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そして……

エピローグ前半 違和感

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 爆弾魔の少女に付き添って、三週間。喜怒哀楽から両端を切り取った感情が、何度も巻き起こった。

 隆仁は、結婚詐欺師の正体を暴いてなお、結ばれたザイルを切断しなかった。なぜ彼女を受け入れようとしたのかは、今でも不明瞭である。

 ……損切した方が、良かったのか……?

 金欲しさのストーカーに追い回されることの無い、平和な平行世界。結莉の裏表を知る者として、熱狂的な視点を集める彼女を冷ややかな目で見ているに違いない。

 関東平野のように広がっていく、無事で平坦な道のり。そちらを選んでいたのであれば、隆仁の幸福ゲージは上限へ近づいていけたのだろうか。答えを知っているのは、リセマラで二周目に突入したプレイヤーのみだ。

 四月が逃げ去る炎天下だと言うのに、隆仁は日向に突っ立っている。縛りプレイで今生を鍛えようとしているのではなく、垂直から振り下ろされる太陽の雷が避けられないだけである。日陰が見つからない。

 ……早く来すぎだよな……。

 下校中の高校生には見合わない腕時計を見つめて、約束の時刻がまだ長い道のりを乗り切った先であることを確認した。あと十分は、コンクリート砂漠をラクダ無しで耐えなければならない。

 相手が遅刻してきたとなれば、もっと苦痛は長引く。ここはラテンアメリカではなく日本だということを、結莉は覚えているだろうか。

 ……昨日は、随分怒らせちゃったし……。

 鍋に入れられていた水が、唐突に沸騰する。先日の結莉は、まさにそうだった。予兆が見られたには見られたが、理性と欲望の塊が内部崩壊するとは思ってもいなかったのだ。

 彼女が昨日放った、会心の一撃。

『……隆仁は、一番頼れる人だよ』

 塾の時限に追われているわけでも無ければ、家の用事で帰ったのでもない。まだまだ時間が溢れていた中での、強引な終幕だった。

 怒りの内容を詳細に教えてくれないと、対処のしようがないのである。定期考査に模範解答と解説が配られるのも、訂正で学力アップを図るためだ。見直しをせずに二回戦へと望むのは、気乗りしない。

 ……学校でも、話してくれなかったんだよな……。

 扉が重低音を立てたその時から、結莉の目線に隆仁は入らなくなった。雪解けで白銀の景色が消えてしまうが、何かスイッチが入って相手にされなくなってしまった。

 話しかけることはおろか、アイコンタクトも許されない。食堂で背後から付いて行っても、彼女は自費で自動券売機から購入していた。進歩したように見えて感激の涙が零れ落ちそうになったのは、奢りが酷かったことの裏返しである。

 クラスメートからすれば、滑稽な光景だっただろう。アイドル的存在の結莉を巻き込んでカップル宣言した隆仁が、見事に受け流されているのである。スクープ記事にして閲覧数を荒稼ぎしない手はない。

 心無い野次は、隆仁の多少なりとも焦燥していた心へと突き刺さらなかった。これしきのことでへこたれる須藤くんではない。プレス機に踏みつぶされても、撹拌されて液体になっても、生きている限りは立ち上がる。

 美少女に表面上とは言え振られた格好になり、心を病まなかったのはネガティブ思考の賜物だ。裏表系アイドルとレッテルを貼りつけて極力恋心を掃除機で吸い込んでいたのが、功を奏したのである。

 ……それでも、近くまで迫られると参っちゃうけどな……。

 結莉は、言葉巧みにウェブサイトへ誘導する謳い文句ではなく、一人の顔面偏差値が測定不能な女子高生だ。呼気が耳にかかる至近距離で、自作の色眼鏡はいとも簡単に破壊されてしまう。

 如何せん、まだ待機時間は十分近くもある。スピーチを即興で乗り切った実績を引っ提げれば、今日発生するであろう修羅場を潜り抜ける台本を作れるはずだ。下等兵士は、戦場で国家のために討ち死にしたくないのだ。

 隆仁は、仮想敵国のバーチャル結莉を起動させた。いつでもどこでも持ち運べる、便利なコンピュータである。メモリは常に空っぽではあるが。

『今日は何しに使う? せめてバーチャルを手懐けたいとでも思ったのかな?』
「佐田さんは、空想でもこの調子なんだから……」

 上空を飛行しているヘリコプターの操縦者は、亡霊と会話している死期の少年を目撃しているだろう。隆仁の右側は、もぬけの殻だ。

 仮想コンピュータを舐めてはいけない。余りにも設定が容易だった仮想結莉は、本人顔負けの畜生性格に育ってしまった。精神を鎮めようと隆仁が勝つ展開に進めようとしても、彼女がそうはさせない。

 アホ毛のパターンまではコピーできず、大人しく束に沿っているだけ。チャームポイント兼特徴の従属生命体が不在なのは、僅かばかり胸に水が溜まる。

 ……練習くらい、楽させてくれてもいいだろうに……。

 結莉が居ても居なくても、隆仁は継続ダメージを受け続ける。日本の司法は隆仁の訴えを退けるに決まっているので、今度は国際司法裁判所に提訴してみよう。

 彼女本体を違法コピーした海賊版と評していても、やはり空想上の人物。社会的死の制裁が待ち構えている禁じ手をしてしまったとして、お咎めを受けることはない。

 ……別に、聞きたくは無いんだけど……。

 ふしだらな質問を結莉に投げかけるのは、真偽を問わず初の試み。関心があまりない分野ばかりで、陳腐な問いしか思い浮かばなかった。

「……それじゃあさ、バーチャルだけど佐田さん。今日履いてきたパンツの色は?」
『バーチャルは余計! ……あと、見たかったらズボンでもめくってみたら? 護身用武器があることを忘れずに、ね?』

 物理的にガードが固かった。わいろをふんだんに渡しても、門を開けてくれそうにない。

 作者がキャラをコントロール出来ないことは、普通に起こり得る話だ。作家でもそのように体験談を語る人がいるのだから、隆仁クラスの人間でもある。バーチャル結莉はシステム上の欠陥を発見して、管理者権限を奪い取ってしまったようだ。

 このまま会話を終わらせてしまってはつまらない。隆仁は耐久テスト代わりに、どこまでラインを踏み越せるか実験することにした。

「……そんなこと言わずにー、色ぐらい教えてくれたってー」

 注意喚起をしておこう。隆仁は、決して変質者ではない。あくまで、仮想コンピュータのテストである。

『……教えてあげないものは、教えてあげないよ? だいたい、アイドルに対して失礼だと思わない?』
「……須藤くーん、ちょっと目を覚ましてくれないかな? 場合によっては、家からチェーンソーを持ってこないといけないかもしれないから」

 タイムラグが生じて、コンピュータの音声が二重に聞こえた。内容も全く別のものだった。人の脳内で別の人間を動かすのは、やはり能力を限界まで使っても不具合が残ると言う事である。

 更に攻撃を被せようとした隆仁の口が、凍り付いた。開閉の自由が奪われ、ろれつが回らなくなる。

「あれ、最新型のバーチャルAIは具現化するんだったかな……?」
「須藤くん、正気になって。今すぐ切腹してもらうから」

 空気刀を脇に差した結莉が、隆仁の首に腕を回していた。介錯する準備は整っているようだ。握られている刀が物体を斬らないようにお願いするしかない。

 彼女が指定した時刻の十分前。遅れてくることは有っても、待ち伏せで籠に封じ込めては来ない。最悪のケースまで考えの及ばなかった隆仁の負けだ。

 結莉が背負っているバッグは、正真正銘彼女のもの。容姿と持ち物を借りてきた赤の他人ではなさそうだ。

 ブロック塀にコンセントを見出そうとしたが、見つけたのは縦細いシミだけだった。プラグと彼女を繋げられれば、多少の足止めにはなったはずだ。

 ……うん、最悪。

 地震は、忘れたころにやってくる。最悪の事態は、想定していない時に限って起こる。結莉絡みのハプニングは、備えていようがいまいが関係なく発生する。教訓を忘れてはならなかった。

 ネタを継ぎ接ぎして軽蔑の感情が過ぎ去るのを待ちたいが、彼女もそれくらいは承知している。女子にパンツの色を訪ねている隆仁が責任を負うことになるのは理解した上で、誤解を解きたい。

「実を言うとですね佐田さん、バーチャルの世界に入り浸ってて……。まさかご本人が登場するとは思わなかったんですよ」
「丁寧語を使っても無駄だよ? 架空の私に話しかけてたとして、下品な妄想をしてたのは変わらないし」

 一生降ろすことのない十字架を背負う未来が、忍び寄ってきている。

 無理矢理彼女に仕立て上げられた被害者に成りすますことも、結莉なら十分可能だ。淫らな行為に走ったと退学を促される日はそう遠くない。

 ……十分前にくるのは、誤算だ……。

 到着時間に彼女が居なくても、一部を切り取られて不利になる語句を口にはしない。考えられる限り最悪の場面が簡単に想像できるからだ。

 しかし、結莉が十分前行動を実践してくるなどとは夢にも思わなかった。完璧に思われた隆仁の防衛陣形も、殿様が単身で戦場に赴いては意味が無いのだ。

 弓矢や鉄砲弾が飛び交うのほほんとした修羅場から、舞台は更に過酷な地へと移ってしまった。隆仁が立っているのは、隕石がランダムで降り注ぐ、運に身を任せるしかない月面上である。

 弁解を済ませておかなければ、明日からの座席が消えてなくなる。垂らされているか細い希望の糸が、あっけなく途切れるのだ。

「……信頼できるなら……」

 彼女の心に残っているだろう手がかりを証拠品に提出しようとして、手が止まった。

 ……今、信頼されてるとは限らないぞ……?

 追加情報が出てくるたび、人についての印象は上下する。年収一億円というプレートを首から吊り下げておくだけで、立派なクレクレ男女ホイホイの完成だ。結莉は遠隔操作のドローンを使って札束を盗んでいくだろうが、大半の頭が回らない下位互換はかぶりつく。

 カラオケで最低限の心証を確保できたのは、理性に則って結莉を襲わなかったからだ。ある一つの行動によって、好感度は確かに上昇したはずだ。

 それでは、そんないい雰囲気を作り出そうと努力する須藤少年に属性を追加してみよう。『趣味は下着集め』と。女子たちは人間様に驚いた鳩のごとくその場を飛びたつ。

 結莉の目線は、冷ややかだ。片手間ズボンの裾を整えているのは、万が一のことを想定してのことだろう。

 信頼という気持ちは、劇物で打ち消される儚い光なのだ。他人の気持ちをアテにしては、足元を掬われる。

 隆仁は、それまで背けていた頭を結莉の方へと向かせた。結莉が隆仁にぶら下がっているようになっているが、友情ではなく彼女が押し寄せているだけのことである。

 ……佐田さん、近い……。

 花の蜜よりも少ない、僅かな甘いにおい。距離を離されていた頃には感じ取ることの無かった、結莉のにおいだ。

 変態だと決めつけられて、体同士が密着しているなどということは起こるのか。真相は、分からない。

「……信じてくれないなら、それでも……」
「なーんちゃって。ずっと観察してたよ、須藤くんのこと」

 説得させようと意気込んで開いた口が、塞がらなかった。上空に偵察機を飛ばしていたのしても、呟いている言葉までは盗聴出来ないはずなのだが。

 結莉が密着状態を解き、いつもの清純らしさを取り戻した。この風貌と言葉遣いに騙された生徒は何人いるか、計り知れない。

「一応俺も、佐田さんが決めた時間の十分前には来てたはずなんだけど?」
「ざんねん、私はその五分前くらいから覗いてたよ? 見た感じ、架空の私にまで言いくるめられてたね」

 結莉の便所にこびり付いた便を見る目が、純粋無垢で心を鷲掴みにする輝きに変わっていた。自然と緩んだ口から、整列した歯の先端が顔を出している。

 ……最初から、か……。

 現実でも空想上でもセルフ板挟みになって苦しむ隆仁は、どんなに滑稽な姿だっただろう。闇に葬り去りたい黒歴史が、また一つ記憶に添付されてしまった。

 頬が熱くなると同時に、早鐘の心臓がスローダウンしていく。はしたない日常を盗み見られた羞恥心と、彼女が創造する独自の世界観が帰ってきた安堵感がぶつかっている。

「……私が、遅れてくるとでも?」
「はいそうです、お嬢様」
「私から誘っておいて、遅れたらそれこそ切腹しないといけなくなっちゃうよ」

 右手で腹を切る仕草をした結莉。彼女が育った国では、刀ではなくノコギリで行われるようだ。反動をつけて切り進めるのは、木材を切断する手順そのままである。

 正直者は得をするのは、町の温かさがあった江戸時代のお話だ。ポイントを稼ぐことしか頭にない現代社会で、正直が仇となる事態はそう珍しくない。

 ……戦国時代に、こういう女武将はいなかったのかな……?

 女子がトップを張ることすら稀な時代でも、結莉は頭角を現して階級を上げたに違いない。江戸時代も、徳川幕府ではなく佐田幕府であった可能性が出てくる。

「……そもそも、なんでパンツの色? 私をコピーしてたなら、言わないことくらい分かってたと思うけど……」
「練習くらい、普段は出来ない悪戯をしてみたくなるものじゃろ、佐田殿?」
「……私じゃなかったら、須藤くんは今頃刑務所だよ?」

 たった一言で検挙されるとは考えにくい。録音テープを事前に準備している油断ならない女子高生など、結莉くらいしかいないだろう。

 平常運転の毒舌を乱射する結莉。体幹の通ったブレない体を持った彼女に、アリが入り込む隙も見つからないように見える。

 だがしかし、隆仁には不自然に思えた。彼女のツッコミは破綻こそしていないが、決定的な違和感が詰まっていたのだ。

 ……佐田さん、合わせてくれてない……。

 即興時代劇は食い気味で参加してくれていた結莉が、振りを無視しているのである。

 たまたま反応していないのであれば、この煙たい空気を換気扇から外に出せる。

「……十分前行動とか、佐田さんは知らなそうだし……」

 この不協和音の正体を探ろうと、隆仁が引き延ばしにかかったところで、

「……真剣な話をしようと思って、今日ここに来たんだ。須藤くん、聞いてくれるかな
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