ふわふわタンポポ少女を救いたい!

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放課後、手を引かれて。

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 放課後になるやいなや、航生は優希に手を引かれて学校裏の菜園に連れて来られた。高校が独自で食べられるものを栽培しているらしく、木の看板には『盗み食い厳禁!』と但し書きされている。

 タンポポは、命がどうこう関係なく優希のトリガーを引く爆弾だった。

 ……平穏な俺の放課後を返してくれ……。

 夜からは塾に行かねばならず、下校してからの一時は値千金。その貴重な時間が削られ続けているのだ。

 係に当たったことが無く来る機会もほとんどなかったが、肉眼で確認してみると土の中でかなり成長しているようだった。地上に突き出している根は太く、収穫を心待ちにしているような気すらした。

 『タンポポのことを説明するから』とここまで誘拐されたのだ、学校の目を盗んで食べてしまおうということではないはずだ。

 全体を一通り見まわす限りは、タンポポの花らしきものは咲いていない。雑草の残骸がレンガで囲まれた畑に寄りかかる様に高く積まれていること以外は、代わり映えしていない。

「……なんで、ここまで……?」
「誰にも見られたくなかっただけ。……あとは、航生がついてきてくれるかどうか」

 よほどの物好きでもなければ、踏み荒らす恐れのある畑地帯に姿を現すものはいない。その点で、この場所は絶好のスポットだと前々からうわさで聞いている。

 しかしそれを逆手に捉えると『ここなら秘密裏に何かを出来る』という共通認識が芽生えているという事であり、このミニ菜園に人が集まってきてしまうかもしれない。

 既に、先輩の中でこの場所で告白した組が複数あるのは耳にしている。総合すると、セキュルティが完全ではなく、盗み聞きされる可能性がある土だらけの畑を使おうとはならないはずだ。

 ……となると、後半部分が……?

 優希に親友と呼べるほどの仲になっている人はいなさそうである。彼女自身が発する特殊な電波によって、モスキート音を嫌う若者のようにクラスメートははけていってしまう。

 電波の正体は、純粋に生命を重んじる思想だ。牛や豚、鶏は勿論、草木や果実に至るまでこよなく愛するという考え方だ。

 幼い頃に『いただきます』『ごちそうさまでした』を言いなさいと指導される。この二つの言葉の意味としては、それぞれ『命をいただきます』『命を下さってありがとうございました』ということであると航生は思っている。

 ところが、これらの語句の本来の意味を意識して言っている高校生が、全国にどれくらいいるだろう。きっと、優希しかいないのではないだろうか。

「……なんでもない。話、もどすよ?」

 彼女は、脱線しかけていた列車を元のレールへと戻した。

「……タンポポってさ、二つ種類があるんだよ? 知ってる?」
「何となく、どこかで見たことはある」

 外来種が日本国内で大繁殖し、その地域に生息していた固有の種を絶滅へと追いやってしまう問題は、ここ最近声が大きくなってきたものだ。例えば、ブラックバスは、放流された個体が固有の魚群を食べつくしてしまう。

 人間誕生前と誕生後の絶滅スピードは、とてつもなく速くなっている。多くは社会活動による生息域の減少や乱獲であり。つくづく人間が環境に与える影響を考えさせられる。

「ニホンタンポポと、セイヨウタンポポ。どっちが外国から入って来たかは名前の通りだけど、見分けかたは知ってる?」

 海外から入って来た方のタンポポが野原に広がっていることは、前例から予測しやすい。

 基本的に、植物も生物も食物連鎖の中で成り立っている。それが、天敵のいない地域に移されてしまうとその生物が大量発生し、餌となるものを瀕死の淵に追いやってしまう。

 タンポポでも、そのような壮絶な争いがあったのだろうか。航生はタンポポ博士でないので、詳しいことは意気揚々としている優希に任せるとしよう。

 ……しっかし、見分け方か……。

 メダカの雄と雌を区別するときは、腹のヒレの形を見ることが大事だ。形状が異なるので、買ってきたメダカが全て同性で繁殖できない、という事態には陥らなくなる。

 ただし、この方法を知っているのは理科の授業でメダカを扱ったからだ。偽物ブランドと本物ブランドを見分ける力が備わるわけではない。習ったもの以外は、依然として闇の仲なのだ。

「……その様子だと、知らないみたいだね……! ヒントは、黄色い花の下にあるよ?」

 中学校では、花を解剖したことがある。センターにはめしべ、次いでおしべ、花びらはその外側だ。

 その花びらのさらに外には、がくと呼ばれる緑色の葉のようなものがついている。優希が言っているのは、恐らくそれだろう。

 ……何か、違いがあるんだろうけど……。

 意識してタンポポを見る機会など無かった。野原に飛び出していくことがほとんどなかった航生は、草花に興味が希薄だったのだ。

 当てずっぽうで言ってみるしかないのか。変化が付いているのは彼女が示している通りだが、どのような差異が生まれているのかの想像が付かない。そもそも、タンポポを3Dプリンタで作成できない。

「……色が違う、とか?」
「ざんねん! 正解は、セイヨウタンポポが捲れている、でした!」

 人の失策を笑いで吹き飛ばすことなく、ただただ明るい優希。このシーンだけを切り取ってクラス内の全員に見せれば、交友関係が改善するかもしれない。

 口頭で正解を告げられても、実物か写真を目にするまでは信じがたい。昨日のタンポポは、どうだっただろうか。

 ……あれは、しっかりと貼り付いてたような……。

 剥いたバナナの皮のように力なく垂れてはいなかった。つまり、あれは在来種のニホンタンポポということになる。

 優希が手招きをして、航生をフェンスの傍へと呼んでいた。偶然の出来事と言うよりは、前々から計画されていたようで、コンクリートに挟まれた一輪のタンポポを指し示していた。

「このタンポポはちょっと前から咲いてたんだけど、一体何タンポポでしょうか?」

 ささっと彼女が正面からどいて、単身で頑張って背伸びをしているタンポポが非材を目いっぱい受け取ろうとしていた。今日は曇りである。

 彼女の手前、日曜日のように引きちぎっては絶交されるであろうし、航生にその気は無い。

 理科の観察を行うときは、虫眼鏡を縮小したような器具であるルーペを用いることが多いが、タンポポのがくは肉眼でも確認できるほどに分かりやすかった。

 点々と存在する黄色い花びらから目を落とすと、これでもかと反り返った緑の皮が盛り上がっていた。それは見たことのある引き締まった姿と合わなかった。

 クイズの答えは、『セイヨウタンポポ』だ。

「めくれあがってるから、セイヨウタンポポ!」
「せいかいだよ!」

 他人の正解は自分の喜びと、口を緩ませて元気が漲っていた。

「セイヨウタンポポは、全部のタンポポの八割くらいを占めてる。だから、当てずっぽうでも大体は当たっちゃうんだけどね」

 優希はネタ晴らしのつもりだったのだろうが、外来種の生存能力には驚かされる。

 古代の大和国では、タンポポという植物はみな例外なくニホンタンポポだっただろう。それが、海外から混入してきた黒船によって文明開化され、今や多数派を占めるに迄なっているのだ。

 そうやって別の種類が増えているということは、比例して交配した雑種も伸びていくということになる。純系は、ますます少なくなってしまうのである。

 タンポポの未来は、どうなってしまうのか。今晩の晩御飯が気になって仕方がない航生に、そんな壮大なシミュレーションをする技能はなかった。

「……タンポポについては、まだまだあるよー! 伊達に、タンポポ好きと呼ばれてるだけのことはあるからね!」
「それ、自称なのでは……」

 優希がタンポポ好きであることをカミングアウトされたのは、ついに十分ほど前のことである。言葉を交わす回数が極端に少ない人たちは、彼女がクラスに参加していることすら認識されているか怪しい所だ。

「タンポポは、昔はよく食べられてたんだ……。天ぷらとか、きんぴらとか……」

 根っこのコーヒーは図鑑のコラムでチラッと見かけた記憶はあるのだが、それ以外にも食用としての用途があったのだ。

 タンポポの天ぷらの完成図となると、どうしてもありのままを素揚げしたものしか投影してくれない。花びらを除いた茎が小さすぎて、腹に溜まらなそうではある。

 ……野草って、食べられるものが多いよな……。

 道端に生えているタンポポが食べられるのだから、他の雑草も大半はそうだろう。生で食べる気にはならないが、水洗いで表面をしっかりと洗ってからならばサラダにでも出来そうだ。

 しかしながら食べられないものもあるにはあり、チョウセンアサガオはその典型例と言える。根っこがゴボウに似ているため誤食されやすく、腹痛や下痢を引き起こす厄介な奴であり、こういう毒草の存在が雑草食を阻害しているという点はある。

「……それって、おいしい?」
「優希は食べたことないから、分からない。それに食べられる機会があったとしても、好きな花だからなぁ……」

 感覚が人と離れているので軟弱だと思われそうだが、それほど臆病でもない。彼女にとってタンポポを調理するということは、自らが飼育した豚を出荷して食卓に並べるようなものなのである。

 ……優希がタンポポを好きな理由って、なんなんだろう……。

 美しい花の代表格ともいえるのは、真っ赤なバラだ。茎に棘が付いているのもアクセントとして、なにより一枚一枚の花弁が写真に映える。『きれいなものを写真で撮れ』というお題で、皆が群がりそうな花ナンバーワンになりそうだ。

 だが、派手なものが嫌いと言う少数派もいる。何を隠そう、航生もそうだ。真っ赤に染まり上がった花弁は毒々しく見え、薄くて消えてしまいそうな色に意味を見出す。実像を描いた絵と抽象画の二つがあるならば、どちらかと言えば抽象画を選ぶタイプなのだ。

 それでは、タンポポはどうだろう。バラのように激しく主張しているわけではなく、かと言って無色に近い色合いというわけでもない。よく言えばいいとこどり、悪く言えば中途半端だ。

「……優希は、どうしてタンポポが好きになったんだ? 詳しい事、まだ聞いてないからさ」
「……知りたい?」

 聞くだけ聞いて食い逃げするな、と念を押す意味も込められていた。興味が向いてもいない事柄を語ってもらって、後からいらないと突き返るのは犯罪行為だ。

 ……優希の思考回路は、頭を割って覗いてみたいくらいだけど。

 幼少期の頃からの思想教育のたまものが、生命を何よりも優先する優希を作り出した。一般家庭が深く掘り下げないところを、何遍も繰り返し聞かされたのだろう。

 『思想教育』と聞くと宗教の洗脳か何かか、と固定された通路を通って頭ごなしに批判する脳無しが一定数いるのだが、それではない。道徳を叩きこむのも、お金を吸い上げやすい従順な機械にするのも、教育者次第なのだ。

 犬のしつけをやってこなかった飼い主は、後年中々犬が大人しくならずに後悔することとなる。子供も同じで、危険なことを危険だと教わらなかった子は事故に遭う確率が高くなってしまう。

「……タンポポはね、生命力が強いんだよ?」

 植物は、動物と比べると強靭な肉体を備えている。

 ほぼ全ての動物は、首を刎ねられると死んでしまう。生命の源は脳であり、その脳と身体が分離してしまうと栄養が供給されなくなるからである。

 ところが、植物は茎を折られてもハサミで切られても生きているものが多い。根が地中の奥深くまで入り込んでいて、一旦茎が切断されても根さえ生きていれば再生するのだ。

 植物が咲かす花は子孫を残す手段であって、見えているものが全てではない。むしろ、見えない部分の方が生存に重要な役割を担っている。切り取った花だけを土に植えても、茎や根っこが成長しては来ない。

 根の深さは、種類によって異なる。花壇の側に生えている雑草ならば、人間が力づくで引っこ抜けるほどの長さだ。本体を地表に投げ出されると、いくら生命力が強いと言えども死の運命には逆らえない。

「……根っこ、どれくらい長いの?」
「ざっと、一メートルくらい」

 タンポポを根本から丸ごと抜けた記憶が無いので多少長いのだろうとは思っていたのだが、航生の予測を大幅に超えてきた。

 一メートルとなると、幼い子供がすっぽり埋まってしまうような深さである。手を残して埋没した人を上に引き上げようとしても、とてもではないが救出することは出来ない。タンポポが人の手で除去できない理由も、そこにある。

「……それに、排気ガスに揉まれたって、好き勝手に子供が花を摘み取って行っちゃったって、また生えてくる。それが、タンポポ」

 優希は黄色い花びらが集中している膨らんだ緑の部分を軽くつまんで、お辞儀をさせるようにてっぺんの向きをこちら側に傾けた。つぶつぶがたくさん集まって、一個のタンポポと言う花が構成されているのがよく分かる。

 ……タンポポは、合弁花なんだっけ。

 合弁花とは、花びらが別の花びらとくっついている花のことである。対義語は、離弁花だ。

 タンポポを遠目で見ると、一つ一つの黄色くまとまった花弁が集合しているように映る。それぞれの部分は独立しており、まるで同心円状に会議をしているかに思えてくる。この事実だけを抜き出せば、離弁花にしか考えられないように思う。

 しかしながら、詳しく拡大鏡とピンセットを用いて分解してみると、意外な事実が暴かれる。一つの花弁に見えた固まりは、実は何個かの花弁がくっついてできたものなのだ。

 このように、細部まで物事を確認しないと全容が明らかになって来ない事例というものは、現実世界にも多数存在する。解き方さえ理解すればいともたやすく完了してしまうが、その取っ掛かりを見つけるまでは未解決問題のように見えるのと同じだ。

 フェイクニュースや誘導的な記事、偏向報道は視聴者にばれないように作りこまれているものがほとんどだ。人々の社会生活に内匠に紛れ込み、不安を煽ってお金を巻き上げていく。

 情報リテラシーが必要とされる現代社会だが、実情はあまりよろしくない。外見だけで事の顛末までを決めつけ、もう少し興味を持って検索エンジンにかけれみればすぐ出る事実に気付かない。

 一時だけなら、それでも支障をきたさないかもしれない。が、そのズレは積み重なっていく内に修正不可能になっていく。それが限界点を突き抜けた時、建造中の知識タワーは音を立てて崩れていくのだ。

「綿毛になっちゃうと悲しくなるけど、それも自然の摂理。無事に飛んでいって、新しい仲間を作っておいで、って応援したくなる!」

 春の中期である今の季節くらいが、丁度綿毛が見られ始める時期。あれほど黄色く素朴さを味合わせてくれたタンポポも、白い羽を付けた種子となって風に吹かれるがまま飛んでいく。そうして、新天地で新しい生活を始めるのである。

 日本の各地には、湿原と呼ばれる観光名所がある。同音異義語の『失言』とは情景が段違いで素晴らしく、踏み入れるだけで水がにじみ出てくるのは異世界のようにも感じられる。

 その湿原が将来無くなると告げられた時、人はまずどのような考えになるだろうか。地球温暖化のせいだ、人間が土地をむやみに開拓していくせいだ……。どれも的を得ているようで、明後日の方向に矢を放っている。

 湿原は、勝手に草原へと変わっていくものなのだ。人為的な工作が加わらずとも、時が経てば大地は乾ききってしまうのだ。

 美しく見える物体や光景は、保存できない一瞬に輝きを放つからこそ美しいとされるのである。道端から勝手にバラが咲いてくるような世界で、きっとバラが告白の花束に使われていることはない。

「……どこでも見かけるタンポポも、知らないことはいっぱいあるんだな……」

 これは、航生である。

 彼女に出会うまでに、何度たんぽぽの一生や生態を思い浮かべようとしたことがあっただろうか。植物と言う生き方を、一通り再現VTRで見ようとしたことがあっただろうか。

 過保護なほど生命を重要視する優希は、いかに人間以外の生物が業を営んでいるのかをよく知っている。普通の人なら候補になることもない雑草にも、よく関心がいっている。

「……航生、大丈夫?」
「何が?」

 熱弁で時間が消し飛んでしまっていることを心配しているのだろうか。学校裏にも立派に設置されてある時計の針が正しければ、まだ五分ほどの猶予がある。

「……優希がウソついていい子ぶってる、なんて思ってない?」

 昨日の会話だけなら、そう思っていたままだった。自然を本当の意味で大切にしている人間など都会には居ないと考えていて、いかにも『自然環境の保護をやっています』と言いたげなエセボランティアに見えていたからだ。

 ……優希の仕草が、わざととは思えないんだ。

 この栽培園に来る途中も、通路に侵入してきている茎や葉を避けていた。お弁当で野菜を食べ終わるたびに、手を合わせて祈っていた。そして何より、タンポポへの情熱が日本列島を巻き込んでいくほどだった。

「……中学校の時は、友達が出来なかったんだ。気持ち悪いって、気味悪がられて」

 黒人がクラスに転入してきたとして、気持ち悪いと否定的な感情を抱くのはれっきとした人種差別。そういったことは社会の時間でみっちり習わされるので、感情の摩擦による火災は起きづらい。

 思想がすれ違う人なら、どうだろうか。食べ物の好き嫌いであれば磁石のように反発し合うことなく融和していけるが、価値観の相違はひび割れをもたらす。

 ……優希は、少数派だ。

 多数決をすると、必ず多数派と少数派に分かれる。少数派の肩身が狭く窮屈に感じるのは、数の圧力によるものだろう。

 民主主義においては少数派の意見も尊重することになっているが、現実でそれが厳正に適応されているわけがない。ただしい意見と間違った意見に分類され、間違った意見は排除されていく。

 生き物全ての命の価値は同等であるとする優希の考え方は、机上の空論と一蹴されただろう。偽善者だと、レッテルを貼られたことだろう。

「……だから、高校はそんなことにならないようにしたかったのに……」

 つい三十秒前まで嬉々としてタンポポの力強さを熱弁していた少女は、風船が針で刺されたかのようにしぼんでしまっていた。

 余韻からひしひしと、苦し紛れの外見加工をしたことが伝わってくる。自己の信念と相反する行動を取らざるを得なかった優希の心境は、さぞかし胃の内容物が絞り出されそうなものだっただろう。

 日差しが差し込まないのも、彼女の落ち込み具合を象徴しているような気がした。正午から晴れると天気予報で聞いたはずなのだが、その様子は見られない。

「……変な人だって思われて……」

 優希とクラスメートの間に横たわる溝は、日本中の土砂をかき集めても到底埋まりそうには無かった。

「……」

 航生は、何も発することが出来ない。

 どのような理由があれ、変人扱いするのはしてはいけないことだ。アニメオタクは敬遠される傾向にあるのだが、その根底には『変わっている人』という認識があるわけであり、本来は即撤廃されなければならないことだ。

 当然、思想や良心で差別することも禁止なのだが、世間の目というものは時として逸脱してしまうことがある。

 例えば、冬に軽装で外に出る人。筋肉量や平熱には個人差があり、冬でも寒く感じにくい人というのは存在するのだが、彼らは総じて『季節感のおかしい人』として好奇の目にさらされる。

 ……俺も、そう思ったからな……。

 常識を覆されることは、その人にとって嫌でしかない。今まで信じてきたものがひっくり返されるのだ、不快に思う人が多いだろう。

 だからと言って、変化を柔軟に受け入れて対応していかなければ、頑固親父になってしまう。他者の意見を突っぱねてしまった時点で、さらなる発展はもう望めない。

「俺も……」
「そうだよね、航生もそうだよね……」

 申し訳の無さが顔に出てしまっていたのだろう。優希の目前に垂らされていた蜘蛛の糸がぷつんと切れてしまった。

「待ってくれ、優希。昨日まではそう思ってたけど、今は違う」

 過去の事実は、ノートに書いた式のように消しゴムでは消せない。隠蔽しようとしても、将来のどこかでつじつまが合わなくなる。

「……人の考えを頭ごなしに否定しないことの意味が、よく分かった」

 物事に熱中している姿は、他人から見ると応援したくなるものだ。

 ……俺は優希の意見に合わせる気は無いし、考え方が変わるとも思えない。けど……。

 みんな違って、みんないい。遺伝子も、性格も、備えている能力も、何もかもがピッタリ重なることはない。それは、不変の真理である。

 それなのに、ガキ大将は偏見の激しいトップは自分に他が合わせるべきと思ってしまうのはなぜなのだろうか。それぞれのスタイルが、尊重されるべきものなのに。

 ……人にされて嫌なことはしてはいけない、って習ったはずなんだけどな、俺も……。

 他人のやり方を強制されても構わないなら別問題だが、そんな人は希少種だ。

 ……客観的になって考えてみろよ。自然を愛しているだけの、優しい女の子だろ?

 仕事に邁進して情熱が燃え上がっている熱血会社員や、日本各地を飛び回る鉄道ファンと、何が異なるのだろうか。都会に自然派がいて、何処が悪いのか。

「どう言われようと、優希が自分の考えを曲げることはないよ」

 この言葉を航生が放っているのだから未来はどう転ぶか分からない。

 学習塾のスケジュールが満杯でなければ、彼女と公園でバッタリ出くわすことは無かった。ストレスにかられて植物イジメをしようとしていなければ、会話が生まれることも無かった。

 ……人の気持ちを考えろ、っていう意味を教えてくれた。

 文字おこしして教科書に載せただけでは、物事の上澄み液しか掬えない。絵の具の上澄みは着色が薄いのと同等に、一を聞いただけで全様が分かったと勘違いしてしまう。

 そして、その誤っているか断片的な知識を物差しにして善悪判断を行ってしまう。偏見や差別が生まれるのは、そのためだ。

 ……差別や偏見なんて、自分がするはずないって思ってたけど……。

 現に、偏った視点から優希を一時でも変人扱いしてしまった航生は存在した。無意識のうちに、彼女を遠ざけてしまっていた。

 人間は、一度失敗して痛い目を見ないと覚えられない生き物なのだ。準備体操をしてから泳ぎ始めろと指示されていても、怖さを知らない子供たちはプールに飛び込んでいく。そこで足がつって初めて、準備体操の大切さに気付くのである。

 一度目はそれで良いが、二度同じことを繰り返してはならない。二連続で同様の失態を犯してしまうのは、守る気が無いと思われてしまう。

 恋人から注意されたことは四六時中気になっても、教科書で一夜漬けした知識はすぐ抜け落ちる。強く意識付けをしておかないと、忘れてしまうのだ。

 ……映像を見て理解したつもりになってても、こうなるんだなぁ……。

 やってしまったことの取り返しは付かない。ならば、現在をより良く作り変えていくまでだ。

「……変だからって、気味悪がらないでくれる?」
「もうしない」

 理想的な思考を忠実に実践しているだけで、区別されていい人はいない。

 グイッと、視線を外して手を伸ばしてきた。付け根に力が入っておらず、掌が重力に引っ張られて下方に宙づりになっていた。

「……優希は、友達なんかいない。それで、作ってみたい」

 そう彼女は首を横に振って、頭が力なく腕に抱きこまれた。

 過去の軌跡を思い出して、沈んでいるようだ。下りてきたまぶたが、疲れを帯びている。運動などの単純労働ではない、精神疲労だ。

 ……優希は、ずっと孤独だったのかな……。

 航生が一度たりとも経験したことのないであろう、大集団の中での孤立。人に囲まれているのに、全員がそっぽを向いている。話しかけても、それとなく流されるだけ。耐えがたき苦痛だ。

 彼女は、そんな過酷な現実を潜り抜けてきたのだろうか。可愛らしくたんぽぽを観察していた女の子が、社会の現実を知らされるような目に遭って来たのだろうか。

「……俺なんかでいいのかどうか分からないけど、とりあえずよろしくということで」

 航生は、優希の手をしっかりと握りこんだ。彼女の手は、航生のそれよりも随分温かかった。

 ぽっと、優希の頬が赤くなったような気がした。

「……休み時間、もう終わっちゃうね。付き合ってもらって、ごめん」

 自然と手を振り払われた。まるで煩悩を寄せ付けないためかのように大声だった。

 そそくさと校舎へ逃げていくタンポポ好きのへんてこりんな女子の背中を、航生は追いかけて行った。
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