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カラオケ編

020 強情

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 脂がしみ出しているフライドチキンがいくつも詰め込まれた紙箱が三箱、テーブルに並べてある。業務用油に漬けていたのだろうか、金属を磨いたものより反射光が強い。

 その隣に、表面の泡立ったジョッキのコーラが二つ。新発売の酒として店頭に売られていても偽物には見えない。グラスコップや瓶そのもので持ってくるのが自然なソフトドリンクがジョッキで出てくること自体、珍しい。

 円柱型の伝票差しには、代金の印字されている請求書が丸まっている。全額負担させられるのは、避けたいところだ。ぼったくりだとゼロの数が増殖することもあるらしいが、この量で五ケタに達することはないだろう。

「……お肉が、いっぱい……!」

 知的少女が、よだれを垂らした猛獣として牙をむいていた。三大欲求を前にしては、理性を失った動物となって本能に従うよりない。

 ……頼むのは良いけど、お金は払ってくれよな……。

 彼女が財布を持ってきていなかったならば、お灸をすえる必要がある。鉄パイプを振りかざすとたちまち警察が駆けつけるので、不利な契約を結ばせるのが常套手段だ。暴力団の真似事で気は乗らない。

 金強請りデートのつもりでカラオケに呼ばれたのか、隆仁と会いたくて誘ったのか。言動を見れば、一目瞭然なのだ。普通という形容詞で表されるガールフレンドは、最初からおごりを強制させようとしてこない。

 結莉は付属のキッチンペーパーを手に取って、第一陣のフライドチキンに手を伸ばした。お肉を穢れた悪しき食糧と忌み嫌うダイエット女子が蔓延る世の中で、数少ない肉食容認派と言える。

 女子に体重を尋ねるのがナンセンスであるのは、地球が球体であるのと一緒の常識だ。固定概念に囚われた知識は外側から金属バットで打ち崩していかなくてはならないが、個人の感性によって答えが左右される問題に触れるリスクを冒すほどでもない。

「……佐田さんは、肉とか油とか気にしないの?」
「他の女の子は太るから摂らないようにしてるらしいけど、私はどうでもいいから。不健康なのはダメだけど」

 炭水化物や脂質が集中砲火の的になるダイエットに信仰心を煽られる自称太り気味は、街中のどこにでもいる。碌に運動もしないで体重を減らすことは自殺行為だと知らずに、栄養の偏る食事制限を実施してしまうのだ。

 結莉は、体型についての不満が壺に溜まっていなかったようだ。事実として、彼女は至って標準体型であり、モデルのようにくびれを強調させる意味は無い。

 思春期に訪れる痩せ願望という悪魔も、脳に量子コンピュータを備えつけている結莉には戯言を吹きこめなかった。自身を客観的に判断できる能力がなせる業である。

「食べたいものを我慢する方が、体に悪いよ? 今日は、食べて食べて食べまくらないと!」
「……別の意味に聞こえるのは気のせいか……?」
「うん、きっと間違ってないと思うよ?」

 あっさり掛け言葉を自供した。録音テープが残っていないので弾劾証拠としては使えない。国会議員は国会が開催されている期間中に逮捕されない特権を持っていて、彼女はそれを最大限に活用している。

 ……密室で出た証言は、証拠には使えないのが……。

 無尽蔵に湧き出てくる金源がバックに付いていると言わんばかりに、骨付き肉を口に運んでいく。体格に見合わない大口で、脂まみれのチキンが胃袋へと吸い込まれていった。

 これくらいの食いっぷりを見せてくれれば、食事で不快になることもない。美少女が肉を手に取って怒り出すような人は、現代のアイドルを神聖化し過ぎている。天皇ですら人間宣言をしたと言うのに、可愛い女の子が理想に縛り付けられるのは間違いだ。

「ほら、須藤くんも食べなよ。何て言ったって、お金は全部須藤くんが持ってくれるんだから」
「そんなこと言われて、食べ……ればいいんだろ! 代金の話はまた別で」

 フライドチキンとコーラの料金を丸ごと結莉に擦り付けることは、言論活動のプロフェッショナルも匙を投げる難工事である。次々と追手を撃ち落されて、手駒が不足するのはシミュレーションソフトを動かさなくても分かることだ。

 気が付くと、もう一本が骨となって底に転がっていた。捕食されることになった鶏も、人間界でもてはやされる人物の手に渡ったのは本望だろう。隆仁の勝手な偏見である。

「この骨で、チャンバラ大会できるかな?」
「肉汁が飛び散って清掃料請求されるから、やめてくれるとありがたいですね」
「そうですわね……。でも、私が払わなくていいならよろしくて?」

 リーチの短い短剣で、真剣には立ち向かえない。肉を切らせて骨を断とうとするのも、防護壁となる肉を食べてしまっている。軟弱な骨を振りかぶったところで、腕を切断される。

 ……佐田さん、化けの皮がはがれてきてないか……?

 今日が告白二日目だとして、自分からは一銭も出したくない態度を表に出してきただろうか。ゲームアプリの盲目的なファンでも、運営が集金箱をもって自宅に訪れられたくない。

 道端で見つけられる男子が描く理想像は、従順で大人しい美少女。そうで無くとも、貢げば貢ぐほど好感度が上がるシステムがいいと欲を出す。結莉はその型に合わせながら、一週間やってきていたのだ。

 塗装したペンキは、いつかはげていく。昔ながらのコンテナ駅舎がひび割れるのは自然現象なのである。鉄道廃止勢の陰謀でも、子供の悪戯でもない。

 金属にメッキを施すときは、腐食されにくいものを使う。ステンレスはその代表例を言えるだろう。鉄でメッキを敢行した日などには、赤錆で内部までボロボロになってしまう。

 ……思ったよりも、雨が強かったんじゃないか?

 日干し煉瓦でつくられた結莉の防壁は、長期間降り続いた雨によって泥に還ってしまった。つまり、これから続々と本性が見え始めるということだ。

 懸念事項があるとするのならば、これも手のひらで踊らされていないかというものである。

 ……何処までが、佐田さんの守備範囲なんだろう……?

 詳しい事は、本人がよく知っている。

「ほらほら、早くしないとなくなるよー。……そっか、須藤くんは犬だったんだ」
「箱の中身を投げられても、キャッチしに行かないぞ」

 近所の犬も、残りカスは欲しがらなさそうである。しゃぶる骨にしては、飲み込めてしまう小型サイズだ。組織ごと溶かせる王水の胃液が分泌されていれば、問題なく消化できる。

 隆仁が熟慮に沈んでいる内にも、結莉の侵攻は激しさを増していた。敵の一連隊がそっくりそのまま消失し、中段で待機していた第二軍にも襲い掛かっている。

「……保健室のこと、覚えてる? 須藤くんが、私のことを襲う事」
「既成事実のように言いふらさないでくれますかね……」

 喉ぼとけが上下に動いてから、彼女が口を開いた。教養が体に叩き込まれているお嬢様は、礼儀を大切にしているようである。口に物を入れて喋るのは、衛生の観点から相応しくない。

 ……襲おうと思えば、俺は佐田さんを襲えるって?

 社会的制裁が待ち構えている保健室の仕切りで、思い付きはしても実行に移す大バカ者はいない。一時の悦楽と一生の人生、優先順位は火を噴くより明らかだ。

 女子ボディビルダー大会への出場を志しているならまだしも、結莉は何の訓練も受けていない女子高生だ。テロップで米印付きの注意勧告は表示されない。男子の筋力で、簡単に押し倒すことが出来る。

 ……そんなことして、何になるんだよ。

 生物学的な力の優位を矛にして、喉元に突き刺していいはずがない。相手に好意を伝えるつもりでも、嫌悪感の返答で拒絶されてしまうだけに終わる。

「須藤くんが望むなら、私は何をされても良いよ」
「……どこのドラマの台本ですか」
「……なにも、したくないの?」

 すり寄ってきた結莉のスポンジのような肩が、優しく反発して接した。隆仁がもたれかかったとしたら、変形して受け止めてくれそうだった。

 カーテンが閉め切られていて、真昼間でも真夜中の気分になる。調節機能が時刻を誤認すると、感情を司る神経までもが影響を被る。

 空いていた左手が、絹で出来たハンカチで包み込まれた。うつ伏せで意識が朦朧としていた彼女に差し伸べた手とは真反対の、安心を誘う毛布だ。

「こんな美少女が何でもいいって言ってるのに、何もしないの?」

 自身で美少女を自称してしまうのが玉に瑕だが、それをしても見逃せる笑顔のきらびやかさを持っている。肖像画にして、家に飾っていたい。

 ……たぶん、佐田さんのことだから何か裏があるはず……。

 言葉をそっくりそのまま返させてもらう。確信犯の少女が体を委ねようとすることに、ネズミ捕りが仕掛けられていないはずがない。

 彼女に溺れてしまうと、もう水面上に顔を出せなくなる。泳ぎに自信がある隆仁でも、脱力するように表面を覆ってくる甘い水に抗える未来が見えないのだ。

 ……こんな時こそ、冷静に……。

 軽い気持ちで始まった、歯車の噛み合わない男女の攻防戦。第一ラウンドこそポイントを奪われたものの、その後は健闘が続いている。

 落とし穴や分岐点は、日時が動くたびに発生した。選択肢を誤れば、強制終了でコンセントからプラグが抜かれる。修羅場をかいくぐって息をつく暇も無く、次なる困難が襲い掛かってくるのだ。

 毅然とバッテンマークを突きつければ、一線を踏み越えてこない。結莉が隆仁を丸裸にした分、隆仁も寄生系少女の真実を掴んできたのだ。

「……あらあら、須藤くんは意気地なしだね」
「煽り文句に負ける年頃ではないのでね」

 自慢話からコンプレックスまでの全てを受け止めてくれそうだったお姉さんは、たちまちずる賢い少女に変貌を遂げていた。

 苦難の波は、拍子抜けするほど継続しなかった。

 ……雑になって来てるよな、佐田さんの攻撃。

 そう思った隆仁は、一週間の付き合いで本質を見抜けていなかったことを思い知らされることになる。

「……そんなに強情なら、こうしてあげる」

 結莉に手首をしっかりと掴まれて、寝技へと引きずり込まれた。ソファに背中を預けた彼女の上を、四つん這いの隆仁が覆いかぶさっている。

「……壁ドンで、女の子を倒しちゃったね、須藤くん」
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