を広げるよりも、ファミレスで食べたいものを食べている方が幸せだと感じるたちだ。

 花より団子がピッタリで、情景に心を動かされて一句読むこともない。食い意地が張って、景色を楽しむどころではない。

「それ、いいな……」

 しかし、航生には失くしてはならない友達が出来た。生き物を第一に想い、無用の殺生を許さない正義感が強い少女だ。名前は、優希という。

 自宅に、安心できる場所が存在しない。塾帰りでも平気で課題を山積みしてくるような親には、もううんざりしている。

 一番居心地の良い場所で、この高校三年間という限られた時間を過ごしたい。

 ……優希と一緒にいると、自然と本音が出てくる。

 もっと、同じ空気を吸いたい。

「それじゃ、決まり!」

 はずみの良いハツラツとした声が、静かな公園に響いた。
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